悪運の強い男×2 *四川side
「四川、帰るのか」
私服に着替え、店を後にしようとした四川阿奈に気付いた時川司は持っていた本を閉じる。
レジカウンター前。
声を掛けられた四川は立ち止まった。
「ん……あぁ、眠いし」
「大丈夫なのか」
いきなり安否を尋ねられ、ぴくりと眉を顰める四川はじろりと時川を睨む。
「なにが」
「一人で」
「なんで」
「……誰かに襲われたら」
「はぁ?! 誰が!」
まさかそんなことを心配されるとは思ってもなくて、思わず全力で聞き返してしまう。
喧嘩は弱くはない方だと自負してるし、どちらかと言えば暴漢側の四川は時川の言葉に顔を引き攣らせた。
そんな四川に顔色一つ変えずに時川は「原田さんのお兄さんに」と即答する。
その言葉に、昼間やってきた原田佳那汰の兄を名乗る男とのやり取りを思い出す。
「んなわけねえだろ。つーかあんなん、本気にすんなよ」
確かに気味が悪いくらい原田佳那汰に執心しているように見えたが、あの男が自分を待ち伏せしているなんて思えなかった。
あの様子じゃ、今も原田佳那汰と一緒にいる可能性の方が高い。
「ならいいけど」とだけ時川は呟き、再度手元の本に目を向ける。
「……じゃ、お疲れさん」
「ん」
なんとなく腑に落ちない気持ちのまま、時川と別れた四川はそのままエレベーターを使い、地上へと出る。
店の外、路地はすっかり暗くなっていた。
晩飯どうしようか、用意するのだるいしどっか食いいくかなあとかぼんやり考えながら店の前に停めてたバイクに歩み寄ったとき。不意に、肩を掴まれた。
「……あ?」
そのまま後ろを振り返れば、暗い闇の中、スーツ姿の数人の男がそこには立っていた。
全員、顔に見覚えはない。
咄嗟に前方に視線を向ければ、どこから沸いてきたのか自分の周囲には取り囲むようにスーツの男たちが立っていた。
強張った顔の筋肉がぴくぴくと痙攣する。
なんか、原田の兄貴より厄介なの来てんだけど。
「っでででで……」
劈くような全身の痛みに唸りながら、ゆっくりと瞼を持ち上げる。
どうやら、俺は気絶していたらしい。
店を出て、帰ろうかと思った時、変な奴らに囲まれた。そんでわけもわからず頭ぶん殴られて……ああ、そうか。だからこんなに頭がいてーのか。くそ、思い出したら腹立ってきた。
「ぁーっ、もう、クソッ! まじなんなんだよ、いきなり!」
ぶつけようのない苛立ちに吠えながら起き上がろうとする俺だが、思うように体が動けない。
後ろ手に組まれた腕は縛られてんのかびくともしねーし、っていうか、ここどこだ。
真っ暗闇。転がされたそこはざらついた独特の感触から畳だということはわかった。
誰かの家か?なんて、辺りを見渡したとき。
「もしかして、その声……四川君?」
不意に、頭上から優男風の声が聞こえてきた。
どっかで聞いたことのあるそのなよい声のする方へと顔を向ければ、視界に眩い明かりが灯る。
それは携帯電話のライトだった。
「お前……中谷翔太っ!」
タブレットタイプの携帯を手にした中谷翔太の姿にただただ驚愕した。
「驚いたな……なんで君がこんなところに」
「それはこっちのセリフだ、オタク眼鏡!」
「否定はしないけど君に言われるとムカつくな」
どことなく面白くなさそうな中谷だが、面白くないのはこっちも同じ訳で。
促すように睨めば、中谷は肩を竦める。
「僕は…そうだね、ま、隠したところでどうにもならないからなぁ」
「? おい……」
「ここはカナちゃんの家だよ」
勿体ぶるなよ。そう言い掛けた矢先のことだった。
溜息混じりにそう続ける中谷の口から出た言葉に、一瞬俺の思考は停止した。
「は? カナちゃんって、原田? なんでそんなところに俺が」
中谷の携帯で照らされたそこは一面畳張りの和室で、一つ違うところを上げるならばあるはずの壁が一面のみ排除され、まるで牢のような柵が建て込まれているということだろうか。
ここが原田の家ということは甚だ理解しがたいが、それ以上に何故自分がここに連れて来られなければならないのかがわからない。
勿論、中谷にもそれはわからないらしく、相変わらず涼しい顔をしたやつは「さあ?」とわざとらしい動作で首を傾げてみせた。
「僕も連れて来られたばかりだから事情はよくわかんないんだけど、君の場合未奈人さんに目を付けられたからじゃないかな。それは君自身がよくわかってんじゃないの?」
「知らねえよ。いきなり変な連中に囲まれて気付いたらここにいた」
「ふーん…………でも、君と同じ場所にいるってことは僕も結構やばいのかな」
難しい顔をして、ぶつぶつとなにか言い出す中谷に「あ?」と眉を釣り上げる。
「だってさ、未奈人さんに僕まで君と同レベルに見られてるってことだよね、これって」
面倒だな、と舌打ちをする中谷。
俺に背中を向けたかと思えば、そのまま壁に触れる。
カチリと音を立った瞬間、高い天井の一部が開き、そこから梯子の形をした縄がするすると落ちてきた。
忍者屋敷かよ。
…………じゃなくて!!
「っておい、待てよ!」
「なに? まだなにか?」
「……これ、解けよ」
こんなやつに頼まなければならないのは癪だが、このままではあの頭のネジがぶっ飛んだブラコン兄貴になにされるかわからない。
恥を忍んで頼み込めば、梯子に手を掛けたまま中谷は俺を見下ろす。
そして、
「嫌だね。なんで僕が君を助けなきゃならないの。そこで大人しく野生動物の餌になるのを待ってなよ」
ハンッと鼻を鳴らし、嘲笑するやつに全身の血が頭に昇る。
頭のどっかがぶちりと音を立ててキレた。
「んだと、このモヤシ……」
「ふ…ふん! 動けない君が睨んだ所で痛くも痒くもないんだからね! へへーん!」
「てめぇ、調子にのり上がって…!」
「じゃ、頑張ってねー!」
動けたら今すぐぶん殴ってやるのに。
きつく縛られた縄に阻まれ、見ることしかできない俺を良い事に調子に乗りやがる中谷はそのまま軽快に梯子を上っていく。
慣れているように見えるのは気のせいではないはずだ。
くそ、なんであいつにまで馬鹿にされなきゃなんねーんだよ。
天井の穴から座敷牢を抜け出す中谷翔太を睨むが、やがてその姿も見えなくなった。
せっかく使えそうなやつがいたと思ったなのに。舌打ちし、辺りに視線を戻したとき。
体のすぐそばで光るものを見つけた。目を拵えてみれば、それはアーミーナイフのようで。どう考えても、中谷翔太が梯子を上る拍子に落としていったのだろう。
この現状の最大の打開策になりうるであろうその物体の出現に、先ほどまで引き攣っていた頬がようやく緩む。
「覚えてろよ、あの糞眼鏡……!!」