元より、体が丈夫な方ではなかった。
 かといって極端に体力がないわけでも病弱なわけでもない。
 小さい頃は少し転んだだけで流血沙汰になって周りが血相を変えていたが、今は大分それもましになってきた方だろう。と、思う。
 だけど。

「…………」

 今回のは、正直、キツかった。
 骨に異常がないだけましだっただろう。止血のための応急処置を済ませ、その部屋を出ようとしたとき。
 視界の隅で陰が動いた。

「栫井君」

 …………こいつ、まだいたのか。
 亡霊が何かのように扉の横に佇んでいる灘和真に自然と顔が強張る。
 無視して歩き出そうとすれば、あろうことか怪我をしている方の腕を掴んで引き止めてきた灘和真。

「っ、……おい……っ!」
「これは失礼しました」

 目の前にあったもので、と悪びれもせず呟く灘和真に文句の一つや二つ浴びせてやろうかと思ったが、こいつの場合何を言っても変わらない鉄仮面だ。体力の無駄な消耗はしたくない。

「腕の具合は」
「…………誰かさんのせいで悪化した」
「本当にちゃんとしたところで見てもらわなくても大丈夫なんですか?」
「…………」

 こいつ、無視かよ。
 腹立つのを通り越して最早なにも感じない。

「あんたに関係ないだろ。……ついてくるなよ」
「それは出来ません」
「…………あの人が、そう言ったからか?」

 そう口にした自分の声は酷く掠れていて、くだらないことをしてしまったと後悔した。
 だけど、一々訂正する気にはなれなくて。

「ええ」

 こいつがこう答えるのもある程度予測できていたことだ。
 本当に、くだらない。

「それと、個人的に気になったので」
「…………は?」
「友人の心配はするものだと道徳の授業で習いました」
「………………」

 本当、こいつはなにを考えているのかわからない。
 巫山戯ているのか、それとも本当の馬鹿なのか。
 恐らくそのどちらともなのだろうが。

「俺が友人?誰と。まさかあんたとだなんて気持ち悪いこと言わないだろうな」
「違うのですか?」
「違う」
「長い時間共に過ごす方がご友人と呼ばれると聞いたのですが」
「その理屈だと十勝の阿呆も五味さんもご友人になるだろ」
「違うのですか?」
「…………」

 疲れた。ただでさえ疲れてんのになんでこうも追い打ちを掛けられるような真似されなければならないのか。
 もしかして、わざとか?こいつ。
 と、勘繰るような視線を向けた時。
 どこからともなく無機質な着信音が響いた。
 俺は携帯を持ってきていない。ということはこいつのだろう。

「……」

 だけど、こいつはなにも聞こえないかのように歩いている。俺の後ろをついて。
 こいつの携帯をわざわざ鳴らすような物好きなんて数は限られている。そして、このタイミングだ。
 着信の相手が誰なのか、容易に想像ついた。
 それでも出ようとしないこいつに、なにも感じないといえば嘘になる。

「あんた、なんで来たんだよ。……来るなって言われてたんじゃないのか」

 静かな通路に響く着信音が切れ、周囲に静けさが戻った。
 先程からずっと胸の奥にこびり付いては離れない疑問を口にすれば、灘和真は無言で俺に視線を向ける。

「あのとき、齋藤君に付くように言われていました」
「だからってわざわざ鍵まで開けて来たのかよ」
「そうですが、それがなにか」
「それがなにかって……」
「齋藤君が向かうというのでついていったまでです。問題があるようには思えませんが」
「……本当、命令ならなんでも聞くんだな」

 思わず呟いていた俺に、灘和真はゆっくりと視線を通路の窓へと向けた。
 薄暗い夕焼け空が広がった通路の窓ガラスに、反射した自分たちが映り込んでいた。
 やつは相変わらずマネキンみたいな無表情のままで。

「そういう命令だったでしょう」

 そう当たり前のように口にする灘和真に「忘れた」とだけ返しておくことにした。

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