結局、仁科の役に立てるどころかただ一緒に過ごしていた。他愛ない話をしたり、時折話題がなくなったときはテレビを見て誤魔化したり、格別盛り上がったわけでもなかったが仁科と一緒に過ごした時間、気持ちが落ち着いていくのが分かった。
本人が俺が緊張しないよう気を回してくれてるからだ。
そして夜になって、俺は仁科に部屋まで送ってもらった。


「今日はありがとな」

「そ、そんな……こちらこそ、紅茶、ごちそうさまでした」

「……ああ、あれくらいならまた……いや、そうだな。じゃあな」


言い掛けて、辞めた仁科はそう言って誤魔化すように笑った。気になったが、引き止めることも出来ず、俺はその日、大人しく部屋に戻った。

そして翌日。
もしかしたら阿賀松が部屋にやってきては昨日のことを根掘り葉掘り聞かれるのではないのだろうかと心配していたが、そんなことはなかった。
寧ろ、やってきたのは。


「齋藤君、なんか奎吾が元気になってるんだけどもしかして昨日何かした?」


昇降口前、通路。待ち伏せしていたのか、階段を登ろうとしたところで縁に話し掛ける。



「えっ、縁先輩……。って、なにってなんですか……」

「例えばセック……」

「す、するわけないじゃないですか!縁先輩と一緒にしないでください!」

「アララ、齋藤君が怒った」

「冗談でも、そういうこと言うのやめてください……っ、仁科先輩はそういう人じゃ……」


『……齋藤』


「……ッ」


思い出し、耳が熱くなる。いや、いやいやいや、何を考えてるんだ俺も。しかも、なんか俺の妄想入ってる気がするし。仁科先輩はそんな風に俺を見詰めない。
そんなわけ……。

……。


「齋藤君、やっぱり何かあったの?」

「あ、ありません……!……あの、仁科先輩にも変なこと聞かないでくださいよ」

「えぇ、奎吾といい齋藤君といい、その反応は露骨でしょー」


面白くなさそうに野次飛ばす縁。
さらっと出てきたその言葉に、思わず俺は聞き返した。


「に、仁科先輩に何か言ったんですか……?」

「齋藤君と同じこと聞いたら、『違います』って大きな声出した後真っ赤になって、そのまま黙り込んじゃったんだよねぇ」


何をしてるんだこの男は。
俺だけならまだしも、本当に油断も隙もない。

呆れ果てる俺に対して、全く悪びれるどころか寧ろ楽しそうに笑う縁はそのまま俺にぐっと擦り寄ってくる。


「それで、どこまでいったの?お兄さんに教えてみな?本番まで行かずとも、手コキくらいは……」

「いっ、いってませんし言いませんから……!」

「ちぇー、つまんないなぁ。ま、俺としては喜ばしいことなんだけどさぁ。複雑だよね。奎吾までライバルになっちゃったら、俺の味方がいなくなっちゃうし」

「ライバルって……」


どうしてこうもこの人はなんでもかんでもこう色恋沙汰にしたがるのか。確かに仁科は俺によくしてくれるが、仁科のそれは縁の露骨な性愛とは違う。真人間のそれだ。


「あの、ホームルームに遅れるのでそろそろ失礼します……」


このまま縁に付き合わされていたら遅刻してしまう。
既に辺りに人気はなくなっていて、適当に切り上げ段差を一歩上がったところだった。


「一日くらいいいよ、サボっても」


いきなり、背中が重くなったと思ったとき。ぐっと、腰を抱き寄せられる。背後から抱き着くように後頭部に顔を寄せる縁は、そう言って旋毛に鼻先を押し付けてきた。


「せっ、先輩、ちょっと、やめてください……ッ」

「……奎吾ばっかじゃなくてさ、俺とも親睦深めようよ。俺も、君と仲良くしたいし」


息が、呼吸が、直に当たる度にゾクゾクと背筋が震えた。縁に遭ったときから嫌な予感はしていたが、ここまで期待を裏切らない男も珍しいのではないだろうか。
だが、場所が場所だ。いくらなんでも、ここで縁に絡まれるのは、避けたい。けれど、身を捩って縁の腕から抜け出そうとしてもビクともしないのだ。



