アダルトな大人


 悪ノリアテンション ※

 隠れる。
 確かにそう言ったが、だ。

「よりによって、ここかよ!」

 地下二階のコスプレ衣装部屋。
 そこはAVでしか見ないような際どい衣装から流行りのアニメのキャラクター、テレビで観るアイドルの衣装にランジェリーと様々な種類の衣装でごった返していた。
 そしてハンガーに掛けられた試着用コスプレ衣装で敷き詰められたその中に俺たちは身を潜めていた。

「うるっせぇ! あんまデカイ声出すんじゃねえよ!」
「お前も声がでかいだろうが……っ!」

 フリルとレースでごてごてに装飾された衣装の壁は確かに外からこちらを伺えないだろうが、正直、狭いわ暗いわ窮屈だわで環境は最悪だ。
 そして、なにより。

「って、言われたって、こんな…」

 少しでも身動げば、背後に隠れる四川の胸にぶつかってしまう。
 四川曰くこれでも詰めている方だと言うのだが、それにしても近い。近すぎる。
 だって頭に四川の息掛かるし、なにより暑い。
 他人と密着しているせいか、それともこの衣装の壁のせいかはわからなかったが、息苦しくて、頭がぼうっとしてきた。
 じんわりと滲む汗を拭うこともできない。

「……なあ、いつまでここいればいいんだよ」
「笹山にお前の兄貴出て行ったら教えるよう言ってるから。……それまで待ってろ」

 そうぶっきらぼうに答えてくる四川。
 一応、後先考えてないというわけではなさそうだ。
 普段からそんなこと考えてなさそうなのに意外だと思う反面、ちょこっと、ちょこーっとだけ四川を見直したり……。

「それならまあ……って、おい、もっとあっちいけよ! 近いんだよ!」
「仕方ねぇだろ、これでも詰めんてんだよ! ぐちゃぐちゃ文句言ってんじゃねえ!」
「だって、お前重いし、しかもなんか当たってやなんだよ……っ!」
「お前がケツ押し付けてきてんだろーが!」
「は、はぁっ? ち、違えーよ!」

 狭い空間の中、そうなるべく声を潜めて言い争っていたときだった。
 遠くからバタバタと複数の足音が聞こえてきて、俺達は口を閉じた。そして顔を見合わせる。
 もしかして普通の客かとも思ったが、違う。
 衣類のカーテンの隙間、ちらりと階段の方を伺えば、そこには翔太の派手な赤い髪が見えた。
 そして、その隣には……。

「……っ!」

 きっちりと着込んだスーツ。
 短く切り揃えた黒髪、温度を感じさせない冷たい目、硬く結ばれた口元。
 最後に見た時よりも老け、背丈も伸びているもののその目付きのキツさからすぐにそれが誰だかわかった。

「……お兄、ちゃん」

 原田未奈人。
 十歳離れた兄は数年前に別れたときよりもその雰囲気は更に鋭利になっている。
「似てねえな」と言う四川に返す言葉もない。
 バクバクと高鳴る心臓を抑え、俺はバレないように更に息を潜める。

『ですからお兄さん、カナちゃんですってこいつ』
『馴れ馴れしく“お兄さん”と呼ばないでいただきたい。……私を兄と呼んでいいのはこの世に二人だけですので』

 ……間違いない。
 他者を切り捨てるような低く冷たい声も変らない。条件反射で全身に嫌な汗が滲んだ。
 くそ、ここはどうにかして司に頑張ってもらうしか……。
 そうぐっと拳を握り締めたとき。

『ほらっ、司君もなんか言って!』
『お兄ちゃん、かなたのこと覚えてないの?』

 翔太お前もろ司の名前出してるし司はなんだよそれ俺そんなキャラじゃねーよ!やめろ、おい、くねくねすんな!
 あまりにも杜撰な司の仕事に思わず飛び出しそうになったが、それよりも先に兄が動いたのを見て慌てて堪えた。

『……軽々しく佳那汰の名前を名乗っていただくのはやめて頂きましょうか。いくら人様とは言え、これ以上の無礼は私だけではなく佳那汰を侮辱することに等しい』

 ひゅ、と息を飲む。
 ……出た、出やがった。やはり何一つ変わっていない。何を言い出すんだこの男は、と顔が熱くなる。やめろ、司やや引くな。俺もきつい。

「お前の兄貴、やべーな。ブラコンかよ」

 笑う四川の言葉に全身がぎくりと凍り付いた。
 ――ブラコン。
 そう、兄――原田未奈人を一言で形容ならまさにその言葉が適切だろう。ついでにいえばシスコンでもある。その上、ただ甘いだけではない。
 まだそれだけならば俺だってわざわざ家出しなかった。

