学生寮一階、ショッピングモール。
晩飯も済ませ、そろそろ部屋に戻るかとエレベーター乗り場へと向かってる途中だった。
向かい側に見覚えのある姿を見つけた。
白に近い派手な金髪は一度見たら忘れられない。
仁科奎吾だ。


「あ……先輩……」

「ん……あぁ、齋藤か」


声を掛ければ、仁科はこちらを振り返った。
そして呼んだのが俺だとわかると、安心したように小さく息を吐く。


「どうした、何か用か?」

「いえ、あのそういうわけじゃないんですけど……仁科先輩、なんか、顔色悪くないですか?」


元々あまり血色がいいタイプではなかったが、今日は特に見ても分かるくらい唇に色が無い。
表情からも分かるくらい滲んでる疲労感に、思わず声を掛ければ仁科は力なく笑った。


「……や、まあ、多分寝不足だな。……いつものことだし、別に大したことないから……気にしないでいい」

「す、すみません……」

「……それじゃ、お前も早く部屋に帰れよ」

「は、はい……失礼します」


歩き出す仁科。俺に構ってる暇ないのだろう。気になったが、呼び止めるのもおかしな話だ。
そのまま軽く会釈し、その場を離れようとしたときだった。後方からゴッと鈍い音がした。
何事かと振り返れば、柱の前、どうやらぶつかったらしい仁科はよろよろと頭を抑え、そのまま尻餅をつく。


「せ、先輩!だ、大丈夫ですか?!」

「……悪い、躓いた」


躓いているようには到底見えないが、誤魔化してるのは一目瞭然だ。
慌てて駆け寄れば、仁科は「大丈夫だから」と一笑して、そのままゆっくりとした動作で起き上がろうとした。その姿すら危うくて、俺は堪らずその肩を支え、手助けしようとしたとき。
触れた手から、焼けるような熱を感じた。


「せ、先輩……すごい熱が……!」

「大丈夫だって、これくらいなら……部屋に薬が……ぅ゛……」

「む、無理しないで下さい……あの、先輩の部屋、どこにあるんですか?……俺、薬取って来ます」


どう見ても健常ではない仁科にそう声掛けるも、仁科は「いい」の一点張りだ。


「いいって……」

「俺は……大丈夫だから、お前は早く帰れって」

「そんな……」


このまま目を離したら、また転ぶか途中で倒れるのは間違いない。俺に面倒掛けたくないからか、それとも下手に騒ぎ立てられたくないからか、分からないけど、このまま一人にしてはダメだ。それだけは確かに分かった。

その時だ。
遠くからバタバタバタとけたたましい足音が聞こえてきた。
そして、続いて聞こえてきたのは……。


「おい、馬鹿仁科!僕が何度も電話掛けてるっていうのになんで無視して…………って、齋藤佑樹お前仁科に何してるんだよ!!」


御手洗安久だ。
携帯端末片手に怒鳴り散らしていた安久は、俺と仁科の姿を見るなり血相を変えた。


「え……お、俺は何も……」


しかも何か疑われてる。
突然の安久の登場にも関わらず、仁科は取り乱すどころか予期していたようだ。「だから言っただろ」と、小さく息を吐く仁科。どうやら、安久が追ってくると分かったからこそ俺をこの場から離そうとしてくれていたのだろうか。


「安久、別に何もされてないから……ただ転んだのをたまたま助けてもらったんだよ」

「転んだって……おい、それになんだその顔!仁科お前伊織さんにあれほど病院行けって言われたのに行ってなかったのか!」

「……」

「びょ、病院……?そんなに具合悪いんですか?」

「だから、ただの寝不足と貧血。……それくらいなら寝てれば治るし、いちいち大袈裟にしなくてもいいだろ」

「お前そういって伊織さんの心配を無碍にしやがって!もう知らない!勝手にくたばってろ!」


「あ、安久……そんな言い方……」


ふん、と息巻く安久を止めようとすれば、逆に仁科に窘められた。


「いい、安久の言う通りだから。……行きたくなかったのは俺の意思だし、こうなったのも自業自得だし」

「先輩……」

「つーか、齋藤、あのさ……手、離してくれないか?」

「あっ、す、すみません……」


「いや、気にすんな」と、仁科は安久を置いて歩き出す。
やはり、その足取りはどこか覚束ない。
あの阿賀松が心配したのだからその不調も相当のはずだ。ふらふらと歩く仁科に声を掛けようか迷っていたとき。


「本当、奎吾の病院嫌いも治んないよな。医学部目指してるのに、本人が病院嫌いなんておかしいよねえ齋藤君」


当たり前のように俺の隣ににゅっとやってきた縁は、うんうんと頷きながら同意を求めてくる。
全く忍び寄る気配を感じさせなかった縁の突然の登場に一瞬口から心臓が飛び出しそうになった。


