「……仁科、先輩、あの……」


いつまでも、黙ってるわけにはいかない。
誤解を、解かなければ。なんの?どうやって?
頭がこんがらがる。冷静にならなければと思えば思うほど、何も考えられなくなって、俯く俺の前、仁科は一歩踏み出す。
そして、


「……悪かった」

「……へ」

「齋藤の気持ち考えないで……自己保身で逃げて……勝手に焦ってお前を泣かせてしまった」


「ごめん」と、そう言って再び仁科は頭を下げる。
まさか、仁科から謝られるとは思っていなかっただけに余計、混乱した。仁科は悪くない。勝手に俺が舞い上がって、勝手に凹んだだけで、仁科は何も。


「……そ、んなこと……だって、全然……先輩は悪くないですし……俺が、勝手に……っ」


だから、頭をあげて下さい。
いくらなんでも、先輩である仁科に頭を下げられるのは気持ちの良いものではなかった。
慌てて肩に軽く触れ、顔を上げてもらおうとした矢先だ。仁科に、手を取られる。


「っ、齋藤……」

「え、ぁ……はい……?」

「……っ俺は、その……………………あの、なんというか……」

「……先輩?」


握り締められた手が、暖かい。けれど、仁科の体温が直接流れ込んでくるこの距離は、毒だ。心臓がドキドキと煩い。繋がった手から全部伝わってしまうのでないか。そう思うほど、全身の神経が、仁科の、その触れてくる指先に向かう。
俺は、仁科から目が逸らせなかった。恥ずかしかったし、同時に不安だった。それを汲み取ったのか、仁科もまた俺から目を逸らさなかった。


「……お前のこと、……好きだ、俺」


絞り出すように、吐き出された言葉はちゃんと、俺の耳にまで届いた。
けれど、それでも、聞き間違いかと思った俺は思わず、瞬きをした。仁科は、こちらを見ていた。その頬も赤い。


「……その、この前齋藤が言ってくれた好きみたいな、そういうやつじゃなくて……その」

「……あ、の……」

「俺は……お前に合わせる顔がなかったんだ」


「悪かった」と、仁科はまた頭を下げる。
喉の奥が、震える。声が、うまく発せなかった。


「あ……あの、いま、なんて」

「え、あ、その……お前に合わせる顔が……」

「そうじゃなくて……その……」


その前、と言い足せば、仁科は俺の手を離した。そして、小さく息を吸う。


「……お前が好きだ、齋藤」


その言葉に、目の前の景色が一気に色付いたような、そんな錯覚すら覚えた。……否、それは錯覚なんかではない。


「っ、齋藤……っ」


爪先に力を込め、顔を寄せる。すぐ傍に仁科の丸くなった瞳がこちらを覗き込んでいた。
唇に触れる柔らかい感触。柑橘系の爽やかな薫りが、鼻腔を抜けていく。
遠くから聞こえてくる人の声が、音が、全てが遠くなる。そこには俺と仁科の鼓動だけが響いていた。


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