「どこって……その、会長に……呼ばれたんだよ……」


灘になら隠す必要もないと思い、正直に話す。
なんで灘がここにいるのか、聞きたいことは色々あったが、突然の灘の登場に頭が回らなかった。


「そうですか、ならば自分もご一緒します」


……灘が、そんなことを言い出すから、余計に。


「えっ、いいよ、俺一人で大丈夫だから」

「この間みたいなことがあったらどうするんですか」

「……それは」


確かに、そうかもしれないが。
芳川会長には一人でと言われていた。
恐らく、阿賀松に関してのことだと概ね予想ついたが、灘を連れて行ってみろ。怒られるに違いない。


「気持ちは嬉しいけど……ごめん、一人で来るようにっね言われてるんだ……」


灘の無表情が怖かった。睨まれてるわけではない、はずなのに、真っ黒な眼に見据えられると、腹の奥まで探られてるようなそんな錯覚に陥る。
灘に隠し事は出来ない。そのことを嫌って程突き付けられてきた俺は、メッセージの内容を伝えた。
確かに無茶なところはあるが、灘は芳川会長に対しては忠実だ。分かってくれるだろう。そんな一抹の期待を懐きながら。


「……貴方一人で、ですか」

「……灘君?」

「……分かりました」


流石の灘も、会長には逆らえないということだろうか。
分かってくれた灘に心底安堵する俺に、灘は「気を付けて下さい」とだけ告げ、そのままその場を立ち去った。
逆にここまであっさり引かれるのも拍子抜けだが、これで良かったのだ。
まだ人気のない廊下の中、俺は、会長の部屋がある四階へと向った。

幸い、エレベーターでも廊下でも、阿賀松たちと出会うことは無かった。やつらの活動時間帯は午後から深夜に掛けてだから、もしかしたらそれを狙ってこんな朝にメールを寄越したのかもしれない。
そんなことを考えてる内に、会長の部屋が目に入ってくる。
扉をノックすれば、それは静かに開いた。


「……おはよう、よく来てくれたな」


当たり前だが、現れた会長は私服だ。いつも制服姿の会長ばかり見てるせいだろうか、私服姿に緊張したが、それも束の間。
会長に「ここじゃなんだ、入れ」と促される。


「……は、はい。失礼します」


言われるがまま、部屋に足を踏み入れた。相変わらず、物の少ない片付いた部屋の中。部屋の中央、置かれたテーブルの上には飲み物が一人分用意されていた。ココアの甘い薫りに、会長が飲んでいたのだろうと分かる。
そのまま台所へと向った芳川会長は「適当に座ってくれ」と声を掛けてくる。
俺はマグカップの置かれていた場所の反対側、そのソファーに座った。


「日曜日だというのに朝早くからわざわざ悪かったな。俺から出向こうかとも思ったのだが、君にも同室者にも迷惑を掛けてしまいそうだったからな」

「いえ……どうせ用事もなかったので、気にしないでください」

「……優しいな、君は。そう言ってもらえて安心したよ」

「……」


いつもと変わらない、芳川会長につい絆されてしまいそうになる。
優しい声、いつだってその目は俺のことを見てくれていて。
けれど、あの日の灘と会長のやり取りが脳裏に過ぎり、緊張する。


「……あの、会長……話って……」

「ああ、そうだな。その前に……君は甘いもの、平気だったな?」

「え、あ……はい」


頷き返したと同時に、目の前、色違いのマグカップが置かれる。その中には、会長のマグカップと同じココアが入っていた。


「最近売店で並んでるのを見つけてな、ハマってるんだ。君の口に合えばいいが……」

「あ、ありがとうございます……」

「そんなに恐縮しないでくれ。何も、俺は君に何かしようと思ってここに呼んだわけじゃない」


俺の心を読んだのか、そう優しく笑う会長は、言いながら向かい側に腰を下ろす。
……どこまで、会長は気付いているのだろうか。俺が会長に疑念を覚えてることも、実は分かってるんじゃないか。そう思いたくなるくらい、会長は平然としていた。
会長が何を考えてるのか、分からない。分かってしまうことが、恐ろしかった。


「……少し、君に聞きたいことがあったんだ」


腰を落ち着けた会長は、マグカップに口を付け、俺を見た。
来た、と全身が強張る。
会長の表情、声は、あくまでいつもと変わらない『優しい会長』のままだった。


「灘のことなんだが」

「えっ?」


まさか、阿賀松ではなく灘の名前が出てくることは思っていなくて、俺は思わず、マグカップを落としそうになってしまう。なんとか最悪の自体は免れたが、心臓が、脈が、一気に加速する。冷たい汗が背筋を流れた。


「な……灘君、が……どうしたんですか?」

「最近、灘と仲がいいのは君だと聞いてな」

「……そんな、ことは……」


ないと思います、と言い掛けて、保健室、キスされた日のことを思い出す。顔が熱くなり、それでも「ないと思います」と声を振り絞るが、裏返って情けないことになってしまう。


