「せ、先輩……あの……ッ」


階段を昇り、上階の踊り場。咄嗟に声を掛ければ、仁科はばっと俺から手を離した。そして。


「ごっ……ごめん、悪かった……その、勝手に手、掴んで……」

「いえ、あの……ありがとうございます!……助かりました」

「そ、うか……そうか、なら……良かった」

「……」

「……」


気まずい空気がその場に流れる。
仁科に助けて貰えて嬉しいはずなのに、あんな場面を仁科に見られたことがただ恥ずかしくて、情けない。どんな顔をすればいいのか分からない。素直に喜べない現状が、余計。
それは、仁科も同じなのかもしれない。


「それじゃ……気をつけて戻れよ」


周りに目をやった仁科は、そう俺から離れようとした。


「先輩……ありがとうございました」

「や、別に、俺は何も大したこと出来てないから……まあ気にすんな、って言う方が無理だろうけど……」

「……あの、先輩……っ」

「遅れるぞ、授業あるんだろ」

「……っ、は、はい……」

「早く行った方が良いんじゃないか?」


仁科の声は優しかった。けど、それ以上に、なんとなくだが仁科が俺と話したがっていないような気がして……言い掛けた言葉は飲み込んだ。
授業のことを言われれば、従うしかない。
そして、仁科に一礼してその場を立ち去った。

俺は、仁科に何を言おうとしたのだろうか。
さっきのことは気にしないでください?俺が言うのはおかしいだろう。
なんとなく胸の奥に蟠りが出来て、釈然としなかった。
仁科も気にするなと言ってくれたのに、それなのに午前中の授業は朝のことを、仁科の気遣いを思い出しては酷く落ち込んだ。

けれど、それは発端でしかなかったのだ。

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