学生寮、食堂にて。
「齋籐君、これいるか?美味いぞ」
「あ、ありがとうございます」
生徒会役員たちと食堂へ来ていた俺は隣に座る芳川会長から渡された取り皿を受け取る。
取り皿の上には定食のおまけでついていたデザートが乗っていた。
とっさに受け取ったはいいが、生憎食べ終わったばかりの俺にはトレードするようなものはない。
「でも、これだと会長の分が……」
「別に構わない。俺は君が喜ぶ顔が見れたらそれだけで充分だ」
「気兼ねする必要はない」ときっぱりと言い切る会長は、そう言って笑った。
笑いかけられ、なんとなく恥ずかしくなった俺は慌てて俯く。
「なんかさあー……」
すると、テーブルを挟んで向かい側の席に座っていた十勝はうんざりしたような顔をして口を開いた。
「ここだけ、新婚カップルみたいな感じですっげー胸焼けするんすけど」
頬杖をつく十勝の一言に、その隣に座って水を飲んでいた五味が吹き出す。
硬直する芳川会長に、十勝の言葉よりも先に噎せる五味に驚く俺。
五味の隣にいた灘が、さっと布巾を取り出していた。
俺の隣で黙々と食事を続ける栫井は、無言で十勝に目を向ける。
「……お前は、一体なにをいきなり言い出すんだ」
灘から布巾を受け取る五味は、小さく咳き込み口許を拭いながら顔をしかめた。
「だってぇー」少しだけ拗ねたような顔をする十勝は、言いながらちらりと俺に目を向ける。
え?俺?
「あ、やっぱり言わなくていい」
なにか悟ったのだろう。
慌てて五味は訂正する。が、一歩遅かった。
「会長って、佑樹の前だけちょーデレデレっすよね」
そう冷やかすようにつぶやく十勝の一言に、芳川会長は目を丸くする。
どうやらその言葉の意味を理解したようだ。
みるみるうちに芳川会長の顔が赤くなっていく。
「俺は、そんな顔をしてたのか」
「ええ、そりゃあもうでへへって鼻の下伸ばし……あいた!」
慌てて口許を手で覆う芳川会長にトドメを刺すかのように口を開いた十勝。
芳川会長を見兼ねた五味は咄嗟に十勝の頭を叩き、無理矢理黙らせる。
「お前なあ、皆我慢してんだからちったぁ空気読めって」
そう十勝を宥めるよう諭す五味だったが、どうやら自分が墓穴を掘ったことに気付いたようだ。
ハッと目を見開いた五味は、恐る恐る芳川会長に目を向ける。
「が……我慢させるほど俺はデレデレしてたのか……」
「あっ、ち、違います。違います会長」
ショックを受ける芳川会長に、十勝から手を離した五味は慌てて訂正しようとした。
「本当、あれですから。今のはただ口が滑っ……ああ!また!」そして自滅していた。
「……すまない、そんなつもりではなかったのだが。どうやら気が弛んでいたようだ」
「ご心配なく。いつものことですから」
知らず知らずのうちに醜態を晒していたことが恥ずかしいのだろう。
そう申し訳なさそうに謝罪する芳川会長に、灘はフォローにすらなってない言葉を投げ掛ける。
その然り気無い一言に食堂全体の空気が凍り付いた。
「……デレデレしてる会長も素敵ですよ」
グラスを手に取り、一口水を飲んだ栫井はそう呟いた。
栫井なりに自己嫌悪に陥っている芳川会長を慰めようとしているらしい。
なかなか問題発言に聞こえる。
笑うところなのか、ここは。
水を打ったように静まり返る食堂内に、気まずい沈黙が流れる。
「ま……まあ、取り敢えず、ほら、会長。食べましょう、ほら、な?」
必死に笑みを浮かべながらそう芳川会長を促す五味だったが、その笑みはぎこちないことになっていた。
「……ああ、そうだな」
芳川会長も五味が自分に気を遣ってくれていると気付いたようだ。
芳川会長は顔を強張らせながら頷く。
★
食後。
食堂を後にした俺たちは、先を歩く芳川会長の後ろ姿を眺めながら歩いていた。
先ほどの会話で相当きていたのかもしれない。
用事を思い出したからと一人一足先に帰る芳川会長は、間違いなく俺を避けているのだろう。
「どーすんだよ十勝、会長まじで凹んじゃったぞ」
「ちょっとからかうつもりだけだったんすけど……うーん、意外とピュアだったんすね!会長!」
「感心してる場合か。後でちゃんと謝っとけよ」
「よっしゃ任せといてください!」
「おい今じゃなくていい!今お前がなんかしたらとどめ刺すだけだから!」
何メートルも先を歩く芳川会長の元へ笑顔で駆け寄ろうとする十勝を慌てて引き留める五味。
正しい判断である。
「おい、齋籐」
不意に、十勝を捕獲する五味は斜め後ろをついていた俺に声をかける。
「あ、はい」慌てて姿勢を正した俺は、五味に目を向けた。
「ちょっとお前からフォロー入れててくれよ。俺らが言ったらまた余計なこと言ってしまいそうだからさ」
そう五味は申し訳なさそうにそう俺に頼み込んでくる。
