いくら齋籐の前だからって、流石に頑張りすぎたかもしれない。
数時間前の自分の言葉に軽く後悔しながら、俺は隣の運転席に座る方人さんに目を向けた。
薄暗い車内に、やけに上機嫌な方人さんの横顔が浮かぶ。
既に深夜を回っているにも関わらず、「次はどこ行く?」なんて尋ねられ思わず俺は苦笑を洩らした。
「そろそろ帰った方がいいんじゃないんですか。明日も学校あるんですよ」
「えー、もう?いいだろ別に、一日ぐらい俺の相手してくれたって。せっかく久しぶりに可愛い後輩に会えたってのに」
「方人さんはいいかもしれないですけど、俺が眠いんですって。ここ最近早寝早起き頑張ってるんで」
「ふーん、なんかあったの?」
「なんかってほどじゃないですけど、朝食、一緒に食べる約束してるんで」
正確には、約束なんてしてない。
けど、久しぶりに会った先輩の前だからだろうか。
ちょっと見栄が張りたくなった。
「あれ、なに俺がいない間に友達作っちゃったの?」
「ええ、まあ」
「へぇー、どんな奴?今度『亮太のことよろしくお願いします』って頭下げに行ってやろうか?」
「絶対やめてください」
「ええ、なんで。ノリ悪いなー」
くだらない軽口を交わしながらも、方人さんは車を走らせる。
窓の外に目を向ければ見覚えのある景色が映り込んだ。
なんだかんだ言いながらも方人さんは俺を寮に帰してくれるらしい。
「名前なんてやつ?」
「別にいいじゃないですか。なんでも」
「なんで。教えてくれたっていいだろ。気になるじゃん、亮太と仲良くなる物好きなんて」
「そんなこといって、男紹介してほしいだけなんじゃないんですか?」
「まっさかー。……バレた?」
「絶対教えません」
そう言い切れば、方人さんは「ええ」と不満そうな顔をする。
というか、既に接触してるんだけど。
数時間前、エレベーターで遭遇した齋籐と方人さんのことを思い出してなんとなく胃がムカムカしてくる。
そうだ、なんで齋籐と方人さんがあんなところに一緒にいたんだ。
ただでさえ齋籐が方人さんの好きそうなタイプなだけに、尚更方人さんに紹介する気にはなれなかった。
紹介したら最後、どんな扱いをされるかもわからない。
「ケチだなー亮太は。独占するよりも共有する方が賢いやり方なのに」
「AVの貸し借り感覚で人の友達使おうとするのやめてください」
「冗談冗談。あーでもつまんねぇなあ、いつの間にかに同級生のやつら卒業してるから遊び相手いなくなったし」
新入生でも漁ろうかなあとぼやくように呟く方人さんに、いまさら呆れなかった。
遊び相手じゃなくて、いびる相手の間違いじゃないのか。
思いはしたが、わざわざ言い返す気にもなれなかったので敢えて俺は口を閉じた。
もうそろそろついてもいい頃なのに。思いながら再び俺は窓の外へ目を向けた。
人気のない道路を走る車体の外にバカでかい学園は見当たらない。
というか、さっきもここ通ったような気がする。
「方人さん」
「ん?なに?」
「まだ着かないんすか」
「ああ、すぐ着くって。そんなに急かすなよ、久しぶりの二人きりっていうのに」
「そんなことないですよ。なるべく早くお願いしますね」
薄ら寒いことを口にする方人さんに顔を引きつらせながら、俺は僅かに運転席から離れる。
そんな俺の態度が気に入らなかったのか、拗ねたように唇を尖らせた方人さんは「あ、なんだその反応」と俺に顔を向けた。
瞬間、体の向きが傾くのにつられて片手で握っていたハンドルが大きくぶれる。
「ちょっと、方人さん。前」
「うわっやべっ!」
ハンドルに合わせて大きく車体が動き、慌てて方人さんはハンドルを両手で操る。
相変わらずだ。あわあわと車体を真っ直ぐ走らせる方人さんを横目に一瞥し、内心苦笑を洩らしながら俺は窓の外をただ眺める。
◆ ◆ ◆
