この人は頭になにか沸いてるのだろうか。
青褪め、動けなくなる俺に汚れた指先をそっと伸ばした縁はそのまま唇に触れる。
くちゅ、と小さな音を立てぬるりとしたそれが唇をなぞった時。


「えにし、せんぱ」

「……何遊んでんだ、てめぇ」


ふいに聞こえてきた、低く、吐き捨てるようなその声に全身が凍り付いた。
まさか、と恐る恐る声のする方に視線を向ければ、当たり前だがそこには阿賀松がいた。
絶対零度の冷め切ったその目と視線が絡み合い、全身から血の気が引くのが分かる。
そんな俺の気も知らず、阿賀松を振り返った縁は楽しそうで。


「お、ご主人サマご登場ー」
 
「なにふざけてんだ、てめぇ。それに触んなつっただろうがよ、なぁ」

「いいじゃん、別に。齋藤君が喉乾いたって言うから」

「だからってきたねえの突っ込むんじゃねえよ。そいつの口は俺専用だっつったろ」


突っ込むとか、口とか、聞こえてくる耳を塞ぎたくなるような単語の数々にどこから見られていたんだと俺は戦慄する。
少なくとも、縁に無理矢理咥えさせられていたときはいたのだろう。
その事実に、なんかもう生きた心地がしない。


「齋藤君はそう思ってなかったってことじゃん?ほら、あるよね意見の相違」

「あ?」


戯けた調子で続ける縁に釣られるようにして、怪訝そうに目を細めた阿賀松がこちらを睨む。
条件反射で身が竦んだ。
それでも、阿賀松は目を逸らしてくれなくて。
それどころか。


「お前は俺のだよな、ユウキ君」

「え」

「独り占めはよくないよー、齋藤君はみんなの物だよねえ?」

「え、え」


右手に不機嫌まっしぐらな阿賀松、左手にはこの状況を楽しんでる縁。
究極の選択ってどころじゃない。


「この色ボケ野郎にさっさと宣言してやれ」

「まさか、このまま一生伊織の玩具でいいの?齋藤君」


左右からの言葉に俺はなんだかますます混乱してしまう。
というか、どちらに頷いてもろくなことにならない気がしてならないわけだけども。
せめて足が拘束されていなかったら俺は逃げ出していただろう。しかし、今下手に逃げ出したところで捕まってしまうのは目に見えている。
こうなったら、二人の機嫌を損なわないよう、穏便に済ませるしかない。
ぐっと固唾を飲み、俺はゆっくりと二人に目を向けた。しかし、あまりにも阿賀松の顔が怖かったので慌てて俯いた。

そして、 


「っ、お、俺は、その……誰のものでもないっていうか、あの、人間に対して所有権はないと思います……」


二人の機嫌を伺い過ぎたあまりたどたどしくなってしまったが、ちゃんと邪魔をされずにいうことはできた。
よし、言ってやった!言ってやったぞ!と達成感を覚えつつ、そのまま顔を上げた時、完璧無表情の二人に堪らず「ひっ」と悲鳴を漏らす。

あれ、俺、変なこと言ってないよな……?

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