職業村人、パーティーの性処理要員に降格。


 01

 勇者がおかしい。
 そうシーフや騎士からは聞いていたときからわかっていたことだが、俺はあくまで一過性のものだと思った。
 第一いつも通りと言われても俺にはこれ以上どうすることもできない。あいつに命じられるがまま従ってきたつもりだ、それを今更。
 だからまたあいつが言ってきたら応えるつもりではあった。……それが俺がこのパーティーに残る条件だったからだ。
 けれどあの日以来勇者は、あいつは俺を抱かなかった。それどころか指先で触れることもない。いつも通り、以前と変わらず振る舞ってくる勇者にただ戸惑った。
 そんな状態が何日か続いた。
 街を移動する馬車の中、目を瞑って眠ってる勇者。それから騎士に絡んでるシーフと魔道士。俺はそんな四人を横目に早く目的地に着くことを願っていた。

 次の目的地は大きな魔法都市だ。
 魔道士の故郷だというのは予め聞かされていた。
 気は進まなかったが、魔王の拠点に向かうには避けては通れない場所だ。
 馬車の外では雨が降っているようだ。不規則な振動が眠気を煽る。まだ着くには暫くかかると聞いていた。
 ……俺も、少し眠るか。
 馬車の隅、俺は誰も使ってない布団を引っ張って丸まる。シーフたちの下世話な声が不愉快だったが耳を塞げばまだましだ。
 それから目を瞑ればあっという間に意識は睡魔に溶けた。



「ん……っ、ぅ……」

 なにか全身がムズムズする。眠りを妨げられ、寝返りを打とうとして体が動かないことに気づいた。
 そして、響くうめき声が自分のものだということも。
 目を開ければ、薄暗い荷台の中。
 そして見下ろしてくるのは。

「め、いじ……っ!」
「おはよう、よく眠ってたな」
「っ、な、にやって……お前……」

 なんでこいつが、ということよりも他の三人のことが咄嗟に気になったが辺りに三人の姿はない。
 そして、荷台の窓から射し込む光――気付けば夜は明けていたようだ。

「何やってって、起こしに来てやったんだよ。雑用の分際で一番爆睡してたからな、お前」
「……っほ、他の奴らは……」
「先に宿泊予定の宿屋に向かわせてる。俺だったら一人でも行けるしな」
「…………」
「おい、起こしてくれてありがとうございます。誰よりもグースカ寝ててごめんなさい、は?」
「……っ、別に、待てなんて頼んでない。つか、寝てる間に妙な真似してないだろうな」
「どうだと思う?」
「ちゃんと答えろよッ、まさか……」
「お前がちゃんとお礼も言えない悪い子だから教えてやんねえ。それよりも、さっさと降りろよ」
「……っ、お、おい……!」

 体を引っ張られるように馬車から降りる。
 そして、目の前には見たことのない光景が広がっていた。
 栄えた都市、妖精や使い魔のモンスター、様々な種族が行き交う通り。
 呆けていると「迷子になんなよ」と魔道士に横から口を挟まれた。誰がなるか。慌てて俺はその後を追いかけた。

 魔法は得意ではない。使うのも、使われるのも。
 魔道士と会ってからそれが余計加速したのが間違いないだろう。
 正直この男と二人きりというのも落ち着かないが、それでもこの男がいないと目的地に辿り着くことすら危うい現状だ。まだ周りに人がいるだけましか、そんなことをぼんやり考えながら前を歩く魔道士を追う。

「そういやお前、まだ勇者サマと喧嘩してんだって?」

 大通り、いきなり話しかけてくる魔道士に思わず身構える。別に、とそっぽ向けば、魔道士は「別に、な」と意味深な笑みを浮かべる。

「普通なら勇者がお前を連れて行くだろうに俺に任せるんだもんな、よっぽどお前の顔が見たくないらしい」
「……っ、うるせえな、黙って前歩けよ」
「図星か」
「黙れって言ってるだろ」
「ここ、俺が産まれた場所だってのは言ったよな」

