暑さに弱い春の草花を夏も秋も生き長らえさせるために、枯らして薬漬けにするのは悪いことなのか。
楽しむために一番美しい状態を保つため、成長を止め、保存する。
理には叶っているが、時を止めたそれはもう二度と動かない。
時には成長も時には枯れるその一瞬まで見守るのもいいのではないだろうか。

慣れない花の匂い。色鮮やかな花々を眺めながら、店内の隅、花弁ごと瓶詰めにされたそれを眺める。
あまり長い間そこに停まっていたからか、店員に「プレゼントですか?」と声を掛けられたが「いえ」とだけ返し、その場を移動した。
花を嗜む趣味はない。綺麗という感想も出ない。
ただそこにあるだけだ。
けれど、彼の目には、違うように映っているらしい。
飽きもせずガーデンテラスに通い、花を眺めてる時、彼は生徒会室にいるときとは違った表情を見せる。
齋藤君の好きなものは知らない。
けれど、ああしている彼を見るのは嫌いではない。


「すみません、そのブーケ下さい」


紫色のカンパニュラに埋もれた一輪の白いカンパニュラ。
何故だが彼の顔が浮かんで離れなかった。
別に花を買うつもりなんてなかったのに、何故だろう。彼に渡したかった。「これを見て君を思い出した」と、そう告げればどう思うのだろうか、と。


「ありがとうございましたー。またお越しください」


ただの買い出しのつもりが、荷物が増えてしまった。
本来ならば寄り道などと会長に怒られてしまうが、足取りは自然と軽かった。薄暗い町中。スーツ姿や制服姿など様々な人間が入り交じる駅前通りを歩き、学園へと帰る。

 
 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


他人に興味を持てなかった。
これはもう染み付いた癖のようなものだろう。
他人と自分は違うから、相手のことを気にしていたら身が保たない。だから何を言われようが、気にするな。祖父はそう、幼い頃から俺に言い聞かせてきた。
身体の傷がある、親がいないとおかしい、そんなことを言われてもどうも思わなくなった。


『あなたはそうかもしれませんが、俺はこうなので』


祖父の言う通りあくまでも他人は他人だと割り切っていると、何も気にならなくなる。子供らしくないとか、生意気だとか言われても何も感じなかった。
けれど、どうも、人の気持ちまで分からなくなってしまうという弊害もあったらしい。人の顔を見なくなればその機微が分からなくなり、他人との距離の掴み方が極端になってしまうようになる。
そのお陰で周りから浮こうが、周りのように友達がいなかろうが『自分は自分』だと言い聞かせれば平気だった。別段、困ることもない。けれど、ぽっかりと空いた穴は、蓋をしてもがらんどうのままだ。

だから、今回の件も、言われたことをこなせば良いと思っていた。
齋藤佑樹。彼を監視すればいいと。そう言われていたはずだ。余計なことはする必要もないと。

思い出す。
保健室のベッドの上、熱で赤らんだ瞳。
怯えたような、不安そうな顔。
何をそんなに怯えるのか、理解できなかった。

それ以上に、理解できなかったのは自分だ。


『あくまでも誘き寄せるまでが作戦です。貴方には指一本触れさせません』

『俺のこと、信じられないなら結構です。ですが、貴方が拒否しても俺は貴方を守ります』


思い出す。あんなこと、会長には命じられていないはずなのに、気がついたら口にしていた。
何も考えていなかった。ただ、彼の不安そうな顔を見ていると、胸の奥の靄が色濃くなるみたいで、耐えられなかった。
人は人だ、不安になる人がいる、それだけの話で、自分は関係ない。そう頭で理解していても、一度自分の手で喜ばせてしまったからか、笑っていてほしい。そう、思ってしまった。


『……嫌じゃ、ない』

「……」


彼は、笑わなかった。けれど、俺の手も振り払わなかった。
あるまじき事をしたと思う。いちいち相手に情を抱いてろくなことにならないと、芳川会長は言っていた。本当にそうだと思った。
惑わされる。自分が自分じゃなくなる様を見ているようで、耐えられなかった。

