人類サンプルと虐殺学園


 25

「邪魔すんなよ鼠爺、丸焼きにして食っちまうぞ!」

「待て、落ち着けお前ら!こんなことしてどうなるのか分かってるのか?!いくらマーソン家の後ろ盾があろうとも、規約違反は規約違反だぞ!」

「元はと言えばこいつが……」


と言い掛けたリューグだが、元はと言えば校則違反でここへと釣れてこられたことを思い出したようだ。
必死に留めようとする鼠入に、リューグは言葉を飲む。


「……ユアン殿、今回の騒動のことは今上には連絡と取っている。貴殿も色々大変だろうが一先ずここは……」


そう鼠入が獄長の拘束を解こうとし、ビクともしない拘束に弱ったように息を吐く。


「これほどまでの強い呪を込めた捕縛を掛けるとは恐れ入る。……君の仕業だな、黒羽君。頼む、これを解いてくれ」

「その男は俺たちを殺すつもりだと言う。……実際、親善大使である伊波様にも手を掛けている。この学園はそんな相手を野放しにしろというのか」

「なんと!ユアン殿、それは本当か」

「最初にこの監獄の掟を破ったのはそいつらだ。裁けない人間を処するのが俺たちの役目のはずだが」

「な、なんてことを……」


反省するどころか開き直る獄長に青褪める鼠入。
確かに元はと言えば校則を破ったのはこちらなので俺からしてみれば何も言えない。気丈な鼠入が弱ってる。
見た目が見た目なだけに余計弱々しく見える。


「ユアン殿、あれ程人間の子供に手を出してはならないと言われたばかりではありませんか……!」

「地上では、の話だろう」

「ゆ、ユアン殿っ」

「おいジジイ、そいつに何言っても無駄だって。話になんねーから」

「だからジジイではないと……っ、仕方ない。伊波君、この度はこちらの管理不足でこんなことに巻き込んでしまって申し訳ない。ユアン殿……彼の処分についてはまた追って伝えよう」

「っ、あ、あの……待ってください。処分って……」

「隣の彼……黒羽君だったかな、彼から聞いていないのか。君に無礼を働いたものには国からの重い罰が下される。君はこの国直属の使者なのだろう。私よりも彼の方が詳しいはずだ」


鼠入に名前を呼ばれた黒羽を振り返れば、黒羽は無言で頷いた。


「伊波様に害を成す者――この国の魔王以外の者全てに適応される。貴方が処罰しろといえばそれは絶対になる。貴方はそれだけこの国にとって肝要だからだ」

「……黒羽さん」

「この地下の管理者であろうが権力者であろうがそれは変わらない。伊波様が望まれるのであればこの場でこの男の生命活動を停止され必要がある。……それが自分の、和光様から仰せつかった命だ」


俺が言えば殺すだとか、殺さないだとか。
物騒なことを当たり前のような顔で静かに続ける黒羽に、俺はこの男がそういったことを躊躇いなく行う存在であることを思い出した。
優しく、頼りになるところばかりを見ていたから忘れていた。
黒羽は、俺が命じれば本当に何がなんでも獄長を殺すのだろう。

別に獄長のことを擁護するつもりはサラサラないし、確かにこの男を野放しにしてると俺の命のが危ないというのも大いにある。
けれど、今はそんな場合ではない。


「……鼠入先生、俺がお願いしたらなんでも聞き入れてくれるんですか?」

「何を言い出すかと思えば……我々は叶えられる範囲ならば協力するように、と命じられている」

「じゃあ、最下層に巳亦に会わせてください。……面会するだけでいいから、巳亦と話がしたい」

「何?巳亦が最下層だって?」


大きな目を更に見開いた鼠入。「どういうことですか、ユアン殿」と鼠入が獄長に詰め寄った矢先だった。


空気が、凍り付く。温度が冷える。
地割れのような振動とともに、部屋の中心部に巨大な穴が開く。見覚えがあるそれに、俺は思わず「えっ」と声を上げた。
巳亦が前に飲み込まれたあの最下層へと続く穴だ。蟻地獄のように現れたそれに、獄長も感じたらしい。「まさか」と舌打ち混じりに吐き捨てた。
そのときだ。


