人類サンプルと虐殺学園


 05

扉の外で何やら言い争うような声が聴こえてきた。
続いて、ドタバタとけたたましい足音。
本当に大丈夫なのだろうか、不安になって玄関口に目を向ける。けれど、昨夜のことを思い出し、大人しくしておくことにした。

そして暫くもしない内に黒羽は戻ってきた。


「……黒羽さん、なんか外すごい騒がしかったけど……」

「ご心配なく。伊波様の部屋があの有様だったから色々聞かれただけです。事情は説明しております。部屋も片付け指せるように伝えましたが、暫くは私の部屋で過ごした方がよろしいかと」


万が一のこともある。黒羽の言葉に反対することはできなかった。幸い、部屋には大切なものもない。最初から手ぶらでえる俺はこのまま居座ることも可能なわけだ。


「今日の初登校時ですが、細心の注意を払うようにお願いします。私も側にいますが、伊波様、貴方も不用意に他人に接触しないように」

「は、はい……」

「それと、登校時刻までまだ時間があります、もう一眠りしたらいかがですか?」


勧められ、俺は言葉に甘えることにした。
体調は戻ったが、疲労感が拭えない。初日から最悪のコンディションで朝を迎えたくはない。
今は、眠って落ち着こう。不思議と黒羽が側にいると分かるだけで、安心することが出来た。
俺は、再び布団へと潜る。
その間、黒羽は何をするのだろうか。ただじっと大人しく時間が過ぎるのを待ってるのか。……有り得そうだ。なんて、考えながら目を瞑る。
二度目の眠りは案外すぐにやってきた。
一度目の、意識を手放すような気絶に近いものとは違う、ちゃんとした眠りだ。

次に目を覚ましたのは、どこからか聴こえてくる鐘の音を耳にしたからだ。ゴーン、ゴーン、と遠くで響くその音は耳を塞いでも聴こえてくる。起き上がれば、案の定黒羽が側の座布団で正座していた。


「おはようございます、まだ目を覚ますには些か早い時間ですよ」

「おはようございます。……あの、なんか、今金の音がしなかった?ゴーンって……」

「ああ、あれは毎朝六時に鐘を鳴るんですよ。……確かに響きますね、明日からは辞めさせますか?」

「い、いや……そうじゃなくて、ただ、驚いたっていうか……アラーム代わりにはいいかな」

「アラーム、ですか……」


黒羽にはアラームが伝わらなかったのか、少しだけ不思議そうな顔をしていた。

六時に起床なんて、まだ人間界にいた頃よりも早起きで健康的ではないか。そんなことを思いながら、ふと、家族のことを思い出す。
今日、俺がいない朝を迎えたのだろうか。気にしないで元気にやっていてほしいとは思っていたが、少しは思い出してくれたらそれで嬉しいのだけれど……。
思いながら、布団から抜け出す。
居間、座卓の上には見覚えのある黒地の服が畳まれていた。


「これ……」

「学園指定の制服のようです。伊波様の部屋に置いてあったものを持ってきました。不審なところがないかは確認してますのでご安心を」

「黒羽さん、ありがとう」

「いえ。……着替えならば、この部屋でどうぞ。私はその間、私も別室で支度をしてきますので」


言うだけ言って、黒羽は居間から脱衣室へと移動する。
黒羽の真面目な性格からしてその場にいると思いきや、 その辺の配慮はちゃんとしてくれるようだ。気遣ってくれたのだろうか。ありがたいような、申し訳ないような……。

シャツを下に羽織り、上着に袖を通す。伸縮自在のそれはすぐに体にフィットしたものになり、その軽さに、服を着てるような感覚すらも忘れるようだった。
この部屋に鑑がないので確認は出来ないが、恐らく寝癖は大丈夫だろう。顔を洗おうかと水場のある脱衣室へと向かえば、丁度黒羽が現れたところだった。


「う、わ……」


いきなり開いた扉に驚き、続いて、全身黒尽くめの黒羽の威圧感に驚く。元々俺よりも高い位置にある顔に、筋肉質ながらも無駄のない体つき。
学生服というよりも、黒羽の場合は軍服と言った方がしっくりした。


「黒羽さんも、そういえば転校生ってことになるだっけ……」

「ええ、私の役目は伊波様の護衛・補佐ですから」

「……学生って感じじゃないですよね」

「……私はあくまで伊波様の側近です。学生ではございませんので」


なんだか自分に言いきかせるような口ぶりだが、あまり深くは突っ込まないでいた方がいいかもしれない。
けれど、俺の制服姿よりかシャキッとしてて羨ましいなと思ったのも確かだ。