「……そうなのか?それ、あいつが聞いたらショック受けるんじゃないか?……灘なりに、君と仲良くなれるようにと色々悩んでたらしいからな」

「……ッ」


笑う芳川会長に、心臓が、ぎゅっと苦しくなる。
灘が、そんなことを考えていたなんて。
そこまで考えて、手品でブーケをプレゼントしてくれたときのことを思い出す。灘なりに、考えてくれていた。
その言葉に、息が詰まりそうになる。
けれど、それなのに、俺は。俺は、どうなのだろうか。
灘の気持ちに、少しでも何かを返せたのだろうか。自問する必要もない。答えは否だ。
怖くなって、灘を信じ切れなくて、なあなあな言葉で灘を避けて……。


「……俺は……俺には、そんな資格……」

「……何かあったのか?」

「…………」


言葉が出なかった。嘘でも、適当に誤魔化さなければ。会長に下手なことを勘付かれるのはよくない。
わかってるのに、別れ際の灘の目が忘れられなくて、胸が締め付けられる。


「……すまない、無理して答えなくていいからな。……ただ、君が辛い思いをしてるのなら言ってくれ。俺は、君を困らせたいわけではないからな」

「……ありがとうございます。けど、辛くなんて、ないです」


どう接すればいいのか分からない。灘が何を考えてるのか分からない。そんな灘がたまに恐ろしく思えることもあるが、辛いと感じたことはなかった。寧ろ、歯痒さを覚えるくらいだ。


「……そうか、ならいいが……」


ふ、と会長は優しく微笑む。
「無理をしないでくれ」と、優しく頭を撫でられ、心臓が跳ねた。
……辛いと感じるというなら、寧ろ、会長に対してかも知れない。会長の本音を垣間見てしまった今、この優しさを素直に受け取れない状況がただ、息苦しい。


「……灘君がどうかしたんですか?」


このままでは、会長の雰囲気に呑まれる。
そう思い、俺は思い切って会長に尋ねた。


「……最近、あいつが生徒会室に来なくてな」

「……えっ?」

「来たときに言われた仕事は全部こなすし、ちゃんと会議の日程時間も把握してるようで要所要所では来るんだが……それ以外、その間どこで何をしてるのかさっぱりなんだ」

「……灘君が……ですか?」


信じられない、というのが感想だった。
いつだって生徒会のために動いていて、常に会長の傍にいた灘の単独行動。
そこまで考えて、ここ最近、灘が俺のところに尋ねてくる頻度が多くなっていることに気付く。


「……別に、生徒会の仕事をしろと拘束するつもりはない。寧ろ、休みの概念も持たないような灘が自分のやりたいことをするのはそれはそれで進歩だと思う。が、なんというか……親心と、いうのも変な話だな。あいつは自分のことを語らない分、一人で何か抱え込んでるんじゃないかと思ってな」

「……そう、なんですか……」

「君は、何か心当たりがないか?……いや、ないならないでいいんだ。妙なことにでも巻き込まれていないのならな」


そう灘のことを話す会長は俺のときとは違う、優しげな目をしていた。本当に、灘のことを心配してるのだろう。
俺の時とは違う、なんとなく、そう思えた。
確かに、灘のことだ。今まで自分の時間を犠牲してきたに違いない、そして今は、その時間を俺のために費やしてくれている。
会長は、信用できない。それは、俺のことを餌としか見ていないからだ。けれど、灘はどうだ?灘のことは自分の後輩として見て、それで俺に尋ねてきてるのではないか?
今俺の目の前にいるのは、あくまで灘の先輩である芳川知憲だ。そこに、今俺と会長の信用問題は関係ないのではないか。

会長になら、言っていいんじゃないか。
そんな考えが、頭を過る。


「……あの……」

「どうした?」

「灘君のことなら……大丈夫だと思います。……さっき、ここに来るときも灘君に会ったんですが……元気そうでしたし」


まさか、自分のところにばかり来ています、なんて自惚れと思われ兼ねない発言、口にすることはできなかった。
今の俺にはそれが精一杯で、俺の言葉に、芳川会長は少しだけ驚いたような顔をして……すぐに笑みを浮かべる。


「そうか!やっぱり君に会いに行ってたのか」

「そ、そうなのかは分からないですけど……大丈夫です。だから、その……心配しなくてもいいと思います」

「君がそういうのなら、間違いないのだろうな」


目を細め、微かに笑む会長。
なんでだろうか、いつも通りの笑顔なのに、なんだか胸の奥がざわつく。
喉の乾きを潤そうと、アイスココアに口をつければ濃厚なその甘味に噎せ返りそうになった。けれど、美味しい。会長がハマるのも分かるような気がする。濃厚でいて、それなのに、喉通りは爽やかで。


「……っ、あ……」


瞬間、ごとりと音を立て、マグカップが手から落ちる。
フローリングに中身をぶち撒けるそれに、「ごめんなさい」と、慌てて手を伸ばそうとするが、瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。


「……悪いな、齋藤君」


猛烈な眠気に強制的に瞼が閉じらされそうになる中、芳川会長の声だけがやけに鮮明に響いた。
申し訳無さを感じさせないその声に、俺は、後悔する暇もなく、気を失う。

←前 次→
top