 しらねえよ、と吐き捨てそうになったが人の話聞く気すらない魔道士にまともに受け答えする気にもバカバカしくなる。
 睨み返せば魔道士はするりと俺の手を取った。当たり前のように手を握られ全身に寒気が走る。おい、と睨んだときやつは笑うのだ。

「なあ、このまま二人でどっか行くか」

 この男はまだ諦めていなかったのか。
 雑踏の中でもやけにハッキリと耳に残るのが余計不愉快だった。

「……行かねえ」
「なんで?」
「お前が嫌いだからだ」
「相変わらず強情なやつ」

 対して傷ついた顔もしない、最初から俺が断ると思っていたのだろう。寧ろそう笑う魔道士は楽しそうでもあった。
 それから魔道士に案内されてやってきた宿泊予定の施設前。

「……随分と古い建物だな」
「老舗だからな。まあ、中はまともだから安心しろ」

 受付を済ませればロビーにはシーフと騎士がいた。

「随分遅かったなメイジ」

 そう声をかけてきたのはシーフだ。
 にたにたと笑いながらこちらを見てくる。

「これでも急いだんだがな、こいつが何度起こしても起きなくてな」
「悪かったな。……それより、あいつは?一緒じゃないのかよ」

 そうだ、あいつの――勇者の姿が見当たらない。
 尋ねれば、シーフと騎士が顔を見合わせた。

「あいつなら出掛けたぞ。ギルドへの手続きは明日するって言ってたし今日までゆっくりできるそうだ」
「一人でか? ……珍しいな」
「ま、あいつも一人になりたい年頃なんだろ。メイジお前この辺で上手い飲み屋教えろよ」
「お前はそればかりだな。……まあいい、一旦荷物置いてくるから待ってろ」

 良かった、この二人も出ていってくれるようだ。二階へと向かう魔道士を尻目に俺も自分の部屋へと向かうことにした。
 それにしても、あいつが一人で出ていったのか。
 今までだったら俺を誘ってくれたのに、と思ったがそれを断ったのは俺だ。あいつのことが気がかりだったが今の俺にはどうすることもできない。
 そう自分に言い聞かせながら俺は自室へと向かった。

 せっかくの自由なのだから外に探索でも行くかと思ったが、シーフたちと鉢合わせになって絡まれるのも嫌だ。部屋の窓から二人が飲み屋街に消えていくのを確認する。もう少し時間を開けて部屋を出るか、とベッドに腰を掛けたときだ。
 控えめに扉をノックされる。
 勇者もいない、シーフと魔道士も部屋を出ていった。そんな中、俺の部屋を尋ねてくる相手なんて限られている。
 扉へ駆け寄り、慌てて開けばそこには予想していた人物がいた。

「……騎士」
「すまない、その……何してるかと思って」
「何もしてない、暇してたところだ」

「上がるか?」と声をかければ、騎士は緊張した面持ちで「いいのか?」と伺ってくるのだ。
 この宿ではないが、何度も部屋に上げたことはあったのにそれでもまだ慣れない様子の騎士に俺は頷いた。

「別に、あんたなら構わない」
「スレイヴ殿」
「まだ荷物ちゃんと片付けてないから散らかってるけど、気にするなよ」
「あ、ああ……」

 置きっぱなしになっていた荷物を壁際へと寄せる。椅子にも服をかけたままになってることを思い出す。流石に片付けとくべきだったな。

「適当に座っていいからな」
「いや、立ったままでも構わない。邪魔したのは俺だからな」

 ベッドに腰をかける俺を横目に、騎士はそんなことを言い出すのだ。流石にそれは気の毒だ。

「いいから、こっち座れよ」

 そう隣を叩けば、騎士は顔を強張らせた。
 いや、しかし、と口籠る騎士。その頬が僅かに赤くなっていることに気付いた俺は、前回最後騎士と二人きりで話したときのことを思い出す。
 だから、慌てて俺は散らかしていた服を片付け椅子を空けた。

「……これなら座れるだろ」
「自分に気を使う必要など……」
「俺が気になるんだよ、あんたが立ってると。ほら、座れよ」
「す、スレイヴ殿……わかった、座るからそう押さないでくれ」

