どうやら、今日は芳川会長の誕生日らしい。
芳川会長の親衛隊たちがそんな話をしていたのをたまたま聞いた俺は、授業が終わるなり学園を出て芳川会長のプレゼントを買ってきた。
甘いものとイチゴが好きだという芳川会長に合わせて俺が用意したのは、イチゴのショートケーキだ。
レジに並んで買うのは少し恥ずかしかったが、日頃お世話になっている会長のためだ。
ケーキが入った箱を袋に入れ、それを片手に学園へと戻ってきた俺は早速芳川会長にプレゼントを渡しにいくことにした。
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学生寮一階、エレベーター乗り場。
いまの時間帯からすれば、きっと芳川会長は自室にいるはずだ。
そう考えた俺は四階の三年の階に移動しようとエレベーター乗り場へとやってきたわけだが、そこは俺にとって鬼門と化していた。
女装した長身の男子生徒に、どこかで見覚えがある数人の生徒たちが揉めている。
「ばっかじゃねーの?お前らの手作りなんて会長が食うわけねーだろ。食中毒起こしたらどうすんだよ、さっさとこっち寄越せよ。俺が責任もって処分してやるから」
女装した男子生徒もとい櫻田は言いながら男子生徒に突っ掛かっている。
もしかしたらとは思っていたが、やはり芳川会長絡みのようだ。
最早ただの恐喝にしか見えない。
ここは通らない方がいいな。
あいつのことだ、意味不明な因縁つけてこのケーキを全力で奪ってくるだろう。
そう冷静に判断した俺は、別の所から上にあがることにした。
そうこっそり引っ込もうとしたときだ。
「……ん?」
見つかった。
なるべく足音を立てないよう気を付けていたつもりなのに。
男子生徒から顔を逸らし、こちらを振り返る櫻田と目が合う。
櫻田の視線が俺の手からぶら下がるケーキの入った袋に向けられた。
「……」
「……」
そして、間。
笑みを浮かべた俺は櫻田に小さく会釈し、そのままなにもなかったかのように通路へ戻り、全力疾走でエレベーター乗り場から離れた。
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逃げるが勝ち。
そんな言葉が脳裏を過る。
途中鬼の形相で追い掛けてきた櫻田に捕まりそうになりながらもなんとか逃げ切ることに成功した俺は、ショッピングモールまで戻ってきていた。
流石に疲れる。
一階使ってでの鬼ごっこから逃げ切れた俺は、よろめきながら櫻田がいないか辺りを見回した。
そのとき、置いてある観葉植物の植木鉢に爪先を引っ掻けてしまう。
「ぅわっ」
倒れる植木鉢に、大きく揺れる視界。
躓いたとき、咄嗟に観葉植物を掴んだのが悪かったようだ。
顔面から突っ込んでそのまま前転するようなことになりたくなかった俺は、慌てて床に手をつき体勢を整えようとする。
そのときだった。
手の下になにやらベシャッとなにかが潰れたような違和感が走る。
恐る恐る自分の手元に目を向ければ、ケーキが入った袋があり見事俺の手のひらは中の箱を潰していた。
全身の血の気が引いていくのがわかった。
「…………」
やってしまった。
ゆっくりと手を退ければ、袋は不自然に潰れたままで。
俺は中を見るのが怖くなってくる。
間違いなく、潰してしまった。
櫻田に取り上げられるならまだしも、自分で転んで自分で潰すとは何事だ。バカか俺は。
体の下の袋を見下ろしたまま軽く放心していた俺だが、倒れた植木鉢のことを思い出し慌てて植木鉢を立て直すことにした。
▼
通路を片付け、一先ずラウンジへ向かった俺は袋の中からケーキの箱を取り出し中身を確認することにした。
結果だけ言えば、見事に潰れていた。
イチゴも跡形がなかった。
ちょっと崩れてるくらいならどうにか直せるかと思ったが、流石にこれは酷い。
これは俺が食べて、芳川会長には別のケーキを用意するか。
そう思いながらラウンジの壁に掛かっている時計に目を向ければ、既にケーキを買った店の閉店時間は過ぎていた。
植木鉢を片付けるので結構時間を食ってしまったようだ。
今この時間帯じゃどこの店も開いてないだろう。
こうなったら、コンビニで他にケーキがないか探してみるか。
潰れた箱を直し、ぺしゃんこになったケーキを中に戻した俺は一先ずラウンジを後にする。
▼
潰れたケーキが入った袋を片手に代わりのケーキを買いにコンビニへとやってきた俺は、一人デザート売り場の前で唖然としていた。
そこだけ不自然に空になった商品棚。
どうやら、ケーキはすべて品切のようだ。
なんということか。
嫌がらせか。
どうせ親衛隊辺りがプレゼントさせないよう買い占めしたのだろう。
そうじゃなければ、余程俺がついていないかだ。
こうなったら、急いで外のコンビニへ買いに行くか。
今から最寄りのコンビニまで行くには校門が閉ざされる時間ギリギリだが、行けないことはない。
そう踵を返し、急いでコンビニから出ようとしたときだ。
「あれ、齋籐?」
不意に名前を呼ばれ、声がする方へ目を向ければレジの前に立っていた男子生徒、もとい志摩は「買い物?」と笑いかけてくる。
無視して校門へと急ぎたいところだったが、流石にそれは相手に失礼だと思い「まあ、そんな感じ」と曖昧に返事をした。
「あの、じゃあ俺用があるから……」
「え?出掛けるの?」
「これから齋籐のところ遊びに行こうと思ったのに」そう残念そうに続ける志摩は、持っていた買い物袋を軽く持ち上げる。
どうやら志摩は買い物を済ませたあとのようだ。
「ごめんね」
「いいよ、用事なら仕方ないよね。齋籐のためにってケーキ用意してたんだけど、日持ちよくないから十勝にでも食わせとこうかな」
「え?ケーキ?」
「うん。齋籐好きだったよね」
特別好きというわけではなかったが、まさかこのタイミングでケーキが出てくるとは。
笑いながら尋ねてくる志摩に、感極まった俺はうんうんと強く頷く。
「そう、ならよかった」そう志摩は嬉しそうに笑った。
「あ、そうだ。今から時間あるなら俺の部屋来なよ。時間あるとき部屋で食べたら?」
「いいの?」
「もちろん。齋籐のためにつくったんだから」
ん?つくった?
