「十勝君が来れない?」

「ああ、なんか急用だと。……全く、言い出しっぺが来れないとはな」

「まーいいじゃねえの、たまにはこういうのも。会長もたまには息抜きしねーとな」

「お前が言うか、五味」

「……」


七時前、そう遠くはない神社前。
今日は、年に一度の夏祭りが開催されていた。たくさんの人で賑わう会場。
『たまには息抜きでもどうですか』という十勝の一言により、生徒会役員たちと夏祭りに来たのだが、その場には肝心の十勝の姿はない。

会長と五味はそんなことを言っていたが、あんなに楽しみにしていた十勝が来れないというのが気になった。
女の子にデートに誘われたのだろうか。……十勝のことだ、女の子を優先しそうな感じはある。

残念な気持ちはあるが、仕方ない。
俺は会長たちと出店を回ることにした。
会場で浴衣姿の女性を見かける度に、十勝なら声を掛けていただろうな、なんて考えてしまう。

夏祭りにこうして参加したのは初めてだった。
たくさんの人の海、皆と逸れないようにするのに精一杯だったが、段々慣れてくるとその空気すら祭の一部のように思え、楽しくなる。

それもあっという間だ。夜9時を回った辺りで催し物は終わり、遊びに来ていた家族連れは帰っていく。
祭囃子も聞こえなくなり、人々の雑踏とじわじわと熱が冷めていくような、そんな空気を肌で感じるようだった。


「そろそろ俺たちも戻るか」


散々色んな出店を周り、あらゆる甘味という甘味を制覇した会長はそう口を開いた。
屋台ももう閉まってる場所が多くなる。
これが後の祭りというものなのだろうか。一抹の寂しさを覚えながらも、俺は「あの」と口を開いた。


「俺、もう少し残っててもいいですか」


会長たちは先に帰ってもらった。
あれだけ人がいたというのに、あっという間に人気のなくなった会場、俺は、神社の前へとやってきていた。
せっかく来たのだ。ゆっくりと参拝しておきたかったのだ。

なんとなく、不思議な感覚だった。地に足がつかないような、まだ、熱の冷めないふわふわとした頭の中。
十勝も来てたら、もっと楽しめたのかもしれない。その可能性を考えてしまうのは悪いことなのだろうか。

……そろそろ帰るか。消灯時間に間に合わなくなってしまう。
そう思い、踵を返したときだった。


「……佑樹?」


声を掛けられ、ハッとする。
振り返れば、見覚えのある人がいて。


「っ、と、十勝……君……?」


疑問系だったのは、確信が持てなかったからだ。紅白の提灯だけが頼りの中、そこにいた人物は俺が知ってる十勝とは離れていた。
いつものように派手なアクセサリーも、髪も、化粧もしていない。けれど、こうやって俺の名前を呼ぶのは一人しかいない。


「……ああ、よく分かったな。俺って。……まだ残ってたのか、もう大分夜遅いぞ?残ってて大丈夫なのか?」

「……丁度、そろそろ帰ろうかなって思ってたんだ。それより、十勝君はどうしてここに……」

「……あー、会長たちから聞いたんだろ?俺のこと。ごめんな、急にドタキャンしちゃって」

「……それは別にいいんだけど……なんか、いつもとイメージ違うから……」

「……実はさ、なんか今回の祭りの運営が親戚だったみたいで、実家からこっちの手伝いしろって言われちゃってさ」

「……え?そ、そうだったの?」

「会場で佑樹達何度か見かけたんだけど、声掛けられなくてさ……悪かったな」


そう口にする十勝は、やっぱりいつものような元気はないように感じられた。
確かに残念に思ったのは確かだが、責めるつもりも毛頭ない。「謝らなくていいよ、気にしてないから」とフォローのつもりで口にするが、十勝は少しだけ寂しそうな顔をして、「そうか」と笑った。その表情を見て、あ、と思う。余計なこと言ったかなと。


「……あの、十勝君……」

「そうだ、佑樹、これ、手伝いのお礼にって一本もらったんだよ。口つけてねーから、よかったら飲めよ」


俺の言葉を遮り、十勝は一本のラムネ瓶を手渡してくる。たくさんの雫がついたそれはまだ冷たい。


「でも、十勝君がもらったんじゃ……」

「俺はいいんだよ。ほら、貰っとけって。早く飲まねーとぬるくなるぞー」

「わ、わかった……ありがとう、十勝君」


なんだか強引に押し付けられるような形になってしまったが、断れなかった。けれど、少しだけいつもの十勝に戻ったみたいでほっとする。
ラムネの口に嵌ったビー玉を親指で押す。カランと音を立て、それは呆気なく開いた。こういうの、飲むの初めてだ……。ドキドキしながら口をつければ、甘い、ラムネの味が口の中で広がり、弾ける。
瓶の中でビー玉が転がり、提灯に照らされ透き通ったそれはキラキラと反射して綺麗だった。
十勝はそれを眺めていた。なんとなく落ち着かなかったが、見ないで、というのもおかしな話のように思え、俺は視線を気付かないフリをしてラムネを流し込む。


「……十勝君って、髪型で印象変わるんだね」

「そうか?」

「……うん、なんか、別の人みたい……」


十勝は、俺の言葉に対して薄く笑うだけだった。そうだな、と口にする目はどこか遠くを見ていて、俺は、十勝を傷付けてしまったのではないかと思ったが、それを尋ねることはできなかった。
提灯の灯りすら消され、辺りに暗闇が広がる。
けれど、恐怖心も動揺もない。完全な静寂が辺りを包み込んだ。


「そろそろ帰るんだろ。……駅まで送るよ」

「……十勝君は?」

「今日は親戚のところに泊まる。明日も手伝いがあるから、多分学園には戻れないと思う」

「……そっか、分かった」

「……今夜俺に会ったこと、手伝いしてるっての、会長たちに言うなよ」

「……わかった。けど、どうして……?会長たち、ちゃんと話したら納得してくれると思うけど……」

「俺が嫌なんだよ、だせーだろ、こういうの」


俺はそういう風に思わない。寧ろ、立派だと思うけれど、十勝はそうでないという。
十勝には十勝なりの思惑があるのだろう。俺は頷いた。


「今日のことは、二人だけの秘密ってことで」


それ、口止め料な、とラムネ瓶を指差し十勝は笑う。
ピアスの穴が空いた唇が歪む。笑うと幼く見えるのは、いつもと変わらない。

俺は、その夜、宣言通り十勝には駅まで送ってもらった。
改めてお礼を言おうとしたのだが、いつの間にかに十勝の姿はなくなっていた。
なんだか、夢みたいな時間だった。現実味のない、もしかしたら本当に夢でも見てたのではないかと思ったが、手にはしっかりと十勝からもらったラムネ瓶が握られていたのだ。

それから翌日。いつも通りの日常が始まる。それから暫く十勝の姿を見かけることはなかったが、数日後気がつけば生徒会室には十勝が戻ってきていた。
生徒会役員たちの間では女のところに入り浸っていただの、ナイトクラブに出入りしていただの、色々言われていたが十勝は否定せずただ笑っていた。
俺も、何も言わない。

何も変わらない、いつも通りの日常が始まる。
あの日の夜のことは、十勝の秘密は、俺だけが知っていればいい。


弾けて消えた夏の夜。

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