 椅子に座らせれば、騎士は上目がちにこちらを見るのだ。普段こちらが見上げてばかりだったのでこの視点は新鮮だ。

「アンタはシーフたちと出かけなかったのか?」
「一応誘われはしたが、俺は酒が飲めない。……だからシーフ殿には断った」
「酒は飲まなくても飯食うことはできるだろ」
「……確かにそうだが、その」

 妙に歯切れが悪くなる騎士。
 ……まさかとは思ったが、この前シーフに見られたせいで騎士まであの男に絡まれてるんじゃないかと危惧したが騎士の口から出た言葉は俺の想像していたものの正反対の言葉だった。

「貴殿の様子が気になって、残ることにした」

「……俺のことが?」

 なんで、という言葉はでなかった。
 その一言で、騎士の表情で理解してしまったからだ。

「……本当、お節介だな。あんた」
「気を悪くしたのなら済まない、その」
「別に嫌なんて一言も言ってねーよ」
「……っ、スレイヴ殿」

 正直、悪い気はしない。
 けど、嬉しいと言っていいのかもわからない。
 妙なこそばゆさが込み上げ、俺はなんだか居たたまれなくなって騎士の視線から逃げるようにベッドに戻る。ぼふんと軋むスプリング。やけに周りの音が遠く聞こえる。
 この前、シーフが邪魔に入ったせいでずっと有耶無耶になっていた。あの時の言葉の先を知りたいと思う自分と、知りたくないという自分がいた。

「……あれから、あんたは大丈夫だったか?シーフたちに絡まれたりは……」
「ああ、いつもと変わらない。貴殿が気にするようなこともない。……スレイヴ殿は大丈夫だったか?」
「…………俺も、いつもと変わんねえよ。あんたと一緒だ」

 言葉に迷ったが、嘘ではない。
 騎士はほっとしたように表情を僅かながら緩める。「それは良かった」なんて自分のことのようにだ。

「……やっぱ、変わってるな。あんた」
「む、そうか……?」
「ああ、そうだよ。お人好しで、物好きで……そんでいい人だ」
「……っ、スレイヴ殿」

 騎士に見詰められ、名前を呼ばれる度になんだか変な感じになってしまう。自分でもよくわからないが、胸の奥が苦しくなるのだ。
 見過ぎだ、と枕で視線をガードすれば騎士は「すまない」と慌てて俺に背を向けた。……そういう馬鹿真面目なところも、嫌いではない。
 そんなとき、きゅるきゅると腹の虫の音が響く。
 俺ではない。……もしかして、と顔を上げれば俺に背を向けたままのやつの肩が僅かに跳ねた。そして、じわじわと赤くなっていく耳。

「……す、すまない……」
「あんた腹減ってたのか?すごい音がしたぞ」
「その、馬車の中で軽食しか取ってなかったのでな……」

 なら余計シーフたちと飯食いに行けばよかったのに。俺の知る限りこの男もよく食べる方だ。それなのに、俺のところに残ったのだ。

「なあ、探索がてら飯食いに行かないか?」
「……いいのか?」
「俺も腹減ってたんだよ。寧ろ、付き合ってくれよ」

 あれだけ恥ずかしそうにしてた騎士の表情にぱっと光が戻る。……本当に分かりやすい。あまりにも嬉しそうに「ああ」と頷くものだからついつられて笑ってしまった。
 一人での食事には慣れたつもりだったがそれでもやはり味気ない。それに、騎士が一緒にいるだけでも楽しそうだ。
 俺は空腹の騎士とともに街へと繰り出すことになる。そしてシーフたちが行ったところとは逆の方角へと向かう。

「スレイヴ殿、体調はもう大丈夫なのか」
「ああ、問題ない。あんたが行きたいところに行ってくれて構わないからな」
「む、そうか……貴殿は何か好物はないのか」
「旨いものならなんでも食うよ俺。……あんたの好きなところでいいって」
「むう……責任重大だな」
「はは、別に不味かったら暴れるとかしないから安心しろよ」

