「ちょ、ちょわ……っ待っ、志摩っ」

「なに?」

「ダメだってば、ちゃんとしなきゃ……」

「いいって、飽きたし。齋籐が隣にいたら集中出来ないしさぁ」


休日の学生寮、志摩の部屋にて。
また先日のテストで赤点を取った志摩に勉強を教えるために部屋に来ていたのだが例の如くベッドに押し倒されてしまう。
また俺のせいか。
理不尽すぎる志摩の言葉に狼狽していると、上から覆い被さってくる志摩はにこりと微笑み、俺の手を握り締める。


「それに、俺は参考書より齋籐と見つめあってたいよ」

「いつもしてるじゃん……っ」

「そうだよ。日課」


「だからほら、ちゃんとこっち見てよ。齋籐」手の甲から手首を撫で上げ、顔を近付けてくる志摩は至近距離から見つめてくる。
ねだるような甘い声で名前を呼ばれ、胸が熱くなった。
目のやり場に困り、狼狽える俺はなんとか志摩の下から這い出ようとそっと志摩の胸を押し返してみるが、動かない。
ああ、駄目だ駄目だこの空気は。また、志摩に流されてしまう。
志摩の学業に支障が出てしまっては元も子もない。
そうわかっていたが、見詰められ囁かれ求められればほだされてしまいそうになる。


「し、ま……っ」


静まり返った室内。
吐息が混ざるくらい密着した志摩の熱に当てられたのか、頭がぼんやりしてくる。
せっかくの休日だし、したくもない勉強よりもこうして水入らずで志摩とのんびりする方がいいかもしれない。
そう、自分の中の悪魔に惑わされかけたときだった。


「ぐえっ」


なけなしの理性を振り絞った俺は咄嗟に目の前志摩の顔面を手で押さえ、離した。瞬間志摩から潰れたカエルのような声が聞こえてきた。


「ちょ、齋籐この手はなに」

「だ……だって、明日再テストあるのにこんなことしてる場合じゃないって、絶対」


そうだ。只でさえなにかしらよく問題を起こしている志摩だ。
このまま留年なんてことも夢ではない。
なんとしてもそれだけは避けたい俺は流されそうになる自分自身に言い聞かせるように志摩に頼む。
が、当の本人は相変わらず危機感がない。


「大丈夫だって」

「この前も同じこと言って再々テスト受けてたじゃん、志摩」

「そうだっけ?」

「そうだよ。だから、今回はちゃんと勉強してよ。俺も、一緒にするから」

「齋籐が?」

「だって、目離したらすぐテレビ見てるじゃん」


押し倒された状態のまま、理性が残っている内にそう説得すれば志摩は自分の顔に触れてくる俺の手首を取り、「信用ないなあ」と苦笑を浮かべる。
その何気ない態度に胸がちくりと痛んだ。


「ごめん」


「……だけど、補習で放課後潰れるのは嫌だから」ただでさえ委員会で忙しい志摩だ。
ことある毎に呼び出され、二人でゆっくりすることも出来ないのにこれに補習や再テストが増えるなんてそんなこと堪えられない。
エゴだとはわかっていたが、やはり黙ったまま見過ごせることは出来なかった。
本心を口にするという慣れない行動が今さら恥ずかしくなって、俯いたときだった。
きょとんと目を丸くしてこちらを見ていた志摩は、やがていつもと変わらない柔らかい笑みを浮かべる。


「わかったよ。齋籐が一緒にいてくれるなら本望だしね」


そして、目が合えば志摩は笑いながら頬に軽く唇を寄せる。
唇が触れ、内心狼狽えたとき、触れた志摩の唇はすぐに離れた。
それ以上、志摩はなにもしてこない。


「あ……ありがとう」


上から退き、ベッドに腰を掛け直す志摩。それにつられるように起き上がった俺は、なんだかもの寂しくなる自分を叱咤しながらそう志摩へのお礼を口にする。
そんな俺の言葉が可笑しかったのか、志摩は「なんで齋籐がお礼言うの?」と小さく笑った。