「最下層に行きたい、貴方はそう仰った」


いつの間にかに俺の隣に立っていたその影はくぐもった声で静かに続ける。気配のなさにぎょっとし、顔を上げた俺は凍り付いた。

喪服を連想させる時代錯誤な装飾過多のロングコートの下には真っ黒なタキシード。彫りの深い顔立ち。真っ白な顔と、血の気のない紫色の唇。白髪に近いその髪がブロンドだと気付いたのは光に当てられ金色に光ったからだ。
死神だと、思った。理由は恐らく病的なまでに細く、長いシルエットから骸骨を連想したからだ。
そして、窪んだ目元から覗く白く濁ったその目は、生者のそれとは掛け離れていて。


「だ……ッ」

「……貴方のために扉は開いた。……最下層に行くことを望んだのでしょう。……それから先は貴方次第です」


誰だ、と続けようとして、息を飲む。
歌うように囁きかけてくるテノール声とともに、生白く細い指がそっと肩に触れ、その冷たさにゾッとした。


「貴方は……っ」

「ダムド!貴様、何故ここに……ッ!」


黒羽と獄長の声が重なる。ダムドと呼ばれた痩身の男は無言で微笑む。笑みと呼ぶにはあまりにも不気味で、感情のない形状ばかりのそれは心の底まで凍り付くようだった。



「さあ、少年。時間は有限ではありません。……それとも、怖気づいたのですか……一寸先の闇に」


「それもまた選択、君の好きなようにすればいいでしょう」動けないでいる俺の肩から離した骸骨のような男……ダムドと呼ばれたその得体の知れない男は演技かかった仕草で手を動かす。
瞬間、広がっていた奈落の穴が縮んでいく。
せっかく開いたのに、と思ったと同時に、先程まで動かなかった足が動き出した。無意識だった。見えない手に背中を押されたみたいに、俺は穴へと飛び込もうとして、黒羽に腕を掴まれ、止められる。


「ダムド様、何故、あなたの様なお方がここへ」

「……壊れた人形の回収。我が主はそれを望んでおられる」


「ユアン」と、優しく、我が子を呼ぶようにその名を口にした瞬間。縄に捕縛されていた獄長の姿が消える。
そして、その代わりに獄長がいたそこには一体の球体人形が落ちていた。黒い髪に紅い目、黒衣を纏ったその人形は獄長によく似ていた。


「え……ッ!」

「……ダムド様。それをどうなさるつもりですか」

「私の役目はこの人形の回収すること。……それ以上でもそれ以上でもない」


それを拾い上げたダムドは、こちらを振り返る。
「行かなくていいのか」と静かに尋ねるような目。


「黒羽さん……俺……」


勇気を出し、俺は黒羽に目配せをする。
黒羽は少し迷って、わかりました。とだけ口にした。


「……黒羽君、君にこれを託そう」


そう、ダムドは何かを黒羽に向かって投げる。それを受け取ったと同時に、ダムドは獄長の人形とともに消えた。
何が起こったのか理解できなかった。
けれど、黒羽の様子からして、先程の男は黒羽の知り合い、恐らく和光や魔王……国に仕える側の者なのだろうということは感じた。見たことのない黒羽の表情といい、いとも容易く獄長を人形へと変えたあの男。


「……生の死神、初めて見たわ。おっかねー」

「それにしても……いつからいたんだろう、あの人。もしかしてもう地上へ帰れるのかな?っていうか、獄長さん連れて行かれたけど大丈夫なの?!」


珍しく顔色が悪いリューグと、その影に隠れていた火威は口々にする。

死神。
その単語に、やっぱりそうかと思った。それと同時に、和光の顔が浮かぶ。ダムドが言っていた我が主というのは魔王か、それとも、和光のことなのか。そこまではわからなかったが、あの怖いもの知らずそうなリューグが恐れるくらいだ。死神という存在がどれ程脅威なのかは察することができた。


「……伊波様、本当に、地下へ行くの?」


不意に、そばにそっとやってきたテミッドが小さな声で尋ねてくる。なんとなくその表情は浮かない。ちらりとテミッドがリューグの方を一瞥する。なんであいつがいるのかと言いたげだが、説明するには長くなりそうだ。


「……行くよ。獄長が居なくなった今がチャンスだと思うし……とにかく、巳亦と話がしたい」


連れて帰りたい、という言葉は飲んだ。とにかく今は巳亦と話がしたかった。
テミッドはこくりとだけ頷いた。わかった、とそれ以上は言わずに、その代わりに俺の裾を掴むのだ。


「……僕も、行く」

「行くって、最下層に?」


テミッドの言葉に食いついてきたのはリューグだ。ニヤニヤ笑いながら穴を覗き込むリューグは「じゃあ俺も行こうかな」なんて言い出す。
まずい、リューグとテミッドは仲悪いんだった。


