13
「ふーちゃん、ふーちゃん。どう?見ろよ、可愛いだろ?おまけに感度もいいときた」
「ほぉ、そらええわ」
白い指先が頬から顎へと滑り、そのまま顔を持ち上げさせられる。細い指先。けれど、触れることに躊躇がない。
覗き込んでくるふーちゃんもとい能代に、慌てて俺は首を横に振って懇願する。
「能代さん、おれ、俺です、曜……っ伊波曜です」
「……そない人知りまへんなぁ。人違いちゃいます?」
「えぇっ、嘘、なんで。マオ、能代さんになんかしただろっ」
「なにかも何もふーちゃんは元々こんなんだって。……っていうか、曜はふーちゃんと知り合いだったのか?」
「んんや?ボクこの子知らんわ」
「っの、のしろさんっ……」
どういうことだ?
本当に別人なのか?
混乱する俺は目の前の男を見上げる。
笑ってるように見えるはずの糸目だが、その口元に笑みはない。「能代さん」とどこかいつもよりも冷たい印象を与えるその男の名前を口にすれば、能代の眉がぴくりと動いた。
そして。
「……なんや随分と煩い口やわ。黙らんと塞いでまうで」
「ぅ、え、塞……っ」
塞ぐって、と言いかけた矢先のことだった。
宣言通り、言い返そうとした俺の唇は能代に塞がれる。当たり前のように重ねられる唇にぎょっとして、覆いかぶさってくる男から離れようと慌ててその肩を掴むが、冷たい唇の感触に、遠慮なく這わされる舌に、後頭部に回される掌に、驚いて固まってしまう。
「っん、む……っ」
なんで、こんなことに。
能代の唇が冷たいからか余計自分の体が熱に浮かされてるかのようにカッと熱くなる。
ちゅ、と軽く音を立て、能代の唇が離れた。
硬直する俺に目線を向けたまま、能代は「マオ」と猫男を呼ぶ。
「約束は約束や、お楽しみ中はアンタは外で待っときや。ボクは誰かさんみたいに見られる趣味はあらへんよ」
「相変わらずだな、ふーちゃん。ま、いいや。なあ、よかったら俺の分も残しておいてくれよ」
「アホ言いはるなや。アンタが言うたんやろ、ボクに好きにしと」
「わかった、わかったってば!じゃあ、俺は隣の部屋で待ってるよ。子狐ちゃんたちに遊んでもーらおっと」
言いながら、ひょこひょことした足取りで部屋を出ていくマオの背中見送るまでもなく、マオが部屋を出たのを見た能代は俺から手を離す。
「……はあ、ようやく出ていきはったな」
「の、能代さん……?」
「曜クン、アンタ悪い人には着いていったらアカンて人間界で習わんかったん?」
「よりによってマオに捕まるなんて、あの烏は何してはんのや」そう呆れたように、静かに続ける能代に俺は心底ホッとした。俺の知ってる能代だ、やっぱり能代だったんだ。
「あの、これには深い事情があって……」
「ああ、言わんでもええですわ。マオのことやからどうせせこいことしいはったんやろ。……アンタ、やつの借金の形にされたんえ」
借金のカタ……形?!
慣れてるのか、さらっととんでもないことを言い出す能代に血の気が引いた。
「か、カタって……え、俺……なんで……」
「ボクが人の子が好物やから。マオがわざわざ用意してくれはったんやろなぁ」
緊張感のない声とは裏腹に、笑みすらも凍り付くような能代の発言に全身の毛穴という毛穴から汗がぶわりと溢る。
「こ……好物って」
空気がざわめく。遠くで管楽器の生演奏とともにマオと女の子たちの笑い声が聞こえてきた。
汗がじわじわと滲む。能代は口元に三日月のような笑みを浮かべ、そして、そのまま俺の腹部に手を這わせた。
臍の上から胸元まで、1の字を描くようにして伝うその指先に背筋に嫌な汗が滲む。
「曜クンのここにボクにとってのご馳走が詰まってるいう話なりますわ」
冗談にしては悪趣味すぎて笑えない。
愛想笑いを返すこともできず、ただ、その笑顔が、指の動きが何を示唆するのかを理解してしまった瞬間目の前が真っ暗になった。
「お、俺……おいしく、ないです……っ」
「そんなことあらへんよ。……曜クンから甘ったるい匂いがプンプンする、それこそ『骨まで食べてください』って全身で誘ってきはってんの……自覚なかったん?」
耳元で囁かれ、体が震える。
薄暗い空間だからか、それとも逃げられないこの状況だからか、余計目の前の男が得体の知れないものに見えて恐ろしかった。
けれど、それも一瞬。
ぱっと俺から手を離した能代は口元に笑みを浮かべる。
「なぁんて、冗談や冗談。人肉はボクも嫌いやないけど、曜クンはまだ未熟やからなぁ。ボクはもっと熟して肉付きのええ女人の方が好みなんよ」
「男児は肉も硬ぅて味ないしなぁ、歯応えありすぎてあかん、ボクみたいな年寄りにはもっと柔い方がええんですわ」そう、まるで好みの食材の話をするかのように変わらない様子で続ける能代に背筋が凍りつく。
安堵しそうになるが、その内容は到底安心できるものではない。逃げたいのに逃げられない。
ベッドの上、じゃらりと鎖の音が響く。
汗が滲む。変な匂いもするし、気分も段々悪くなる、というよりもまるでまだ悪い夢を見てるような不安定感に焦点が定まらない。
「な、なら、あの、そろそろ離して……ください、俺、戻らなきゃ……」
なんだか恐ろしくなって、今にも逃げ出したくなる。
そう、ジリジリと広いベッドの上、後退るようにシーツを引っ張るが、その手ごと能代に掴まれ、ベッドに縫い付けられた。
驚いて、顔を上げればすぐ目の前には能代がいて。
「の、しろさん」
「何言うてんのや曜クン。曜クンはボクがマオからもうたんよ」
「綺麗なべべや、曜クンによお似合とるわ」薄く開いたその目の奥、真っ赤に光る瞳を見た瞬間、全身を巡る血がより一層熱くなるのを感じた。
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