「和真ってさ、あれじゃん?なんつーかいつもクール?っていうか顔変わんないよな」

 食堂にて。
 栫井と十勝と共に夕食を食べに来ていた俺は、もぐもぐと口を動かしながらそんなことを言い出す十勝に目を向ける。

「あれはそーいうもんだろ」

 いつの間にかにペロリと皿一枚を平らげていた栫井は、言いながら水の入ったグラスに口をつける。
 興味なさそうに続ける栫井に、十勝は「まあそうだけどさあ」となんとなく歯切れの悪い返事を返した。

「和真の怒った顔とか笑ってる顔とか見たくね?」

「なあ佑樹」思い付いたようにそう俺に話を振ってくる十勝。
 ただならぬ嫌な予感を感じ、「俺は、別に」と濁すような返事をする。

「無理だろ。あいつ仮面だし」
「だからぁーそうじゃない和真を見たいねーって話してんだろうが」
「見てどうすんだよ。そんな暇あんなら勉強しろ、馬鹿が」

 煽る栫井に煽られる十勝。
 鼻で笑い適当にあしらう栫井に、十勝はむっと不愉快そうに顔を強張らせる。
「んだと、馬鹿って言った方が馬鹿なんだよ!ばーか!」そう栫井を怒鳴りつける十勝は、ふんとそっぽ向いた。
 言い方はあれにしろ、俺は栫井の言っていることは正論に聞こえる。
 思いながら、俺は一発触発な二人に関わらないよう視線を外し食事を再開させた。

「無理かどうかはやってみなきゃわかんねえよな。な!」

 俺の隣に座っていた十勝は、言いながら俺の肩に腕を回してくる。
 なにを企んでるんだ、こいつは。
 絡んでくる十勝に嫌な予感しか感じなかった俺は、「え?」と顔を引きつらせる。

「栫井、賭けようぜ。いまから和真にドッキリしかけて和真が少しでも驚いたら俺の勝ち、いつも通りだったらお前の勝ちだ!」

 戸惑う俺を他所に、正面に腰を下ろした栫井に向かってビシッと指を指した十勝はやけに生き生きとした顔でとんでもない提案をした。
 いきなり指を指された栫井は少しだけ嫌そうな顔をするが、すぐに口許に笑みを浮かべる。

「へえ、面白そうだな。お前はなに賭けるんだ?」
「あ?俺?」

 どうやら十勝はなにも考えていなかったようだ。
「えーっと、そうだなぁ」と考え込む十勝に、栫井は呆れたように溜め息をつく。
「先に考えてから言えよ」そう面倒臭そうに呟く栫井の言葉は十勝の耳には届かなかったようだ。

「じゃあ、俺は○○校の女子の連絡先を賭ける!」

 いいのか、それは。
 変わらないテンションで続ける十勝に、俺は突っ込まずにはいられなかった。

「ならそれプラスお前の親衛隊俺に貸せよ」
「は、はあ?プラスってなんだよ、駄目に決まってんだろ!」

 追加条件を出してくる栫井に十勝は呆れたような顔をして慌てて反対した。
 連絡先はいいが、人の貸し借りは駄目ということらしい。
 自分の親衛隊を庇おうとする十勝に内心俺は感動する。

「じゃあその代わり、俺が負けたら一ヶ月分の課題全部やってやるよ」

 渋る十勝に、栫井は手に持っていたグラスをテーブルに置いた。
「……ぐっ」その言葉に十勝は唇を噛み、そう悔しそうに顔をしかめる。
 おいどうした。さっきの勢いはどうした。
 甘い栫井の誘いに早速惑わされている十勝に俺はまさかと冷や汗を滲ませる。

「ま、まあどうせ勝つのは俺だからな。いいぜ、好きにしろよ」
「十勝君……」

 前言撤回。呆れたように白い目で十勝を見据えれば、十勝は「なんだよ、そんな目で俺を見んなよ!」と声をあげる。
 どうやら自覚はあるようだ。

「後になって吠え面かくなよ」

 そう小さく笑う栫井はどこぞの悪役のような顔をして続ける。
 灘のポーカーフェイスのことについて話していただけのはずなのにやけに話がでかくなってしまった。
 ぎりぎりと十勝に肩を掴まれながら、俺は○○校女子の皆さんと十勝の親衛隊の方々に同情せずにはいられなかった。