「伊波様は、黒がよくお似合いで」

「……そうかな?なんか、俺、余計なよなよしてしまってんじゃないかって思ったんですけど……」

「伊波様ほど、黒が似合う人間は見たことありません」


……本当かな。
黒羽のことだ、俺の気持ちをよくさせるために言ってるだけの可能性もある。
……けれど、悪い気はしない。それこそ黒が似合う男が目の前にいるのだけれど。


改めて身支度を整えた頃には懐中時計の針は七時を差していた。俺はその蓋を閉じ、内ポケットに仕舞った。
閉め切られた黒羽の部屋からでは外の様子は分からないが、窓の外は相変わらず夜空が広がってることだろう。

朝食へと向かう前に、黒羽に呼び止められた。


「伊波様、これを」


そう、黒羽に差し出されたのは薬包紙だった。それを更に手拭いで包み、黒羽は俺に手渡してくる。
なんだろう、と受け取ったところで昨夜口移しで飲まされた薬のことを思い出した。


「解毒剤と、鎮痛剤と、抑制剤です。それぞれ分かるように包に印をつけています。何かあればこれをすぐに飲むように」

「……あ、ありがとう……」


あの苦味を思い出し、舌がピリピリと傷んだ、気がした。
それと同時に昨夜、とんでもないことを黒羽にしたことを思い出し、顔が熱くなる。
黒羽も、当たり前のように接してくるので忘れていたが、キス、したんだった。それを、何度も。
あの状況だからといえばそれまでだが、こうして意識してしまっている自分が余計恥ずかしくなって、今更目を合わせられなくなる。
それを何を勘違いとしたのか、「伊波様、背が曲がってます、背筋を伸ばしてください」と、黒羽に叱られた。
……本人がこれだ、気にしたら負けなのだろう。

それにしても、昨夜の分身だ。分身というのだから、本体があるのだろうが黒羽はその手掛かりも掴めなかったという。

不安もあるが、気を引き締めなければならない。今更逃げ場などないのだから。
黒羽から貰った薬も、一緒にまとめて内ポケットに仕舞った。
「では行くか」と、ようやく、黒羽が敬語をやめてくれたとき。扉がノックされ、黒羽は動きを止めた。


「黒羽さん……」

「……後ろに下がってろ」

「あ、ああ……」


先頭を行く黒羽。その扉を開いたとき。


「っ、あ、の……」


扉の前、まず目に入ったのは血のように真っ赤な髪だった。左目を覆うような長い前髪を流した、青白い肌のその生徒は俺と同じ制服を着ていた。薄紫の唇。対象的に、淡い緑色のその瞳は挙動不審に宙を彷徨っていた。


「ぼ、ぼく、は、その、伊波様に用があって……その、学校に、教室まで、一緒に行きたくて、そうするように先生に言われて、それで、来たんです……けど……」


消え入りそうな声。その少年は、目の前の黒尽くめの男を前に酷く怯えてるようだった。
もはや土色になってるその顔に、俺は、黒羽の服の裾を軽く引っ張る。俺が出る、とそう告げれば、黒羽は視線だけを返した。敵意がないと判断したようだ。「伊波様ならここにいる」と、下がる黒羽。


「……伊波って俺のことだけど、もしかして、迎えに来てくれたんだ?」


何故だろう、相手が人間ではないと分かってても何故か無意識に人間の子供に話すような言葉になってしまう。
そう、少年の前へと出れば、赤髪の少年は「あっ、う……ぁ……」と震えながら後ずさる。
そして。


「何したはるの、テミッド。ちゃんと喋らんと、曜クンには伝わらへんよ」


聞こえてきたのは、特徴的な京都訛の男の声。
テミッドと呼ばれた少年の背後、ぬっと現れた金髪糸目のその男は、俺たちを見るなり「おはようございます、曜クン」と更に目を細めて笑いかけてきた。
相変わらず着崩した和服姿のその男に、すかさず黒羽が俺と能代の前に割り入った。


「ちょお、そない警戒せえでええやないですか。傷付きますわぁ」

「あっ、う、……能代さん、は、その、悪くないです、ぼく、僕が……僕のせいで……うう……」


どうも、このテミッドという少年はコミニュケーションというものが苦手なようだ。ゴニョゴニョと口ごもるなり、そのままナメクジか何かみたいに萎んでいくテミッドに、あまり気が長くはない黒羽の我慢の緒が切れた。


