05
駅前裏通り。
表通りに比べ、シャッターが降りた店が多いそこは通称シャッター通りと呼ばれている。そのままだ。そんなシャッター通りの中、とある店の前で落ち合うことになっていた。
物珍しそうにキョロキョロしているクロウを背に、昼間だというのに薄暗いそこを突き進んでいけば、見覚えのある長身のシルエットを見付けた。
昨日の夜見た時と同じ、きっちりとスーツを着込んだ倭は俺たちの姿を見ると「丁度ですね」と口にした。
「あんたが、ヤマトか?俺の親っていう」
「それはただの例えですが……ええ、そうですね。ここは初めまして、とでも言っておきましょうか。クロウ。私が貴方の生みの親の一人である倭です」
「……」
「おい、クロウ」
「……俺は、嘘ついてるやつはすぐに分かるんだよ」
低く唸るクロウに、「は?」とやつを振り返ろうとした瞬間だった。
目の前、俺を背に庇うように倭の前に立ったクロウ。その素早い動きに目を丸くする。それは倭も同じで。
「ほう、そちらの方もちゃんと機能していましたか。安心しました」
「本当のことを言え。嘘吐くことは許さない」
「……わかりました。これは少しの実験ですよ、クロウ。そう警戒しないでください」
「倭というのは偽名です。私の本当の名前は葛継嗣(かずらけいし)。貴方の生みの親というのは偽りではないのでご安心下さい」そう、悪びれた様子もない倭、もとい葛。
倭が嘘を吐かないような男と信じていたわけではないが、正直、それを見抜くクロウに驚いた。辺りに緊張した空気が走る。
「さて、自己紹介も終わりましたし早速本題に入りましょうか」
「と、その前にお客人のようですね」そう、葛が俺たちの背後に目を向けた時。
そいつは現れた。
「やっと見付け――」
た、と、いきなり現れたスーツの男がそうクロウに拳銃のようなものを向けた時だった。
クロウが戦闘態勢に入るよりも早く、どこからともなく拳銃を取り出した葛。
「銃?!」と俺が声を上げたと同時に葛はその引き金を容赦なく引いた。
瞬間、音もなくスーツの男の眉間に小さな穴が開く。
次の瞬間、額の穴から真っ赤な血を噴き出しながら背後に倒れるスーツの男。
数秒間の出来事だった。何が起こったのかわからなくて、呆然としていると先ほどと変わらない様子で葛は「さて」と拳銃をスーツに仕舞う。
「次のお客人が来る前にここを移動しましょうか。そこの通りに車を着けてますので」
倒れたスーツの男に目もくれず、葛は静かに続ける。
クロウが反応するよりも早かった葛の動きに、改めて目の前の男が只者ではないことを知らしめられたようで。それを理解した次の瞬間、目の前で人が殺されたというその事実に頭がパンクしそうだった。
葛の言葉通り、曲がったその路地には黒塗りの車が駐められていた。
「乗って下さい」
そう開かれる後部座席のドアに一瞬躊躇ったが、堂々と乗り込むクロウを見てつられて俺も乗り込む。運転席には一人、葛とよく似た雰囲気の眼鏡の男が乗っていた。続いて助手席に乗り込む葛。全員が車内に収まったのを確認すると、眼鏡の男は無言で車を発進させる。
スモーク張りの窓の外、俺は先ほどのスーツの男のことが気になって仕方がなかった。
ちらちらと窓の外に目を向けていると、ミラー越しに葛と目が会う。
「あの死体のことならご心配無く」
「……は?」
「我々の用いる銃弾は特殊なものでしてね、体内に残った弾は分解し短時間で被弾した生物を溶かすように出来てるんですよ」
「臓器も骨も、蒸気となって消えます」だから、心配はいらない。
そうなんでもないように続ける葛に、今度こそ俺は言葉を失った。
遠回しにいつでもお前を消すことが出来るんだぞ、と、銃口を突き付けられているようで。それ以上に、早々理解できない事実の連続に俺の頭もオーバーヒートを起こしそうになっていて。
「おいケイシ、どこに行くんだ?あと、そこの眼鏡はなんなんだ?」
