アダルトな大人


 社会的自殺行為

 この世に誕生してからここまで困ったことはあったかだろうか。
 そう改めて過去を振り返りたくなるほどには俺は困惑していた。

 顔色を変えた翔太が部屋を飛び出してから暫く経つ。
 中途半端に脱がされた下着をあげようにも手が使えず、なんだこの扱いはと泣きそうになりながらも、逆に俺は翔太が居なくなった今はチャンスではなかろうかと考えた。
 ついさっきまで翔太が付きっきりだったせいで逃げる暇がなかったが翔太が居なくなった今、俺は自由だ。
 もそもそとケツを上げ、翔太の目を気にしなくてよくなった俺はスカートがめくれるのも構わず立ち上がる。
 ずっと寝かされてたお陰で均等感覚を取り戻すのに時間がかかったが、それもすぐに慣れてくる。
 よたよたと生まれたての子鹿よろしく蹌踉めきながら部屋を出ていく。
 この際、自分がウエイトレスの格好だとかそんなことどうでもいい。とにかく翔太がか帰って来る前にどこまで逃げ切る事ができるかということが俺には重要だった。
 足でドアノブを引っ掛け、扉を開けた俺は玄関までやっとこさ辿り着くことは出来たのだが――そこにきて、難関。
 目の前の大きな扉には鍵がかかっていた。

「う……っ」

 手が使えない今、解錠する術は限られてくる。
 あの野郎、人の下着はちゃんと戻さなかったくせにご丁寧に戸締まりはしていきやがって。
 小さく舌打ちをし、なんとなく周りを見渡すが解錠に役立つものは見当たらない。
 こうなったら仕方がない。
 背に腹は変えられないと諦めた俺は扉の前、小さく屈み、恐る恐るその摘まみに顔を近付ける。

「……っ、う、ん」

 ちろりと舌を出し、冷たい金属の摘まみに舌先を絡めた。
 そのまま解錠しようとするがやはり相手は金属。なかなか固くて、舌先に力を入れれば入れるほどアホみたいに開いた唇の端から溜まった唾液が垂れ、自分でやってて変態かなにかのように感じてしまわずにはいられなくなる。
 舌先でなぶり続けたお陰で熱を帯び始める無機物は唾液で濡れ、舌を動かそうとすればするほどくちゅくちゅと濡れた音を立てるそれによからぬ想像をしてしまい全身が熱く疼き出す。
 ああ、くそ、早く開けよ。くそ。
 焦る思考、早まる鼓動、嫌な汗が全身に滲み肌触りのいい制服が肌に張り付く。
 つーかなんだよこの服、無駄にヒラヒラして暑苦しいんだよ。
 もはやどこに八つ当たればいいのかわからなくなる俺は煩悩を振り払いがむしゃらに舌を動かし、その摘まみに歯を立てた。
 固い感触に目を瞑り、そのまま摘まみごと顔を動かせばカチャリと錠の落ちる音が聞こえてくる。
 よしきた!
 どれくらいの時間がかかったのか分からなかったが、とにかく安堵した。
 これでようやく解放される。
 唾液で濡れた摘まみから顔を離し、扉を蹴り開くように外に転がり出る。

 マンション、自宅前通路。
 久々に吸った外の空気に思わず勃起しそうになるくらいはテンションが上がった俺は一先ずここを離れるためエレベーターへ小走りで向かい、ボタンを連打する。
 もう一度言っておこう、俺は今半ケツウエイトレスだった。しかしこのとき俺の頭の中は逃げることでいっぱいいっぱいになっていて、今まさに自分が職質受けそうな格好をしてるなんてことなんて忘れていた。
 だからだろう。人が乗って上ってきているであろうエレベーターを自らの手で停めるなんて社会的自殺行為を行ってしまったのは。
 扉越しにエレベーターが上がってくる音が聞こえ、チンと軽快な音を立て扉が開いた。
 てっきり無人と思い込んでいた俺は扉を割り開くようにして機内に乗り込み、そしてそこたせ先客の影に青ざめる。

「あ……」

 エレベーターの中には、先客がいた。
 無造作な黒髪に、落ち着いた服装。俺と同じくらいだろう、その地味な青年には見覚えがあった。向こうも愉快な格好のこちらに気付いたようだ、青年はそのままイヤホンを外す。
 そして、

