Sweet Ensemble


 01

 人には誰にでも知られたくないことがある。
 忘れたいことも。
 黒歴史、というらしい。俗に。
 見られたくないように真っ黒に塗り潰した歴史か、はたまたその黒が見られたくない色なのかはわからないが。俺の場合は、後者だろう。

「依知川、宇陀野の件はどうなっている」

 しかも、俺の黒歴史様は目の前に当たり前のように座って俺に話し掛けてくる。
 これ程の苦痛はあるのだろうか。
 全ては自業自得なのでなんとも言えないが。

「宇陀野和弥は謹慎二週間。監視によると宇陀野は部屋に閉じ籠って大人しくしてるみたいだね。それどころか食事を摂る気配もなくて監視のやつらが心配してたよ」

 そう、数分前宇陀野和弥の監視から来たメールに書かれていたことをそのまま口にすれば冷めきった黒歴史様、もとい帯刀凌央の目が向けられた。
 心配、という言葉に反応したようだ。殺意にも似た怒りが凌央の目に浮かぶ。

「腹を空かせた猛獣はなにを仕出かすかわからないから皆びびってるみたい」

 そう薄く笑えば、凌央の目は逸れる。
 馬鹿馬鹿しい、とでも言いたげに凌央は目を伏せた。
 どうやら監視役の子たちは命を取り止めたようだ。よかったよかった。

「宇陀野が腹を空かせてのたれ死のうと興味はない。引き続き様子を見て、騒ぐようだったら食事を持っていかせろ」

 すっかり興味が失せたらしい。
 革製のソファーの背凭れに凭れ、そのまま俺に背中を向ける凌央に俺は「了解」とだけ答えた。

 鬼の風紀委員長。それが帯刀凌央の掲げる肩書きで、そんなやつに副委員長というなんともパッとしない肩書きを与えられたのは数日前。

『副委員長の席が空いたから、お前がやれ』

 今でも思い出す。夜中、いきなり呼び出されたと思えば数人の柄の悪い男子生徒を引き連れた凌央はそう俺に言った。
 わけがわからなかった。質の悪い冗談の可能性を疑ったが凌央の言うことは絶対だ。
 俺はその場で引き受ける。そしてその翌日、風紀副委員長、否、元風紀副委員長は大怪我で入院した。そりゃあ驚いた。驚いたと同時に、俺はとんでもないことになったと思った。
 風紀委員の副委員長という役職は、この学園にとって曰く付きのものだった。
 とはいっても昔からあるわけではない。
 帯刀凌央が風紀委員長に就任してから、副委員長は数ヵ月の間何人も代わっている。
 一人は退学、一人は謎の事故死、一人は登校拒否、一人は病院にいれられ、一人はリコールされた。そして、その裏には帯刀凌央が絡んでいる。
 確信はないが、皆薄々感づいていたのだろう。ようやく俺の番が回ってきたということだ。
 正直、『やっぱりか』という気持ちの方が大きかった。
 いつかは自分がやつの駒になることは予想していた。
 諦めていたし、望んでいた。怯える反面、喜んでもいた。
 これでようやく凌央に償う場が出来た。上手くやれれば、やつから解放される。
 元からポジティブな方ではないが、俺の足取りは軽かった。
 なんでもいいから凌央の役に立ちたかった。
 そして、言いたかった。
『これで十分だろう』と。
 全て希望的観測の上でのものでしかなかったが、取り敢えず、今日も依知川夏日は風紀副委員長の役割を全うしていた。

 風紀副委員長の仕事はあまりない。
 見回りは下の子たちがやってくれるし、服装点検にしたってここの規則はどちらかと言えばゆるい。
 敢えていうなら、下の子たちから受けた報告を纏めそれを凌央に伝えることだろうか。
 それも先程済んだばかりだし、やることがなくなった俺は歩きながら携帯電話を取り出す。
 今風紀委員が抱えている取り立った問題といえば、風紀のブラックリスト入りしている宇陀野和弥の謹慎問題だろう。
 喧嘩っ早くよく問題を起こしては正当防衛を理由に逃げるズル賢い不良。
 実際、宇陀野和弥は正当防衛だった。
 襲ってきた相手を殴り返し、気絶させる程度に痛め付ける。
 過剰防衛と言えるまでボコってくれていたらこちらもやりやすいのに、宇陀野は必要以上の暴力を奮わない。
 変に賢く、面倒で、掻き回されて呼び出されてはいつも口頭注意で終わって逃げられて。
 振り回される風紀委員は皆やつを目の敵にしていた。
 そんな宇陀野和弥が、初めて処分らしい処分を受けた。
 一人の生徒を一方的に暴行し、その場を通りかかった風紀委員に見付かり現行犯で指導室連行。
 そして凌央に伝えた通りやつは二週間の謹慎処分が下された。
 そして指導を受けた宇陀野は風紀委員の監視の元学生寮の自室に軟禁されている。
 自室の出入りは許されない。
 まあ、風呂や便所は部屋の中にあるし食事も風紀委員の監視が用意してくれるし不自由なことはないだろう。
 寧ろ一日休暇かと思えば贅沢とも取れる待遇だ。
 不自由といえば、監視役を任されている風紀委員の方だろう。
 思いながら、数時間前宇陀野の監視を任され泣きそうになっていたクラスメートの友人のことを思い出す。
 未散君、大丈夫かな。思いながら、俺は未散君に『今からそっち行くけどなにか欲しいものはある?』とメールを入れた。
 返事はいつまでも待っても返ってこなかった。
 携帯電話を手放さない、メールまめな彼にしては珍しいことだった。
 忙しいのだろうか。
 思いながらうんともすんとも言わない携帯電話から意識をはずした俺は宇陀野和弥の部屋へまっすぐ向かうことにした。
 未散君へなにか手土産を持っていこうか悩んで、結局なにも買わなかった。
 宇陀野和弥の部屋の前。
 扉の左右には二人の生徒。その腕には風紀と刺繍入った腕章がぶら下がっており、俺の姿を見つけたその見張りの風紀委員は慌てて会釈してきた。
 軽く笑みを浮かべ返す。

