アダルトな大人


 それは突然やってくる

 紀平さんと別れて店内へ向かえばどうやら入れ違いで店長は事務室に戻ったらしい。
 俺はそのままの足で事務室へと向かう。
 ――事務室。

「原田ああ! よく帰ってきた! 心配したぞ!!」
「おわっ!」

 扉を開けるなり店長に抱きつかれそうになり慌てて避ける。

「な、何故避ける! 危ないだろうが!」
「それはこっちのセリフですよっ! というか危ないのは店長ですから!な、なにするんですかいきなり……!」
「何って再会のハグに決まっているだろうが! 他に何がある!」

 この人、完全に開き直ってやがる……。
 確かに前回の一件後、俺がシフトに復帰した日から丁度店長が店を開けていたりでなかなか会うことはなかったのは事実だ。
 けれど……なんかより一層鬱陶し……いや、暑苦しくなっている気が……。

「しかし元気そうで何よりだ。せっかく弄り甲斐のあるオモチャ、いや、大切な期待の新人がいなくなったと聞いてどれだけ俺の寿命が縮んだことか」

 い、今オモチャって言ったぞこの人……。

「ほら、美しい肌がこんなに荒れてしまっているではないか」
「寧ろツヤツヤしてる気がするんですけど……」
「ああそうだ、忘れるところだった。これはお前へのお土産だ。紀平がいないところで食べろ。いいか?一人でだぞ。あいつに見付かったらすぐ全てあいつの腹の中に消えていくからな」

 ゴソゴソと紙袋ごと手渡され、中身を覗けばそこには菓子折りが入ってる。

「温泉饅頭だ」

 温泉行ってたのかこの人。通りで艶々してるわけか。
 心配したとか言っておきながらちゃっかり旅行まで満喫してんじゃねえか、と思いつつも甘いものは別腹である。
「あざす」と、それをありがたく頂戴しようとしたときだ。横からぬっと伸びてきた手に箱を横取りされた。

「あっ、ちょ……翔太……っ?!」
「いやーありがとうございます。美味しそうですね。あ、白餡ですか。いいですね、僕も好きですよ白餡。けどもっと言えばこし餡派なんですけどね」

 言いながらも勝手に箱を開けもりもりと饅頭を食い出す元親友のストーカー眼鏡、翔太がそこにいた。最初からスタンバイしていたかのような神出鬼没な翔太に流石の店長もぎょっとしている。

「ど、どこから湧いてきた貴様…!!」
「やだなぁ、人を幽霊みたいな言い方しないでくださいよ。僕はただ、カナちゃんの匂いを追いかけてきただけですから」

 微笑む翔太の手には最新の携帯端末。
 ハッとし、俺の携帯を取り出せば翔太は笑った。
 こいつまた知らない間に人の携帯に何か仕込んでやがる!

「あとついで言うとGPS仕込んだのは携帯と靴ね」
「靴もかよ?!」
「ストーカーだ! ストーカーがいるぞ! お巡りさん!!」
「人聞きが悪いですね、僕はただの保護者ですよ。ストーカーじゃなくて保護者としての役目を全うしているだけです」

「ね、カナちゃん」と、肩にぽんと翔太の手が乗る。無言で振り落とした。

「え、ちょ、カナちゃん? なんで目もあわせてくれないの?!」
「原田貴様そんな顔もできるのだな……それよりも中谷! お前が愛の戦士だろうがなんだろうが構わないが公私混同は許さないぞ」
「それを言うなら一人のバイトスタッフの尻を執拗に追い掛け回してこうして贔屓するのはどうかと思うんですけどね」
「ぐっ!」
「まあ僕はあくまでも店長さんとは仲良くしたいと思っていますので何も言いませんが……ここはお互い目を瞑っていた方が追々あらゆる部分で協力することができると思うんですよね」

 言いながらそっと厚みのある封筒を店長の手に握らせる翔太。こいつ当たり前のように店長を金で黙らせようとしてるぞ!
 そして何もなかったように光の速さで封筒をスーツのポケットに仕舞う店長に顎が外れそうになった。