「……原田さん、なにやってんの」

 俺に冷ややかな眼差しを向けてくる司は、変わらない淡々とした口調で尋ねてくる。
 落ち着け、とりあえず落ち着け。口から息を吸い、肩の力を抜く。
 そしたら、次はゆっくりと周りを見渡し自分が置かれたこの状況を把握しよう。
 ここは元親友だった中谷翔太のマンションであり、俺はバイト辞めて自分専属の召し使いになれと言い出した翔太に翔太オリジナルの悪趣味極まりないウエイトレスの格好をさせられている。しかも半ケツ状態で手首は縛られていて、まあ、いつどこで通報されてもおかしくはない。
 そしてここはエレベーター。
 向かい合うような形で佇む司の恐ろしいほど反応がないその無表情に立ちすくんだ俺は戦慄する。
 結論、やばい。

「あ、え……あの、これは……その、深いわけがあってだな……」

 どうせなら冗談だと笑い飛ばして開き直った方がネタで済むとわかっていたが、冷めた目をした司を前にしたらそんな気すら湧いてこなかった。

「つかなんで、ここに」
「ここの八階、俺の部屋」
「へ、へー…」

 すごい偶然、それにしても随分といいところに住んでますね。とかそんな言葉がでなくて、冷や汗がだらだらと流れる中、俺はとんでもないことに気付く。
 ということはこれ八階にいくのか、このまま。
 閉まる扉、思わずボタンを押して途中下車を試みるも遅かったようだ。
 くそっと心の中で舌打ちしたとき、司の視線に気付いた。

「俺からも質問いい?」
「は……はひ……」
「原田さん、なにやってんの」

 二回目ですよ、司さん。その質問。
 え、わかってますか。そうですか。

「え、う、あの、これは、その……」

 殺してくれ、いっそ俺を殺してくれ。
 恥ずかしさと死にたさで口ごもる俺に、司は「趣味?」とこちらを覗き込んでくる。
 澄んだ瞳が余計怖かった。慌てて首を横に振れば、何考えてるのかわからない無表情のまま司はじっと俺を見て、そして目を反らした。

「可愛いよ。似合ってる」

 ――え?
 さらりとなんでもないようにやつの口からでたその言葉に俺の思考回路は停止する。
 まさかそんなこと言われるとは思ってなくて、いや翔太には誉められたけど、あいつの場合自分が作った服を誉めていただけの自画自賛だ。
 司みたいなやつに誉められるのとはやっぱり違って、というか思いっきりバカにされた方がましってどういうことだ。
 言葉が飲み込めずに絶句して固まっていると、不意に機体が停止した。どうやらもう目的地である八階に着いたようだ。

「こっから俺の部屋近いけど、来る? 服くらい貸すけど」

 そんな格好じゃ通報されるだろ。そう、司は続ける。
 相変わらず何を考えているのかわからない司だが、司の言い分はもっともだ。本当は早く誰もいないところに逃げたい気分だったが、自分の家に着くまでの距離を考えるとその間に補導されかねない。
 確かにこのまま人前に出て変態デビューするのは困ると再確認した俺は悩んだ末、司に着いていくことにした。

 そう、この選択自体がそもそもの誤りだと知らず。

 こんなトンチキみたいな格好で職場も、それも飲み会で初めましてした程度の顔見知り相手の家にお邪魔するなんて。正直居た堪れない以外の何者でもないが、このままでは戻ってきた翔太に捕まって引き戻されるか警察のお世話になるかのどっちかしかない。
 ……くそう、腹を括るしかないようだ。
 というわけで、司の自室へとお邪魔することになったわけだが……。
 高層マンションの一角にある司の部屋にて。

「適当に座って」
「座ってって言われても…」

 ちらりと部屋を見渡す。ジャンルも傾向もなにもかも統一感のないインテリアに、雑貨。散らかっているというか、ゴミとかはないのだがとにかくごみごみしてる。
 虎皮のソファーなんて初めて見たぞ……。絶対これ司の趣味じゃなさそうなのに、と思いながらそっと毛皮を撫でていると、「気になる?」と棚を漁っていた司は視線だけをこちらに向ける。

「お前、変わったのが好きなんだな」
「違う。……全部貰い物」
「え? 貰い物?」
「前のバイトでよく色んなものを貰ったから」
「へえ……なんのバイトだ?」
「ママ活」