「はあ?なんでだよ、別にお前は来なくても……」

「来なくてもいい、なんて釣れないこと言うなよ。自分の用が済んだらポイか?流石、人間様はやることが違う」

「おい……っ」

「俺の用事も済んでねえしな」

「ぐ……ッ」


ぺろりと舌なめずりするリューグに、テミッドの全身から殺意にも似たどす黒い感情が溢れ出すのを感じた。
このままでは、厄介なことには違いない。


「りゅ、リューグ君、本気?!……さっきの死神が来たってことは、多分上に戻る道もできてるはずだよ。あ、あまり長居して脱獄してるってバレるのは得策じゃないと思うんだけどなぁ……」

「なに火威お前ビビってんの?」

「そ、そりゃそうだよ!だって、死神まで出てきたっていうんなら話は違うよ……!僕は嫌だよ、また捕まって今度こそ水責めの刑なんてことになったら……」

「……一応そういう話は私のいないところで話してくれるか」


フヨフヨと飛びながらリューグを留めようとする火の玉基火威に、バツが悪そうに口にする鼠入。
そこで自ら墓穴を掘ったことに気づいたらしい。火威は「しまった」と青褪める。


「とにかく、ダムド様からの許可が降りてる限り伊波君の選択に私は口出しすることはできない……が、リューグ、火威。お前らに限っては話は別だ。……脱獄云々はこの際置いておくとするが、このまま地下にいては危険な可能性もある。罰とは言わんが、私と来てこの騒ぎの収集を手伝ってもらうぞ」

「ええっ?!なんで俺が!ならそこのチビも連れていけよ!」

「彼は囚人ではないだろうが!ほら、でかい図体で暴れるでない!」


テミッドまで道連れにしようとしていたが、鼠入が機転を効かせてくれたおかげでなんとかなった。
鼠入に引っ張られ、火威とリューグは強引に部屋から連れ出されていく。


静けさが戻る。
本当に、獄長がいなくなったのか。その実感がまるで沸かない。まだ心の臓を鷲掴みにされてるような感覚があるのだ。油断すればまた影とともに追いかけてきそうで気が気ではない。


「……そろそろ行こう。あまり、時間もないようだ」


黒羽に言われ、俺とテミッドは頷いた。
足下、先の見えない闇を見下ろす。この奥に、巳亦がいる。そう思わなければ、踏み出すことすら恐ろしく感じるのだ。

無意識に呼吸を止め、そして俺は一歩踏み出した。

暗転。
浮遊感も落下感もなかった。
次に瞬きをしたとき、俺は見知らぬ部屋の中にいた。


どっかのホールなのか?と思うくらいのだだっ広い空間はレンガと石で作られているようだ。下級囚人たちの牢獄を連想させたが、それよりももっと濃厚な……小綺麗にしてあるものの言葉に言い表しようのない不気味な空気が広がっていた。


「……っ、黒羽さん……?テミッド……?」


恐らくあのあとついてきたであろうはずの二人の名前を呼ぶが、俺の声が静かに木霊するだけだった。
俺が来た道も奈落の穴もない。正真正銘の一人ぼっちだ。
ここはどこなのか、本当に最下層なのか、だとしたら巳亦はここにいるのか。
疑問が浮かんでは消える。答えてくれるものは誰もいない。獄長も、獄吏すらもいない。
息を飲む。部屋を見渡す。
部屋には扉と、その中央に見慣れないオブジェクトが一つ佇んでいた。

縦に長いそれは二本の柱で固定され、その間には斜めに固定された巨大な刃が鈍く光ってる。
そして、その下部には丸みがかった窪み。その周囲の地面は黒く汚れているのを見て、嫌な想像が過る。
実物は見たことなかった。けれど、その形からしてどういった用途で遣われるものなのか察してついてしまうのだ。

…………ギロチンだ。
窪みは首を嵌めるのに丁度いいサイズで、高い位置に固定された刃が落ちて頭部と首を切り離す仕組みになってるのだろうというのがわかった。
そう理解した瞬間、次々と悪い想像ばかりが巡る。
ここにいてはいけない。
そう、全身に警報が鳴り響く。扉を探す。それはすぐに見つかった。錆びた扉を半ば強引に押し開き、俺はその部屋から飛び出した。
部屋にいたときから感じていた言いようのない圧にも似たそれは死臭だ。拭っても拭いきれない、手足に絡みつくその空気に俺は暫くまともに呼吸することができなかった。