「おいコラ店長!!」
「く……っしまった、手が勝手に!」

 わざとらしい店長の演技を無視して無理矢理封筒を奪った俺は翔太に押し付けて返した。俺の知らないところで妙な同盟組まれてたまるか。
 そして翔太、お前も露骨に舌打ちするな。



 それからややあって俺達は温泉饅頭を食うことになる。一人で食べそうな勢いの翔太から饅頭を奪いもっもっと食べていたときだ。
 事務室の扉がノックされた。

「すみません、失礼します」

 扉から現れたのは笹山だった。
 どこか慌てた様子の笹山だったが、店長たちと饅頭を囲んでいた俺を見付けるなり笹山は「原田さん」と微笑んだ。

「笹山、久し振りだな」
「はい……っと、そうでした、丁度原田さんを探してたんです」
「俺を?」
「ええ……原田さんに会いたいと、その……原田さんのお兄様が来られてます」

 笹山の言葉に、俺は湯呑に伸ばしかけた手を止めた。それは翔太も同じだった。

「お、にい……さま?」
「ええ、お兄様です。ミナトと言えばわかると仰ってました」
「……ミ、ナト」

 この名前を聞いたのは何年ぶりだろうか。
 ミナト――原田未奈人。
 思い当たる人物は一人しかいない。
 生まれて十七年間、一緒に暮らしてきた兄。俺が、大っ嫌いなやつ。

「う、嘘でしょ」

 俺同様青ざめた翔太は、うわ言のように呟いた。

「なんで、あの人が」

 そんなの、俺にわかるわけがない。
 そう答えようとしても、開いた口から言葉は出なかった。

「どうしたんですか? お二人ともお二人とも、そんな怖い顔して……」

 心配そうに覗き込んでくる笹山。
 心配させまいとは思うが表情を取り繕う余裕がない。そんな人のことなど露知らず、店長はふむ、と顎を撫でる。

「なんだ。お友達といい兄といいどうやらお前の身内は過保護な奴らが多いな。しかし、お義兄さんか。今後のためちゃんと挨拶しないといけないな」
「だ、ダメですっ!」
「どうした原田、もしかして照れているのか?」
「んなわけ……ッ、とにかく俺はいないと言ってください」

 この睫毛、あまりにもお門違いなことを言い出すので思わず声を荒げてしまいそうになるのを堪えた。
 そんなときだった。

「おい、原田。なんかお前のにーちゃんが来てんだけど」

 事務室の扉が開き、面倒臭そうに入ってきたのは四川だった。
 にーちゃんという単語にまさかと青ざめた時、四川を追いかけるようにして「原田さーん、おにいさーん」と別の店員が声を掛けてくる。
 というか、いったい何人に俺探させてんだよ!新手の営業妨害かよ!!

「くそっ、ふざけんなよ…っ! せっかく逃げ切ったのに…!」

 そうだ、俺は逃げ切ったんだ。
 なのに、なんであいつにこの店のことがバレてるんだ。翔太にだって言ってなかったのに。
 考えても考えても答えが出るどころか謎が増えていくばかりで、頭の中こんがらがる俺に翔太は険しい顔のまま声を掛けてくる。

「カナちゃん、取り敢えずいないってことにした方がいいかも。これからのことはそれから……」
「は? もう今いるって言ったんだけど」

 翔太が言い終わる前にそうあっけらかんと答える四川に俺と翔太はそのまま固まる。
 八方塞がり、詰みの状態だ。

「あぁ、終わった……終わった、こいつのせいで俺の薔薇色の生活が終わってしまった……」
「なんだよ、人のせいにすんな。つうかそこまで凹むことかよ。……ま、いい年して兄弟が職場訪問とかすげえダセえけど」
「っ……わかってんだよ、それくらい」
「あ? ……なんだ、やけに素直じゃねえか。ようやく認めたのかよ」
「…………」
「お、おい黙んなよ! ……っ、チッ、調子狂うだろうが」

 食いかかる気力もない俺に戸惑う四川はぶつぶつと文句垂れていた。
 ……わかってるのだ、おかしいことくらい。
 だからこそ俺は逃げてきたんだ、あいつから。

「カナちゃん、こうなったら僕がカナちゃんのフリしてやり過ごしてくるよ」
「いや、駄目だ。お前の顔は割れてんだろ」
「じゃあ四川君とかは」
「今こいつあいつに話し掛けられて俺呼びに来てんだからおかしいだろ」

