「伊織さん、ジュース買ってきました!」
「おー、気が利くじゃねぇの。偉いなぁ安久は」
「そ、そんな……これくらい当たり前です!」
学生寮一階、ゲームセンターにて。
自販機で買ったジュースを阿賀松に差し出す安久は、そう息を巻く。
俺からしてみれば自ら望んでパシりになろうとする安久の神経を疑ったが、まあ、安久だ。
世の中俺には理解できないこともあるということだろう。
「ま、いいや。ありがとな」
安久の手からジュースを受け取った阿賀松は、そう笑いながら安久の頭を撫でた。
アーケードゲーム機の陰から二人の様子を窺っていた俺は、いきなりの阿賀松の行動に一瞬目を疑う。
「ああ、そうだ。そういや安久、お前晩飯まだだったよな。一緒に食うか」
「ご一緒します!」
「はは、そーか。んじゃ行こうぜ、俺も腹減ったところだったし」
なんだあの爽やかな笑みは。俺でさえあんな笑み見たことないっていうのに、というかご飯だと。俺だって晩飯まだ食べてないのに。なんなんだ。なんで阿賀松はあんなに安久に甘いんだ。俺だって阿賀松の言うこと聞いてるのに可笑しくないか。差別だろ。
「齋籐君、齋籐君。なんかすっげー怖いよ」
さっさと歩いていく阿賀松の後を小走りでついていく安久を目で追っていると、不意に背後から声が聞こえてきた。
「……え、縁先輩」
「なにやってんの?隠れんぼ?」
アーケードゲーム機の裏側にしゃがみ込んでいた俺を疑問に思ったようだ。
いつの間にかに背後に立っていた縁は、言いながら俺の視線の先に目を向ける。
尋ねてくる縁に「なんでもないです」と返し、俺はそのまま立ち上がった。
「……あの、なんで阿賀松先輩って安久に優しいんですか?」
「ん?ああ、あれね。優しいっていうか、擦り寄ってくる犬を撫でてる感じなんじゃない?」
「い、犬ですか……」
なんとも適当な縁の言葉に、俺は犬が阿賀松に擦り寄っているのを想像する。
まず人ですら近寄り難い阿賀松に犬が擦り寄っていくのが想像できなかった。
「なに、まさか齋籐君、伊織に優しくされたいとか思ってないよね」
考え込む俺に、ちょっと引いたような顔で縁が問い掛けてくる。
いや、まさか。ないないない。ないけど、どうせなら優しくされたいというのはある。
「やめときなって、そんなに優しくされたいんなら俺がいくらでも優しくしてあげるから。勿論、ベッ……」
俺は静かにゲームセンターを後にした。
◆ ◆ ◆
翌日。
いつものように授業を受けて、いつものように学生寮へ帰る。
一晩経ったいまでも昨夜の阿賀松の爽やかな笑みが離れない。
おかげで授業の内容が頭に入ってこなかった。
まあ、これはいつものことだけど。
学生寮ロビー。
自室に帰る前に食堂で晩飯でも食ってくるか。
混み始める前に済ませた方がいいだろう。
そう判断した俺は、そのままショッピングモールにある食堂へと向かった。
◆ ◆ ◆
食堂へ向かう途中のことだった。
「あれ、ユウキ君じゃん」
一人とぼとぼと歩いていると向かい側から阿賀松とその取り巻きがやってくる。
俺の姿を見付けるなり笑みを浮かべる阿賀松は、そのままこちらへと近付いてきた。
「なに、お買いもの?」
「いえ、その……食堂に行こうかと」
「いまから?早くね?」
いきなりの阿賀松との遭遇に緊張しながら答えれば、阿賀松は少しだけ驚いたような顔をする。
確かに、早いかもしれない。が、極端に早すぎるというわけでもない。
「……阿賀松先輩も一緒にどうですか?」
阿賀松相手になにを話したらいいのかわからず、戸惑う俺の口からそんな言葉が飛び出した。
まさか自分から阿賀松を誘うようなことをするとは思ってもおらず、俺自身自分の発言に驚く。
それは阿賀松も同じだったようだ。
「なんだ?珍しいな、お前から言ってくるなんて」
驚いたような顔をする阿賀松だったが、すぐに笑みを浮かべる。