「貴様……さっきからごちゃごちゃと鬱陶しい……男児ならば何が言いたいのかハッキリしろ!要件のみを話せ!伊波様は暇なお方ではないんだぞ!」

「ヒッッ!!!」


壁を殴る黒羽に驚いたテミッドは飛び上がり、そのまま能代の背後へと隠れてしまう。そして、メソメソと泣き始めるテミッドに能代は「あ〜あ」と愉快そうに笑う。
黒羽も、もう少し柔らかく言えたならばもう少し違うのだろうが……。
テミッドの言葉の断片からして、教師に頼まれ、教室までの案内役を押し付けられたのだろう。


「あの、テミッド?……ごめん、驚かせて。あの、この人は黒羽さん。顔は怖いし、声は大きいけど、悪い人じゃないから」

「ほ……本当に……?」

「うん、俺の友達」

「と、友達……」


黒羽が何か言いたそうにしていたが敢えて無視する。
相手に目線を合わせれば、ようやくテミッドと目が合うことに成功した。薄緑色のその瞳は目玉というよりも水晶玉のようにすら思えた。不思議な色だ。見透かすような視線に胸の奥がざわついたが、俺が目を反らしたら不信感を与えてしまう。俺は、テミッドを見つめたまま続ける。


「俺、学校のことなんもわかんないからすごい助かったよ。……それじゃあ、お願いしてもいいかな」


「……ぼく、なんかでいいの?……ぼ、僕、鈍くさいし、伊波様、楽しくないと思い、ます……それでも、いいんですか……」


やたら自己卑下する人間は、人間界ではよくいた。
その実、その言葉とは裏腹に他人から認められることを求めているのだ。そう、教育テレビで言ってた気がする。


「大丈夫だよ、俺も人のこと言えないし」


そう返せば、テミッドの目がキラキラと輝いた。そして、すぐに顔が真っ赤になり、テミッドは真っ赤なストールで顔を覆い隠す。


「う……うう……伊波様が……能代さん……」

「よしよし、えらいえらい」

「……」


何か茶番のようなものを見せられてるような気がしないでもないが、ちらちらと見ては目があって、ぴゃっと能代の影に隠れるテミッドは面白い。


「この子はテミッド。グゥルいう種族の子です。照れ屋で口下手ですけど、基本的にはええ子やから曜クンも仲良くしはってな」


あんたが保護者か?と聞きたくなるくらいの能代の保護者っぷりだが、ほっとけない気持ちはわからなくもない。

というか、グールって。
あまり神話には興味なかったが、名前は聞いたことくらいはあった。悪魔、または人間の死体を貪る屍食鬼。


「ぐ、グール……」

「あ、ぼ、僕……生きてる人、食べない……だから、伊波様も……食べない……怖がらないで……」

「う、うん……わかった……よろしくね」


黒羽の目がどんどん恐ろしい事に鳴ってる。下手な動きでもしたらテミッドに切りかかりそうな気迫すら感じられたが、肝心のテミッドに敵意は感じられない。演技でもなさそうだ。戸惑いながらも、接する俺に能代は愉しそうだ。



「ほんなら、自己紹介も済んだし行きましょか」

「……行くって?」

「そら、学舎に決まっとるやないですか」


何言うとんです、と能代は笑う。俺の冗談だと思ったのかもしれない。が、能代はどっからどうみても制服姿には見えない。それとも、その格好で行くつもりなのか。
困惑する俺の視線に気付いた能代はにやりと笑い、そして突然腰の帯に触れ、目の前でそれを緩めた。


「せやかて……坊っちゃんがボクの生着替えをご所望とあらば、それに応えたるのが男ってもんやしなぁ」

「貴様……ッ」


と、黒羽が刀を引き抜くと能代が浴衣を脱ぎ捨てるのは同時だった。豪奢な刺青の羽織りは宙を舞い、一瞬視界を覆った。そして、次の瞬間だ。目の前には漆黒の詰め襟姿の能代がいた。


「ほな、行きましょ」


何食わぬ顔して、制服へと着替えた能代は笑う。
見事な早業というか、明らかに先程まで浴衣の下に何も着てなかったはずの男の生着替えに感動する間もなかった。
俺とテミッド、そして黒羽は能代についていっていいのか分からぬままついていくことになった。
能代も、制服が似合わない勢のようだ。