 思わず噎せそうになる。サラッととんでもないこと言ったぞこの男……。確かにあの店で働くのだから普通の感性の人間の方が少ないとわかっていたが、まさか。そんな。エロ本みたいなことが……。

「この部屋も、そのとき貰った」
「そ、そんなに儲かるのか……?」
「原田さんは逆援よりもイメクラにでもいった方が稼げるんじゃないかな」

 イメクラは女の子専門じゃないのか。そう突っ込みかけて、自分の姿を思い出した俺は口を閉じる。

「座らないの?」

 突っ立ったままの俺に不思議そうなする司。
 まさかちょっと今ケツ出てるんで何て言えるわけがなくて、俺は「いや、大丈夫」と慌てて断る。司は「そ」と呟くだけで特に強要はしてこなかった。

「まあ、どっちでもいいけど。……あんたが疲れないなら立ったままでいいし」

 そう、眠たそうな顔をして俺の前までやって来た司は手に持ったそれを握り直す。
 ギラリと鈍い光を反射させる鋭いそれに、息を飲む。

「お前、なに、それ」
「だって、原田さんのその手錠鍵ついてないじゃん。脱がせられない」
「だからって」

 しゃきん、と金属音が擦れる音が響く。
 それは刃先の丸まったスマートなハサミで、司はそれを使って服を切ろうとしてくるのだった。

「それを脱がさないとずっとそのままだけどいいの?」
「それは、困る……」
「なら、切るしかないけど」

 直球だった。
 確かにそうだ。そうだけど、なんかもったいないっつーか。そこまで考えて自分がこのウエイトレスの制服に対して愛着を抱いていることに気付いた。これが翔太の呪いか。おそろしい。

「う……確かに、そうだよな」
「そういうこと。……じゃ、動かないでくださいよ」

 言うやいなや、俺のスカートの裾を掴み早速ハサミを入れようとしてくる司。

「ちょっと、おいっ、待った……!」

 咄嗟に俺は後ろ手にスカートの裾を抑え、司を止める。何事だ、とやつの無感情な目がこちらを向く。
 ……下着が翔太の用意した女物の下着だということを思い出したのだ。この服を脱がされれば必然的にそれを見られることになる。いくらこの状況でも、流石にそれは耐えられないぞ……!

「……なに?」
「なにって、そんなにがっつりといかなくても」
「じゃあカッターがいい?」
「そういうことじゃなくて、ほら………なんかもったいないだろ、だから、えと……その……」

 不思議そうにこちらを覗き込んでくる司に俺はしどろもどろと反論する。
 替えの下着がほしい?それも変態臭い。せめて先に下に何か履かせてくれ?そんなことを言えば察される。
 どうしよう、どうしたら下着バレを回避することができるか。そううんうんと悩んでいたとき、「ああ」と司は納得したように頷く。

「……気に入ってるんだ。これ」
「そっ……そういうわけじゃ……」
「まあ、確かにもったいないな」

 ぼんやりしたやつだが、流石ママを持っていた男だ。懐は広いようだ。つま先から頭までじろじろ見られて余計居た堪れなくなるが、これはいい流れではないか?

「じっ、実はこれ、知り合いのやつが作ってくれたやつでさ……せっかく作ってもらったから、なるべく形を残したまま、着替えたいなー……っていうか……」
「それって、さっき電話に出たやつ?」
「ん、え、まあ」
「……へえ、確かによくできてるね」

 ハサミを握っていない方の司の手がふわふわとしたスカートの裾に触れる。そのまま躊躇なくスカートを捲られ、俺は凍り付いた。いや、普通捲るか。捲らないだろ。スカートの下、思いっきり捲られたそこに向けられた視線に俺はなんかもう生きた心地がしなかった。
 しかもこいつもこいつで反応薄いしよ……せめて笑ってくれ、それかドン引きしてくれ。ちらりと俺の顔を見るな。

「……ふうん。これも、その知り合いがしたの?」

 下着、そのウエストのゴムを引っ張られ、パチンと音を立て肌を打つ。堪らず腰を引くが、背後にはソファー。逃げられない。

「……いい趣味だな、その人」

 そういうなりハサミを握り直した司は、しゃきんとスカートに刃を滑らせた。大きく切り裂かれ、亀裂が入ったスカートす下から覗くタイツ包まれた自分の足。あっさりと切られる衣装。

