「齋籐君、どうだ最近。そろそろ此処にも慣れてきたか?」


学園内、生徒会室にて。
ソファーで他の役員たちと雑談を交わしていると、作業を終えた芳川会長はそう声をかけてきた。
此処、というのは恐らくこの学園のことだろう。
いきなり話し掛けられ少し緊張した俺は「あ、はい」と慌てて頷いた。


「なにか困ったことがあったらなんでも言ってくれていいんだからな」

「えっと、あの、今のところは大丈夫です」


「……ありがとうございます」芳川会長から視線を外した俺はそう慌てて俯き、呟いた。
そんな俺に対し、芳川会長は「ならいいが、あまり無理はするなよ」と少しだけ心配そうな顔をする。


「……会長ー、それ何回目っすか。会長は心配し過ぎなんですよ、佑樹だって子供じゃないんだし」


そんな俺たちのやり取りを見ていた十勝は呆れたように続ける。
周りにいた役員たちは「なにを言い出すんだこいつは」と言いたそうな顔をして十勝を見た。
その一言に芳川会長の眉間がピクリと反応する。


「わからないな、お前は。齋籐君は俺たちとは違って転校生なんだから在校生である俺たちが率先して逸早くこの学園で快適な生活を送れるような環境を整えなければならないのは当たり前のことだろう。なんだその、人をバカみたいに言うのはやめてくれないか」


矢継ぎ早に続ける芳川会長に「また始まった」と五味が小さく溜め息を吐く。
そんな芳川会長の話を聞いていたのか聞いていなかったのか、恐らく後者の十勝は俺に笑いかけてきた。


「別に会長がそんなに心配しなくてもなんかあったら俺がサポートするから大丈夫だって、なー佑樹」


隣に腰を下ろした十勝はそうヘラヘラ笑いながら問い掛けてくる。
そっちの方が心配だ。
と思いかけ、十勝なりに俺のことを気遣ってくれていると悟った俺は慌てて思考を振り払った。
そして、問い掛けに答えるよう頷き返す。


「あの、本当俺は大丈夫なんで。でも、その……会長に心配してもらえただけでも十分嬉しいです」

「齋籐君……」


言って、なんだか恥ずかしくなってきた。
誤魔化すように笑えば、芳川会長は先程まで強張らせていた頬を弛ませる。


「あれ、うそ俺にはないの?俺も心配してんのにい」

「え?いや、十勝君もありがとう。本当、助かるよ」

「うわ、まじ?やったー!もっと言ってくれてもいいんだからな」


茶化すようにそんなことを言ってくる十勝は俺の言葉を聞き、そしていきなり抱き着かれた。
「ちょっと、重いって」少しは驚いたが、元々十勝がスキンシップが多い方だと知っていたので俺は笑って流すことにする。


「ほら、十勝く……」


ふと、自分に向けられた強い視線に気付いた俺はちらりとそっちに目を向け、凍り付く。

無言でこちらを見詰める芳川会長は静かに眼鏡を指で上げた。
やばい、なんか怒ってる。
はしゃいでふざけてくる十勝と周囲の温度差が凄まじいことに気付き、自然と全身に冷や汗を滲んだ。
五味は見て見ぬフリをしてノートパソコンを開いていた。
そして、会長に目を向け「ひっ」と顔を青くした十勝が大人しく俺から離れるのに然程時間はかからなかった。





「君は、随分十勝と仲がいいようだな」


場所は変わって学生寮、芳川会長の部屋。

ソファーに腰をかけた芳川会長は、その隣に座る俺を横目に見た。
「いえ、その」いつもと変わらない口調だったがどこか刺々しい芳川会長の声に、俺はギクリと肩を強張らせる。


