アダルトな大人


 絶対に笑ってはいけない原田家の家族会議

 どうしようとかやべえとか、そんなことよりも先に『俺の格好やばくね?』という感想が頭を過る。そうだよ今更だよ。

「いや、これはその、深い事情があって…つーかなんで店長がいるんすか!司も!」
「そんなことはどうでもいい、お前、なんて格好を…!その男はなんだ!地下牢に閉じ込めておけと言っていたはずだろう!」

 即座に突っ込んでくる兄の口から出たその言葉を、俺は聞き逃さなかった。

「やっぱりこいつ連れてきたのお兄ちゃんの仕業かよ…っ!誘拐みたいな真似はやめろっていつも言ってんじゃん!」

 四川の話を聞いていた時から嫌な予感はしていたのだ。
 元々兄は消したい人間を捕まえて人知れず地下に閉じ込めようとする悪癖があり、俺がそれを知り止めたとき、一時はやめていたのだがどうやらやはりそれは俺の目の届かない場所で今も続いていたようだ。
 そんな兄を幼い時から見ていたハルカが堂々と拾ってきた人間を家畜扱いするのも兄のせいと言っても過言ではないはずだ。
 なのに、兄は悪びれるどころか目の色を変えた。

「佳那汰、お兄ちゃんに向かってなんだその口の聞き方は!」

 そこかよ!そこじゃねえだろ!
 目の付ける場所がずれている兄に頭が痛くなってきた時だ。妙な気迫に気圧され、後退りをすれば、手首を掴み上げられる。
 先程まで縛られ、擦り剥いたそこに痛みが走り、僅かに顔が引き攣った。

「っ…い…ッ」
「い?」

 呻く俺に片眉を吊り上げた兄。
 あ、やばい。そう思った時には遅かった。その視線は俺の手首に向けられ、手首周りに出来た赤い線に兄の目が見開かれる。

「……佳那汰、なんだこの傷は。朝はなかったはずだ」

 低く、地を這うようなその声に、俺だけではなく周囲にいた使用人は勿論ハルカも青褪める。
 当の俺はというと蒼白通り越して顔面土色になっているはずだろう。

「っ、そ、それは…」

 なにか言え。必死に頭を動かし適当な言い訳を探してみるがどれも兄を納得させるようなものはなくて。
 それどころか、

「あんたんとこの使用人、躾が行き渡っていねえみたいだな。仕えている家の人間を縛り上げて、寄って集ってそりゃ楽しそうだったな」
「おい、馬鹿、四川っ!」

 わざと兄を挑発するかのようなことを言い出す四川。
 絶対怒られる。それどころか、怒りが四川に向くことだってあるかもしれない。
 兄の反応が怖くてつい目を逸しそうになったが、兄の反応は想像とは違った。

「…なんだと? うちの使用人が佳那汰に手を出すはずが…」

 疑うような兄の言葉には驚いた。
 なによりいつもの兄なら根拠のない自信を理由にばっさり切り捨てるはずだからだ。
 その言葉も途中で途切れ、どこか勘繰るような兄の視線は部屋にいたとある人物に注がれる。

「おい波瑠香、どこへ行く」

 兄の声に、別の襖から部屋を後にしようとしていたハルカがびくりと反応した。そして、青褪めたハルカはわざとらしく腹部を擦る。

「い、いえ、その私、急にお腹の調子が……」
「俺の許可も取らずにどこへ行くと言っているんだ」

 僅かに刺を孕んだ兄の声に、ハルカは観念したようだ。
 小さい頃から兄に怒られて躾けられていたハルカにとって兄の低い声は恐怖に近いようだ。目を潤ませたハルカは低く唸る。

「ぅ、うぅ…お兄様、そんな怖い顔…」
「波瑠香、お前は今日一日ここにいたんだろう。少し、詳しい話を聞かせて貰おうか」

 残念だったな、ハルカ。うちの兄には泣き落としは通用しない。
 そもそも、ハルカの様子からなにかを悟った兄はハルカを見逃す気はさらさらないようで。

「こっちに来い」

 そう、顎をしゃくって短く命じる兄に、ハルカは今度こそ小さくなる。
 はっはーん!ざまあみろ!お前が調子に乗るからそうなるんだよ!自業自得だバーカ!しっかり怒られてこい!と言いたいのを堪え、ハルカに目を向ければ親の仇でも見るかのような恐ろしい目をしたハルカと視線がぶつかりちびりそうになった。

