いつも、仁科には色々お世話になってる。
具合が悪いときは看病してくれるし、怪我したらすぐに手当もしてくれた。
八割は阿賀松のせいで阿賀松の命令でやらされてるだけだけど……それでも、仁科に助けてもらった場面は多々あった。
そんな仁科が具合が悪い。
それを助けて恩返ししたいと思うのは、厚かましいのだろうか。
というわけで、なるべく迷惑にならないようにと考えついたのが差し入れになったのだけれど……。
食堂でサンドウィッチをテイクアウトして、袋に入れてもらった俺はそれを抱え、仁科の部屋の前まできていた。
正直、俺は後悔していた。
それもそうだろう、大して交友があるわけではない俺が食べ物の差し入れなんかしたって仁科は迷惑になるんじゃないのだろうか。世の中には他人から食べ物を施してもらうのを嫌がる人もいる。悪い考えばかりがぐるぐると巡っては、扉の前で立ち往生して後一歩、踏み出せずにいた。
「うぅ……」
やっぱりやめよう。
恩返しはしたかったが、迷惑になるようなことはしたくない。
扉の前から離れようと、踵を返したとき。
すぐ背後で、硬質な足音が響く。そして。
「おい、そこで何してんだ?」
聞き間違えるはずがない。
体の芯から震え上がりそうになる、この声は。
「あっ、あが、阿賀松……先輩……」
「そこ、仁科の部屋だろうが。……お前が仁科に何のようだ?」
たまたま通りかかったのか、それとも仁科に用があったのかわからない。が、私服姿の阿賀松は俺を見るなり訝しむように眉根を寄せる。……疑われてる。けど、無理もない。せめて、これだけは見つからないようにしないと。俺は差し入れの袋をバレないように背後に隠すが。
「おい……今後ろに何隠した?」
目敏い阿賀松はそれを見逃さなかった。
「っ、あ、それは……」
強引に袋を取り上げられる。まずい、と血の気が引いた。
袋の中、テイクアウト用のプラスチックの容器に入ったそれを見て、阿賀松は歪な笑みを浮かべた。
「……ふぅん、なるほどな」
機嫌が悪い阿賀松も大概だが、こういう嫌な笑い方をする阿賀松も……嫌だ。
「自分の男に隠れて、他の男に貢物とはお前もやるようになったじゃねえか……ユウキ君」
「こ、これはそういう意味ではなくて、その、本当になんでもないんですッ!」
「そうピーピー鳴くんじゃねえよ。お前にそんな度胸ねえことくらい知ってるから」
「ぅ……ッ」
ただの差し入れだと分かってくれたようだが……なんだかすっきりしない。阿賀松のにたつく笑顔がちらつくからだろう。理由は分かる。
「……まぁ、丁度いいか」
そして俺に差し入れ袋を突き返すなり、阿賀松はそんなことをぽつりと口にした。
丁度いい……どういう意味だ?
なんとなく引っかかったときだった。
いきなり阿賀松はインターホンを押した。そして。
「おい仁科、開けろ」
阿賀松の一声により、バタバタという足音ともに勢い良く扉が開く。
現れたのは、青褪めた仁科だった。
「っ、い、伊織さん、どうしてここに……ッ!って、齋藤……?」
「ぁ、あの……どうも……」
「こいつがお前の部屋の前でチョロチョロしてたからなぁ、突き出した方がいいと思ってな」
「え……」
「あ、阿賀松先輩……何を……」
何を言い出すんだ、と血の気が引く。
動揺する俺の背中をバシッと乱暴に叩いた阿賀松は、俺の目を見るなりにっと笑った。
助け舟、のつもりのようだ。俺には監獄船のようにも思えたが、まさか阿賀松の方からこうして振ってくれるとは……どういうつもりだ。分からないが、今ここで出さないと本当にタイミングを失ってしまいそうだ。
半ばヤケクソになりながら、俺は、用意していた差し入れ袋を仁科へと差し出した。
「あの、……すみません、これ……勉強大変だと聞いたんで……何も力になれませんけど、せめて、食べやすそうなものと思って……食堂で作ってもらいました」
「俺に……?どうして」
「どうしてって……いうか、その……その、先輩には色々お世話になってるので……お礼がしたくて……」
語尾はどんどん萎んでいき、最終的に自分でも聞こえないくらいの声量になってしまう。