「十勝君には色々助けてもらってますけど、その……それだけです。本当に、他意はないんです」


そう視線を泳がせしどろもどろと続ける俺に、芳川会長は「ほう」と呟いた。
向けられた鋭い視線は変わらない。


「君があいつによくしてもらっているのはわかったが、少しベタベタし過ぎじゃないか?」

「いや、まあまだましな方だと思いますけど……」

「……それは、君の周りにましじゃないやつがいると受け取ってもいいのか」

「え?」


どうやら自ら墓穴を掘ってしまったようだ。
揚げ足を取られ、目を丸くした俺は慌てて首を横に振る。


「いえ、その、違います。テレビの話です。……すみません、言葉が足りてませんでした」


そう顔を青くし、しどろもどろと続ける俺。
芳川会長の無言のプレッシャーがかなりキツい。
「……ごめんなさい」やがて、冷ややかな視線に耐えられなくなった俺は項垂れるように呟く。


「……そんな顔をしないでくれ」


そして、凹む俺に対し芳川会長は困ったような顔をした。
軽く頭を撫でられ、少しビックリした俺は恐る恐る芳川会長に目を向ける。


「俺も見苦しかったな、すまない。別に君に謝罪を求めているわけではないんだ」

「……会長」

「しかし、金輪際あのような真似はやめていただきたい。……正直、見てて腸が煮え繰り返りそうだったよ」


「君は俺に嫉妬させたいのか?」そう口許に笑みを浮かべる芳川会長は、言いながら俺の頭部から手を離す。
遠巻きに、嫉妬したと言っているのだろう。
分かりやすいくらい引きつったその造り笑いの裏から垣間見える嫉妬心に、俺は戸惑う反面胸がぎゅっと締まった。
本気で嫉妬してくれたのか。
あまり芳川会長を困らせたくはなかったが、その事に嬉しくなったのも事実で。
つい俺は頬を弛めた。


「……すみません、気を付けます」

「ああ、そうしてくれ」


「俺のためにもな」そう頷く俺に、芳川会長は満足したのかいつも通り優しい笑みを浮かべる。
そして、そのまま芳川会長は軽く俺の髪に口付けをした。
擽ったく柔らかい感触に自然と顔が赤くなる。
「はい」頬を弛ませた俺はそう小さく頷き、芳川会長の腕に触れた。





数日後。


「じゃあ、また後でな」

「はい、わざわざありがとうございました」


いつものように教室まで会長に送ってもらった俺はそう言って芳川会長と別れた。
全身に突き刺さる周りの視線が痛かったが、それも慣れた。
一人教室前に取り残された俺は芳川会長の後ろ姿が見えなくなるまで見送り、そして教室に戻る。

芳川会長と本当に付き合い始めて数日。
最初は付き合うというものがわからず緊張したが、俺は今までと変わらない生活を送っていた。
ただ一つ変わったことをあげるならば、芳川会長の心配性が磨きかかったことだろう。
芳川会長は意外と嫉妬深いらしく、数日前のようにそういう趣味がないとわかっている十勝相手にまで反応するくらい敏感だった。
まあ、結局は心配かけるような態度を取る自分がわるいのだろうが。
まだ今の芳川会長に平常心があるからいいが、日に日に芳川会長の束縛がキツくなるのがわかった。
それだけ愛されているのだろうと嬉しくなる反面、たまに窮屈で堪らなくなる。
とにかく、あまり芳川会長に迷惑をかけないようにしよう。

そう一人頷き、俺は教室に入った。





「齋籐、最近元気ないよね」

「……え?」

「なんかずっとぼんやりしてるよ。なんかあった?」

「……いや、特に」


休み時間、学園内教室にて。
特になにも考えずに椅子に座っていたのがまずかったのだろうか。
心配そうに尋ねてくる志摩に慌てて笑みを浮かべた俺はそう答える。


「ならいいんだけど、授業中ずっと上の空だったでしょ」

「ちょっと考え事してて……」

「考え事?」


芳川会長の顔を思い出しながら、俺がそう続ければ志摩が食い付いてきた。


「なんかあったの?俺でよかったら相談に乗るけど」

「えっ?いいよ、そんな……大したことじゃないし」


第一、芳川会長とのことを第三者である志摩に相談することはできない。
慌てて断る俺に、志摩は「そう?」と首を傾げた。


「別に遠慮しなくていいんだからね」


そう心配そうに続ける志摩に、「遠慮じゃないよ」と答えようとしたときだった。
制服の中に入れていた携帯電話がブルブルと震え出す。
「あ、ちょっとごめん」志摩に断りを入れ、慌てて俺は携帯電話を取り出した。
ディスプレイには芳川会長の名前が表示されている。
どうやら芳川会長から電話がかかってきたようだ。