喜んでいるかどうかはわからなかったが、取り敢えず不愉快ではなさそうだ。
昨日の縁の言葉を思い出す。
やっぱり、あれは本当なのかもしれない。嫌な顔をされるに違いないと覚悟していた俺は、その阿賀松の反応に内心ほっとする。
「悪いけど俺、これから出なきゃなんねぇの」
「一人でいけるか?」笑いながら、阿賀松はそう諭すような口調で俺に聞いてきた。
まるで子供を相手にしているような優しい声音に少し恥ずかしくなったが、ようするに阿賀松に振られたということなのだろう。
空気を悪くしないための咄嗟の誘いだとしても、やっぱり断られると寂しかった。
「……行けます」
他の人間を連れている手前、こんなところで立ち話して迷惑をかけるわけにもいかない。
項垂れるように頷く俺に、阿賀松は「そーかそーか」となんとも心の込もっていない声をかけてくる。
「んじゃ、また今度にでも誘ってくれよ」
軽くバシバシと俺の肩を叩いた阿賀松は、そのまま俺の横を通り過ぎていった。
その後に続くようについていく取り巻きを見送り、一人通路の真ん中に棒立ちになった俺はなんとも言えない気分になる。
確かに、自分から話しかけた方がなんとなく阿賀松が優しかったような気がする。
もしかしたらただの気のせいかもしれないが。
なんとなく安久が阿賀松に擦り寄っている理由もわかってくる。
これで阿賀松が優しくなるんだったら、もしかして俺も安久みたいになるかもしれない。
思いながら、俺は阿賀松に言われた通り一人寂しく食堂で晩飯を取った。
◆ ◆ ◆
翌日。
普段が普段なせいか、昨日の優しい阿賀松が頭から離れなかった。
どうせ阿賀松にコキ使われるというなら優しい阿賀松にコキ使われたい。
そう思いながら、今日も一日勉学に励むことにする。
とは言ったものの、俺が励んだからといったからといって結果がついてくるわけではないのだけれど。
午後の体育の授業にて。
授業という名の名目で校庭に出た俺はクラスメートとともにサッカーをしていた。
とは言っても組を作ってボールの蹴り合いをするというものだ。
「齋籐ーいくよー」
その相手である志摩は、そう言いながら笑顔で手を振ってくる。
昨日、阿賀松はまた誘ってくれと言った。
またっていつだろうか。今日か?いやでもなんかがっついているやつって思われるかもしれないし。
思いながら、小さく志摩に手を振り返す。
あまり人を誘うなんてことしたことないから加減がわからない。
授業中にも関わらず雑念に満ち溢れた俺は、小さくため息をつき校舎側に目を向けた。
一瞬、校舎の窓から赤い髪の生徒が見える。阿賀松だ。阿賀松がこっちを見ている。
あまり視力はいい方ではなかったが、あれは阿賀松に違いない。そう思った。
阿賀松に見られていると思ったらなんだか急に全身が緊張してきて、動悸が速くなる。
丁度そのときだった。志摩が蹴ったボールが足元に転がってくる。咄嗟にそれを蹴ろうとした俺は、そのままボールの表面で足を滑らせた。
変な浮遊感が全身を襲い、遠くから驚いたような志摩の声が聞こえてくる。
その後のことはよく覚えていない。敢えていうなら、空が真っ青だったことぐらいだろう。
◆ ◆ ◆
保健室のベッドコーナーにて。
捻った足に湿布を貼ってもらった俺は、念のためということでベッドに寝かされていた。
「よかったよ、大した怪我がなくて」
そうほっと安心したように息をつく志摩に苦笑を浮かべる。
蹴り損ねた上そのまま転倒して後頭部強打プラス軽い捻挫のコンボを食らった俺は、志摩に連れられ保健室までやってきた。
もうなんだか自分が情けなさ過ぎてしょうがない。
「ありがとう、志摩」
「ううん、別に気にしないでいいから。無理そうだったら早退していいって喜多山が言ってたよ」
「わかった」
教え子が一人すっ転んで悶絶しているのを見て慌てていた担任を思いだし、また気分が沈んでくる。
なんとなく気まずくなりながらも志摩の言葉に頷いた。
