「……志摩」


志摩が俺を庇ってくれてから何日が経過しただろうか。
阿賀松にベッドから動くなという命令がある今、一日中ベッドに座る日が続いているおかげで自分が寝ているのか起きているのかすら曖昧になってくる。


「……志摩……」


志摩は大丈夫だろうか。
志摩。志摩に会いたい。
隔てるものはたった一枚の扉だけだというのに、自分の行動一つで志摩がどうにでもなってしまうと思うとその場から動くことすら躊躇われてしまう。

せめて、声だけでも。
そう、膝を握り締めた時。
扉が開く音が聞こえ、顔を上げる。


「よお、大人しくしてたか?」

「せん、ぱい……」


阿賀松は、ベッドの上で蹲っていた俺を見つけ、笑う。
いつもと変わらない笑顔。
志摩はどうしているのかと聞こうと思ったが、やめた。


「ほら、お腹減っただろ。食えよ」


サイドテーブルに置かれたトレーの上には食堂から持ってきたのだろうか、一人前の料理が載っていた。
しかし、食欲すら沸かない今、何を見ても食指が動かない。


「……」

「食えよ。……じゃねえと、お前がキツくなるだけだぞ」


今更阿賀松が俺の命を心配するとは思わない。
キツくなるという言葉が引っ掛かったが、追求する気にもなれなくて。


「……いりません」


そう呟けば、阿賀松は「あっそ」とだけ呟き、それ以上無理強いすることはなかった。
けれど。


「なら、後でゴタゴタ抜かすなよ」


伸びてきた大きい手のひらに肩を掴まれたと思った瞬間、ベッドの上に押し倒される。
沈む上半身、驚いて起き上がろうとするが、覆い被さってくる阿賀松に胸を押し返され、再びベッドに戻された。


「っ、先輩……ッ」


何を、と目を見開く。
こちらを見下ろす阿賀松は「何?」と不思議そうに小首を傾げ、笑った。


「恋人と戯れんのに理由がいんのかよ」

「……っ」


恋人。
その単語に胸がキツく締め付けられた。
志摩が身を呈してまで庇ってくれたのに、阿賀松は、志摩のいないところで同じことをしようとする。
怖かったし、それ以上に、悔しかった、志摩の気持ちを無碍にされたみたいで。
だけど。


「まさかユウキ君、亮太にこれの相手までさせるつもりだったのかよ」

「ッ!ち、違……」

「だよなぁ、自分だけベッドの上でぬくぬくしてるなんて、亮太が報われねえもんなぁ」


志摩の名前が出る度にキリキリと心臓が締め付けられていく。


「言っただろ、お前らは二等分だ。……亮太に悪いと思うんなら少しくらい俺に奉仕してみろ


「そうしたら、あいつに会わせてやってもいいぜ」そう悪戯に笑う阿賀松に、胸の奥が疼く。
志摩に、会える。
その一言に、例え阿賀松の戯言だとしても、光が見えたみたいで。
志摩に会える。
志摩が苦しまなくて済む。
それなら、俺に出来ることは。

掴んでいた阿賀松の腕から手を離す。


「……」


抵抗を止める。諦めるのは簡単だった。
けれど、無抵抗となると別だ。

シーツを握り締め、込み上げてくる羞恥を押し殺し、俺は、抵抗を止める。
裸になることよりも恐ろしくて、情けなくて、それでも少しでも志摩が苦しまなくて済むのなら、それくらい我慢できる。
それが俺に出来ることだから。


「……ハッ、健気だねぇ」

「……早く、して下さい」

「ちげえだろ、ユウキ君」


伸びてきた手に、無理矢理上を向かされる。


「阿賀松先輩の好きにして下さい、だ」


覗き込んでくるその目に、浮かんだ笑みに、飲み込まれそうになる。
近付く唇。
いっその事丸呑みされて咀嚼されてしまえば何も考えずに済むのに。
思いながら、俺は震える唇を噛み締め、阿賀松の唇にキスを落とす。


◆ ◆ ◆


「ん、ぅ、うう……ッ」


深く入り込んでくる阿賀松の舌。
流れ込んでくる唾液に息苦しくなって顔を逸しそうになり、寸での所で耐えた。


「なあ、もう一回」

「ぅ、え……?」

「ユウキ君からキス、しろよ」


ほら、早く、と舌を出す阿賀松に急かされ、命令されるがままに舌を突き出す。
恐らく、阿賀松の目に映る俺はさぞかしアホ面晒していることだろう。そう思ったら急に自分が浅ましい人間のように思えて、引っ込めそうになる舌を出したまま俺は阿賀松に顔を近付ける。
舌の絡ませ方なんて分からない。
いつも一方的に貪られていたせいか、自分からこうして阿賀松に触れることに緊張せずにはいられなくて。