押し黙る俺の隣、葛同様人の死を目の当たりにしながらも特に変わりないクロウは屈託のない瞳で葛に尋ねる。
眼鏡と呼ばれた男のハンドルを握る手が僅かに反応したような気がするが、男は黙ったままで。
「この眼鏡は私の部下です。そして、協力者でもあります。名前は……」
「椚木……椚木大輔(くぬぎだいすけ)です。今から向かう先は自分たちの息がかかった施設になります。なので、それまでに話を済ませて下さいね。……貴方たちの家とは正反対の方角になりますので、ノーの場合も早めにお願いします」
「あまり無駄なガソリンは使いたくないので」と、鬱々とした調子で続ける眼鏡の男、もとい椚木。
正直ものなのかどうかはわからないが、上司が上司なら部下も部下ということか。やけに消極的な男だが、自分たちに帰るという選択肢を用意してくれているだけでもましだろう。
「……クロウ」
さっさと話を済ませよう。そう、隣に座るクロウに視線を向ける。
クロウは小さく頷き返し、「おい、ケイシ」と助手席の葛の髪を引っ張る。なんつー命知らずだ。そして葛も葛で特に動揺することもなく「なんですか」と髪を引っ張られながら答える。
「俺、お前と一緒に行く」
「……わかりました」
「だけど、着いていった先でどうするか判断するのは俺だ」
暗に、いつでもお前を殺すことが出来る。そう言っているように聞こえたが、葛は特に気にした様子もなく「結構ですよ」と静かに続けた。
「殺したくなったら好きにして構いません。……私は貴方の取る行動を見届けたいだけですので」
「お前、マゾなのか?」
「おい!クロウ!」
どこで覚えたんだそんな言葉!
あまりにも怖いもの知らず過ぎるクロウにこっちの方が死にそうになっていた時、ケイシは初めて声を上げて笑う。
「……そうですね、いままでもこれからも全てをあなたに注いで構わない。そう思っている私はマゾヒストなのかもしれません」
穏やかなその声に、運転席の椚木も頬を綻ばせている。
車内に漂っていた張り詰めた空気が僅かに緩くなった、そんな気がした。
「椚木、急遽場所を変更。目的地を彼の家へ」
「へ?なんでですか?」
「予定が出来たからです。時間がかかりますので、先に庵原道真を自宅へ送り届けて下さい」
「倭さん、まさか……」
「いいから早く」
「あー、はい、わかりました。行きますよ、行ったらいいんでしょ」
と、急にハンドルを切り替える椚木に車内全体が大きく傾く。瞬間、凄まじいスピードで来た道を走り出す車に目が回りそうになりながらも、なんとなく、クロウと別れる時間が着実に近付いてきているのを感じた。
どうしてだろうか。さっさと別れるのなら別れたいし、これからのクロウは葛たちに任せておけば間違いない。これ以上自分の出る幕はないのだ、そう嫌ってほど理解してるはずなのに。窓ガラスの外、見慣れた住宅街が見えてきたとき、少なからず自分が寂しさを覚えているのを感じ、自分でも驚いた。
「……」
「ミチザネ」
「……なんだよ」
「俺、初めて車乗ったんだけど、早いなこれ」
車も移動手段として早いだろうが、運転手の椚木が余裕でスピード違反してるのもあるから余計だろう。
テンションが上がっているのだろうかと思い、なんとなく視線を向けてみれば目があった。
「ほんと、あっという間だよな」
そう笑うクロウが、何を言いたがっているのかなんとなくわかってしまい、咄嗟に目を逸らす。
深入りしてはならない。そう自制してくる脳。そんなことわかってる。わかってるけれど、このままでいいのかと、今まで何度も繰り返してきた疑問がまた俺の頭に浮かんできて。
停車する。そして、俺側のドアが開いた。
「ミチザネ、」
何か言い掛けてきたクロウから離れるよう、俺は車を降りる。
いつもと変わらない長閑な住宅街。黒塗りの車はなかなか浮いている。
「庵原道真」
不意に、助手席の扉が開き葛継嗣が降りてきた。家の前、並ぶように立つ葛はやはり背が高い。
「これを」