「相変わらず敏感でエッチな身体だよね、齋藤君。……本当、セックスするために産まれてきたんじゃないの?」


気を抜けば、シャツの襟の中、滑り込んでくる細い指先に直接素肌を撫でられ、血の気が引く。ねっとりと囁かれる言葉に全身が泡立った。


「縁先輩……ッいい加減に……!」


このままでは、いつもの流れだ。最悪の展開が目に浮かぶ。
なんとかしなければ、と思い切って縁の腕を掴んだときだった。


「……っ、ちょっと、方人さん、何やってるんですか!」


階段の踊り場。たまたま降りてきていた仁科は、俺達を見て呆れたように目を開いた。
まさか、こんなところで仁科と会うなんて。
助けが来たということに内心ほっとするが、それ以上にこんな場面を仁科に見られてしまったという事実にただ気が遠くなる。


「……噂をすればなんとやら、ってね」


耳元で、縁が笑った。けれど、その声に不快感は感じられなかった。それどころか、先程よりも楽しげですらある。


「急に居なくなったと思ったら……っ!せめて場所と時間を考えてください」


「へぇ、なら真夜中で周りに誰もいなかったら齋藤君に何してもいいんだ?」


ああ言えばこう言うとはまさにことことか。
揚げ足を取る縁に、仁科はぐっと言葉を飲み、そして振り絞るように声を出した。


「……だ、ダメです……」


正直、俺は驚いた。渋々ではあるものの、いつだって縁の意見を優先させていたあの気が弱い仁科がそんな反論をするとは思わなかったからだ。
それは、縁も同じだったようだ。


「どうして?奎吾には関係なくない?」

「さ、齋藤が嫌がってるからですよ。……見て分かるじゃないですか、そんなの」

「そ?俺には嫌がってるようには思えないけど?」


言うなり、縁は片方の手を下腹部に這わせてくる。衣類の上から足の付け根の辺りをなぞられ、腰が震えた。堪らず前屈みになった瞬間、それを狙ったかのように股の間に指を滑り込ませた。


「っ、ちょっと、縁先輩……ッひっ、ぃ」


「震えちゃってさ、初々しくて可愛いよねえ。……分からない?齋藤君はこういうのが好きなんだよ、……まあ、優等生の奎吾には分からないだろうなぁ……」


縁の指の腹が、ゆっくりと身体の奥をなで上げる。最奥を探り当てるかのようなその手付きに堪らず、縁を振り解こうとする。けれど。


「先輩、いい加減に……っ」


「い、いい加減にしてください!」


「……ッ!」


俺が縁から抜け出すよりも先に、仁科が縁の腕を掴む方が早かった。


「どーして、奎吾が怒るんだよ」


縁の態度はあくまでいつも通りだった。
純粋に疑問を投げ掛ける縁に、仁科は言葉に詰まる。けれど、それでも縁を掴む手を離さなかった。


「と、とにかく……駄目です、方人さんは他の相手探したらいいじゃないですか」

「け、奎吾さぁ……もう少し気の利いたこと言えねえのかよ」

「ほ……放っておいてください……っ!」


そう言って、仁科は縁から俺を引っ張り、引き離した。それから、仁科は階段を上がっていく。俺を引っ張って。
あんなに大きな声を出した仁科を初めてみた。そんなことを考えながら、俺は、仁科の後ろ姿を眺めていた。
最初頼りなさげに思えていたはずの仁科の背中は、気が付けば思っていたよりもずっと広くて。
俺は、繋がれた手がじんわり汗ばむのを少し恥ずかしくなりながらも、仁科に置いていかれないように段差を登った。

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