「ん、ぅ……」


粘膜同士が触れ合い、その濡れた音に、暑い感触に、顔が熱くなる。
それを堪えながらも俺は阿賀松の舌に自分のものを絡めた。
それからはもう、何も考えられなかった。
あくまで自分でしろという阿賀松に促されるがまま、見様見真似で舌を絡ませて、触れて、貪って。

全部、志摩のためだ。
そう思い込もうとするけれど。


「ユウキ君、キスだけで勃っちゃった?」


唇が離れ、視線を落とした阿賀松は笑う。
その言葉に慌てて腰を引こうとするが、伸びてきた阿賀松の手に下腹部を弄られ、全身が凍り付いた。


「これは、そのっ」

「別に恥ずかしがらなくていいだろ。……お前がこういうの好きだって知ってたし」


好きというわけではない。
そう言い掛けるが、衣類越しに下腹部を揉み扱かれそこ先は言葉にならなかった。


「っ、せんぱ、い……っ」

「ここ最近まともに相手してなかったからなぁ、寂しかっただろ?」


そう言って真っ直ぐにこちらを覗き込んでくるその目に、腰が震える。
そんなわけがない。寂しいはずもない。
言ってやりたい。けれど、阿賀松は求めている答え以外を口にしたら、どうなるか分からない。

『亮太に悪いと思うんなら少しくらい俺に奉仕してみろ』

阿賀松の言葉が脳裏を過り、喉が、震えた。


「寂し……かったです」

「それで?」

「……っ、え」

「それで、どうして欲しいんだよ、俺に」


至近距離から覗き込んでくるその目に、今度こそ頭が真っ白になる。
阿賀松が何を言わんとしているのかが分かってしまって、それでも、俺に拒否権はなくて。


「さ、……触って……」

「触るだけでいいのか?」

「……っ」

「ユウキ君」

「……い……」

「は?聞こえねえよ」

「い……いれて、下さい……ッ」


「お願いします」と口にした喉が焼けてしまいそうなくらい熱くなって、喉だけではない、顔も、耳も、熱い。
真っ直ぐ阿賀松のことを見ることすらできなくて、ぎゅっと目を瞑れば近くで阿賀松の笑う気配を感じた。


「ここは『阿賀松先輩ので俺の中をどろどろのぐっちゃぐちゃに犯して下さい』って言ってもらいたかったんだけどな、お前には難しいか。……まあ、及第点かな」


その言葉にほっと安堵するも束の間。
腰を持ち上げるように押し倒され、ベッドが軋む。


「……っ」

「自分で脱いで足を持て。それくらいできるだろ?」


挑発的なその言葉に、全身が強張る。
やれよ、そう言うかのような鋭い視線から逃れることは出来ない。
唇を噛み締め、俺はベルトに手を掛けた。
これで、志摩のためになるのなら恥じることはない。

そう繰り返し頭の中で呟きながら。



「……齋藤……ッ」



◆ ◆ ◆


志摩に会わせる。
そう阿賀松は言っていた。
その時は志摩に会いたいという一心だったが、終わってみればあの阿賀松が本当に素直に志摩に会わせてくれるのか自信がなくなってくる。


「つ……ッ」


腰が、体の節々が痛む。
せめて、シャワーを浴びれたら。
汗で張り付いたシャツを剥がし、もう少しだけ休もうなかと目を閉じた時だった。

扉が開く。

脊髄反射で飛び起きれば、そこには思いもよらぬ人物がいた。


「し、志摩……っ!」

「…………」


制服を身に纏った志摩がそこにはいた。
見た感じ大きな怪我もないことを確認し、俺は安堵とともに「志摩」とベッドから降りる。


「志摩……っ」


よかった、と言い掛けて、その言葉を飲み込んだ。
何一つよくない、それでも。


「……会いたかった……っ」


もう一度ちゃんと話したかった、それだけではない、いつもみたいに笑った顔を見たかった。
そう思えたのはこうして離れ離れになったからか、わからないけど今はただ志摩と会えたことを噛み締めたくて。

けれど。


「……」

「……志摩……?」

「……」


志摩は、何も言わない。
いつも見たいな軽口も、笑顔もなく、ただ俺を見下ろしている。感情の読めない目で。


「あの、志摩……」

「……齋藤」


久し振りに聞いた志摩の声は低くなっているように感じた。
それが俺の思い込みかどうかわからない。それとも、ただ。


「お風呂、入ろうか」


戸惑う俺を他所に、志摩はそう微かに笑った。


◆ ◆ ◆


お風呂という単語に戸惑わずにはいられなかった。
阿賀松との行為の後ということも多かったのだが、阿賀松は志摩に俺に触るなと言った。
それなのに、こうして志摩が俺を風呂に入れようとするのだ。