「今すぐ医者を呼び佳那汰の怪我の手当をしてください。迅速に、少しでも跡を残さないように」
「は、はいっ」

 残したらわかってるだろうな、と訴えかける様に近くにいた使用人に命じる兄は言うだけ言えば「お兄様痛いです、痛いです!そこは掴むところじゃありませんわ!」と喚くハルカのツインテールを手綱かなにかのように引っ張り、引きずり出す。
 我が家ではわりと日常茶飯事なのだが、ここには数人の部外者もいるわけで。

「…………止めなくていいんですか?」
「他人の家の事情には口を出すべきではないからな」
「ここに来る前と言っていることがまるで違いますよ」
「正直なるべくあの人には関わりたくない」

 そう真顔で答える店長に、司は「本音ありがとうございます」と同じく真顔で答える。
 男としてどうかと思うが弟としてはその店長の答えは正解だ。触らぬ兄に祟りなし。

 ◆ ◆ ◆

「あぁー、生き返る。おい、おかわり」
「お前人んちで寛ぎすぎだ」
「随分なもてなし受けた後だからな、腹減ってんだよ」

 というわけで、兄とハルカが退室してから部屋を移動した俺たちは食べ損ねた朝食を取るために広間へとやってきていた。
 相変わらずな四川にはムカついたけど、巻き込んでしまったのは事実だがここは原田家の一員として俺が責任取って饗して…………っておいそれ俺の肉!客とか関係ないだろふざけんなこの野郎!

「そう言えば四川お前なんでここにいるんだ」

 食卓の上、おかずの取り合いをしている俺たちを横目に茶菓子を手にした店長は尋ねる。

「知らねー、拉致られた」
「日頃の行いは大切だは」
「おい、どういう意味だよ」

 そのまんまの意味だろ、と代わりに答えようとしたが伸びてきた箸にだし巻き卵を取られ、中断。
 やつの皿から肉を取り上げ頬張った俺は、改めて食卓を囲むメンツに目を向けた。

「そういえば、店長たちはどうしてここに…?」

 そして、バタバタしていて聞きそびれていた疑問を口にすれば、よくぞ聞いてくれたと言うかのように店長はふふんと胸を張る。

「せっかくの戦力を失うわけにはいかなかったからな、仕方なく来てやったというわけだ」

「嬉しいか? 嬉しいだろ? 泣いて喜ぶがいい!」と相変わらずなテンションの高さで身振り付きで答えてくれる店長。ああ、なんかこの高笑いが懐かしい。

「店長、原田さんが連れ去られてからずっと心配してたぞ」

 ようやく口を開いたかと思えば、店長とは対照的なローテンションの司は呟く。
 店長が心配?意外な言葉に驚き、店長に目を向ければ調子を狂わされた店長はばつが悪そうに顔をしかめた。


「お、おい…! 貴様そういうことは…!」
「心配…してくれてたんすか?」
「…まぁな。って、いいだろもう、そういうことは! 俺のことはいいんだよ!」

 もしかして、照れているのだろうか。必死になって話題を逸らそうとする店長に、少しだけ、少しだけだが、まあ、その…悪い気はしないわけで。
 そっか、心配してくれたのか。なんて一人照れていると、こほんと咳払いをした店長はずびしとこちらを指差した。

「それよりも問題はお前だ、原田佳那汰」

 突き付けられた長い指に「え?」と目を丸くした次の瞬間。広間の襖が勢い良く開かれた。

 やつだ、やつがご降臨なさった。
 ずかずか広間へと入ってきた兄は四川を一瞥し、それからすかさず俺の元までやってきた。

「怪我の手当は終わったのか?」
「ん、一応…」

 ついでに、服も着替えることができたがやはりこう、こう、いたたまれない。俯きながら答えれば、兄は「そうか」と低く呟いた。

 くるか……?そろそろくるか…………?
 いつもならここの辺りで怒りを爆発させるはずだ、と身構える俺だが、兄の態度は予想していたよりも落ち着いていて。寧ろ、いつもよりもどこか落ち込んでいるような気すらあって。
 なんだ、なんでなにも言って来ないんだ、ビンタは?ビンタもしないのか?
 嵐の前の静けさ的なものを感じ、青褪める俺。そして、ようやく兄はゆっくりと口を開いた。