「まあいいや。じゃあ、俺が合格するよう手取り足取りしっかり教えてよ、先生」


そして、いつもと変わらない笑みを浮かべた志摩はそう猫のように目を細める。





というわけで数日後。
まあなんとか志摩は赤点にならずに済んだ。
かなりギリギリだったが、合格は合格だ。
俺は素直にその結果を喜んだ。


「志摩、よかったね再々々テストにならなくて」

「そうだね」


学生寮、志摩の部屋。
今日も同室者の十勝はいない(志摩曰く彼も追試地獄に嵌まっているようだ)。
要するに、二人きり。
不安の種子も無事摘み終え、志摩と並ぶようにソファーに腰をかけた俺は改めて安堵した。
それは志摩も同じらしい。


「ああ、それにしても疲れたな。一夜漬けなんてするもんじゃないね」

「大丈夫?……あ、お茶淹れようか?」


そう妙に大袈裟な動作で背凭れにもたれ掛かる志摩に声をかければ、志摩は首を小さく横に振る。

そして、


「それより齋籐、テーブルの下」

「え?」

「見てよ」


志摩の言葉通りにテーブルの下に目を向ければ、そこには紙袋が置いてあった。
怪しい。


「……なにこれ、開けていいわけ?」

「うん、どうぞ」


あまりにもいい笑顔を浮かべる志摩になんとなくいい予感がしないが、促されるがまま俺は紙袋を開いた。
そして、中身を取り出した俺は硬直する。


「齋籐に似合うと思って買ってきたんだ」


一言で言い表すなら黒のセーラー服だった。
長い袖には白のストライプがポイントとして入り、大きな襟口には真っ赤なスカーフが巻かれ、固定されている。
それと別の袋にはプリーツのミニスカートと黒いタイツが用意されており、あまりにも場違いというか予想だにしていなかったものの登場に全身に嫌なものが走った。


「な、な、なにこれ……」

「特注。可愛いでしょ、黒セーラー」

「いや、まあ、可愛いけど……なにこれ」

「齋籐に勉強疲れを癒してもらうために用意したんだ」

「……初耳なんだけど」

「だって予め言ってたら適当な理由つけて断られそうだったからね」


「だから、合格したら着てもらおうかと思って勉強頑張ったんだよ」そう、どこか誇らしげに続ける志摩に冷や汗を滲ませる。

そんなことでモチベーション上げていたのか。
というかこれを俺に着ろと。
これは相当悪趣味極まりないぞ。

しっかりとサイズまで俺の体に合わせて作られたそのセーラー服になんだかもう生きた心地がしなかった。



「着てくれないの?」

「いや、だっていきなりそんなこと言われても」

「セーラー服の齋籐を見たくて見たくて頑張ってしたくもない勉強をして目の下に隈までつくったのに、着てくれないの?」


反応が鈍い俺に、わざとらしく不安そうな顔をした志摩はそう尋ねてくる。
やけに恩着せがましい言い方をしてくる志摩だが、それは事実だ。
出来ることなら志摩を労ってやりたいのも本音だが、これはキツいだろう。絵面的にも主に俺のメンタル的にも。


「や……っ似合わないし、面白くないって、絶対」

「そんなこと着てもらわなきゃわからないな」

「うぅ」


なんとかして大惨事になる前に断りたい俺とどうにかしてでもこのセーラー服を着せたいらしい志摩。いち早く挫けそうになったのは俺の方だった。


「齋籐」


手元のセーラー服を眺め、唸る俺を呼ぶ志摩。
つられて目を向ければ、志摩はにこりと微笑んで見せた。


「別に無理矢理服ひん剥いてセーラー服着せるっていう手もあるんだよ。それだと齋籐が嫌がるだろうと思って我慢してるんだけどね、もしかしたら齋籐はそういうプレイの方が好きなのかな。へえ。なるほどなあ」


遠回しにこれ以上うだうだ言うなら実力行使するぞと脅してきているのだろう。本当に横暴だ。
全くもって冗談に聞こえないだけに笑えない。


「わ、わかった、わかったから。着ればいいんだろ着れば」


にじり寄ってくる志摩に後ずさりしながらそう咄嗟に声を上げれば、志摩は「流石齋籐、物わかりいいね」と満足そうに笑んだ。
脅迫してきたくせに。
と言い返すことも出来ず、タイツなんて穿いたことないぞと困惑する俺に志摩はとどめを刺してくる。


「ああ、着替えは俺の目の前でよろしくね」


こいつは俺になにか恨みかなにかでもあるのだろうか。

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