永久欠損ヒロイズム


 02

 結局あいつはなんだったんだろうか。
 どうやら鍵を開けたままになっていた窓から入ってきたみたいで、冷蔵庫以外の物を荒らした様子もなかったし謎は残ったままだ。
 しかしあの通りの弱電波だ、下手に踏み込んでしまうと後が面倒だ。今度から窓の施錠は確認しないとな。
 なんて考えながら歩くいつもの通学路。既に登校時間は過ぎていて、当たり前のように辺りに制服姿の人間は居ない。……と言いたいところだが、約一名、俺と同じ学ラン姿のやつがいた。

「おはよう、道真君」
「静間(しずま)……またサボりか」
「サボりじゃないよ、先約があってさ」

 静間良平(しずまりょうへい)。俺のクラスメート兼腐れ縁の幼馴染。
 育ちの良さそうな、悪く言えばなよっとした女々しい雰囲気の静間だがそこら辺のやつよりも食えないやつということを俺は嫌というほど知っている。

「授業よりも優先させるものねえ」
「やだな、その目。まるで人をゴミかなにかみたいに見ないでよ。興奮するから」
「……」
「冗談だってば、冗談」

 その割には目が笑っていないのが気になったが、まあいい。度々言動が気持ち悪くなるのはいつものことなので聞き流す。

「なに、君、やけにテンション低いね」
「まあ、ちょっとな」
「なに、その適当な濁し方。逆にすごく気になるんだけどわざとかな。新手のプレイ?」

 適当に流そうと思ったのだが、歯切れの悪い俺に静間は鼻息荒く迫ってくる。
 やけに絡んでくる静間を振り払いつつ、別に隠すようなことでもないなと判断した俺は口を開いた。

「なんつーか、その、朝から泥棒が……」

 ゴニョゴニョと口ごもる俺に、静間が「泥棒?」と目を丸くする。その瞬間だった。

「待てや泥棒ーーッ!!」
「「!!」」

 閑散とした住宅街に響く、場違いな程荒いその怒声に俺と静間は顔を見合わせた。
 そして、何事かと声のする方を振り返れば、向かい側の道路。飛び出してきた一つの黒い影。
 白い眼帯に覆われた右目。見覚えのあるよれよれのジャージに身を包んだその男の手には有名コンビニの買い物袋が握られていて。

「って、あいつ……」

 凄まじい速さで逃げる男はどっからどう見ても今朝の不法侵入体操着泥棒で。
 まさか数時間も経ってない内にまた再会するハメになるなんて思ってもいなかっただけに、顔が引きつった。
 いや、まだ大丈夫だ。あいつは俺に気付いていない。ここは、下手に絡まれるよりも先にここを離れよう。なんて考えていた矢先、向かい側を歩いていた俺たちに気付いた泥棒男は満面の笑みを浮かべ、こちらへと走ってくる。いや、そんなはずがない。
 ……ないよな?

「え、ねえ、道真君、なんかこっちに向かって来てるような気がするんだけど気のせいじゃ」
「気のせいだろ」
「待って待って待って!見捨てないで!助けてお願い!」

 そのまま静間の肩を押し、さっさとその場を離れようとした矢先。
 あっという間にこちら側へとやってきた泥棒男がしがみついてきた。重い。そして暑苦しい。やめろ静間が凍りついてる。

「おい、離れ……」
「なんだ、てめえの連れかっ?ああ?!」

 離れろ。そう、腰に纏わりついてくる男の髪を掴んで引き剥がそうとした矢先のことだった。
 こいつを追い掛けてきたらしい青年は俺たちと同じ学ランに身を包んでいる。
 金に近い茶髪に、ぶすぶすと無数のピアスが突き刺さり面積が歪なことになった両耳が見るからにあれなその学生は恐らく三年でなるべく遠巻きに見守っておいた方がいいと有名の力也先輩だろう。
 それすら曖昧なのは俺が全く人の顔と名前を覚えられないからだ。
 ……それよりも。

「いえ、全くの他人なんすけど」
「酷いっ、朝はあんなに優しかったのに!あの時交わした熱い契は全部嘘だったのかよ!」

「朝?契?え?なに、どういうこと?」とざわつく静間。
 この人聞きの悪さ。というかそれは暑苦しいわ。
「やっぱり知り合いじゃねえか!丁度いい、てめえが代わりに責任取れよ」
「え。つかなんなんすか、全く話見えないんすけど」
「こいつ、俺が買ったばっかの朝飯を横から掻っ攫って行ったんだよ!」

