それからは、あっという間だった。
救急車が駆けつけて、目の前でたくさんの人間が行き交う。教師たちからも尋問受けたけど、俺はどう答えることも出来なかった。

ただの生徒同士の喧嘩ならともかく、生徒会役員同士の傷害事件は学園側としても公にしたくないものだった。

『今日起こったことは内密に、誰にも口外しないこと』

一部始終を見ていた俺を含めて、通りかかった生徒、駆けつけた生徒、全員に箝口令が敷かれた。
表向き事故ということで処理され、二人は病院へと搬送された。
芳川会長は十何針も縫ったと聞いたが、傷自体はそれほど深くはなかったようだ。命に別状はないようで、抜糸出来るようになれば生徒会長として再び復帰もするようだ。
けれど。


「……」


あれから数日が経ち、面会謝絶の札も取れたのを見て、俺は、灘のいる病室へと訪れた。
ベッドの上、腰を掛けていた灘はこちらを静かに見た。


「……齋藤君」

「ごめん、勝手に入っちゃって。……それより、もう起きても大丈夫なの?」

「ええ、問題ありません」


そう灘は言うが、俺にだって分かる。
あんなに深く刃が刺さった人間が普通に起き上がるのは大変なのだと。
けれど、灘は辛そうに見えない。普段通りの灘がそこにいた。


「……あの……」

「座ったらどうですか」

「う、うん……じゃあお邪魔します……」


目を覚まさない灘を見たとき、血の気が引いって冷たくなる灘を見たとき、怖かった。
このまま二度と目を覚まさないんじゃないかと思えば、足元が崩れ落ちるようなそんな不安でいっぱいになって、何も考えられなくなったのだ。
今日、灘が目を覚ましたと聞いて慌てて駆けつけたが、あまりにも変わらない灘に俺は、ここにくる途中までに考えていた色んな言葉を忘れてしまう。


「話は先生方から聞いてます。自分への処分も、聞きました。なので、変に気遣わなくても結構です」

「……そっか、聞いたんだね」


生徒会会計という役職を降ろされた上、二週間の謹慎処分。それが灘和真に与えられた処分だった。


「最初は退学だったけど……会長が止めてくれたみたいなんだ」

「そうですか」

「……うん」

「あの人のことです、俺にはまだ利用価値があると思ってるのではないでしょう」

「……そんな言い方」


灘の冷ややかな目が、こちらを向く。
やっぱり、灘は、芳川会長のことを嫌いになってしまったというのか。

俺の言えた立場ではないが、それでも、やはり、悲しく感じてしまうのは芳川会長が灘のことを止めようとしていたことを知ってしまったからか。
けれど、きっと、俺の言葉は灘には届かないのだろう。


「何しに来たんですか、貴方は」


静まり返った病室に、灘の声は一層冷たく響いた。
何を、しにきたのだろうか。
会いに来た、顔が見たかった、心配だったから。何を言っても、灘を満足させることはきっと、俺には出来ないだろう。
だから、俺は、持っていた紙袋からそれを取り出した。
透明な容器に入ったそれは、白く淡い色の大きな花弁を付けたカンパニュラとプリザーブドフラワー。
それを差し出せば、灘は、一瞬その目の奥が揺れたのを俺は気付いた。


「君に、渡したかったんだ」

「……」

「入院患者にこういうのって良いのかなって迷ったんだけど、あの、迷惑だったら……捨ててくれて構わないから」


あの時とは、立場が逆になるなんて俺も思ってもいなかった。


「……本当に、愚かですね」

「……あっ、あの、迷惑だった……?」

「迷惑ではないと思うのですか」


やっぱり、そうか。
思いながらその手を引こうとした時だった、灘は紙袋ごとそれを俺の手から取り上げた。


「な、灘……君……?」


言いながら、灘君はケースごとそれをベッドの横の棚の上に置いた。
何度か位置調節して、一番その場所から花が見える位置で落ち着いたようだ。


「貴方は……変わった方ですね。もう、俺の顔など見たくないのではと思ってました」

「……どうして、そんなこと……」

「……俺は、貴方と一緒にいると自分がどんどん嫌いになっていく」


「嫌なものに、なっていく」そう、花を見つめながら灘は口にした。その言葉は俺に投げ掛けているのではなく、独り言のようだった。
俺は何も言えなくなった。
俺も、自分のことは好きではない。けれど、灘のそれとら違うような気がしたからだ。