「……どうしたの?」

「いや、ちょっと電話が……」

「電話?また?最近齋籐多いよね、電話」

「うん、ごめん。ちょっと出てくるね」


そう携帯を握り締め席を立つ俺に、志摩は「次の授業までには帰ってきなよ」と笑顔で手を振ってくる。
それに小さく振り返し、俺は志摩に見送られながら教室を後にした。





芳川会長と正式に付き合うことになり、お互いの連絡先を交換した日から頻繁に会長から電話がかかってくることが多くなった。
それ自体は嬉しかったが、問題は会長から電話が掛かってくるタイミングだった。
いつも俺が人と話しているときに芳川会長から電話がかかってきて、相手が相手なだけにどうしても会話を中断しなきゃいけなくなるのが煩わしく感じないと言えば嘘になる。
まるで影からタイミングを狙ってるのかと疑いたくなるくらいの間の悪さにはつくづく俺も呆れさせられた。

電話の内容も内容だ。
「特に用はないが」から始まって「交友関係を深めるのはいいが、あまり学業に支障をもたらさない程度にしろ」で終わる芳川会長の電話には、なんだか母親に似た煩わしさを感じた。

そして今、昼御飯を一緒に食べる約束となにが食べたいかについて話し終えた俺は芳川会長との通話を終え、小さく溜め息を吐く。
会長なりに気遣ってくれているのにこんなこと考えちゃダメだとはわかっているが、正直このタイミングの悪さはどうにかならないのだろうか。
でもそんなこと言っても会長だって俺の様子がわからないんだから気を付けろって言ったってどうしようもないよな。
なんて一人悶々と考えながら、俺は午前最後の授業を受けるために教室へ戻る。

それでもやっぱり芳川会長との昼食は楽しみで仕方なかった。





数日後。
いつものように会長のノックで目を覚まし、会長に手伝って貰いながら準備を済ませ、そして食堂で注文してデリバリーしてもらった朝食を食べて一緒に部屋を出る。
そのまま教室まで送ってもらい、そこで芳川会長と別れた。
それから授業が始まり、途中何度も芳川会長からの着信を受けながらも学園生活を送る。
ここまではいつもと変わらない。
そう、いつもと変わらなかったんだ。


放課後、特別教室にて。
教師に頼まれ、俺と志摩は教材を持ち運ぶ。


「よいしょ、っと。流石にここまではキツかったかな」

「うん、でも志摩が手伝ってくれたお陰で楽だったよ。ありがとう」


空いた机の上に教材を乗せ、パンパンと手を払う志摩は「どういたしまして」と笑みを浮かべた。
教室から特別教室まで距離があったせいか少し遅くなったが、早歩きで戻ったら大丈夫だろう。
予め芳川会長にSHR終了時刻を伝えて迎えに来てもらう約束をしていることを思い出した俺は、ちらりと教室の壁にかかった時計に目を向けた。
丁度その時だ。
前触れもなく、制服の中の携帯電話が震え出す。
恐らくまた、芳川会長からだろう。
相変わらずタイミング悪いな、なんて思いながら制服のポケットに手を突っ込もうとしたとき、志摩に腕を掴まれた。


「……ちょっと、志摩」

「出なくていいよ」

「……え?」


いきなり手首を掴まれた俺はそう静かに続ける志摩に目を丸くする。
尚も着信が止まない携帯電話。
にも関わらず、無理矢理それに出ることを邪魔してくる志摩に俺は冷や汗を滲ませた。


「だから、出なくていいって言ったんだよ」


そう続ける志摩。
出なきゃいけないのに出すのを邪魔され、どこからともなくじんわりと焦燥感が滲み沸いてくる。


「え……?」


志摩がどういうつもりでいるかまるでわからず、混乱した俺はそう浮かべた笑みを引きつらせた。


「電話、会長からでしょ。出なくていいよ」



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