絆される男【井上×原田】
「おい、こんなところで眠るなら家に帰って寝たらどうだ」
目を覚ますなり視界に飛び込んできた睫毛――もとい店長は、こちらを見下ろしたまま微笑むのだ。
一瞬、まさかまた勢いで店長と一夜を共にした挙げ句記憶が飛んでしまったのではないかと思ったが、俺が寝かされていたのはホテルの一室でも見覚えのない部屋でもない、休憩室のソファーの上だ。
ところどころ劣化し始めてる黒革のソファーを見て、俺は退勤したあと気力が尽きて少しだけ休憩室でうたた寝をしていたことを思い出す。そして、膝の上にかかった覚えのないブランケット。
「……これ、店長の?」
「知らん。誰かが忘れたまま放置されてたブランケットだ。腹を出したまま寝て風邪を引かれても困るからな」
まあどうせそんなことだろうと思ったが、やはり店長がかけてくれたのだと聞いてなんだかむず痒い気持ちになった。
「お気遣いどうも」と呟けば、店長は「礼はなんでもいいぞ」とふふんと笑う。ああ、これだ。黙っておけば顔だけはいいのに、一周回ってこの店長の軽口に安心すら覚えた。
「てか、他の皆は……」
「帰ったぞ。もう外は明るいからな」
「店長はまだ残ってたんすね」
「…………人にはやらなきゃならねればならぬときがあるのだ、原田」
つまり仕事が終わらないらしい。
「が、人間息抜きも大事だからな。脳を休ませるためにここへと足を運べば、誰かさんがぐーすかと眠りこけてるではないか」
「お、起こしてくれたっていいじゃないですか! ……ソファーまで占領するつもりはなかったですし」
寝てたときは普通に座ってた気がするが、今はソファーの座面の過半数を占めてしまっていた。
流石にバツが悪くなる俺に、「何故だ?」と店長は心底不思議そうな顔をした。
「なんでって、店長そんな隅っこに……」
「ふは、なんだ貴様。もしかして俺のことを労ってやろうとでもしてるのか!」
「声でか……っ、って、別にそんなわけじゃねーですけど……っ!」
「心配は無用だ。俺は元々スマートだからな、他のやつらみたいに大股をかっ開いて座る必要はない。場所は取らん」
そうだったか?と日頃の店長の大きな身振り手振りを振り返りつつ疑問符を受けべていると、「それに」と店長は目を細めた。
「寝ているお前は案外悪くなかったからな」
キメ顔で臭い決め台詞を吐く店長。普段ならばまた何かを言い出したと受け流していたが、思いの外店長の目が優しいことに気付いてしまった俺は文字通り言葉に詰まった。
無言のままブランケットを頭にかぶる俺に「おい、なんだこれは」とすぐ引き剥がそうとしてくる店長。
「急に寒くなったんで」
「そんな誤魔化し方をするやつがいるか。おい、顔を見せろ!」
「い、嫌です……っ! ぜってー嫌だ!」
「ぐ……っ! くそ、こういうときだけ無駄に力強いのはなんだ……?!」
暫く攻防戦したが、先に折れたのは店長だった。「まあいい、好きなだけそうしていろ」とそのままソファーから立ち上がる店長。
「俺は戻る。落ち着くまでゆっくりしてたらいい」
「……店長、あとどれくらい仕事あるんすか」
そろ、とブランケットから覗きこめば、店長と思いっきし目があった。そしてその唇に嫌な笑みを浮かべた。
「なんだ、一緒に帰りたいのか?」
「ちが……っ、た、ただ、俺にできることがあるならって思っただけですし……」
言いながら、どんどん目の前の店長の頬が緩むのを見てハッとする。これじゃ自白してるようなものだ。
「素直すぎるのも困ったものだな」と何故か店長の方が照れてる始末だ。ああ、穴があったら入りたい。
「手伝いに関しては遠慮は無用だ。後は最終確認程度だ。一緒に帰りたいのなら待ってろ」
「べ、別に一緒に帰りたいわけじゃ……」
「わかったわかった、なら俺から言ってやるぞ、原田。……俺が一緒にいたいから家まで送る、だから大人しく待ってろ」
そんなことを言われて素直に喜ぶやつがいるというのか。相変わらず上からな店長だが、そんな店長が『俺と一緒にいたい』なんて言うなんてよっぽどではないか。
別に絆されてるわけではないが、明るい道を歩く気力もないしまあタクシーと思えば……。
「ま、まあ……そこまで言うなら」
「貴様は本当に可愛いな」
「……………………はあ?!」
「じゃあ大人しく待っていろ。寝ててもいいぞ」
さらっと言うだけ言って店長はそのまま休憩室を出ていきやがった。
こんな状況で寝れるわけねえってのに。
「…………」
別に絆されてるわけじゃねえし、と誰も居なくなった休憩室。再びブランケットを被ったまま俺は誰に言い聞かせるわけでもなく口の中で繰り返した。
店長に送ってもらったし、ついでに朝飯も一緒に食いに行った。途中で買い物もしたけど、いや別に絆されてるわけじゃねえし。デートでもねえから。
おしまい