俺も余計なこと言ってしまいそうなんだけれど。
いきなりの言葉に戸惑ったが、断る理由もない。
それに、しょんぼりとした芳川会長をみて調子狂わされるのは役員だけではない。俺もその内の一人だ。
「……頑張ってみます」
少し間をあけ、俺は頷く。
★
「会長」
学生寮一階、ショッピングモール。
五味たちと別れた俺は、先を歩く芳川会長の背後に声をかける。
いきなり声をかけられ少し驚いたような顔をした芳川会長だったが、背後に立つのが俺だと気付いた会長は「ああ、君か……」と頬を緩ませた。
「……っと、すまない」
やはり先ほどの食堂のことを気にしているようだ。
慌てて顔を引き締めた芳川会長はばつが悪そうに目を逸らす。
「なんでか君と一緒にいると安心して、自然と顔が緩んでしまうんだ」
なかなか臭いことを素面で口にする芳川会長に、なんだか照れてしまった俺は「ごめんなさい」と慌てて謝った。
「なんで謝るんだ」
「いえ、あの……つい。でも、ちょっと嬉しいです」
「嬉しい?」
「俺は自分と一緒にいて芳川会長が笑ってくれるのが、えっと、その……すごい嬉しいです」
フォローしてこいと言われた今、取り敢えず芳川会長を慰めることにする。
だからと言ってその場限りの咄嗟のことを言うつもりはない。
自分が思っていることを素直に伝えることにした。
「……齋籐君」
「あの、皆さん、本気で言っていたわけではないらしいので気にしないで大丈夫だと思います」
「……すみません、自分が言える立場じゃないですね」俺の言葉に目を丸くする芳川会長に、段々自分で言ってて恥ずかしくなってきた俺は照れ隠しに苦笑を浮かべる。
「あいつらに、そう言われるように言われたのか?」
俺が気を遣っていると感付いたのだろう。
小さく笑う芳川会長は、そう俺に尋ねてきた。
「……ごめんなさい」
なんだか怒られているようで、肯定の言葉の代わりに俺は項垂れる。
そんな俺に、「謝るな」と笑う芳川会長は言いながら俺の頭を撫でた。
がしがしとどこか乱暴な仕草で髪を掻き回され、「会長」と慌てて俺は頭を上げる。
「悪いな、君にもあいつらにも余計な気を使わせて」
「そんなに気にしないでください」
「気にしてないよ」
ようやく満足したのか、一通り人の髪をボサボサにした芳川会長は笑いながら手を離し、最後に優しく俺の頭を撫でた。
「……でもさっきのは、嘘じゃないですから」
ポンポンと頭を撫でられ、なんだか恥ずかしくなりながらも俺は会長を見上げる。
目があって、芳川会長は優しく微笑んだ。
「君は嬉しいことばかり言ってくれるな。顔が熱くなる」
「すっ……すみません、不愉快でしたか?」
「そうじゃない。嬉しいんだ」
慌てて頭を下げる俺に、芳川会長は笑いながらそう頭を上げさせてくる。
目が合い、なんとなく気恥ずかしくなった。
頬を引き締め、きゅっと唇を一の字に結んだ芳川会長だったがすぐにその頬は緩み、笑みが浮かぶ。
「このままでは、またあいつらに言われてしまうな」
「俺は、芳川会長の笑った顔好きです」
苦笑いをする芳川会長に、つい我慢できなくなった俺はそう応えた。
自分の口から咄嗟に出た言葉に自分で恥ずかしくなってくる。
それは芳川会長も同じなようだ。
「君は……」
呆れたようにキョトンと目を丸くさせる芳川会長は、慌てて自分の口許を押さえ目を逸らした。
僅かに赤くなる頬に、見てる俺まで恥ずかしくなってくる。
「誰にでもそういうことを言っているのか」
「え、いや……違いますよ。会長だけです」
「俺だけか」
「……はい」
「そうか」
「……」
「……」
妙な沈黙が流れる。
気まずい、という気持ちよりも寧ろ気恥ずかしい気持ちの方が大きかった。
顔を赤くする芳川会長は、ちらりと俺に目を向ければわざとらしく咳払いをする。
「それなら、これからも俺をデレデレさせてくれるか?」
「えっ?」
「き、聞き返さないでくれ」
恥ずかしそうにそんなことを尋ねてくる芳川会長に目を丸くする俺。
反応が悪い俺に、芳川会長は益々恥ずかしそうな顔をした。
……デレデレってことは、つまり。
「会長がよければ、その、ええと、あの……ふつつかものですがよろしくお願いします」
どう返せばいいのかわからず、取り敢えず俺は頭に浮かんだ言葉を口にした。
目を丸くさせた芳川会長だったが、やがて朗らかに笑う。
「ああ、よろしく」
緩んだ顔を隠すように覆っていた手を離した芳川会長は、そう気恥ずかしそうにしながらもにこりと笑ってみせた。
後方の五味たちがいた辺りから「栫井が倒れたぞー!」と騒がしい声が聞こえてきたような気がしたが取り敢えず無視した。
おしまい
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