「なんでそんな……ダメだって、手離して」

「齋籐」


真剣な声音で名前を呼ばれ、取り乱していた俺はびくりと肩を震わせ志摩を見上げた。


「あの人、絶対おかしいよ。この電話の量。わざわざ齋籐が出る必要ないって」

「でも、会長が……」

「齋籐が律儀に一々馬鹿丁寧に対応するから向こうも調子に乗るんじゃないの。それじゃあその内数分置きに掛かってくるようになるよ」


『絶対』と強調するように続ける志摩の言葉に俺はピタリと動きを止めた。
なんで志摩が芳川会長から電話が頻繁に掛かってきているのを知っているのか気になったが、今の俺にとっては些細な問題だった。

俺が押し黙り、しんと静まり返った室内に小さなバイブ音が響く。


「……それじゃあ、どうしたら」


真面目な顔をした志摩に指摘され、それを聞いた俺は恐る恐る志摩に聞き返した。
落ち着きを取り戻す俺に、志摩は安心したように頬を緩ませる。
そして、いつもと変わらない笑みを浮かべた。


「無視すればいいんだよ」


そう、ただ一言。
志摩はなんでもないように続ける。


「無視なんて、そんな」

「別にガン無視じゃなくていいんだよ。充電が切れてたとか適当に理由付ければきっと向こうも懲りるはずだからさ、ね?齋籐が無理して出る必要ないんだよ」

「……でも、いいのかな」

「大丈夫だよ、会長だってそんくらいで怒る程器小さくないんでしょ?」


優しく諭すような口調で笑いかけられ、俺は小さく頷いた。
そんな俺に対し志摩は「なら大丈夫だよ」と目を細め、唇の両端を持ち上げる。


「なんか言われても適当に謝っとけばいいって」

「……そうかな」

「そうだよ」


そうキッパリと告げる志摩に僅かに目を丸くした俺は、おずおずとうつ向き「わかった」と頷いた。
志摩は嬉しそうに笑い、いつの間にかに芳川会長からの電話は止んでいた。

第三者である志摩に言われ、なんだか胸のつっかえが取れたような気分だった。
自分でも心のどこかに芳川会長からの電話には違和感を覚えていたのだろう。
会長に対する申し訳なさはあったが、志摩の言う通り別に無視をするわけではない。
あの後すぐに特別教室を後にした俺は志摩と別れ、芳川会長が待っているはずの教室まで戻った。

しかし、そこには芳川会長の姿はなかった。





後から携帯に入ったメールによれば、先程の芳川会長からの電話は役員会議で迎えに行けないということだったようだ。
てっきり電話に出ない俺に愛想尽かしたか心配したかした芳川会長がどっかに行ったんじゃなかろうかと心配していた俺はそのメールに酷くホッとする。

そして、夜。
一人でテレビを見て時間を潰していると、玄関の扉が数回ノックされた。
ベッドでごろごろ寛いでいた俺は慌てて起き上がり、訪問者がやってきた玄関へと向かう。
慌てて扉を開けば、そこには芳川会長が立っていた。


「か、会長……」

「……もしかして邪魔したか?」


俺の反応が悪いのが気になったようだ。
芳川会長は俺を見て不安そうに尋ねてくる。
そんな芳川会長に対し、俺は「いえ、丁度暇してたところです」と首を横に振った。


「そうか、ならよかった。ところで、上がってもいいか?」

「あ、どうぞ。……少し散らかってますけど」


遠慮がちに続ける俺に、芳川会長は「そのくらい構わない」と短く答える。
もしかしたら電話のことで気を悪くしているかもしれないと構えていたが、芳川会長がそんな素振りを見せることはなかった。
内心ほっと胸を撫で下ろす俺は、そのまま芳川会長を部屋に上げる。





「そう言えば、さっき電話に出なかったな」


学生寮、自室にて。
芳川会長の手前に置いてあるテーブルの上にグラスを置こうとしていた俺はその一言に硬直する。
正面、ソファーに腰をかける芳川会長は「なんか用でもあったのか」と尋ねてきた。
念のため構えてはいたが、やはり実際言われるのとは違う。
胸の鼓動が速くなるのを感じながら俺は「えっと」と口ごもった。