生徒会活動以外で他人とまともに接したのが久し振りだったからか、余計、浮かれてしまっていたのかもしれない。
そんな自分の異変に一番最初に気付いたのは、芳川会長だった。


「どうだ、齋藤君は」


生徒会室に残って作業していると、不意に声を掛けられる。
芳川会長は、敏い。必要以上干渉せず、それでいて目に掛けてくれている。数少ない一緒にいて苦にならない人だった。


「いつもと変わりはありません」

「阿賀松伊織との接触もないのか」

「ええ、それらしき影も見受けられませんでした。一先ずは彼の心配は杞憂かと思いますが」

「しかし何が起こるか分からん。気を抜くなよ」

「はい」

「……ふふ、そうだな、貴様には愚問だったな、灘」

「……」


今日の会長は機嫌がいいようだ。笑う会長は、そのまま自分の椅子へと腰を掛ける。


「そういえば、随分と齋藤君に目を掛けているそうだな」

「……」

「確かに目を離すなとは言ったが、わざわざ毎朝送り迎えをする必要はないんだぞ。それに、貴様がいると釣れる魚も寄ってこない」

「送り迎えをしていたのは、その方が、彼が会長にとって重要な人物と刷り込まれるのではないかと判断したからです」

「そうか。刷り込みとしては悪くはないが、お前にはお前にしか出来ない役割もある。今、齋藤君の送迎にお前を当てる必要性はない。送迎ならば別の人材を当てる」


気が付けば、作業の手も停まっていた。
「ですが」と顔を上げたとき、冷ややかな目と視線がぶつかる。


「珍しいな、貴様が食い下がるとは。……まさか、情が伝染ったなんてことは言わないだろうな」

「……」

「俺はお前を買ってるんだ、そのいつでも場の状況を把握することができ、適応出来るその冷静さを」


「くれぐれも、失望させるなよ」と、会長は喉を鳴らし、笑う。会長の言葉は間違っていない。寧ろ、賢い選択だと思う。一つのことに囚われては周りが見えなくなる。分かっているはずなのに、何故だ。その言葉に、動揺している自分がいた。


「……畏まりました」


自分の、役目。
俺は、齋藤君のボディーガードでもなんでもない。それなのに彼の手前、守ると口にしたのも自分だ。
どうしてこうも、頭と身体が噛み合わないのか。
結果的には齋藤君を安心させることも出来たし、齋藤君の会長への信用も取り戻した。ならば、それでいいのではないか。
自分の役目を分かっていないのは自分ではないか。


「……」


役目、仕事、任務、命令。言われたことをこなすのは簡単だ。
それは、何も考えずに済むからだ。言われたことをしておけば考える必要もない。なのに、そのこと自体に疑問を懐き始めたらどうなるか。
考えたくない。キーボードを叩く指先から、異物が染み込むような不快感。
会長を疑ってはならない。今まで自分がしてきたことも全て否定することになる。そうなれば、何も残らない。作り上げたものも塗り固めたメッキも壊されてしまえば、とうとう、がらんどうはただの空気に戻ってしまう。
ならば、どうすればこの不安を払拭することができるのだろうかと思案する。キーボードを叩く。計算機を手元に寄せ、数字の羅列を打ち込んでいく。
答えは簡単だ。異物を取り除けばいい。そうすれば、元通りになる。全部、普段と変わらない。
こうして会長に怒られることもなければ、余計なことを考える暇もなくなる。


・もし異物を取り除いた場合、本当に以前と変わらない生活を送ることができるのか。
・異物を取り除くために必要な行動、そしてその際に必要なもの。
・そもそもこうして悩むことが間違いなのk│


「……」


全削除。俺の胸の内側で異物は昨日見せてくれた笑みをただ浮かべていた。何度消しても、上書きしても、それは消えない。
つくづく、厄介だと思った。祖父は俺に、人との接し方まで教えてくれなかった。

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