 どこまでも律儀な男だ。
 騎士の背中を叩けば少しだけ驚いたような顔をしてこちらを見た騎士は慌てて視線を反らした。
 それにしても、騎士といると周りが道を避けていくからいいな。
 俺一人だとよっぽど弱そうに見えるのか賊に絡まれることも少なくない。鎧は脱いでいるとはいえやはり迫力がある。それでも俺はそれは見た目だけで中身は優しい男だと知ってるのだけれど。
 なんとなく誇らしげな気持ちになる。

「それにしても、あまり店がないな」
「そのようだな。……む、あそこはどうだ?」

 そう、不意に路地に入ったところにある店を指差す騎士。どこでも良かった俺は、「そうだな」と二つ返事で応える。
 そして俺達はそのまま店に入った。
 どうやらここは女性店員が接客してくれる飲み屋のようだ。入ってすぐ際どい格好の娘がいたことに慄いたが出ていくこともできずに結局店の奥へと通されてしまう。とはいえ、ちゃんとした料理もあるようだ。しっとりとした空気が流れる店内、個室へと通された俺達はお互いに入る店を間違えたと思いつつ二人がけのソファーに腰を掛けた。

「……それにしても、魔法都市にもこんな店があるんだな」
「……すまない」
「気にするなよ。それよりも、あんただってたまにはハメ外したいんじゃないか?」
「俺は、そんな……」
「確かに、あんたよりシーフ向けだな」

 凹んでいる騎士を励ますが、騎士は余程気にしているらしい。くすりとも笑わないどころか益々項垂れてる。
 指名することで好みの女の子を席につけることができるらしいが、受付時俺が選ぶよりも先に騎士に「必要ない」と言われてしまった。
 そのせいでこの異様な空間だ。男二人、静かに飯が食えるだけましだがせっかくだから指名すりゃいいのにという気持ちが強い。けれど騎士は「他者に邪魔をされたくない」と突っ撥ねるのだ。……悪い気はしない。
 適当な飯を頼み、待つ。隣の個室の客は盛り上がってるのだろう、女の声がやけに耳にこびり付いた。

「……本当に頼まなくても良かったのか?」
「いらない。……それに、女は苦手だ」

 それは初耳だった。「へえ」と驚く俺に、騎士はバツが悪そうに俯いたまま険しい顔をしていた。

「あんた人気そうなのにな」
「……俺の話はいいだろう。それとも、貴殿はその……やはりいた方がよかったのか?」

 なにが、とは言わずともわかった。
 女の子のことだろう。

「俺も別に。……まあ、あんたがいるしな」

 興味がないわけではないが騎士が女苦手だと知った今そんな気分にはなれない。
 無理して入る必要なかった気もするが、騎士のことだ。引くに引けなかったのかもしれない。

「酒は弱いって言ってたな、あんた。もしかしてそれと女嫌い、関係あるのか?」
「……聞いても面白い話ではないぞ」
「じゃあ、やめとく」
「いいのか?」
「ああ、その代わり、飯が美味くなるような話聞かせてくれよ。あんたのこと、知りたいしな」

 届いた料理と酒がテーブルに置かれる。食欲の唆る匂いだ。騎士は暫くフォークにも手を付けず、俺を見ていた。

「……貴殿は、狡いな」
「そうか?」

 ああ、と騎士は目を瞑る。面白い話なんて本当はどうでもいい、あんたのことが知りたい。そんな本音を見透かされたようで少し緊張したが、ぽつりぽつりと騎士は話をし始めた。

 俺はこんなに騎士のことを知らなかったのだろうか。そう思えるほど初めて聞く話ばかりだった。
 どこの産まれだとか、家族構成だったり、どうして騎士団に入ることになったのかだとか。
 酒を飲みながら騎士の話を聞いていた。低く落ち着いた声が耳障りよく、相手が騎士だということもあってだろう俺は自然とリラックスしていた。

「話聞いて確信した。あんたって、昔からそうなんだな」
「それは……どういう意味だろうか」
「お人好しで、優しいって意味だよ」

 魔道士のような現金な薄っぺらいやつとは違い、騎士のそれは生まれつきのものだろう。
 どうして騎士がこのパーティーに入ってくれたのか、騎士団に残った方が遥かに待遇もいいはずだ。それでも、騎士は成り行きとはいえ勇者とともに魔王討伐することを選んだ。
 ――国を、街を、人々を守りたいという理由でだ。