「大体の話は波瑠香から聞いた。…悪かった。あいつがちゃんとお前と仲良くするし虐めないと言うから任せていたのだけど、お兄ちゃんが目を離した隙にこんなことになるなんてな。
 …………こんなんじゃお兄ちゃん失格だ」

「んぶっ」

 予想だにしていなかった兄の弱気な態度に驚いたのは俺もだが、おい四川てめえ気持ちはわかるが笑うなてめえこっちまで噴き出しそうになるだろうが止めろ。

「お兄ちゃん、俺……」
「お前に不躾を働いたやつらは全員割れている。俺直々に処分を下すから安心していい。……だが、やっぱりお前をここに置いておくわけにはいかない」
「お兄ちゃん…!」

 ということは、だ。もしかしてあれか、つまり、ようやく俺の独立を認めてくれるということか!
 兄の口から出た言葉に、俺は目を輝かせる。

「俺、これからちゃんと自立するから、心配も掛けないように…」
「お兄ちゃんと一緒に家を出て、適当なマンションを借りよう」

 そう、適当なマンションを借りてお兄ちゃんと一緒に…………はい?

 はい?

「これからはずっと目を離さないよう厳重な設備とセキュリティでお前に快適安心な暮らしを用意してやるからな、佳那汰」

 あれ、もしかして、これはまさかあれじゃないか?寧ろ悪化してないか…?

「いや、お兄ちゃん…」
「俺が居ない間寂しいというならペットを飼えばいい。お前、犬が飼いたいと言っていただろう。…ああ、それならペットを飼ってもいい場所を選ばないとならないとな」
「いや、あの…だから……」
「丁度知り合いがいいマンションがあるといっていたな。見晴らしもよくて設備も万全。こうとなったら早速電話して話を…」
「だから、待てって言ってんだろうが!」

 あまりにも人の話を聞こうとしない兄に、ぷつりと頭のどっかがブチ切れる音がする。
 突然声を上げる俺に何事かと目を張る兄、意外そうな顔をする部外者三名。やつらの視線に構わず、立ち上がった俺は兄と向かい合う。

「佳那汰、お前なんて口の聞き方を…」
「聞き方だとか、そういうのはいいんだよ!つーかずっと俺のことはいいって言ってんだろ!
 俺と住むマンションよりも先に、さっさと奥さんと一緒に住む家を探せよ!」

「「奥さん?!」」

 俺の言葉にいち早く反応したのは、傍観を決め込んでいた店長と四川だった。
 驚愕する二人とは対照的に、兄は奥さんという言葉に顔を引き攣らせる。

「な、なにを言ってるんだ佳那汰! 彼女とはまだ籍を入れていない!」
「どっちにしろ婚約してんだろうが! どれだけ待たせるつもりなんだよ!!」

 俺が家を出る三年前から、兄には婚約者がいた。
 親の言いつけとはいえ、兄に対して一途で美人でしかも巨乳!巨乳の!文句のつけようのない乳…プロポーションの婚約者がいるというのに兄は一向に籍を上げる気配はないしおまけにこの始末だ。嫌がらせか。
 兄も親から五月蝿く言われていて耳が痛い思いをしてきているのだろう、いつもの余裕はどこにいったのか「うぐぅ…」と唸る兄は苦悶の表情を浮かべるばかりで。

「大体お兄ちゃんが俺に構ってばっかりだからあの人、定期的に恨みの手紙送ってくんだよ! すげーこえーからやめさせろよ!そのせいで翔太の眼鏡割れたんだぞ!」

「知らないとは言わせないからな、ずっと監視してきたから知ってんだろ!」そう、名探偵さながらの直感推理で言い切れば、兄の顔色は更に悪くなる。
 監視していることを指摘されたからではない。兄は自分の婚約者のことになると途端に顔が引き攣るのだ。
 まあ確かに気持ちはわからないでもない。確かに羨ましいくらいの乳だが、俺ならあんな俺の写真を顔に被せた藁人形に何本もの五寸釘を貫通させるような女を嫁にしたくない。したくないが、申し訳ないがこの兄にはあれくらいのあれのがあれなのだ。なんというかこう、似た者同士。目には目を。毒には毒を的な。