「……」
「……おい?」
「……っ」

 くそ、これ以上恥ずかしいこと言うのやめてくれ。これ以上俺のただでさえベコベコになったメンツを傷つけるような真似は……!
 そう、祈るような気持ちでぎゅっと目を瞑ったときだった。
 不意に、背後からぬっと手が伸びる。
 そして、

「あ……っ?!」

 ぐわしっと平坦な胸を両手で鷲掴まれ、驚きのあまりに変な声が出てしまう。
 慌てて口を塞ぐが、幸い外までは聞こえてなかったらしい。
「おい」と小声で背後の野郎を睨めば、四川は笑う。いい玩具を見つけたような嫌な笑みだ。

「ってめ、なにして……っ」
「……ああ? お前が辛気臭ぇ顔してるから慰めてやろうかと思ったんだよ」
「ただムラムラしただけだろーが……っ!」

 にやにやと笑う四川に軽い殺意を覚えずにはいられない。
 少しでも『もしかしてこいつ良いやつなのか……?』と思ってしまった数分前の自分をぶん殴ってやりたい。
 こいつはこいつだ、何も変わんねえ!

 
 本当、こいつは他人ごとだと思って好き勝手しやがって。
 こんな状況でなければ、と歯軋りをするが現状を覆すこともできずされるがままになってしまう。
 せめて、とぐいぐいと四川の手を振り払おうとするが、通路側に近い俺が抵抗すればするほど衣装が不自然に揺れ、それに気付いた俺はどうすることもできなかった。
 ここはなんとしてでも堪えなければと焦る俺を見て四川は楽しそうに口元を歪める。
 そして、もぞ、と腹を撫でるようエプロンの脇からごつごつとした指先が侵入してきた。

「ぁあ……っ?!」

 一枚のTシャツ越しに突起を撫でられ、堪らず声を漏れてしまう。
 慌てて口を抑え、「おい」と睨めばやつは返事の代わりに服が敷き詰められた狭い空間の中、逃げようとしていた人の体を抱き竦めるのだ。そし、乳輪を潰すように胸を揉まれ、思わず腰を引く。
 しかしやつの手は止まらない。

「っ、やめろ、って、おいっ」
「あんま騒ぐなって。兄貴にバレたら困るんだろ?」
「っ困るに決まってんだろうが……っ!」
「なら、黙っとけよ」

 耳元で四川が笑う。
 そのまま口元を手で塞がれ、開き掛けていた唇を割って骨っぽい指が口内へ入ってくる。

「っふ、ぐ……っ」
「はっ、甘噛みか? あんま可愛いことしてんじゃねえよ……ッ」

 ぐちぐちと咥内を掻き回され、その指に舌を捕らえられてしまえば言葉を発することすらも困難になる。
 片方の指に乳輪から乳首の先っぽまでを引っ張るように潰され、声が漏れた。
 やめろ馬鹿、まじで洒落になんねーから!と睨むがなにもかもが逆効果である。

「んっ、ふ、ぅ……っ」

 必死に声を抑えようとすればするほど余裕がなくなり、それでも声を出さないように耐える。
 引っ張られ、芯を持ち始めた乳首の側面を引き伸ばすように擦られるだけで頭の奥がじんじんと痺れ始めた。
 口をこじ開けられてるせいで唾液は止まらない。物音を立てないよう、腰が抜けそうになるのをパイプを掴んで寸でのところで耐える。

「……っ、興奮しすぎだろ」
「お前がだろ、この捻くれ野郎……ッ」

 四川は否定するわけでもなく、代わりに人の項に顔を埋めぬるりと舌を這わせてくるのだ。そのままわざと音を立てるように軽く吸われ、身を攀じる。腹が立ってその頭を抑え、離そうとすればそのまま甘く噛まれてしまう。

「いい加減にしろ……ッ!」
「お前が我慢すりゃいいんだろ」
「バレたらお前もとんでもないことになるぞ!」
「ああ? ……んだそれ、脅しのつもりか?」

 おもしれえ、と四川は喉を鳴らして笑う。
 こいつ、全然分かってねえ。あいつのやばさを。
 だからこほ四川はこの状況を楽しんでるのだ。
 兄さえ、兄さえここからいなくなったらすぐにこいつをひっぺがして飛び出してやる。それまでの我慢だ。
 こうなったら徹底的に無視してやると決心する。