「なあなあなあなあ、どーせだし部屋まで来いよ。ずっとほったらかしにしてたから埃すげえの。掃除すんの手伝えよ」
学園敷地内に停車した車を降り、そのまま寮へ戻ろうとしたとき、いきなり方人さんはそんなことを持ち掛けてきた。
さっき俺が眠たいって言ったの聞いてなかったのだろうか、この人は。
車を降り、ドアをロックする方人さんは「亮太掃除好きだったろ?」と笑いながら声をかけてくる。
「別に、好きなわけじゃないですけど」
「いいだろ、減るもんじゃないし」
人の話を聞いていない。
方人さんの人良さそうな笑みの裏から覗く下心に、俺は呆れたように笑った。
「減りますよ、俺の睡眠時間が。そういうことなんで、今日は失礼します」
方人さんの性格を把握している俺がこんな露骨な誘いに乗るとでも思っているのだろうか。
浮かべた笑みがなんとなく引きつる。
このままいたら面倒なことになり兼ねない。そう悟った俺は、方人さんを振り払うようにして寮に向かって足を進めた。
「まあ、待てって」
不意に方人さんに肩を掴まれ、そのまま抱き止められる。
ここまで無節操だと一層清々しい。
思いながら、俺は自分の肩を撫でてくる手の甲の皮を思いっきりつねった。
「い……っ!」
「遊び相手なら他を当たってください、先輩」
呻き声が聞こえ、自然と頬が緩んだ。
笑うつもりはなかったのだが、癖だから仕方ない。
離れた方人さんの手を払い、そのまま俺は足早に立ち去ろうとした。
「いててて……クソッ、お前には先輩を敬うってあれがないのかよ」
「敬えるような先輩なら敬ってますよ」
「へぇ、相っ変わらず減らず口だなお前」
皮肉たっぷりの言葉に対し、ヘラヘラと笑いながら方人さんは「久しぶりにヤキ入れてやろうか?」と愉快そうに尋ねてくる。目が笑ってない。
「遠慮しておきます。明日体育あるんで」
「遠慮すんなよ。じゃあ、別のもん入れてやってやるよ」
「そういうのセクハラっていうんですよ。知ってますか?」
「嫌がらせだなんて傷付くなー。ただのスキンシップだろ」
「スキンの部分が多すぎます」
なんて下品な会話を交わしながらも、俺は掴まれた腕をどうしようか考え込む。
怪我人だからと油断していたが、やはり二歳の年齢差は大きい。
背後の方人さんに手首を捻り上げられ、俺は咄嗟に周りを見渡した。
なんか殴れそうなものでもあったら、と思ったが無駄に清掃が行き届いているこの敷地内にそんな物騒なものは落ちていない。
方人さん相手に素手で勝てる自信がなかったが、このままめでたく処女喪失なんてことにはなりたくない。
思いながら、俺はとにかく方人さんから逃げることにした。
手首を掴む方人さんの手に自分の手を重ね、そのまま俺は方人さんの人指し指を掴む。
「ん?」俺が甘えてきたとでも思ったのか、下品な笑みを浮かべる方人さんは意外そうに顔を覗き込んできた。
薄暗い夜空の元、にやついた方人さんの顔が視界に入り込む。
なんとなくムカついて、そのまま方人さんの人指し指を掴み、メリメリと剥がした俺はそのまま在らぬ方向へ指を曲げようとした。
「ちょ、ちょ、ちょっと待て!」
流石に利き手の指を折られてもにやにやしていられるほどの図太い神経と痛覚を持っているわけでもなさそうだ。慌てて制止してくる方人さんの手は確かに緩み、それは俺にとって絶好の好機だった。
その隙を狙って方人さんの体を突飛ばした俺は、そのまま寮に向かって駆け出す。
後ろを見て方人さんの様子を見る余裕もなかった。
取り敢えず俺は俺を守るため、薄暗い寮内へと駆け込む。
理事長という立場である自分の親族の権力を最大限悪用している不良男の我が儘のお陰で寮内に入ることは容易かった。
消灯時間を過ぎたロビーを過り、俺はエレベーター前へとやってくる。
ふと、遠くから足音が足音が聞こえた。
その間隔は短い。
恐らく方人さんが走って追ってきているのだろう。
