王子にもなれず、狂人にもなれず、騎士にもなれずただ存在していたピエロはシナリオに縛られない観客に憧れ、役割を放棄する。
演じることも出来ず、観客にもなれない中途半端な存在はとうとう舞台上から引き摺り降ろされる。
放り出された世界で、何者でもなくなったそれは人間として幸せになれたのだろうか。
少なくとも、俺は――……。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


『おかしいんじゃないか、お前』

『やり過ぎだって、死んじゃうよ』

『少し文句言ったくらいで、どうしてこんなこと』

『子供のくせにあの目!本当、カエルの子はカエルだな!』


有象無象の影は口々にしては消える。
他人の声なんて気にしたことなかった。
のた打ち回る同級生を眺めながら、自分の手を見つめる。
弱いものイジメをしてる同級生を止めただけなのに、なぜここまで責められるのかが分からなかった。
間違っていたのか?見過ごすのが正しいのか?助けなければよかったのか?
いくら考えたところで永遠に正答には辿り着けないだろう。
けれど、そんな俺にも、正義はあった。貫きたいものはあった。


「貴様、俺を殺す気か……ッ」


守りたいものを守る。
そのためならば、名誉も他人もどうでも良かった。

怪我が治るまで思うように体が動かないのは痛手だが、相手が完治する前にしなければ厄介なことも間違いない。
利き腕ではないその手で首を狙う。庇う腕ごと裂いて、顕になった生白い首筋に思いっきり刃を立てた。
傷口が焼けるように疼く。開いたのかもしれない。吹きかかる血に混ざって服の下、腹部がじわりと熱くなるのを感じながら俺は、胸部、その中央付近心臓目掛けて刃を突き刺した。拍子に顔を殴られるが、それでも構わず思いっきり手に体重を掛ければ骨に引っ掛かる感触とともに、体が痙攣する。
赤く染まるシャツの下、レンズの越しにこちらを睨むその目に、自分の顔が反射して映り込む。


「……」


死体の処理は、考えてある。けれど、問題は。
会長の服を探り、携帯端末を取り出す。
アドレス帳を探せば、栫井君の名前を見つけた。
会長が音信不通となれば、栫井君が何をしでかすか分からない。先手を打つ必要があるだろう。
メッセージのやり取りも念のため確認してると、なんとなく、五味先輩とのメッセージが目についた。


『灘が好きなものって分かるか?』

『知らんな。けど、いつもパン食ってるよな』

『パンか。いきなり悪いな。ありがとう。』


数時間前のやり取りだ。
会長に『会いたい』と連絡を入れた時、会長はすんなり現れてくれた。俺と会うことを誰にも言っていないだろうが、五味先輩は勘付くかもしれない。
そこで、傍に何かが落ちていることに気付く。
紙袋だ。出会い頭会長のことしか見てなかったせいで気付かなかったが、その袋に書いてある店名には見覚えがある。人気のパン屋だ。
そしてその中にはいくつかのパンが入ってる。

俺は、それを手にして、会長を車に乗せる。

やることは、いくらでもある。齋藤君が過ごせるために、まずは不穏分子は一つ一つ除いていなければならない。
栫井君、五味先輩、けれど二人と連絡が付かなくなれば十勝君も不審に思うだろう。
手が足りない。
それも齋藤君のためと考えれば、何も苦ではない。
寧ろ、その後のことを考えると柄ではないが心が躍った。

だけど何故だろうか。
心臓が酷く痛んだ。

しかしその張り裂けるような激痛も、何度か経験すればもう何も感じることはなくなった。


「灘君、どうかした?」


寝不足の日々が続く中、齋藤君の呼び掛けに我を取り戻す。
いきなり数人の生徒が、それも生徒会役員ばかりが失踪し、学園内は常に騒がしかった。
カモフラージュに関係ない生徒にも手を出したが、警察の捜査を撹乱することまでは出来ないだろう。
少なからずこのままではすぐに足がついてしまう。
手を打たなければならない。


「灘君?」

「すみません、考え事を」

「考え事?」

「はい」

「……それって、失踪のこと?」


齋藤君の耳にも届いてるのだろう。ここ数日はその話題で持ちきりなのだから届かないわけがないのだけれど。
「そうですね」と答えれば、齋藤君は押し黙った。
不安そうな顔。


「灘君も、気を付けてね。……阿賀松先輩、何するかわからないから」


表向き、会長たちを嫌っていた阿賀松伊織が最重要人物として挙げられているが相手が相手だ。警視庁上層部には阿賀松の関係者もいるようで、警察も手出し出来ていないようだ。
それはそれで好都合ではある。


「ありがとうございます。ですが、心配は無用です」


近々、被害者にならければならないだろう。
思いながら、齋藤君の手を握り返す。

その日は齋藤君と別れ、外へ出ていた。
外出許可証もちゃんと貰っている。元とは言えど生徒会役員だったという事実は結構大きいようだ。どこにいても監視の目が邪魔だったので外へ誘き出して突き止めようとしたのだが、どうやら、お目当て通り着いてきてるようだ。
学園を出たあとも一定の距離を保って着いてくる気配。
人通りの多い通りでは特定することは難しい。
人気のない場所へと誘うか、と目の前の横断歩道で足を止めたときだった。

ポケットの中、携帯端末が震えてることに気付く。
それを何気なく取り出し、一瞬思考が停止した。
そこに表示されたのは、『芳川会長』の表記。

何故、と息を飲んだその次の瞬間、背後、思いっきり背中を押される。
携帯に気を取られていた。
しまった、と背後を振り返ったそのとき、激しいクラクションが響く。視界が白ばむ。
呆れたような観衆に混じって、見覚えのある笑顔がそこにはあった。
携帯電話を手にした赤い髪の男は、目が合うと手を軽く振り上げる。
それと、視界が大きく揺らぐのは同時だった。
浮遊感。体がバラバラになるような、手足の感覚が四散する。
痛みはない。
大丈夫だ。少なくとも、やつのお陰で俺が疑われることはなくなった。目を覚ませばまた、彼に会える。
大丈夫だ。
途切れる視界の中、悲鳴が聞こえたような気がした。

けれど、どれほど待っても俺の手を握ってくれるその感触はなかった。


【end】

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