「……」
「お? 急に大人しくなったな」
「……」
「はっはーん、なるほどな。いいぞ、お前がそのつもりならこっちにも考えがある」

 え、なに、考えって。
 決心した傍から揺ぐ意思にはっとした俺は慌てて頭を振り、再度聞こえないふりして身を硬めた。石になったと思い耐える。そのときだった。不意にエプロンの脇から手が引き抜かれた。
 そして、まさかやめてくれるのか?とつい、背後に目を向けそうになった時だった。

「……っ!」

 伸びてきた手にガシッと腰を掴まれた次の瞬間、驚きで仰け反った背筋を撫でるようにシャツを大きくたくし上げられる。外気に晒される背中。
 ぎょっとし、声を上げそうになって慌てて俺は口を閉じた。
 別に、背中ぐらいどうでもいいじゃないか。
 こいつに見られようが恥ずかしくもなんともない。
 なにされるかわからないという恐怖と緊張でバクバクと加速する鼓動を必死に知らんぷりしながら取り繕う。
 今は、兄の方に気を向けなければ。
 そう、乱れる注意力を再び統一したときだった。
 ちょん、と腰に指先が触れる。その瞬間、ガチガチに緊張していた全身の筋肉はびくりと震えた。
 息が詰まる。
 緊張のせいか、四川の一挙手一投足に全神経が過敏になっているのがわかった。

「我慢すんだろ? ……腰、震えてんぞ」

 耳元で囁かれ、心臓が大きく跳ねた。
 剥き出しになった背中の筋をなぞるように、四川の指は当たるか当たらないかくらいの距離でそのままつぅっと背筋を撫でていく。虫が這うような感覚に堪らずぞくぞくと全身が震えた。

「っふ、ぅ、んん……っ!」

 快感を逃すため、目の前のハンガーラックを強く握りしめる。
 咄嗟に四川の指から逃げるように大きく胸を反らせば、パイプが軋んでしまう。
 はっとしたが、幸い兄たちは店内をうろつきながらごちゃごちゃ揉めているようだ。気付かれていないことにただ安堵した。

「兄貴がいるここで、お前のこと犯したら気持ちいいだろうな」

 しかし、背後にいる男の性格と性癖の捻れ方を思い出しただこの現状に絶望する。
 頼む、頼むから早くあの兄貴をどうにか追い出してくれ。あとこの男をぶん殴らせてくれ。

「おいこら、暴れんな馬鹿……っ!」

 馬鹿は余計だ!と 咄嗟に外へと飛び出そうとするが、四川に抱き寄せられる。俺の必死の抵抗も虚しくそのまま衣装の山の中へと引きずり込まれてしまうのだ。

「お、お前……っ、なに、考えてんだよ……!」
「何って、こんなスリルたっぷりな状況なかなかねえだろ?」
「一人でやれ! 俺を巻き込むな!」
「おい、声でけえって……っ!」

 四川に言われて慌てて口を塞いだとき、同時に腰に回された手がするりと下腹部に伸びてくる。
 ほのまま兄の存在により萎えきっていたそこを掴まれれぎょっとした。
 おい、と四川の方を睨めば、やつは「ビビりすぎだろ」と人を小馬鹿にしたように笑うのだ。
 他人事だと思いやがって、こいつ。

「っ、やめろ、今ならまだ許してやるから……っ」
「良いザマだな、いつもの威勢はどこにいった? それとも、よっぽど兄貴がこえーのかよ」
「お、お前はあいつのことを何も知らないからそんなこと言えるんだ……っ!」
「当たり前だろ。バレたところでお前が恥ずかしいだけだからな。俺は痛くも痒くもねえし?」
「お、お前……ッ!」

 履いていたパンツのウエストを緩められ、そのまま下着の中へと入ってくる四川の手に息を飲む。
 お前、そのセリフはフラグすぎないか?と言うよりも先に、憐れなほど怯えてるもう一つの俺を掴んでくる四川に声が震えてしまう。

「っ、まじで、お前……ッ!」
「バレたかねえならおとなしくしとけって、ほら」
「っ、ん、や、めろ……ッ」

 息が近い。ただでさえむさ苦しい服の群れの中、少しでも動けば背後の四川とくっつくような形になるわ、そのまま亀頭ばっか指で柔らかく捏ねられればじわじわと腹の奥に熱が広がっていく。

「んだよ、テメェも硬くなってきてんじゃねえか」
「っ、ち、が……ッ、ぅ……」

「へえ?」と四川は笑い、尿道口の窪みを指の腹でなぞられる。
 奥歯を噛み締め、漏れそうになる声を必死に堪えながら四川の腕を掴む。いい加減にしろ馬鹿と下着の中からやつの手を引き抜こうとした矢先、更に亀頭全体を柔らかく捏ねられ堪らず仰け反った。