「花、ありがとうございました。けれど、もう二度とここへは来ないでください」

「……灘君」

「その顔も、見せないでください」

「……どうして、そんなこと言うんだよ」

「俺は、貴方が好きです」


耳を疑った。
何事もなかったように、息を吐くように、灘はその言葉を口にするのだ。
聞き間違えではないのか、と思ったが、灘の双眼は真っ直ぐにこちらを見ていた。


「貴方を、自分の手で幸せにしたかった。……けれど、俺は、齋藤君を傷付けてしまう」

「ッ、……」

「貴方が会長を庇う度に、どうかなりそうになる。……こんな俺が齋藤君といたところで、また、同じことを繰り返すのは分かってます」


だから、と灘は口にした。
そんなの、そんなことない。そう言えれば良かったのだろうか、けれど、俺は灘の残虐さを見てきたからか、その言葉が嘘ではないと分かった。
これは、灘なりの優しさなのだろう。償いなのだろう。
淡々としたその声が余計悲しくて、俺は、唇を噛み締めて言葉を飲み込む。けれど、堪えようとすればするほど、込み上げてきた感情は溢れ出す。


「……っ、そんなの……学校で、たまたま会うかもしれないじゃん……」

「その件に関しては問題ありません」

「……っ、は……?」

「……暫く家に帰って頭を冷やしてきます」


どれくらい、と聞くことは出来なかった。その口振りからして、学校を辞める気ではないのだろうか。それが分かったからこそ、俺は、咄嗟に「駄目だよ」と声を上げる。


「そんなの、駄目だよ、駄目……だって……」

「なぜ」


なぜと言われても、言葉が出ない。
けれど、灘は本気で俺の前から姿を消すつもりだと分かれば急激に不安になってくる。
灘は、俺から離れたがってる。
そんな灘を引き止めるなんて資格俺にはない。
それでも、俺は。

 
「灘君が、俺が嫌だって言っても、一緒にいてくれるって言っただろ……っ」


俺も、灘君が好きだと言えれば良かったのだろうか。
けれど、そう口にしたところできっと灘を引き止めることは出来ない。引き止めたところでどうするかなんか、深く考えることも出来なかった。
ただ、灘とこのまま離れることが怖かった。目を離せば今度こそ二度と、灘と会えないような気がしたからだ。
卑怯だと思われても仕方ない。
けれど、俺には灘を止める言葉はそれしか思い浮かばなかったのだ。


「……」

「灘君……っ」

「貴方は……自分の言葉の意味を理解すべきでは」

「……分かってるよ、俺が、君に酷いことしてるんだって……」


それでも、このまま別れたくなかった。
あの時交わした約束、それが、俺達を唯一繋ぎ止めるものだった。

俺と一緒にいると、灘は自分のことが嫌いになる。
けれど、そんな灘を含めて俺は、受け入れたかった。俺のことを守ってくれる灘を信じたかった。

灘が返事を口にするよりも先に、腕を掴まれる。強い力で引っ張られ、ベッドの上に倒れ込みそうになったとき。
唇を重ねられる。周りの音が、一層遠くなる。静まり返った室内に、シーツの擦れる音と、微かに灘の心音が聞こえた……ような気がした。


「貴方は、馬鹿ですね。……本当、どうして、……人の気も知らずに……」

「それは、灘君も同じだよ」

「……そうですね。俺も、貴方の思考も全部理解でき兼ねます」


そう、呆れたように口にする灘。
褒められたことではないのだろうが、それでも確かに、その声に滲む灘の感情が嬉しくて、俺は破顔する。

友達に、なりたかった。
何も感じない、感じさせない彼の特別になりたかった。
少しでも誰かの心を動かせることが出来ればそれはとても光栄なことだと思っていた。

なりたかったそれとはあまりにも掛け離れて、ツギハギだらけの歪な関係だがそれでも俺は、後悔していなかった。
灘が笑ってくれているのが、それだけで、心が満たされるようだったからだ。

二度目の口付けを交わす。
カンパニュラの薫りが一層濃くなったような気がした。

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