「それに、俺こんなに柄悪くないし」と小さく付け足せば、どうやら四川の耳にしっかり届いていたようだ。「お前ほんと所々むかつく奴だな!」と吠えてくる四川を無視し、「じゃあ店長さん」と提案する翔太。
 確かに、今のところ顔は割れていないはずだが……。

「余計悪化するだろ!」
「そうだぞ、原田がこんなに色男になっていたら流石のお義兄さんも腰抜かすぞ」
「……店長、突っ込みませんよ」
「どうしよう、このままじゃ……」

 なんとかならないものかと、頭を抱えた時だった。再び事務室の扉が開く。

「……なんすか、この騒ぎ」
「「!!」」

 一段と眠たそうな気怠気な声。
 出勤してきたばかりなのか、私服の司は事務室内であたふたしていた俺達を見て不思議そうに小首を傾げた。
 派手すぎず、傍から見れば地味だが真面目そうな司。
 ――これだ。

「そうだ、司ならなんとかならないか……?! 一番まともそうだし」
「え?! でも、まあ確かに……条件はいいけど……」
「……よくわかんねーけど、どうも」

 歯切れが悪い翔太とは対象的に司は顔色一つすら変えない。そして、相変わらず状況は飲めていないらしい。
「それで、なんの騒ぎ?」と改めて尋ねられ、俺は言葉を探る。
 人によっては冷たく感じる素っ気ない口ぶりだが動揺している今、司みたいな落ち着いた人間が必要だった。
 乱れた呼吸を整え、俺は司と向き合う。

「頼む、一生のお願いだ。少しの間だけでいいから俺のフリしてくれ」
「別にいいけど、お礼は?」
「ああ、無茶な願いだとは………………は?」
「まさかタダで俺に働けって言うわけ?」

 てっきり断られるかと思えば快諾とかいうレベルではなかった。というか本当こんなやつらばっかだな、この店は。

「わっ、わかった。一つだけなら、言うこと聞く。……それでいいか?」
「よし、僕に任せて」
「仕方ない、可愛いバイトのためだ。一肌でも二肌でも脱いでやろう」
「いやお前らじゃねえだろ」
「おい四川、仮にも店長である俺に向かってお前とはなんだ! お前とは!」
「あーはいはいすみませんした。……っつーか、まじ信じらんねえ、こんな面倒臭そうなのに首突っ込む気起きねえよ、普通。つーか無理だろ。実の兄貴相手だろ?」
「まあ……ですが困ったときはお互い様ですし、ね?」
「お、お前もかよ……!」
「さ、笹山……!!」

 控えめに微笑む笹山が天使に見えた。
 その言葉が嬉しくて、じんわりと心が暖かくなる。
 しかし、四川のやつはなにかまだ腑に落ちないところがあるようだ。

「あーあバッカみてえ。知らねえからな、どうなっても」

「取り敢えず、僕と時川君は先に行ってるよ。カナちゃんはどこか隠れてて」

「……」

「では俺もご一緒しよう。第一印象が大切だからな、これから長い付き合いになるだろうし挨拶しなければ」
「店長が言うと彼女の父親に挨拶しに行く彼氏のセリフにしか聞こえないんですが気のせいですよね」

「……っ」

「時間、掛かり過ぎると怪しまれんじゃないのか」
「わかってるよ」

「っあぁ、もう!」

 我慢の尾が切れたのか、苛ついたように声を上げる四川に何事かと目を丸くした時。
 いきなり四川に腕を掴まれた。

「こっちに来いっ」
「っちょ、え、なに」
「にーちゃんから逃げたいんだろ。なら、黙ってついてこいよ」

 苛ついた様子でこちらを睨んでくる四川。
 相変わらず生意気な言葉とは裏腹に、どうやらヤツなりに俺のことを心配してくれているのかもしれない。
 俺は小さく頷き返し、四川の服の裾を掴んだ。

「あ……ありがと」

 なんだか照れ臭かったので小さく呟けば、ちゃんと四川の耳に届いていたようだ。
 僅かに、その耳が赤くなっていたのは気のせいではないはずだ。

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