ちらりと振り返れば、能代が脱ぎ捨てた羽織りは小さな狐たちがせっせとどこかへ運んで行っていた。そちらの行方も気になったが、俺は、能代についていくことを優先させる。

行き交う妖かしたちはテミッドの姿を見てもさぞ反応するわけでもなく、それどころか一部の女子からは「テミッドちゃーん」と声を掛けられていた。その度、テミッドは顔を赤くしながら、ぺこりと会釈する。
照れ屋なのは俺に対してだけではないということなのだろう。それにしても、俺に対するそれとはやはり比にならないが。

そして、対する能代だがテミッドに比べれば誰からも話し掛けられない。というよりも、寧ろ学生服の能代の見るなり周りの連中は「ゲッ」とでも言いたそうな顔して距離を置くのだ。
ここまで反応が分かりやすいと、ありがたいかもしれない。


「そういや曜クン、昨夜はえらい目に遭いましたねぇ」


五重塔一階。数多の妖怪たちが其々目的に向かって行き交う中、ふいに能代はそんなことを言い出した。そのことに反応したのは、今まで俺たちのやり取りを眺めていた黒羽だった。


「何故貴様がそのことを知っている」


気付けば黒羽の手の中には鋭く光るクナイが握られていた。その切っ先を能代に向ける黒羽に、向けられた能代は驚いたように肩を竦める。


「そいなもん、人に向けるもんやあらへんで。怪我したらどないすんのや」

「何故貴様が知ってるのか、と聞いてるんだが」

「躾のなっとらん烏やっちゃなぁ……」


冷たく吐き捨てるような能代、あくまでその声とは裏腹に表情には柔らかい笑みを浮かべたままで。


「す、すみません……黒羽さん!」


このままではまずいと直感で察した。
幾ら黒羽と言えど、あまり揉め事を起こしたくないのが本音だ。俺は黒羽さんにクナイをしまってもらおうと声を掛ければ、非常に、非常に不服そうな顔をしながらも黒羽さんはそれに従ってくれる。
その代わり、左手の裾の下で別の刃物が光ったような気がしたが俺は敢えて見ないふりをした。


「曜クンもこの子に礼節ってもんをおせったってな、頼んますえ。ボクやからええですけど、腹立てる御仁も山ほど此処にいはるし、口はナントカの元って言いますやろ」


対して、能代は変わらない様子だった。
「気ィつけんと、最後にゃ食われてさいならですわ」そう、口にする能代はあくまで淡々としている。口調は穏やかなものの、その内容は不穏だ。誰に食われて、なんて聞くこともできず、冷たい汗が背筋に流れる。


「……ボクの部屋も五階にあるんよ、せやから、事情聴取でたたき起こされたんですわ」


「曜クンはえらい災難やったなぁ、初日からあない部屋壊されるなんて。気ぃつけてな」押し黙る俺に構わず、能代は説明をしてくれた。
そういうことだったのか……。能代も同じ階に住んでるとは思わなかったが、納得がいく。
まあ、俺の部屋を壊したのは黒羽だけど……。
黒羽というと多分、能代の言葉を信じていないのだろう。不信感丸出しの目を能代に向けている。
俺は慌てて黒羽から能代の目を逸らすため、頭を下げた。


「ご迷惑掛けてすみませんでした。気をつけます」

「素直なんはほんま、ええことですわ。どこかの誰かさんと違うて」

「狐風情が偉そうなことを抜かすな」

「……ぅ、あ、あの、喧嘩……よくない、と思う……皆、仲良くしないと……」


ずっと距離を置いていたテミッドだったが、恐縮する俺を見兼ねたのか、はたまた突っかかる黒羽を見兼ねたのか、もしくは能代から何か感じたのか――間に割り入って仲裁に入った。
そのときだ。


「あっ、曜ー!いたいた!」


聞き覚えのある声。
振り返れば、学生服に着替えた巳亦がいた。驚くほど学生服が似合う。普通に学校に通っていても違和感がない……。ではなく、だ。


「っ、み、巳亦……!」


助かった、救世主だ。
初めて会った時、能代と話していた巳亦ならなんか光上手い具合に能代を連れてどっかに行ってくれないだろうか。そうでもしないと黒羽が落ち着かない。