「っ、んなぁ……ッ!!」

 容赦ない司に、無残にも切り込みを入れられるスカートに思わず情けない声が漏れてしまう。そしてそこで俺は気付いた。実は俺、結構この衣装が気に入っていたのかと……。

「な……に、やめっ、司……っ!」

 雑に、無規則に滑るハサミの刃。そのくせ衣装は脱げないような切り方をしてくる司に俺は嫌な予感がして慌てて後ずさるが、逃げられない。

「……っ、なんで、勝手に切っちゃうんだよ……っ」
「脱がなくていいの? ……俺はそのままでもありだと思うけど、原田さんは脱ぎたいんだろ?」
「そ、だけど……っ」
「…………」

 なんだ、こいつ。なんか怖いぞ。話が通じてるはずなのに、噛み合わない。というか、なんか変だ。そう思ったときにはもう遅い。

 まだ傷つけられていなかった胴体から腹部を覆うそのエプロンに司の手が伸びる。
 丁度乳首の辺りのレースを摘まんだ司は、そのままスッと刃をいれてくるのだ。右胸に一直線の線が走り、その下の素肌が切れ目から覗いた。

「っ、つかさ……っ」

 離れるハサミ。生地の一部のみ刃を入れるだけで、なかなか服を脱げるくらいの大きな切れ目を入れることをしてこない司に流石に違和感を覚えた。

「な、なんで、こんな、変な切り方するんだよ。これじゃ、脱げないだろ」

 胸元の切り口から自分の乳首がちらちら覗いてるが視界に入り、小さく勃起しているそれを隠したくて堪らなかったが腕が使えないだけにそれはできなかった。
 もじもじと胸元を隠すように前屈みになれば、俺を見下ろしていた司の視線は俺の胸に向けられる。

「大丈夫。脱がせれるよ、ちゃんと」

 不意に、伸びてきた司の手がその切り口に触れる。
 そしてその切り口を広げるようにして衣装の下の地肌へと触れてくるその指先にびくりと跳ね、慌てて後ずさろうとしたとき、そのままぎゅうっと乳首を摘ままれた。

「っや、め」
「……脱がすのはすぐ終わるから、どうせなら有意義に使った方がいいだろ」

「あんたも、気に入ってるみたいだし。それ」そう相変わらず読めない無表情で続ける司に気付けば壁際に追いやられ、本格的に逃げ場を失う。やめろ、と体を捩って司の手から逃れようとするが、できない。

「やめろ、っこんな……」
「ふーん。ブラは付けてないんだ」
「ぶ、ぶぶ、ブラ……っ?! って、っふ、ぅ」
「……でも、こんなに貧乳なら必要ないな」

 衣類越し胸を揉まれ、破れたそこから覗く乳首を指先で転がされればそれだけで脳の奥からじわじわと熱が溢れ出す。駄目なのに、よくないと分かってるのに。女みてーな格好で女みたいに平らな胸を触られるとそれだけで罪悪感にも似たわけわかんない興奮込み上げてきて、呑まれそうになる。

「や……っ、つかさ、やだ、触んな……っ」
「触らないと脱がせられない」
「お前、脱がせる気ないだろ……っ!」
「脱がしてるよ。……こうやって」

 そう、当たり前のように答える司に「へ?」と目を丸くした矢先だった。
 エプロンとワンピースの胸元にできた割と大きな裂け目に手を入れた司は、そのまま衣装の裂け目を大きく広げる。
 瞬間、ブチブチっと耳をふさぎたくなるような音がして、素肌が裂け目から大きく露出した。

「っや、ぁあ…っ」

 俺からでもわかるくらい破けたそこに手を入れたまま、やっぱり顔色ひとつ変えない司は「ほら」と、恐怖寒気諸々でツンと固く尖った乳首を指先で跳ねる。その刺激、破れた衣装への罪悪感諸々にショックを受けた俺は声も出なくて。

「……いい眺め」

 そう、俺はここに来て初めてこいつの笑顔を見たのだった。普段の涼しい顔から想像できない、こちらを見下ろす蕩けたようなその目にぞくりと背筋が凍りつく。
 助けを求める相手を見誤ったのだと気づいたときには時既に遅し。後悔先に立たず。なんたらかんたら。

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