そんな俺を見た志摩は小さく笑って、「じゃあ、そろそろ戻らなきゃいけないから」とベッドコーナーのカーテンから外へ出る。もう一度「ありがとう」と声をかけてみるが、本人に届いているかどうかはわからない。
暫くして、保健室の扉が開く音が聞こえた。志摩が保健室から出ていったのだろう。
志摩がいなくなり、ようやく俺は全身の力を抜いた。
酷い目にあった。阿賀松のことばっか気にしてまともに授業に集中してなかった罰だろうか。
思いながら黄昏ていると、再び入口の方から扉が開く音が聞こえてくる。
一つの足音。なんとなくカーテンの外が静かになったような気がした。
もしかして、怖い先生でも来たのだろうか。どんどん足音が近付いてくる。
ドキドキしながら、俺は布団を顔半分まで被った。ふと足音が止み、隣のベッドコーナーからカーテンを捲る音が聞こえる。
なんだなんだと緊張しながら、俺は寝たフリをすることにした。と、同時にいきなりここのカーテンが開かれる。
「見っけ」
すぐ側から聞き覚えのある笑みを含んだような声がした。
なんでここに。
びっくりして布団の中に潜れば、いきなりそれを剥がされる。
「阿賀松、先輩……」
顔を覗き込んでくるそいつの名前を呼べば、阿賀松は「よぉ」と笑った。
「あの、なんでここに」
「いや、あんだけ派手にすっ転んだからこっちに来てるかと思ってさ」
「……」
やっぱり、阿賀松は一部始終を見ていたようだ。
ベッドの側にしゃがみ込み、目線を合わせてくる阿賀松に、先ほどの醜態を思い出した俺は自分の顔に熱が集まるのを感じる。
「いやー見事だったな、あれは」
「……忘れてください」
「どうしよっかなー」
最初から忘れる気がないくせにそうた曖昧な態度を取る阿賀松に、俺は無言で顔を逸らした。
やっぱり、恥ずかしいものは恥ずかしい。
「泣くなよ」
「な、泣いてません」
「どうだか、ユウキ君はすぐ泣いちゃうからなぁ」
慌てて否定する俺に、阿賀松はそう茶化すように笑う。
底意地悪そうな顔をして笑う阿賀松に、俺はなにも言えなくなった。
涙脆いのは否定できない。
なにか言い返そうとするがいい言葉が見つからず、俺は無言で阿賀松を見上げる。
「なんだ、その顔。誘ってんのか?」
「な……っ、ち、違いますよ」
「んだよ、紛らわしいやつだな」
紛らわしいもなにも目が合っただけでそう受け取る阿賀松の方が問題じゃないのか。
ぶんぶんと首を横に振る俺に、阿賀松は小さく舌打ちをする。
「……」
「……」
そして沈黙。ベッドに上半身を凭れさせた阿賀松は、じっと俺を見てくる。
すごく居心地が悪いというか心臓に悪いというか。
「あの……」
「なんだよ」
「教室、戻らなくて大丈夫なんですか?」
「俺に帰って欲しいのかよ」
「いえ、あの……いてほしいです」
ゴニョゴニョと口ごもる俺に、阿賀松は僅かに硬直する。
なんだその反応は。
動揺する阿賀松に自分で言って恥ずかしくなってくる。
「……へぇ、随分素直だな。頭打っておかしくなったのか?」
顔を覗き込んでくる阿賀松は、そうまじまじと俺を見詰めてくる。
確かにこんなこと他人に言ったことないが、もう少しいい言い方はなかったのだろうか。
素で言ってるだけになにも言えなくなってくる。
「ご……ごめんなさい」
「なんだ、自分で言って恥ずかしくなったのかよ」
小声で謝る俺に、阿賀松は目を細めて可笑しそうに笑った。
「そこまで言われちゃ仕方ねぇな、どーせ暇だし付き合ってやるよ」まるで俺が駄々捏ねたかのようなことを口走る阿賀松。
相変わらずな上から目線よりも俺の頼みを聞き入れてくれたことに驚いた。
その事実に自然と頬が緩む。
「んじゃ、取り敢えず服脱げよ」
うん、まぁそうなりますよね。
おしまい
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