ゾンビに追われるより怖いかもしれない。
なんてくだらないことを思いながら、俺はボタンを押しエレベーターを呼ぶ。
足音が段々近くなった。
糞、早く来い。
エレベーター来るまでの時間がやけに長く感じ、自然と焦ってくる。
4F、3F、2F。そして、エレベーター扉上に取り付けられた『1F』の照明が点いた。
目の前の扉が開き、その隙間から明かりが漏れる。
周りが暗いからか、照明に照らされた機内は余計眩しく感じた。
この明るさなら、方人さんにすぐ気付かれるだろう。
思いながら、そのまま機内に乗り込もうとしたときだった。
いきなり、無防備になった背中を蹴りつけられる。
ようやく一人になれると油断したのが悪かったようだ。
「ぐ……ッ」
「なんだ亮太、俺のためにわざわざ呼んでくれたの?ありがとな」
まともに受け身が取れずバランスを崩して機内の床に踞る俺に、いつの間にかに背後に立っていた方人さんはそう笑う。
そのまま機内に乗る方人さんは、側のボタンを使って扉を閉めさせた。
目的地、4F。やばい。
慌てて立ち上がろうとして、不意に視界に靴先が映り込む。
気付いたときには、右目が暗くなった。
咄嗟に目を瞑るが、方人さんの爪先を目元から逸らすことまでは間に合わない。
「なんだよ、防げよこんくらい。見ない内に鈍臭くなったんじゃねーの」
目を押さえて呻く俺に、方人さんは呆れたように笑いながら更に二発目の蹴りを入れてくる。
慌てて体を後退させ避けようとしたが、僅かにその爪先が顎先にかすった。
そしてすぐに、方人さんは俺の顔面目掛けて足を動かす。
咄嗟に顔を逸らしたが、思いっきり口許を蹴られた。
拍子に、歯で口内を傷付けてしまったようだ。
口内に血の味が広がる。
「舐めろよ」
ぐりぐりと俺の顔に靴の裏を押し付けたまま、方人さんは「なんつって」と無邪気に笑って見せた。
無性に腹が立って、俺は顔面を踏みつける方人さんの脹ら脛を持ち上げるように掴む。
「うわっ、ちょっと亮太逆セクハラ」
どこまでもシモいことしか考えていない方人さんに、苦笑すら出てこない。
無理矢理足を引っ張り派手に転倒させようとしたが、転倒というより座り込むくらいの効力しかなかった。
が、それでもまだましだろう。
自分の顔から足を離した俺は、足首を掴んだまま立ち上がった。右目が開かない。
目的地をF3に設定し直した俺は、足を高く持ち上げ無理矢理方人さんを開脚させる。
足片方だけ吊り上げられる方人さんは床の上に這いつくばりながら「亮太、もしかしてそっちがやりたかったの?」とお門違いなことを言い出した。
「生憎、そういうのは間に合ってますので」
怒鳴り付けたいのを押さえ、笑顔を浮かべた俺はそのまま方人さんの股間を思いっきり踏みつける。
勃起してた。今のどこで興奮するんだとか色々言いたいことはあったが、あまりにもドン引いて言葉にならなかったので代わりに二発目蹴りを入れる。
3Fにつくまでに方人さんを電気アンマで失神させた俺は、扉が開くと同時に失神した方人さんを残してエレベーターを後にした。
翌日。
聞いた噂ではエレベーターで失神したままの方人さんを見付けたのは安久だったようだ。
校舎内で最後にあったときよりも傷が増えている方人さんを見掛け、俺は大体を悟った。
保健室で手当てをして貰い、いつもより遅れて教室に入ればクラス中の視線が自分に向けられる。
無理もない。このナリだ。
慣れない眼帯に自分でも違和感を感じているくらいだし。
複数の視線の中、後列から向けられる強い視線が一つ。
俺はその視線を向けてくる生徒に目を向け、痛む口内に構わず口許に笑みを浮かべた。
「おはよ、齋籐」
わざわざ体張ったんだから、少しくらいいい思いしてもいいよね。
おしまい
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