「……先生の手伝いをしていたので手が離せなくて。すみません、折り返し掛け直そうとしたんですが会長からメールが届いたので連絡は控えさせていただきました」


嘘は言っていない筈だ。
着信無視が故意だということを除けば、だが。
グラスから手を離した俺は「どうぞ」と呟き手を離す。
内心ドキドキしながら目の前の芳川会長にちらりと目を向けた。



「そうか。それなら仕方ないな」


芳川会長の態度はいつもと変わらないそれだった。
特に勘繰るわけでもなくなんでもないようにサラリと流す芳川会長にほっと胸を撫で下ろす。

その日、これ以上芳川会長がこの話題について触れることはなかった。
それから俺たちは他愛ない会話を交わし、共に長い時間を共有する。
言ってからはもう、芳川会長に対して感じていた後ろめたさは感じなかった。
無理して電話に対応しなくてもなにも言われないということがわかり、ただ俺はほっとする。

明日、志摩にお礼を言おう。
これ以上気負いする必要がなくなった俺は、そう意気込むくらい晴れやかな気分だった。






「志摩!」

「わ、どうしたの齋籐。朝から元気だね」


翌日。
教室に入るなり志摩の席まで向かう俺に志摩は驚いたように目を丸くし、そして笑う。


「いや、昨日相談に乗ってくれてありがとうって言い忘れてたの思い出して……改めて、ありがとう。助かった」


そう顔を綻ばせる俺に、口許を弛めた志摩は「相談ねぇ」と小さく呟いた。
そして、すぐに先程までと変わらない笑みを浮かべる。


「まあ、齋籐が喜んでくれるならよかったよ」

「うん、ありがとう」

「どういたしまして。お礼ならなんでも貰うよ」


そう茶化す志摩に俺はつられて笑った。

丁度そのときだ。
制服の中の携帯電話がブルブルと震え出す。

……まただ。
携帯のバイブレーションにピクリと反応する俺に志摩もなにか気付いたようだ。


「……齋籐」


どうやら俺の反応を伺っているようだ。
そうなにか言いたそうに見詰めてくる志摩に、慌てて笑みを浮かべた俺は「大丈夫」と口を動かす。


「電話は後で掛け直すから」


「それに、今は志摩と話してるし」笑って続ける俺の言葉に志摩は意外そうな顔をして、そして「それがいいよ」と微笑んだ。

そう口では言ったものの、やはり制服の中で震える携帯が気になって仕方なかった。
暫くの間続いていた震えが止まったとき、こっそり俺は携帯電話の電源を切る。

会長と一緒にいるのも話すのも楽しいが、俺にもプライベートの時間がある。
だから、ごめんなさい会長。
そう頭の中で言い訳染みた言葉を並べながら、俺は志摩との雑談を楽しむことにした。





それから暫く、芳川会長の電話を無視し続けた。
勿論会ったときや放課後は一緒に過ごすし、無視したのは電話だけだ。
直接会う度に会長に電話の聞かれたが、志摩に言われた通り無難な返事をしてかわすのが日課になり、やがて時間が経てば経つほど芳川会長は強く言わなくなる。
俺も芳川会長と付き合う前のように携帯電話を持ち歩かなくなった。
それでも俺たちの仲は気まずくなることもなく、寧ろ順風満帆だった。





「そう言えば、最近齋籐の携帯鳴らなくなったね」


移動教室の帰り。
静かな廊下を歩いていた俺は、隣を歩く志摩に目を向けた。
恐らく、会長からの電話のことを言っているのだろう。
話し掛けられ、俺は「ああ」と思い出したように声を上げた。


「携帯ならもう持ち歩いてないよ。やっぱり、俺には合わなかったみたいだし」

「持ち歩いてないの?」


俺の言葉に驚いたように目を丸くした志摩はそう確認するように聞き返してくる。
「うん」と頷き返せば、志摩は「ふうん」と口許を弛ませた。


「齋籐も結構酷いことするんだね。会長かわいそ」


笑う志摩は、寧ろどこか嬉しそうな顔をして俺に目を向けた。
どういう意味だろうか。
自分からそうするよう促してきたのに、まるで揶揄するようなその志摩の言葉に俺は僅かに顔を強張らせる。