「か…佳那汰、大人には大人の事情というものがあってだな」

 よしきた。痛いところを突かれ、すっかり調子を狂わされた兄はいつもの調子を取り戻すのに少しばかり時間が掛かる。
 ここぞとばかりに俺は「なら、俺にも俺の事情があるんだよ」とすかさず反論を入れた。

 そして、最終奥義。

「お兄ちゃんが結婚して家庭持つまで、俺はお兄ちゃんと縁を切る!」

 そうずびしと兄に人差し指を突き立ててれば、ドーンと兄に衝撃が走った。ような気がする。
 というか司、興味なくなったのはいいからせめてテレビはつけないでくれ。バラエティ番組のBGMは緊張感が欠けるから!せめてニュースで!

「なにを馬鹿なことを…! そんなことをして一人で生きていけると…!」

 司はともかく、少なくとも兄にはダメージがあったようだ。
 そのとき、狼狽える兄を見兼ねたらしい店長が「そのことですが」とここぞとばかりに口を開いた。

「金銭面ならご安心を。こいつにはまたうちで働いていただく予定なので」

「わりと給料についてだけは評判いいんですよ、うちの店は」と爽やか100%の営業スマイルを浮かべる店長。
 給料だけって自分で言っちゃってるのはともかく、まさかフォローしてくれるとは思わず、それよりもまた雇用してくれるという店長に俺は目を輝かせた。

「店長…!」

 ただのぼったくりセクハラ睫毛野郎と思っていたが、幾度も面接不採用を叩き出してきていた俺にとってその言葉は救いの手にも等しい。
 しかし、問題はまだある。
 俺の目から見てもわかるくらい、兄がアダルトグッズを販売しているということ自体嫌悪している。そんな兄がすぐに承諾するはずがない。

「冗談じゃない! いくら給料がよかろうともあのような下劣な店で佳那汰を働かせるわけにはいかない。あんな乱れた場所で佳那汰の身になにかあってみろ、君は責任を取れるのか!」

 何が何でも認めない。そう全力で止めてくる兄に返す言葉が見付からず、まさかもう何か遭ってますなんてこと言えるわけもなくて。
 また、俺は言い包められてしまうのか。そう、歯を食い縛ったとき。
 スパァンッと小気味の良い音を立て、襖が開かれる。というかどいつもこいつも扉の開け閉めの自己主張激しすぎるんだよ。と思いつつ振り返れば、そこにいたそいつの姿に俺は目を見開いた。

「お兄さん、もしかして僕のことをお忘れじゃありませんか?」

 ド派手な赤い髪がやけに目立つそいつは、黒いフレームの眼鏡を指で軽く持ち上げ、柔和な笑みを浮かべた。

「僕も同じ職場に勤めさせていただいていますし、いつでも監視されていただいてます。そういうことであれば任せて下さい。自分もお兄さんと同じ気持ちです、なにかあれば速攻カナちゃんを、力づくでも辞めさせることを約束しましょう」

「それに、カナちゃんの面倒は僕が責任持って見させてもらいますから」と、きっぱりとした口調で言い切るそいつは俺の方を見てにこっと笑った。
 そう、そいつは…。

「しょ、翔太…!」
「ちょっとカナちゃんその『うわ、こいつまじ忘れてたわ』みたいな顔はやめてくれないかな!」

 好きなものは年齢制限のある美少女恋愛シュミレーションゲームとやたら肌色が多い美少女アニメ、趣味は裁縫でコスプレ衣装製作(なぜか女物ばかり)からプラモデル製作、フィギュア収集とその魔改造。半分二次元に行ってるんじゃないのかと思いたくなるような典型的なヲタク眼鏡野郎こと中谷翔太は…「いらないからそのモノローグ! 不必要だから! そんな余計なところにサービス精神出すのやめてくれない?! 悲しくなるから!!」…悪かった翔太、泣かないでくれ。

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