俺は慌てて巳亦に駆け寄る。


「あ、あの……巳亦、お願いがあるんだけど……能代さんをどっかに連れて行けないか?」

「え?なに?いきなりどうしたんだよ」

「さっきから能代さんと黒羽さんが喧嘩ばっかりしてて、気が気じゃなくて……」

「ああ、そんなこと……気にしなくても、あの人らは大丈夫だよ。そんな簡単に死なねーし」

「そ、そういう問題じゃなくて……」


ハハハと大らかに笑う巳亦。何が大丈夫なのか。心配するところが違う。


「能代さん、珍しいですね、その制服姿俺ウン十年ぶりに見ましたよ。やっぱ洋装も様になりますね」

「きしょいなぁ……あんさんに褒められるなんて、明日は槍でも降るんかいな」

「またまた、そんなこと言っちゃって。……それにしても、能代さんが制服着る気になったってことはそんなに曜のことが気になるんですか?」

「気にならんと言うとウソになりますけど、ボクが気になるのは寧ろ、その周り」


「特にあんさんみたいな人ですよ、巳亦」そう、能代は巳亦の胸を手の甲で軽く叩く。
巳亦は気を悪くするでもなく、「そうだな」と笑った。


「だってこの世界に生きた人間がやってくるなんて何世紀ぶりですか?そりゃ、浮かれますよ。俺みたいなのなは余計。……ずっと、会いたかったんですから」


恥ずかしげもなくソレを口にする巳亦。その言葉は俺に向けられているわけではない。人間という大きな括りに向けてるのだ。そこに俺である必要性はない。
そう言われてるようで、正直素直に喜べない。が、「それも、曜みたいな人間で尚更よかった」と悪意なく笑いかけられると何も言えなくなる。


「まあ、そういうことで一緒に登校しようと思ったんだけど……結構な大所帯だな」

「ぼ、ぼ……僕、いない方がよかった……?」

「そ、そういう意味じゃないと思うけど……」


「能代様」


だから気にしないで、とテミッドにフォローしようとしたときだった。すぐ背後から、静かな男の声が響く。振り返れば、そこには凛と佇む真っ白な狐がいた。


「き、狐……!!」


というか、今、この狐が喋ったのか?
真っ白な美しい毛並みのその狐の尻尾は8股に分かれており、ゆらゆらと揺れる尻尾に、ごくりと息を飲む。
その狐の前、ゆっくりと体を返した能代。


「壬生(みぶ)……なんぞおしたんか」

「京極様がお呼びです」

「京極殿が?……ほんま、あの男はいらちやかんな……。まあええ、すぐに向かうと伝えといて」

「畏まりました」


壬生と呼ばれた白狐は、それだけを承れば音もなく姿を消した。ほんの一瞬、立ち去る前に黒羽の方を見た……そんな気がした。壬生が去った後には一枚の赤い葉が落ちていた。

京極というのは、黒羽とも面識があるようだったあの大男のことか。能代は露骨に面倒臭そうな顔をしていたが、それでも従うということは能代よりも立場がある人物なのか。


「災難ですね、能代さん。それにしても京極さんがこの時間帯から活動してるなんて珍しいな」

「あのお人はほんま自由な人やからなぁ。……ほな、ボクは行かせてもらいますわ。……はぁ、せっかくの曜クンの晴れ舞台楽しみにしとったんやけもなぁ」

「あはは……」

「後でたっぷりボクに聞かせてや、曜クン」


それだけを残し、能代は先程の白狐同様一瞬にして姿を消した。壬生のように形跡は何も残っていない。
何か種があるのだろうか、なんて考えてしまうのはもう癖みたいなものなのか。俺は、考えるのをやめることにした。


「壬生、能代……」


何やら難しい顔をしてその名前を口にする黒羽。
そういえば、壬生も黒羽の方を見ていた気がするが……。


「黒羽さん、さっきの壬生っていう人?……知り合いですか?」

「何故、そんなことを」

「何故っていうか……気になったっていうか……」

「……昔の知人に似ていただけだ。……他人の空似かもしれん」


壬生という名前の白い狐なんてそうそういてたまるかとも思うのだが、黒羽の様子がちょっとおかしいので俺はそれ以上追求することはやめた。
妖怪の世界はよくわからない。
けれど、俺の理解の範疇を越えてるであろうことはわかった。


「……っ、あ、の……伊波、様……?」


そう考えてると、ふいにテミッドが覗き込んでくる。
見つめてくる緑の瞳に、一瞬驚きのあまり思考が停止した。


「っあ、なに……?」

「そろそろ、急がないと……遅刻、しちゃう……です」

「……う、うん……そうだな……」


言われて、今自分が学生であることを思い出した。
なんだか色々なことが起こりすぎて頭が回らなくなってきた……。
「こっち」と言いながら先に塔から出るテミッド、その後について俺たちは塔を後にした。

 home 
bookmark
←back