分厚い封筒。手切れ金か、それとも口止め料か。恐らくその両方だろう。
差し出されるそれに、ブチ切れそうになった。そんなものを受け取ると思われていることがムカついて、確かにクロウのせいで俺の小遣いはなくなってしまったが俺が貸したのはクロウだ。葛継嗣ではない。
「いらねえよ、そんなの」
「ですが、貴方には」
「誰にも他言しねえし、あんたらの邪魔もしない。でもな、そこの大食い野郎と約束したんだよ。今度奢るって!」
「保護者なら、約束破らせんじゃねえぞ」と葛の胸に茶封筒を叩きつければ、やつは目を丸くする。
自分でも、少し驚いた。けれど、それ以上に気分がスッキリしたのは最後の最後にこの男のポーカーフェイスを崩すことが出来たからだろう。
「だよな、クロウ!」
開いたままのドアからこちらを見ていたクロウだったが、すぐに嬉しそうに破顔して「おう!」と満面の笑みで頷く。本当に理解しているのかどうかすら怪しいが、それでもその言葉が聞けただけでも、俺は。
「……わかりました。折を見てその時はあの子に礼を返させるようしましょう」
「ああ、バックレたら一生恨むからな」
「食べ物の恨みは恐ろしいですね」
そう小さく笑い、封筒を仕舞った葛はそのまま車へと向かった。閉められる扉。スモークがかった窓からは内部の様子は伺えないが、なんとなくクロウが馬鹿みたいに手を振ってきているのだけはわかって、俺はそのまま自分ちへ戻る。走り出す車はあっという間に住宅街から消えた。
これで、クロウと呼ばれる記憶喪失の男、もとい記憶どころか生まれたばかりの人型兵器との奇妙な同居生活は終わった。
クロウがいなくなってからは、全てが夢だったのではと思いたくなるほど平和な毎日が続いた。
白衣の連中の姿も見てないし、脚の傷も治った。
だけど、いいモデルを失ったと嘆く静間、口にはしないがクロウがいたときよりも大分柔らかくなった長政、まだクロウのことを根に持っている力也先輩など、少なからず人の記憶の中に残っているのも事実で。
「道真君、おはよ」
「珍しいな、まだ登校時間だぞ」
「あはは、道真君の嫌味痛いな〜。なんか今日は朝から目が冴えちゃってさ」
「ふーーーーーん」
「うわ、全く興味無さそう」
なんて、いつも通りの朝。
静間と一緒に学校まで行けばいつも通りのメンツが揃っていて。
「おーっす、庵原、静間!珍しいな時間内に登校なんて」
「うるせー」
「褒めて褒めてー」
「おーい、いつまで騒いでんだ!さっさと席に着け!」
いつも通り入ってきた教師の怒号とともに弾かれたように着席するクラスメートたちに混じって、俺達も自分の席に着く。
ああ、また今日もつまらない一日が始まるのか。なんて、ぼんやりと窓の外を眺める。
憎たらしいほどの青い、初夏の空。
「今日はお前たちに話がある」
教壇に立つ初老の教師の声が響く。
なんだろうか、夏休み前の注意とかか?だとしたら気、早すぎだろ。なんて思いながら、寝る体勢をつくったときだった。
「葛、入ってこい!」
カズラ。
つい最近聞いたことのあるその固有名詞に、ぴくりと体が反応する。
開かれる扉。途端、色めき立つ教室内に、顔を上げた俺はそのまま硬直した。
「今日からこのクラスに転入することになった葛だ!おい、自己紹介しろ!」
「……えーっと、葛九郎です!好きなものはハンバーグとカレーとステーキと……」
もたもたと指折りながらしどろもどろ続けるその転入生はパッと笑みを浮かべる。
「あと、ミチザネが好きです!」
短めの黒い髪に右目を覆う眼帯。赤みがかった瞳を細め満面の笑みを浮かべるそいつに、俺はそのまま石のように固まった。
絶叫にも似たざわめきが走る教室内。笑い掛けてくる転入生、もとい制服姿のクロウに俺は暫くそのまま動けなかった。
【episode2.一般人化計画 了】
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