 ◆ ◆ ◆


 場所は変わって生徒会室。

「ってことで、頑張れ佑樹!」
「いや、なんで俺が……」

 十勝から灘に仕掛けるドッキリの説明を聞かされた俺は、呆れたような顔をして十勝を見る。
「俺らだとすぐバレるから無理なんだよ、な!頼む!」言いながら手を合わせる十勝は、「俺の課題がかかってるんだ!」とやけに切羽詰まった表情で迫ってきた。

「でも、流石にこれは……」

 先程十勝に聞かされた内容を思いだし、俺は冷や汗を滲ませる。

 十勝が考えたドッキリはこうだ。
 灘を押し倒してキスをねだれ。
 よっぽど栫井に課題をやらせたいのか、かなりの強行手段を使おうとする十勝に俺はキリキリと痛み出す胃を押さえる。
 こんなこと同性相手にされりゃ、誰だって驚くはずだ。それほど十勝が必死だということはわかったが、なんで俺がやらなきゃいけないかがわからない。
 とばっちりもいいところだ。

「なにモタモタしてんだよ、なんならお前が親衛隊の代わりになるか?」

 十勝にすがられ渋る俺を遠巻きに見ていた栫井は、ビデオカメラを片手にイラついたような顔をする。
 代わり?代わりってなんだ。
 なにをさせられるのかわからなかったが、どちらにせよいい予感はしない。

「って、なんでカメラ……」
「ちゃんと撮らなきゃ判断しようがないだろ」
「いや、まあそうだけど」

 いくらドッキリとはいえ、これから自分がやらされることを考えたら記録されるということはかなり恥ずかしい。

「ならいいだろ。ほら、十勝俺たちも隠れるぞ」
「佑樹、俺のために頑張ってくれ!」

 栫井に引っ張られるようにして仮眠室へと入っていく十勝は、言いながらぶんぶんと手を振ってくる。
 確かに、ここまで来たら(十勝は置いといて)見知らぬ○○校女子と十勝親衛隊を見殺しにするわけにはいかない。
 けど流石に強引すぎないか。
 最後までまともに反論させて貰えなかった俺は、ずるずると仮眠室へ引っ込む二人を目で追いながら俺はどうすればいいのか混乱する。

「今から灘が来る。精々灘を困らせてやれ」

 閉まる仮眠室の扉からどこか楽しそうな栫井の声が聞こえてくる。
 くそ、他人事だと思って。
 これから来る灘を待つため、取り敢えず俺はソファーに腰を下ろした。
 あまりの緊張に生きてる心地がしない。


 ◆ ◆ ◆


 暫くもしないうちにターゲット、もとい灘は生徒会室へやってきた。

「具合が悪いそうですが、大丈夫ですか?」

 十勝曰く俺が生徒会室で具合を悪くしたという設定らしい。
 予めそのことを聞かされていた俺は今更驚くわけでもなく、小さく頷いた。
 大体なんで生徒会室で具合を悪くするんだとか突っ込みたいところだが、今は灘の相手を優先させることにする。

「他の二人は」
「二人は、その……トイレに」
「トイレですか。齋籐君は保健室には」
「……行ってないです」
「二人は行けと言わなかったんですか?」
「あの、先生が出張中だったんで……入れなくて」

 灘の鋭い問い掛けに対ししどろもどろと答える俺。
 僅かに開いた仮眠室の扉からハラハラとした顔でこちらを覗いてくる十勝と栫井が見えた。
 バレてない、よな。
 相変わらず読めない灘の表情からそれを察することは難しく、俺は内心緊張しながらも灘を伺う。

「そうですか」

 特にそれ以上なにを聞くわけでもなく、灘は「ちょっと失礼します」と呟き俺の顔に手を伸ばす。
 いきなり前髪を掻き上げられびっくりした俺は、目の前の灘を見上げた。
 どうやら体温を計っているようだ。