「っ、ん、ぅ……ッ!!」

 四川が手を動かす度に濡れた音が響くのがわかり、顔が、息が熱くなる。そんな人の反応を楽しむ様に、やつは更に執拗に性器を掴み、そのまま下着の中で扱くのだ。

「ッ、ひ、ぅ……ッ」
「兄貴いんのに興奮してんのかよ。あ、まさかいるからか? そういやお前、そういうやつだったもんな?」
「……ッ、ち、が……」
「違わねえだろ」

 ドクドクと鼓動は加速する。自分の下半身がどうなってるかなんて確認する勇気はなかった。窮屈で、外に出したい、なんて思考が過るがそんなことしてみろ。広義的な意味で終わる。

「またでかくなってるし……おい変態、興奮してきたか?」
「ぉ、お前が……ッ」
「ハ、俺の手がんなに気持ちいいのかよ……ッ!」
「っ、ん、ぅ……ッ、や、めろ……っ! ほ、本当にこれ以上は……ッ!」

 小声で訴えかけるが、その声すらも性器をゆるゆると摩擦されるだけで震えてしまうのだ。
 もっと激しく擦ってほしい、脱がせてほしい、なんて思っていない。これっぽっちも思っていないのに口走りそうになってしまいそうになる。
 そんなときだった。

『……いい加減にしてください』
「……ッ!!」

 兄の声が先程よりも近いところから聞こえてきて背筋が凍り付く。喉元まで溢れかけていた熱が一気に冷え込むほどの恐怖に、俺も、そして四川も一瞬固まる。

『私も暇ではありません。貴方達のお遊びに付き合っている暇はないんですよ』

 兄の冷ややかな声に現実に引き戻されるようだった。
 この距離は本当にまずい。これ以上は命取りだ。
 そう四川に目で訴えかけようとした矢先だった。伸びてきた四川に口元を手で覆われる。

「んん……ッ!」
「静かにしろ、バレてもいいのか?」
「もご、もごご……ッ!」

 誰のせいだ、というかお前が余計な真似をしなければそもそもバレずに済むのだ。言い返してやりたいのに塞がれた口では何も言い返せない。
 というか、まさかこいつ。

「ッ、んむ……ッ!」

 下着の中で湿った音が響く。もしかしたら兄にまで聞こえるのではないかと思うと腰が引けてしまい、四川にぶつかるのだ。
 やめろ馬鹿、バレたいのなら一人でやれ。俺を巻き込むな。
 必死に四川から逃げようと藻掻くが、ラックが揺れてしまう。

『……ん?』

 瞬間、丁度俺達が身を隠すラックの前で兄の足が止まる。同時に俺の心臓も停まった。
 間。俺たちの間に緊張感が走る――がそれも束の間、兄は再び歩き出した。

「っぶねー……焦った」
「っぷはッ! ……焦んならやんじゃねえ!」
「うるせえ、お前が勃起してんのが悪いんだろ。俺は手を貸してやってんだよ」
「元はと言えば余計なことしたお前が……ッ!」

『それよりも、早く佳那汰を連れて来ていただけませんか。ここに勤めていることは既に分かってます』
『で、ですから……』
『中谷君、私は下らない冗談が一番嫌いなんですよ』

『――そして二番目に嫌いなものは聞き覚えの悪い馬鹿です』そしてまたなにか言ってる兄に頭が痛くなってくる。

「と、とにかくこれ以上は……」
「中途半端は気持ち悪いだろ? 抜いてやるよ、ありがたく思え」
「お前さっき自分で『焦った』とか言ってたの忘れたのか?!」
「こういうのが良いんだろうが、分かってねえな」

 やっぱお前の性癖じゃねえか!とスーパー小声で言い争っていた矢先だった。
 背後、四川の方からポコンと愛らしい音が響き、血の気が引いた。

「お、おま……ッ!!」
「やっべ……ッ!」
「仕事中はサイレントにしろってあれほど店長に言われて……――」

 言われてただろ、と四川の小脇を肘で小突きまくったときだった。
 衣装のカーテンは勢いよく開かれる。
 そして射し込む照明の明るさに目を細めた。

「……これは」


「げぇっ!」と青褪める翔太と変わらない無表情の司の間、仁王立ちになった兄は隠れていた俺たちを見て言葉を飲む。
 ――ああ、終わった。終わりだ。おしまいだ。

「これは一体どういうことですか、中谷君」
「こっちが聞きたいんですけども!」

 俺も聞きたい。

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