 悪名高い不良にどんな理不尽吹っ掛けられたと思えばそりゃ無理もない。
「あんたのせいじゃねえか」と睨み付ければ、しゅんと小さくなる眼帯の男。

「だってあんなに無防備にぶら下げてるから……」
「知るか、きちんと謝ってこい!」
「酷いよー!鬼ー!鬼畜ー!変態ー!」

 変態は関係ないだろ。
 なんだかもう怒鳴って気力を浪費することすら惜しまれるほどの脱力感。

「静間、行くぞ」
「道真君、いいの?」
「いいもなにもあんなやつ知らねえ」

「でも」と不思議そうにする静間に、「いいっつってんだろ」と睨み返せばやつは肩を竦める。
 少しは更生したかと思えばどういうことだ、反省どころか人を巻き込むなんて。
 男の泣き声を聞き流しながら、俺は静間を引き連れその場を立ち去った。


 ◆ ◆ ◆


 朝からドタバタしたお陰で全く授業が頭に入らないまま迎える昼休み。

「っくそ、なんなんだよあいつ……」

 あの脳天気な泥棒男のことを思い出す度にそのことばかり考えてしまい、余計、苛々する。そんな中、教室の扉が開いた。顔を覗かせたのは長政だった。近くに居た女子達がきゃあきゃあはしゃぎ始めたからすぐにわかった。

「兄貴、いる?」
「なんだよ」
「今日委員会あるから鍵渡しとく」
「……あー、わかった」

 小さい頃から、両親が家にいないことが多かった俺たちは必然のように鍵を持ち歩くような子供になっていて。
 今では、よく鍵を無くす俺の代わりに長政が鍵を管理するようになっている為、たまにこうして遅くなる時は律儀に俺に渡しに来るのだ。
 長政曰く『面倒だが、鍵を作り直すよりましだ』だそうだ。威厳もクソもありゃしない。

「じゃ、俺戻るから」
「頑張るのはいいけど、あんま無理し過ぎんなよ」

 立ち去り際、その後ろ姿に声を掛ければ、「余計なお世話だっつの」と尖った声が返ってきた。
 ほんっと、可愛くねえ。誰に似たんだ。俺か。
 鍵を仕舞い、そろそろ俺も昼飯食いに行こうかと軽く伸びをしたときだった。

『ちょっとそこの君、待ちなさい!』

 廊下の外、喧しい足音とともに聞こえてくる教師の声。
 うるせえな、なんて思いながらも無視してそのまま教室を出ていこうとしたとき。

『っぶねえな、おい!』

 廊下の方から長政の声が聞こえてすぐ、教室の扉が開いた。
 そして、

「見付けた……!」
「っ!お前……!」

 そこにいたのは、今朝の眼帯の男だ。
 さっきまで至ってまともだったはずのよれよれのジャージは汚れ、見るからにぼろぼろですといった悲惨なことになっていて。
 明らかに部外者である男の侵入に、ざわめく教室の中。構わず俺の目の前までやってきたそいつは赤くなった片目で俺を睨みつける。

「よくさっきは見捨ててくれたな!お陰で、お陰で俺の体が汚れちゃっただろうが!」
「汚……?!それにそれは体じゃなくて服だろ……っじゃなくて、あれはあんたの自業自得だろうが!つーかなにしに来たんだよ!」
「決まってるだろ!あんたに会いに来た!」

 確かに、そうなのだろう。力也先輩に売られ、自分のことを棚に上げて俺に対して怒っているであろうこいつは俺に会いに来たのは一目瞭然で。
 ただ、ただ少し、言葉の少なさとこの状況が悪かった。汚されただの云々喚き散らす涙目の男に当然ながらクラス中の視線は俺に向けられるわけで。泣きたいのはこっちだ。
 文字通り、言葉が出ない。なにか言い返さなければならないと頭では理解していたが、どうやら思っていたよりも俺はこの男の登場に動揺しているらしい。
 そんなことも露知らず、男の怒りは爆発するばかりで。

「あんたのせいでこんな体になってしまったんだから、責任取ってもらうからな!」

 明らかに教室の空気が凍り付くのがわかった。
 当たり前だ、普段から特に目立たないようなやつがいきなり見知らぬ男に意味深な言葉で罵られていたらなんなんだこれはとなるはずだ。今まさに俺がそれだ。
 とにかく、とにかく、このままこいつをのさばらせてはおけない。それだけはよくわかった。

「お、おおっ?やるか?……んぐっ!」

 ファインティングポーズで構える男の口を塞ぎ、俺はそのまま押し出すような形で教室を後にした。
 廊下にはこいつを追い掛けてきたらしい教師がいたが、男を捕まえた俺の剣幕からして何か察したようだ。出し掛けた手を無言で引っ込めてくれる。

「っふが、ちょ、苦し……」
「いいからこっち来い」
「んんっ!んー!」

 再度男の口を塞いだ俺は、そのまま野次馬をかき分けるように教室から離れる。
 とにかく、一度きちんと話さなければならない。また教室に押し掛けられたらたまったものではない。ひとまず人気のない場所を目指して、俺は足早に歩き出した。



「あの服って……兄貴の……?」

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