 一番は勇者の実力と人柄もあってだろう、けど今はその話を聞いて以前のように誇らしげにはなれなかった。

「もう俺はこれ以上話すことはない。……次は貴殿の番だぞ」
「俺の?」
「ああ、……貴殿はこのパーティーでも古株と聞いた。……勇者殿とは一体どういう経緯で知り合ったんだ?」

 触れられたくないところだったが、今更隠すのもおかしな気がした。それに相手は騎士だ、俺は少しだけ迷って口を開く。

「……俺は古株というか、あいつとは同じ村で暮らしてたんだ。生まれたときからの腐れ縁だよ。田舎だったしやることないから毎日あいつとチャンバラごっこして遊んだり、近くの山川に虫や魚を取りに行って遊んでた」
「……そうだったのか」
「ああ、けど……」

 その日も俺たちは二人で遊びに行っていた。
 けれど帰ってきたとき、村は滅ぼされていた。魔物たちの襲撃を受け、生き残りもいない。
 話を聞いていた騎士の顔が苦しげに歪む。まともに財力もなく、守れる術も持たない弱小村は少なくはない。そして、騎士団はこういった被害を防ぐため近くの村や街に派遣されることもあるがそれもここ最近の話だ。
 そして騎士も、何度もそういった村や街を見てきたと言っていた。

「それから強くなって魔王をぶっ殺そうって二人で約束して、ギルドに登録して……そこからだな。シーフやメイジ、そしてあんたがやってきた」
「……そうだったのか」
「けれど、正直有り難いよ。俺とあいつだけじゃ……いや、あいつは強い。けど、俺だけだったらきっとあいつを支えてやれなかったから……」

 酒のせいだと分かっていた。こんな弱音、吐くつもりなどなかったのに溢れてくるのは情けない言葉だった。それなのに、騎士は「そんなことはない」と即座に否定した。

「現にここまで勇者殿を支えてきたのは貴殿だ。……それは新参者の俺が見ても分かる。貴殿等が強い絆で結ばれていると」

 ああ、と思った。俺は最低だと。騎士ならこう言ってくれるだろう、真面目で優しい騎士だ。俺の求めてる回答をしてくれると頭のどこかでわかっていた、理解して尚縋り付くなんてこれじゃ本当にあの頃の……子供のままだ。

「……騎士」
「……っ、スレイヴ殿?」
「……今言ったこと、全部忘れてくれ。……変なこと言っても、酒のせいだから……」

 だから、と言い掛けて手を取られた。大きな手のひらに握り締められてぎょっとする。
 顔を上げれば真剣な顔をした騎士がいた。

「変なことではない」
「っ、……」
「弱音ぐらい吐いてもいい。貴殿はいつも一人で気丈に振る舞っている、酒の席でくらい……俺といるときは無理する必要はない」

 握り締められた右手が熱い。酒のせいなのか、それともこれが騎士の体温なのかわからない。それでも、俺は。

「……っ、ナイト……」

 勇者の負担になりたくなかった。あいつは頭がいいし、俺よりも強い。せめて足手まといにならないよう、俺もしっかりしないと。そんな風に必死になってた。
 だけど、そんな自分を含めて許されたような気がした。
 抱き締められ、温もりに包まれる。
 周りの音が遠い。それなのにナイトと俺の心音だけはやけに大きく響くのだ。

「……アンタは、そうやって人を子供扱いする」
「スレイヴ殿、すまない……つい」

 そう離れて行く腕を咄嗟に掴んだ。
 スレイヴ殿、と、ナイトの目がこちらを向いた。

「…………もう少しだけ、このまま」

 このまま抱き締めていてくれ、なんて、恥ずかしくて言えないのに、相手がナイトだからだろう。その先を言わずともナイトは何も言わずに俺を抱き締めた。こんな風に誰かに抱き締められたこと、まだ家族が生きていたとき以来ではないだろうか。
 気付けば溢れ出していた涙は止まらなかった。
 俺はそれを隠すようにただナイトの胸に顔を埋めていた。