「縁先輩……、い、いつから……」

「安久がなんか喚いてるのが聞こえてきたからね」


しかも結構前だ……。
いたのならいたと言えばいいのに、なんなんだこの人は。


「奎吾のことなら心配しなくていいよ。本人も言ってただろ、気にするなって」

「でも……」

「疲れが溜まってんだよ、寝かせとけばいいって。……ま、ちゃんと部屋まで戻れるかは俺が見届けてやっとくから安心して」


そう笑い掛けてくる縁。
正直な話、何も安心できないのだが、俺が行くよりも縁が付き添った方が仁科としても気が楽なのかもしれない。
そう考えると、何も言い返せなくなる。


「……分かりました。失礼します」

「それじゃあね、君可愛いんだから知らない人にはついていかないように気をつけて」


そんな縁みたいな奇特な人間、縁以外にいるか。言い返しそうになったが、敢えて何も言わずにその場から立ち去った。

それにしても、仁科の病院嫌い。
確かに俺もあまり好きじゃないけど……。だけど、そうなると余計気掛かりだ。 
俺が心配したところで何がどうなるわけではない。
俺は考えることを止め、真っ直ぐ帰路に着いた。

そして、翌日。

学生寮一階・ショッピングモールにて。
今度はコンビニの前で仁科と出会う。
「先輩」と声を掛ければ、こちらに気付いたようだ。仁科は申し訳なさそうに笑う。


「……おはよう、昨日は悪かったな、心配してくれたのに」

「いえ……それより、もう大丈夫なんですか?」

「……あぁ、大丈夫だよ」

「それなら……良かったです」

「……」

「……」


相変わらず会話が続かないことはともかくだ。
……本当に、具合良くなったのだろうか。少なくとも俺には、仁科が元気そうには見えなかった。
確かに昨日よりは幾分足取りはよくはなってるが、顔色そのものは寧ろ悪化してるようにも見えた。


「それじゃ……俺はこれで」

「……はい、失礼します」


軽く他愛ない会話を交わし、その場で別れを告げる。買い物を澄ませていた仁科は、そのまま歩き出した。
足取りしっかりしてるけど……。


「ぜっったい、嘘だよ、あれ」

「ひっ!!」

「珍しく意見が合うね、変態」

「ぁあッ?!」


左右から聞こえてきた声に慌てて振り返れば、そこには縁と安久が立っていた。


「ふ、二人共……いたんですか……?」

「齋藤君がいるところには俺はいつでも現れるよ」

「僕はお腹空いたからご飯食べてたところ。……齋藤佑樹、仁科のやつまーた昨日ろくに寝てなかったみたいだよ、気づかなかった?」

「た……確かに、顔色は昨日と変わらない……寧ろ少し悪くなってるように見えたけど……」

「もうすぐテストだからね、ろくに授業に出れてない分せっせと勉強してるんでしょ。ほーんと馬鹿みたい、それなら一日まるまる休んで万全の状態で挑んだ方がましなのにさ」

「奎吾は努力の仕方が下手だからね、それにどっかの誰かさんみたいに何もしないで休むってことが出来ない程真面目なんだよ、どっかの図太い神経した誰かさんと違ってね」

「なんだよそれ誰のこと言ってんだよ!やるのか変態!」

「別に安久とは一言も言ってないんだけど?自意識過剰ちゃんかな?」

「きぃ〜っ!!」


通路のど真ん中で喧嘩を始める二人はさておきだ。


「仁科先輩……」


勉強か。受験生は色々大変なのだろう。それに、仁科の置かれてる立場も併せて考えたらこっちまで胃が痛くなる始末だ。
……大丈夫だろうか。
安久の言葉も確かに一理あった。けれど、縁の言葉も分かる気がする。仁科はきっと、何もしないで休むということが不得意そうなタイプだから。


「あの今日、仁科先輩って……阿賀松先輩のところに行ってるんですか?」

「さぁ?伊織、今朝『お前の辛気臭い顔見てたらこっちまで気が滅入る』って奎吾を追い出してたから多分一日部屋にいるんじゃないかな?」

「……そう、ですか……」

「あれれ、もしかして齋藤君、奎吾を癒やしに行ってあげるつもりなの?」

「止めとけ止めとけ、アンタの面なんか見たらやる気もなくなるからな!」

「べ、別に……そういうわけじゃないんです……!ただ、聞いただけなので……失礼します!」


このまま二人と一緒にいたらいらぬ勘繰りまでされてしまいそうだ。
それを危惧した俺は、脱兎の如くその場から逃げ出し、コンビニへと移動した。


「本当、齋藤君はお節介だよなぁ……良いなぁ、俺も齋藤君に世話焼かれたいな」

「アンタは齋藤佑樹よりも警察とか頭のお医者さんに世話になった方がいいんじゃないの?」

「齋藤君可愛い……」

「僕を無視するなよ!!」

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