アダルトな大人


 紀平をときめかせたらこうなる

 相手が何を考えているのかがわからない。
 想像することは出来る。
 しかし、やはり限界があるのだ。
 紀平さんに関しては、特にだ。
 あの人は何を考えているのか全く読めない。
 相手の考えを知りたいと思うのは好奇心だろうか。

 それとも、



「あれ、かなたんまだいたの?」

 ほぼ24時間勤務体制の店で、やることもなく一日雑用としてこき使われたその日の深夜。
 そろそろ眠くなったので適当に切り上げようと服を着替え、店を出ようとした時。
 同様、上がりの紀平さんとがち合わせた。

「いちゃまずかったですか?」

 なんとなく語気が強くなったのは、狼狽える自分を隠すためだろう。
 なんとなくばつが悪くなって、視線を逸らす俺に紀平さんは少し考え、笑う。

「んー?いいんじゃない、別に。俺は、寧ろ嬉しいけど」
「……」

 この人はもしかしてオブラートの包み方を知らないのか。
 それとも、わざとか。
 さり気なく、ストレートなその言葉にじわじわと顔が熱くなる。

「あれ、照れてる?顔赤いよ?」
「ちが、います…けど」

 反論の言葉さえ弱気になってしまう。
「そっか、違うんだね」と頷く紀平さんはにやにやと笑っていて、どうやら俺の反応を面白がってるらしい。
 たちが悪い。ほんと。

「紀平さん」

 ばくばくと煩い心臓を押さえながら、俺は咄嗟に紀平さんの服を掴んだ。
 なんとなく、逃げられそうで。逃げたくなくて。
 無意識の行動だったと思う。
「ん?」と紀平さんが俺を見る。
 目が合えば、心臓が破裂しそうなくらい脈を打つ。

「一緒に、帰りませんか」

 絞り出した声は、みっともなく震えていた。
 恐る恐る、相手を伺うように尋ねれば紀平さんは僅かに目を開き、そして「珍しいね」と口元を緩ませた。

「いいよ、久しぶりに一緒に帰ろうか」




 そう、誘いに乗ってくれた紀平さんと帰ることになった。
 たまに派手な車で通勤してくるのを見えるが、どうやら今日は徒歩のようだ。
 紀平さんいわく、「どうせ近場だからわざわざ走らせるの面倒なんだよねー」らしい。
 どこまでもマイペースというか、気分屋というか。

「で、なにか話でもあったんじゃないの?」

 深夜、ほぼ無人に近い通りにて。
 並んで歩いていると、紀平さんはこちらを横目に見る。
 まさかそんな事聞かれるとは思ってなかったので、「や、別にないっすけど」となんとも無味乾燥な返事しかできなかった。
 しかし、紀平さんにはそれだけで十分だったらしい。
「あれ?そーなの?」と意外そうな顔をしてこちらを振り向く紀平さんに俺は縮まる。

「その、やっぱ、用がないと一緒にいちゃダメですか?」

 不安になって、恐る恐る尋ねれば、目を丸くした紀平さんは暫く黙り込み、そして困惑を隠すように口元を押さえた。

「いや、いいよ。…うん、そうだね、変なことじゃないしね」

 まるで、自分に言い聞かせるように呟く紀平さん。
 なにか、まずいことを言ってしまったのだろうか。
 初めて見る動揺する紀平さんに、こっちまで狼狽えてしまう。

「でも、かなたんの方から誘ってくんのって珍しいよね、ほんと」
「紀平さんのこと、もっと、知りたかったので」
「へぇ、そーなんだ……って、え」

 動揺を隠すため、咄嗟に答えれば今度こそ紀平さんは硬直する。
 その反応に、俺は自分がとんでもなくこっ恥ずかしいことを口走ったことを理解し、赤面した。
 穴があったら入りたいとはまさにこのことだろう。

「すみません、俺、ここまででいいです」
「え?なに、家まだじゃん」
「ち…違いますけど、もう遅いんで。紀平さんが」

 遅くなるので。
 とにかく紀平さんの顔を見ることすら耐え難く、羞恥のあまりにわけがわからなくなった俺は「失礼致すっ」ともはやなにを言っているのかわからぬまま逃げ出そうとして、手首を掴まれた。

「ねえ、どういう意味、それ」

 初めて聞いた、紀平さんの怒ったような声だった。
 しかし、それは本当に怒っているのではなく、ただ単につい大きな声を出してしまっただけというのはすぐにわかった。
 びっくりして背後を振り返れば、バツが悪そうにした紀平さんと目があった。

「言い逃げとか、ずるいから」

 今度は声を抑え、紀平さんは吐き捨てた。
 その耳は心なしか赤くなっていて、紀平さんが照れてると理解した時、きっと俺はここ一年で一番アホみたいな顔になっていただろう。
「す…すみません」と、訳もわからぬまま気圧された俺が謝罪すれば、「ダメ、許さない」と紀平さんはそれを突っぱねる。

「罰として、かなたんのこともいっぱい教えてよ。しょうもないことでもいいから、いっぱい」

 じゃないと、帰さないから。
 拗ねたような、怒ったような、そんな顔で命令してくる紀平さんはまるで駄々っ子のようで。
 新鮮な紀平さんの一面はもちろん、それ以上に自分に興味を持ってもらった事実を理解した時、じんわりと胸が熱くなった。
 安堵でみっともなく綻ぶ頬を引き締めることすら忘れ、俺は「はい」と頷く。

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