 気まずさはあった、それでも不思議と心地よく感じるのだからおかしな話だ。
 酒が抜けきれぬまま、それでもこれ以上ここで飲む気にはなれないとなった俺たちは店を出た。外は気付けば日が暮れていた。

「スレイヴ殿、具合は大丈夫か?」
「……ああ」

 答えながらも、自分の足取りが覚束ないことに気づいた。頭ははっきりしてると思ったが、体の方に酔が回ってるのかもしれない。
 向かい側からやってくる人にぶつかりそうになったところをナイトに抱き寄せられる。

「……悪い」
「宿屋までの辛抱だ。……抱えて連れ帰るのは嫌なのだろう?」

 頷き返せば、ナイトは微笑むのだ。そのやけに優しい目が余計むず痒くて、俺は咄嗟に視線を逸した。

「……その笑顔、ムカつく」
「な、何故だ……?!」
「なんか……嬉しそうだし」
「ああ、そうだな。貴殿に頼られると嬉しい、信頼してもらえてるのだなとつい頬が緩むのだ……許してくれ」

 本当に正直な男だ。普通そんなこと言うのか。
 それに、そんなことを言われて悪い気もしない俺も俺だ。
 もし俺に兄がいたらこんな感じだったのだろうか。そんな風にナイトに甘えてしまう、許してしまう。
 道中、何を話していたかもあやふやだった。
 気が付けば見覚えのある道にきてて、またあの宿に戻らなければならないと思えば爪先から熱が抜け落ちるようだった。

「スレイヴ殿、そろそろ着くぞ」
「………………ない」
「スレイヴ殿?」
「…………帰りたくない」

 あいつらのところに、あいつの元に、帰りたくない。俺を我儘にさせたのはナイトだ。無理だとわかってても、それでも口にしてしまったのはなぜか。自分でもわからない。困惑したようなナイトの顔がやけに鮮明に焼き付いた。その目を見て俺は目が醒める。
 俺は何を言ってるのだろうか。

「……なんてな、言ってみただけだ」

 明日からはまたナイトも駆り出されるだろう。こうして時間気にせずゆっくりできるのは今日だけだ。俺は慌ててナイトから離れた。

「スレイヴ殿」
「ここから先は、もう大丈夫だ。一人で歩ける。……悪かったな、介護みたいな真似させて」
「スレイヴ殿、自分は……っ」
「……俺、部屋で休む。……付き合ってくれてありがとな」

 おやすみ、と矢継ぎ早に告げ、俺は慌てて宿屋へと飛び込んだ。絶対におかしなやつだと思われただろう。それでもなんだか急にナイトの顔が見れなかったのだ。自分が恥ずかしくて、酔いが醒めたせいだとわかっててもそれは耐え難いもので、逃げ帰ったのだ。
 残されたナイトがどうしてるのか確認することもできなかった。幸いロビーに見知った顔は見当たらない。俺は二階の自室へと逃げ帰る。
 ナイトが優しくするせいだ、ナイトが甘やかすせいだ。どんどん自分が腑抜けになっているようで酷く恥ずかしく、困惑した。こんな感情、覚えたことなかった。自分の言動や行動を思い返し、後悔した。ベッドに飛び込み、枕に顔を埋める。
 ナイトに抱き締められた感触がまだ残っているようだった。
 けれど、あれほど勇者とのことで滅入っていた気分が楽になってるのも事実だった。

「……ナイト」

 ここにいない男の名前を呼ぶ。そして、その行為にまた体温が増すのだ。恥ずかしいのに、悪い気分ではないのだ。自分で自分の感情がまるで理解できない。
 酒のせいだと言い聞かせ、そのまま俺は服を着替えることも忘れて布団の中に丸まった。
 ナイト、ナイト。……もっと、もっと早くに知り合ってたらなにか変わったのだろうか。俺も、あいつも。
 答えは出ない無意味な問答を繰り返しながら俺は意識を手放した。

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