「志摩、でも、大丈夫なの……?」

「あいつに言われたんだよ。齋藤が汚れてるだろうから風呂にいれてやれって」

「……ッ」


全身が、硬直する。
阿賀松につけられた痕もまだくっきり残っているというのに、いやだからだろう、志摩の言葉に汗が滲む。


「あの……っ、それって……絶対……?」

「……」


出来ることなら志摩に見られたくない。
跡だらけの体を見た志摩にどう思われるかがひたすら怖かった。


「……齋藤は、俺と風呂入るの嫌?」

「そういう、わけじゃないけど……」


そう言う志摩の目に、一瞬、哀しそうな色が浮かぶのを俺は見逃さなかった。


「……悪いけど、拒否権はないみたいだから」


その言葉に、ズシンと肩に重荷が伸し掛かってくるようだった。
そうだ、俺が渋れば志摩が痛い目に遭ってしまう。
我儘は、言えない。
「わかった」の代わりに、俺は小さく頷いた。


◆ ◆ ◆


「……」


志摩の前で脱ぐのは初めてではない。
それでも、志摩の手に一枚一枚服を脱がされていくだけで、酷く恥ずかしくて。


「……齋藤、そんなにガチガチになられても脱がしにくいんだけど」

「あ、ご、ごめん……なさい……」

「……」


先程から志摩の口数が少ないのも関係しているのだろう。
機嫌が良いはずがないと分かっているけれど、だからこそそんな状況でも志摩にドキドキしている自分が酷く恥ずかしくて、その温度差に余計惨めになってくる。

シャツを脱がされ、肌を露出する度に突き刺さる志摩の視線が痛くて、それでも、逃げ出すことは出来なくて。

とにかく、落ち着こう。志摩に手間を掛けさせてはいけない。
そう、小さく深呼吸を繰り返した時。
項を触れられる。


「ぁ……ッ?!」

「……これ」

「えっ、な、なに?」

「すごいね。……ここにも、付いている」


「こんなところにも」と、背中、腰へと滑る志摩の指に全身が強張った。
こそばゆいというものではない。
触れられた箇所が疼き、腹の底から言葉にし難い感覚が込み上げてくる。
恐らく、痕のことをいっているのだろう。
自分では見えないだけ余計、志摩の目にどう映っているのかを考えると恐ろしかった。


「あの、志摩……っも、いいから……」

「……あいつ、齋藤には手を出さないって言った癖に……」

「し、志摩……っ?」


聞いたことのないような低い声。
志摩の顔が見えないだけ余計不安になってきて、「志摩」と振り返ろうとしたときだった。

正面、背後から伸びてきた志摩の腕に上半身を抱き竦められる。


「ッ!志摩っ!」

「齋藤は、俺のものなのに……ッ」


抱き締められている、そんなことにドキドキしてる場合ではなかった。
首筋に這わされるぬるりとした舌の感触に心臓が停まりそうになり、慌てて志摩の腕から逃げようとするけど、抱き締めてくる腕はどこまでも力強く、離れない。


「志摩、俺は、物じゃないよ……!」


噛み付くように首筋を貪る志摩に、俺はつい声を上げる。
これじゃ、今までと変わらない。
志摩は、不安なのだろう。それが分かってしまった今、拒むことは出来なくて。


「だけど、俺は、志摩がいい」


「志摩じゃないとダメなんだ」そう、腰に回された志摩の手に自分の手を重ねる。
こんな痕だらけで何を言ってるんだと馬鹿にされるかもしれない、軽蔑されるかもしれない。
それでも、それだけは伝えたかった。


「……齋藤……っ」


耳元、聞こえたその声は確かに震えていて。
視界が霞む。名前を呼ばれただけだというのに、突き放さず、更に強く抱き締めてくれるその腕が嬉しくて。
もう一度、志摩の顔が見たかった。
首を動かせばすぐ至近距離に志摩の顔があって、視線がぶつかる。


「……志摩、最近泣いてばっかだよね」

「誰の、せいだと思ってるんだよ」

「……ごめんね」


違う、そうじゃない、そんなことを言いたいんじゃない。


「っ、……ありがとう、志摩……」


目の前の唇に触れるだけのキスを落とす。
ほんの一瞬の触れ合いだった。
それでも、触れた唇は焼けるように熱く、疼く。


「……本当、狡いなぁ、齋藤は」

「……ご、ごめん」

「そんなこと言われたら、我慢出来るわけないだろ」


二度目のキスは、志摩からだった。
深く、酸素ごとお互いを貪り合うように唇を交わす。

志摩がいなかったらこんなことにはならなかったのだろう。
それでも、志摩がいてくれたからこそ、これ程までに悲しい気持ちも嬉しい気持ちも知ることが出来たのだろう。
そう思うと、不思議だった。

絶対に許してはいけない相手だけど、それでも、阿賀松に感謝してしまいそうになっていた。

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