その部屋を出ればこの居心地の悪さから逃れられる。そう思っていたが俺が間違いだった。

最下層。
……極刑の囚人たちが最期の時を迎えるまで在り続ける目的で作られたそこは、異様な空気で満ちていた。

部屋を出れば、その先にあったのはまた別の部屋だった。
今度はすぐに異変に気付く。鼻をつくのは血のような匂いだ。薄暗いそこはやはり無人だった。
部屋の片隅に並べられた棺桶。そしてまた別のところには衣服や血の着いたアクセサリーが放置されている。
股別のところでは大きな台の上に麻袋に入った何かが横たわっているのを見て俺は考えるよりも先にその部屋の奥の扉へと駆け寄った。

ドアノブを乱暴に開ける。
そして、俺は後悔した。部屋の中、壁一面飾り棚に並べられたのは生首だ。色んな種族の生首がホルマリン漬けになって並べられてる。そしてその容器にはご丁寧に名前が書かれていて、俺はソレが処刑されたモンスターたちだとわかった瞬間今まで堪えていた吐き気を抑えることができずにその場に嘔吐する。
ろくに食事できていないおかげで出てくるのは胃酸のみで余計気持ち悪くなるが、それでも、耐えられなかった。何度もえずき、俺は、進むことも逃げることもできなくなって、その場に蹲る。


「……っ、黒羽、さん……テミッド…………巳亦」


返事が帰ってくることはない。ここにいても、余計具合悪くなるだけだ。移動しないと。皆と合流しないと。そう思うのに、心が折れそうになる。
四方囲んでくる無数の目がこちらを見てるような気がしてならない。気のせいだと思っても、絡みついてくる視線から逃れることができなかった。
俺は、恐る恐る立ち上がり、そして、なるべくホルマリンを見ないように足元ばかりを見て走り抜ける。
扉は、すぐに見つかった。
俺は、何も考えずに、とにかくこの異様な空間から逃れるためにドアノブを捻った。


そして、息を飲む。
次に現れたのは巨大な真っ白な部屋だった。
その中央、巨大な檻に囲われたその中には巨大な黒蛇が力なく横たわっている。
その体の至るところに太い鉄の杭が刺されているようだ。地面に固定されたその蛇の体からは赤黒い血が滲み、その巨体の下に血溜りが出来ていた。
所々鱗が剥がれ、生傷が目立ったがその姿に見覚えがあった。


「み、また……?」


目を閉じたその蛇は、名前を口にすると微かにその体が反応する。
死んでいるわけでないらしい。黒羽から死なないとは聞いていたが、それでもその姿を見れば誰でもぞっとしない。


「っ、巳亦……!」


今度はもっと大きな声で名前を呼ぶ。鉄格子を掴み、巳亦に触れようとするが、届かない。
ぴく、と瞼を震わせた巳亦は、ゆっくりと目を開いた。


「曜……?」


久しぶりにその声を聞いたような気がする。
寝ぼけ眼だった巳亦に、もう一度「巳亦」とその名を口にすれば混濁していた意識を取り戻したらしい。紅い目を更に丸くし、そして、「通りで」と弱々しく口にした。


「……通りでまだ生きてるわけだ」


そう、自嘲気味に口にする巳亦。その言葉の意味はわからなかったが、巳亦の声に、言葉に、安堵する。
また巳亦の動いてる姿を見れただけでも良かった。
……大袈裟だと笑われても、あのまま会えなくなるのだけは耐えられなかったから。

先程までの心細さと恐怖があったから余計、その安堵のあまり俺は座り込む。巳亦は「曜」とこちらに寄ろうとしたが、体に刺さってるそれに気付いたのだろう。身動きが取れないことに諦めたように笑い、そして、その代わりに舌を伸ばし、そろり俺の手を舐める。
蛇なのだから当たり前だが、本当に蛇みたいな動作をする巳亦がなんだかこそばゆくて、俺は、鉄格子へと身を寄せる。


「巳亦……痛いだろ、待ってろ、黒羽さんとテミッドも一緒に来てるんだ……だから、なんとかして……」


助けるから、と言い掛けたとき、巳亦が舌を離した。
憐れむようなその目に、俺は違和感を覚える。


「……曜、お前って本当真っ直ぐっていうか……お人好しっていうか……普通、ここまで来るか?」

「……巳亦?」

「俺は大丈夫だよ。ここで。……だから、二人にはそれ伝えて他の連中に気付かれる前にさっさと学園に戻れよ」


子供でもあやすみたいな優しい声だった。
自分はここにいる。巳亦は確かにそう言った。

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