ニコニコ笑いながら続ける志摩に些細な違和感を覚えつつ、俺は「そうする」と頷きかけて戸惑った。
人から貰ったのを人にあげるのはどうだろうか。
くれた本人にもあげる相手にも失礼ではないだろうか。
「どうしたの?そんな難しい顔して」
「志摩……」
「ん?」
「実は、その」
秘密にするより、素直に事情を話した方がいい。
そう結論に至った俺は、志摩に会長にプレゼントする予定だった潰れたケーキのことを説明することにした。
▼
場所は変わって学生寮一階、ラウンジ。
向かい合うように椅子に腰を下ろした俺は、向かい側の志摩におおまかな話をする。
話をすればするほど志摩の笑みが引きつっていったが、黙って最後まで聞いてくれた。
「会長にプレゼントねぇ」
開口一言。
口を開いた志摩は、そう面白くなさそうな顔のまま呟く。
志摩が会長のことをよく思っていないことは知っているので、最悪ケーキの話がなしになる可能性も考えたがそれでもやはり嘘はつきたくなかった。
小さく頷けば、志摩は「その潰れたケーキってまだあるの?」と尋ねてくる。
「……まあ、一応」
「見ていい?」
まさかそんなことを聞かれるとは思わなくて、俺は少し戸惑いながらも「うん」と答えた。
テーブルの上に置いた袋を開いた志摩は、ぐしゃぐしゃになった箱を取り出し中を覗く。
「うわあ、悲惨だね」
そう言う志摩はどこか嬉しそうだ。
なんだかいたたまれなくなってくる。
「でも、大丈夫だよ。これで」
「え?」
「崩れてるの形だけでしょ?ちょっと手を加えればわからなくなるよ」
そう笑いながら箱を閉じる志摩。
志摩がなにを言いたいのかわからなくて、俺は頭上に複数のクエスチョンマークを浮かべる。
「ねえ齋籐、このケーキ借りてもいいかな」
「最初の通りにはいかないかもだけど、見苦しくない程度には形整えることはできるよ」そう笑いながら俺に問い掛けてくる志摩は、どこか生き生きとしていた。
どうやら、志摩は自分がケーキを作り直すと言っているようだ。
「そんなことできるの?」
「できるよ」
志摩が料理できるなんて初めて聞いた。
恐る恐る問い掛ければ即答してくる志摩は、笑いながら「手を加えるのは得意だからね」と小さく付け足す。
今思えば、この時点で気付いておくべきだったのかもしれない。
芳川会長のことを嫌っている志摩が素直に俺の手助けをするはずがないと。
▼
結局、俺は藁にすがる思いで志摩の申し出を受けた。
潰れたケーキが入った袋片手に自室に閉じ籠る志摩を待つこと数十分。
絶対に部屋に入ってくるなと言われた俺は大人しく部屋の前の廊下で志摩が出てくるのを待っていた。
まだだろうか。
日付が変わるまではいかなかったが、そろそろ消灯時間が近付いてきている。
ソワソワしながら志摩が出てくるのを待っていると、不意に志摩の部屋である303号室の扉が開いた。
「齋籐、お待たせ」
「できたの?」
「うん。そりゃあもう最高傑作だよ」
いいながら、扉から出てきた志摩は袋を俺に渡してくる。
袋の中から酷く甘ったるい匂いがしてきた。
「あ、開けちゃダメだからね。一応ラッピングもし直しておいたから」
「ありがとう、ここまでしてくれて」
「うん、もっと感謝してよね」
ペコペコと頭を下げる俺に、志摩は笑いながら続ける。
相変わらずの物言いだが、面倒をかけた今そんな言葉も気にならなかった。
志摩の好意が嬉しくて「ありがとう」と頬を緩ませれば、志摩は「どういたしまして」と笑い返してくる。
「じゃあ、早く渡してきなよ。もうそろそろエレベーター使えなくなるんじゃない?」
「あ、そうだった」
「じゃあ、行ってくる」袋を抱えながら、俺はそう志摩に別れを告げる。
「今度は転ばないようにね」そう茶化してくる志摩に思わず苦笑を浮かべた。
俺は部屋の前で志摩と別れ、そのまま芳川会長の部屋がある四階へと向かうことにする。
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