やってしまった、という罪悪感。スッキリするどころか、気分は余計滅入ってる。
よりによって齋藤で、俺は、なんて真似を。思い出しただけで生きた心地がしない。もしかしたら皆に齋藤で抜いたことが気付かれてるんじゃないかなんて不安すら覚えているくらいだ。
齋藤のことは、素直に俺の話を聞いてくれる可愛い後輩と思っている。それなのに、俺は。


「……はぁ」


昼間。人通りの少ない学生寮を徘徊してると、前方に見覚えのある姿を見つけた。
制服姿の齋藤は、俺と目が合うなり「先輩」と顔を上げる。


「齋……藤……」

「……どうしたんですか?……顔色が……」


伸びてきた手に、頬を触れられそうになる。想像していたよりもずっと骨張ったその指に、驚いて、俺は慌てて身を引いた。


「わ……悪い……大丈夫だから……気にしないでくれ」


まともに、齋藤の顔を見ることも出来なかった。
本当ならば、会いたくなかった相手だ。……よりによって、あんなことした後だ。この時間帯ならばいないと思っていたが、どうしてここにいるのだろうか。授業に出てる時間帯のはずだが……。
色々疑問はあったが、一先ず、齋藤から離れたかった。全身に昨夜の行為の匂いが染み付いているような気がしたから。
だから、何事もなかったかのよう、あくまでいつも通り適当にその場を離れようと思ったのに。


「あの、先輩……待ってください!」


齋藤の手が、俺の手に触れる。ぎゅ、と握られた瞬間、柔らかい指の感触に、全身が凍り付いた。
気がついた時、俺は、齋藤のその手を思いっきり振り払っていた。
乾いた音が響く。目を見開き、青褪めた齋藤は自分の手を見詰めた。その表情に、俺は、自分が仕出かしたことの大きさに気付く。


「……、わ、悪いッ、……」

「……俺の方こそ、ごめんなさい……」

「さいと……」

「……ご、めんなさ……っ」


言い終わるよりも先に、言葉に詰まった齋藤は、そのまま踵を返して走り出した。
目が、赤くなっていた。目だけではない、顔も。
傷つけてしまったのは、一目瞭然だ。
それなのに、俺は、その背中を追いかけることすらも躊躇われ、その場から動けないでいた。

齋藤の姿がとうとう見えなくなったとき。


「あーあ、可哀想に齋藤君。……あれ泣いちゃったんじゃないの?」


背後から聞こえてきたその声は、振り返らずともすぐに誰か分かった。


「……方人さん……」

「珍しいね、優しい奎吾があんなことするなんて」


いつから見ていたのだろうか。この人のことだから、最初からいたのかもしれない。
俺の隣までやってきた方人さんは、声を潜めた。


「喧嘩したってわけじゃなさそうだけど……俺が言うのもあれだけどさ、もしかして……俺のせい?」

「……方人さんのせいじゃないですよ。……全部、俺の自業自得なんで」


そうだ、全部、俺のせいだ。方人さんも齋藤も悪くない。俺が勝手に邪なこと考えて、その後ろめたさに耐えられないでいるだけだ。
頭は酷く冷静なだけに、さっきの齋藤の表情を思い出して酷く自己嫌悪を覚える。
そんな俺を見て、方人さんは珍しく真面目な顔をした。


「……奎吾さ、齋藤君のこと好きなの?」

「えっ?!……や、あの、確かに……いいやつですけど……」

「そうじゃなくて、こういう意味で」


言うなり、伸びてきた手にネクタイを掴まれる。ぐっ、と顔を寄せられ、鼻先がぶつかりそうになる程の至近距離、慌てて方人さんを振り払った。


「ちょっと、方人さんッ!」

「馬鹿、冗談だって、殴るなよ」


やれやれと笑う方人さん。
こういう意味って、なんだ。間一髪キスすることはなかったけど、さっきとは別の意味で心臓がドキドキしていた。まるでパニックホラー映画でも見てるようなそんな緊張だ。齋藤のときとはまた違う。


「じゃあさ、俺じゃなくて齋藤君となら……キスとか出来る?」

「い……意味が、分かりません……」

「……そ、なら仕方ないか。あーあ、齋藤君可哀想」

「なんですか」

「……まあいいや、齋藤君なら俺の方からきちんと奥までフォローしておいてあげるから心配しないでいいよ」

「……は……」

「でも奎吾の口からちゃんと聞けて良かった。お前、齋藤君のことそういう目で見てないんなら気兼ねする必要ねえし」


そう、あっけらかんとした調子で方人さんは続ける。
心臓がバクバクと煩い。胸が、苦しい。けれど頭は酷く冷静で、方人さんの言葉が静かに浸透していく。
方人さんが、齋藤のことを気に入ってるのは周知の事実だ。いくら伊織さんという恋人がいても、方人さんは全く気にも留めていない。俺とは違う。堂々としていて、自信があって、諦めない。本気なのかどうかその真意は分からないけど、俺よりも齋藤のことを考えてるのは間違いない。
けれど、そう分かっていても。


「何?その目。何か言いたいことでもあるのか?」

「……別に……なにも、俺は……」


セクハラがひどかろうが口も上手く、気も利く。方人さんのような人なら、齋藤も楽しいだろう。
俺が口出しする権利などないはずだ。
なのに、方人さんの言葉に素直に頷くことが出来ない自分がいるのだ。


「……奎吾、いい事教えてやるよ」

「……はい」

「優しいのと臆病者なのは違うからな」


「履き違えるなよ」と、方人さんは笑う。けれど、細められたその目は笑っていない。
臆病者。その方人さんの言葉は、鋭利な刃物みたいにすっと胸の奥深くに突き刺さる。そんなの、俺だって分かる。分かっている。どうにか出来るのなら、最初からここにいない。俺は、齋藤を追い掛けて、それから……。


「お前がそうなら、俺が貰うから」


方人さんは俺から手を離し、踵を返す。向かう先は、齋藤が消えた通路奥だ。俺は、止めることも、追いかけることも出来ないでただ、方人さんの後ろ姿を眺めていた。


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