校門前。
 外出から戻ってきた俺は、戦利品であるチョコレートをコートのポケットに仕舞い、学生寮へと向かって歩き出す。
 校内でも調達することは可能だが、人目につく可能性が大きい。なるべく、隠密に事を進めたかった。
 あの人に見つからないようにするため。
 けれど。

「随分と、遅いお帰りだな」

 学生寮へと帰ろうとしたときだ。背後から聞こえてきた、聞き覚えのあるその声に全身が凍り付く。
 振り返れば、そこには黒塗りの高級車の前に立つ阿賀松がいた。格好からして外から戻ってきたばかりのようだが……何というタイミングだ。

「せ、先輩……どうしてここに」
「なんだ?俺がここにいちゃなんか問題でもあるのか?」
「い、いえ……」

 詰め寄ってくる阿賀松に、無意識に後退る。それでも逃れられず、あっという間に建物の壁際へと追い込まれた俺は目の前の圧迫感に目の前が真っ暗になる。

「俺の予定も断って、どこほっつき歩いていたんだ?」

 耳元、低く囁かれるその声に、血の気がさあっと引いていく。怒ってる。見れば分かるくらい不機嫌の色を濃くした阿賀松は、必死に目を逸らそうとしていた俺の頬を無理矢理掴み、正面を向かせてきた。

「どこに行ってた?」
「……どこって……別に……」

 ここで、バレるわけにはいかない。と思ってたけれど、至近距離、睨まれれば正直もういいんじゃないかと早速挫けそうになる。
 今日は、朝から人気の高級チョコブランドショップに行ってきた。売り切れないよう女の人たちに混ざって並んで、ようやく調達したのだ。
 高級志向で、妥協をしない恋人へ渡すチョコレートはこれしかないと。
 いつもムードがないだとか言われるので今日こそはと一日の計画を綿密に練っていたのに、まさかこんな場所で阿賀松に会うなんて……つくづくツイていない。

「……へぇ、俺に隠し事とはいい度胸じゃねえか」
「別に、隠してなんか……っ、ぁ、先輩……ッ!」

 いきなり胸倉を掴まれ、服の中を弄られた。
 びっくりして慌ててポケットを抑える。けれど、その咄嗟に取った行動で阿賀松に勘付かれたようだ。俺の手を無視してポケットの中に手を突っ込んできた阿賀松は無慈悲にも隠されていた箱を探り当てた。

「なんだこれ」
「そ、れは」
「誰に渡すつもりだったんだ?……俺にコソコソ隠れて」

 バレてしまっては仕方ない、と腹を括るも、阿賀松がとんでもない勘違いをしてることに思考停止する。
 まさか、阿賀松、俺が他の相手のために隠れてプレゼントを用意したと思ってるのか?
 でも確かに、わざわざ阿賀松の誘いを断ったのだからそう思われても仕方ないのか。けれど、自信過剰な阿賀松を見てきていた分、驚いた。そして、慌てて首を横に振る。

「っ、誤解です、これは、別に……」
「俺にはなーんもなくて、他の奴には貢物か。……楽しそうだなぁ、ユウキ君は」

 拗ねてるのか。皮肉気な笑みを浮かべながらも箱からチョコを取り出した阿賀松は容赦なくそれを口に放り込んだ。別に、阿賀松のために用意したのだからそれはそれでいいのだけれど計画では夜景の見える場所で食べてもらう予定だったのに……と思わぬショックを受ける。

「っ、先輩……」

 せめてもうちょっとゆっくり味わって食べてください、と視線を送ったときだ。視界が陰り、キスをされる。瞬間、周囲にチョコレートの特有の濃厚なカカオの薫りが広がった。周囲だけではない、口の中にもだ。

「っ、ぅ、……ッむ、ぅ……ッ」

 ちゅ、と音を立て、溶けかけのチョコレートを舌ごと口の中へと押し込められる。舌同士が触れ合った瞬間、固形だったそれは跡形もなく消えた。
 残ったのは、ビターチョコレートの苦味と、熱い舌。
 べろりと俺の唇を舐めた阿賀松は舌なめずりする。

「甘いな」

 そんなはずはない。ミルクチョコレートはガキの食べ物だとか言って文句垂れることを想定して敢えてビターチョコレートを選んだのだから。
 現に、どちらかというとチョコレートはミルク派の俺が苦いと思うくらいだ。
 それでも、やはり阿賀松の肥えた舌には敵わなかったということか。
 少しは気に入ってくれるのではと思っただけに少し凹む。そんな俺に、阿賀松は唇に何かを押し付けてきた。

「っ、は、んむ……」
「……口直しだ。『これ』は、俺が貰っといてやる。その代わりにそいつをやるよ」

 阿賀松の唇とは違う、冷たい感触。
 受け取れば、それはリングケースくらいのサイズの小さな箱だった。

「っ、あ……ありがとう、ございます」
「何お礼言ってんだよ。馬鹿か?」
「……すみません」

 見覚えのあるロゴ。それは、俺が阿賀松へのチョコを探してる最中見かけたブランドショップのロゴだ。
 まさか、阿賀松もチョコを買いに出かけていた……わけではないよな。
 でも、だとしたら。
 俺は、それ以上考えないことにした。
 今はただこの甘味と幸福感に身を委ねていたかったのだ。

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