「熱はないようですが」

 ぺたぺたと額を触れる灘に俺は緊張のあまりに硬直する。
 あまり他人に触られることに慣れていない俺は、その気恥ずかしさにじわじわと顔が熱くなるのを感じた。
 額から手を離した灘は、そのまま首元に手を下ろし顔の付け根に手の甲を当てる。
 ひやりとした灘の手に、俺は僅かに肩を震わせた。

「先程より熱くなりましたね」
「ご……ごめん」

 指摘され、あまりの気恥ずかしさに俺は灘の顔が見れなくなる。
 異様に意識しているせいで全身の体温が上がっているのだろう。
 不意に視線を泳がせれば、仮眠室の二人が『今だ!』と視線で促してくる。
 本当に、他人事だと思って。

「き……キス、してくれたら治るかも」

 視線を外した俺は、そう二人に促されるがまま小さく呟いた。
 あーもうだめだ、死にそう。恥ずかしすぎて死にそう。
 仮眠室の二人が声を殺して笑っているのが目に浮かび、俺はもうどうにでもなれとやけくそになる。
 ドッキリなら早くネタばらししてくれ。
 思いながら灘に目を向けようとした瞬間、視界が暗くなった。
 唇に柔らかい感触が触れ、思考回路が停止する。
 至近距離にある灘の顔に、心臓が爆発しそうになった。

「治りましたか?」

 俺から顔を離した灘は、そういつも通りのポーカーフェイスで尋ねてくる。
「……いや」バクバクと煩く鳴る鼓動が更に大きくなったような気がした。
 そう呟きながら首を横に振れば、灘は無表情のまま「でしょうね」と呟く。

 なんだ今の。
 あまりにも自然だったからつい流されそうになったが、キスされなかったか俺。
 灘を驚かすつもりが逆にこっちが取り乱しそうになり、俺は唇を手で押さえたままなんだかもう耳が熱い。やばい。

「やはり、念のため病院にいかれてはいかがでしょうか。養護教諭がいないなら尚更、後になって大事になるなんてことになると大変ですし」

 なんでもなかったかのように涼しい顔でそう続ける灘は、ソファーから離れそのまま生徒会室に取り付けられたインターホンに近付く。
 確かにもう大事になっている、俺が。

「齋籐君」

 灘にキスされたということに衝撃を受けた俺は放心し、ぼんやりと床を眺めていると不意に灘に声をかけられる。
「えっ、あ、はい!」慌てて姿勢を直せば、受話器を手にした灘は感情のない目で俺を見た。

「養護教諭が保健室にいるそうです」


 ◆ ◆ ◆


 それから、俺は灘に保健室へと連れていかれた。
 言わずもがな、俺が仮病だったことも保健室に訪れていないことも灘にバレた。
 それでも灘は怒るわけでもなく、「なんでもなくてよかったですね」と無表情のまま俺に声をかける。
 感情が読み取れない分尚更恐ろしかった。
 そして、極めつけはこれだ。

「よ、よお和真!佑樹と仲良くお散歩か!」

 保健室へと移動した俺たちを後ろからつけていた十勝と栫井と鉢合わせになったのだ。
 というより、気配を感じたのか不意に振り返った灘が二人を見つけたといった方が正確なのかもしれない。

「そのカメラは?」
「新入生歓迎会の学校紹介の動画製作に使おうかと」
「へえ、こんな時期に?初めて聞きました、貸してください」
「え……いやでも」
「貸してください」

 無表情のままカメラを差し出すよう要求してくる灘に、流石の栫井もたじたじになっていた。
 半ば強引に栫井にカメラを差し出させた灘は、一通り録画された映像を見てそれを栫井に返す。

「ああ、なるほど。栫井君は俺を新入生に紹介するつもりですか」

 その際に出た灘の一言に、俺たち全員は心臓を握り潰されたように硬直した。
 最初から最後まで録画された動画を見ても尚、深く追求してこない灘に安堵を通り越して恐怖と不安しか覚えなかった。

 後日、生徒会用のビデオカメラを使って遊んだことで芳川会長からこってりと叱られるはめになるのは言うまでもない。
 この事を得て俺が学んだことは、普通に怒鳴られ叱られるよりもなにも言われないことの方が恐ろしいということと、無表情の中にも表情があるということだった。
 あのときの冷えきった灘の無表情は、恐らく俺の記憶から一生離れないだろう。


 おしまい


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