「心配してるやつをガン無視だなんて、えぐいなあ」

「それって、どういう……」

「どういう意味だって?そのまんまだよ、齋籐。会長がなんのために馬鹿みたいに電話かけてきたか考えてみなよ」


「正解は、齋籐を俺みたいなやつと近付けないため」ね、簡単でしょ。
そう志摩は笑う。
あまりにも饒舌な志摩の言葉に未だ頭がついていけなかったが、ただ一つ、まんまと志摩の口車に乗せられたことだけは理解出来た。


「ごめん、意味がわからない」

「本当に?ここまで言わせておいてすっとぼけるなんて齋籐も性格悪いなあ」


そう残念そうに笑いながら肩を竦める志摩は言いながら俺の腕を掴み、そのまま俺は無理矢理顔を向けさせられる。


「でも、いいよ。わからないならすぐにわからせるだけだから」


そう志摩はいつもと変わらない笑みを浮かべた。
嫌な予感を感じた俺は咄嗟に志摩の手を振り払うが、すぐに肩を掴まれ壁に押し付けられる。
「っ」背中に固くひんやりと感触が当たり、慌てて離れようとするが上半身全体を押さえ付けられたお陰で動けない。
両肩を壁に押し付けられ、とうとう身動きが取れなくなる。


「離し……ッ」


志摩の腕を掴み離そうとすれば、キスをされそうになって慌てて顔を逸らした。
こんなことなら、ちゃんと携帯電話持ってこればよかった。
今さら後悔しても遅いとわかっていたが、そう思わずにはいられなかった。
唇同士が触れそうになり、慌てて顔を背ければそのまま口許に口付けをされる。
俺は現実から目を背けるように目を細めた。

そのときだ。


「こんなところで盛るとはあまり賢い判断とは思えないな。人目に付かない場所を選ぶという配慮はないのか」


正面、志摩の背後から聞き慣れた声が聞こえてくる。
目を瞑っていた俺は聞こえてきたその声に目を見開いた。

いつの間にか志摩の背後に立っていた芳川会長に、俺は自然と全身が強張るのがわかる。
いつからいたのだろうか。
現れた愛しい人の姿に驚き青ざめる俺とは対照的に、背後に目を向けた志摩は俺から顔を離し舌打ちをした。


「どうした。もう止めるのか。それとも俺がいるから恥ずかしがっているのか?別に好きなだけ好きなことしてくれてもいいんだぞ」


止めるわけでもなく、それ以前に手を出せと煽るような真似をする芳川会長に俺は頭を殴られたようなショックを受ける。
呆然と芳川会長を見詰めるが、芳川会長は一切こちらに目を向けない。
その代わり、挑発的な笑みを浮かべていた芳川会長はふと表情を消した。


「その代わり、これ以上は最低でも退学を覚悟してもらうことになるが勿論構わないな」





「本当にすみませんでした」

「ああ、もっと反省をしてくれ」


場所は変わって生徒会室。
芳川会長の脅迫にばつを悪くした志摩が俺を解放し、そのまま俺はここへ連れてこられた。
目の前には大きな椅子に腰を下ろす芳川会長。
テーブルを挟むように立たされた俺は恐ろしくて顔を上げることが出来なかった。


「今回はまだ俺が見付けたからよかったものの、誰も通らなかったらどうするつもりだったんだ」

「……反省します」

「反省もいいけど、改善するよう心掛けてくれ」

「……はい」


しゅんと頷く俺を一瞥した芳川会長は長い溜め息を吐き、背凭れに体を埋めた。
「本当、君を見てるとこっちの寿命まで縮みそうだ」そう小さく呟く芳川会長に、聞き取れなかった俺は「なにがですか?」と聞き返す。


「別に。君から目を離すことができないと言っただけだ」

「……俺、ですか」


目を丸くする俺に芳川会長は「ああ」とだけ頷いた。


「君は少し社会勉強をした方がいいな」


「それまで、責任取って俺が面倒を見てやろう」目を白黒させる俺に芳川はそう言って小さく笑った。


おしまい

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