驚く仁科のそれは、間違いなく困惑だ。歓びも嬉しさも感じなかった。だからこそ、後悔した。やっぱり迷惑だったんだと。
「……齋藤。気持ちは嬉しいけど、別に、俺にこんな施しする必要は……」
そう、仁科が口を開けたときだった。
ドッと大きな音を立て、阿賀松が壁を蹴り上げる。小さく揺れる壁に、俺も、仁科も、凍りついた。
ただ一人、阿賀松は無表情で立っていた。
「……お前、人の恋人がわざわざ持ってきたプレゼントをいらねえとか抜かすのかよ」
「……い、頂きます!貰います……貰いますから……!」
さすが、阿賀松。というべきか。
半ば脅迫して俺の差し入れを受け取らせる阿賀松に、俺は阿賀松が何を企んでるのか分からず困惑する。
「……悪いな、わざわざ。……や、違うな……ありがとう、後で食べるよ」
「せ、先輩……こっちこそ、すみません、強引に押し掛けて……」
「悪かったな?強引に押し掛けさせて」
「そ、そういう意味じゃないです、すみません……」
阿賀松の目が痛い。
受け取ってもらえてほっとする反面、やはり嫌嫌なのだろうかと思うと……複雑だ。
阿賀松がいなければ、きっと俺はこのまますごすごと部屋に戻っては一人でサンドウィッチを食べてたのだ。間違いない。
素直に喜べずにいる俺を一瞥し、阿賀松は仁科に向き直った。
「奎吾、テメェが無理して勝手に野垂れ死にすんのはいいけどな、俺の顔に泥を塗るような真似はすんじゃねえぞ。俺と一緒にいながら、満点以外は論外だ」
「は、はい……分かりました」
「勉強なんて俺が三日間缶詰状態でその頭に叩き込んでやればすぐに出来るし間に合う。なら、今やるべきことはその死人みてえな面をどうにかしろ。万全を期して俺を頼れ。それが最善だろ?」
「……か、缶詰……」
「おかしいな……返事が聞こえねーみてえだが」
「は、はい!分かりました!」
「あぁ……それでいい」
鬼だ……鬼がいる……。
けれど意外だった。阿賀松なりに仁科が安心して休めるようにしてるのだろう。……寧ろ脅して休ませてるような気がしないでもないが。
さっきよりも心無しか悪化してる仁科の顔色になんだかこっちまで青くなってると「ユウキ君」と、ちょいちょいと阿賀松に服を引っ張られる。
「は、はい……?」
「今日は一日、こいつが大人しくしてるのを見張ってろ」
「え、お、俺が……?」
「なんだ?俺の言うことが聞けねえってのか?」
「ち、違います……けど、俺で……いいんですか?」
ちらりと仁科を見る。
俺といても色々調子狂うんじゃないかと不安になって尋ねれば、阿賀松はあっけらかんとした顔で「いや?」と即答する。
「別に安久ちゃんでもいいけどな」
「さ、齋藤で……お願いします」
「……だとよ」
よかったな、と阿賀松が言ったような気がしたのは俺の思い込みだろう。
正直、見張りなんて役目やりたくなかったが、仁科もいいと言ってるし……そもそも阿賀松の命令に歯向かうことも出来ない。
「……分かりました、あの、よろしくお願いします」
「……あぁ」
やっぱり、微妙なリアクションだ。
当たり前だ、堂々と見張りを付けられて喜ぶような殊勝な人間……いるかもしれないが、仁科はそういうタイプではない。
なりたくなかった負担になってしまう自分が情けないが、こればかりはどうすることもできない。
「ユウキ君、もしこいつが俺の言いつけを守らなかったら言えよ。俺の部屋に連れて行くから」
「……わ、分かりました……」
それはかなり怖いな……。
釘を刺され、益々後に退けなくなる。
「それじゃあな」
「あの、伊織さん……ありがとうございました」
お礼を口にする仁科に、阿賀松は振り返る。
「あ?……聞こえねえな」
照れ隠し、ではないだろうが、敢えて聞こえないフリする阿賀松はそのまま仁科の部屋の前から立ち去った。
やっぱり、阿賀松は解らないな……。思いながら、俺達は阿賀松の背中が見えなくなるのを待った。
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