「中、いいかな」

 そう声を掛ければ、「はい」と声を上げた右手の風紀が制服から鍵を取り出し、扉を施錠する。
 通常このオートロックの扉は特定のカードキー一枚で施錠出来るのだが、扉の外側についた鍵穴に特定の鍵を使えばカードキーでは出入りが出来なくなる。
 その鍵は風紀委員と教師のみが使えるもので、その鍵で閉められた扉はカードキーの持ち主でもあり部屋の主である生徒を軟禁することが出来た。
 悪用すれば恐ろしいものになりそうだが、基本持ち出し出来ないし使用許可が下されるのは特例の事件が起きたときのみだ。
 訳があって自宅に戻ることが出来ない生徒が謹慎処分を受けたとき、その生徒の行動を制限するために使用される。
 それが今回、宇陀野和弥件だった。
 俺自身、風紀副委員長になって初めて鍵を目にする。
 よくも、こんな軟禁道具が思い付くものだ。
 思いながらも扉は開き、俺は宇陀野の部屋に入った。
 宇陀野が飛び出すのを恐れているのか、背後の扉はすぐに閉まる。
 薄暗くしんと静まった室内。
 玄関には確かに未散君の靴はあった。

「未散君?」

 ここにいて、宇陀野和弥を監視しているはずの彼の名前を呼ぶ。返事は返ってこない。
 眠っているのだろうか。まさか。なんて思いながら周りを見渡しながら足を進める。
 小綺麗にさっぱりした部屋。
 とある扉の前まで来たとき、奥から声が聞こえた。無遠慮にその扉を開く。
 部屋の中央に佇むはステッカーがべたべた貼られた大きな机とその上にはデスクトップのパソコン。
 壁を埋め尽くす棚には本からCD、雑貨まで様々なものが詰め込まれていて。
 その机の奥、一人ようのソファーに腰を下ろしたそいつはゆっくりとこちらに目を向けた。
 絵の具をぶち撒けたような黒髪。鋭い眼光をしたこの部屋の主は薄い唇を歪める。

「宇陀野」

 名前を呼べば、やつは鼻を鳴らす。
 そしてソファーにふんぞり返った。

「人の部屋の扉を勝手に開くな。うちの風紀委員はプライバシーという言葉を知らないらしいな」

 威圧的な物言いは、帯刀を思い出す。
 パソコンのディスプレイに照らされた宇陀野和弥の顔が怪しく光り、皮肉げな笑みが浮かんだ。

「未散君は?」
「ああ、あのなよなよした風紀か。さあな、便所でも行ってんじゃないのか」

 嘘だ、とすぐに分かった。
 宇陀野も気付いているだろう。室内に響く濡れた音に荒い息遣いに。
 それにも関わらずそんなわかりやすい嘘をつくなんて、未散君を弄んでいるのだろう。そして、俺を。
 人一人隠せそうなくらいの大きさはある机を一瞥する。

「用はそれだけか」

 静かな声で尋ねられた。
 用。確かに未散君の応援をしてやりたいというのも目的の中にはあったが、本当の目的は別にある。

「友達に会いに来るのに理由が必要なのか」

 そう、俺は笑った。宇陀野和弥は俺の友人だ。
 とは言っても、ただ前に同じクラスでたまたま話があった程度が、周りの人間に無関心な宇陀野にしては心を開いてくれている方だと自負していた。
 しかし、宇陀野の鋭い眼差しは変わらない。

「友達」

 呟くように復唱する宇陀野の顔に自嘲気味な笑みが浮かんだ。

「どの面下げて言ってんのか知らねえけど詰まらない冗談を口にするならお前もぶっ殺すぞ」

 ちょっと待った、なんでこんなに機嫌悪いんだ。

「どうしたの、宇陀野」
「馴れ馴れしく呼ぶんじゃねえよ、風紀の犬が」

 机に近付けば近付くほど宇陀野の笑顔が消えた。
 代わりに、殺気の隠った視線に突き刺され、俺は足を止めた。
 まじだ、マジギレだ。

「風紀の犬って、なに」
「俺がなにも知らないかと思ったのか、夏日。お前、帯刀凌央に媚びへつらいてんだってな」

 軽蔑した、と宇陀野の唇が動く。やつの口から出た凌央の名前に俺は固まり、宇陀野の顔をみた。
 氷のように体温を感じさせない冷たい表情は変わらない。

「別に、媚びへつらいてるわけじゃない」
「風紀なんかに入った時点で一緒だ。裏切り者が」

 突き刺さるは鋭利に尖った言葉と眼差し。
 確かに目を付けられている宇陀野は風紀をよく思っていなかったが、ここまでムキになるようなやつではなかった。
 これは、なにかあったな。直感するが、それがなんなのかわからない。
 考え込む俺に舌打ちをした宇陀野は机の下に手を入れ、そのまま下からなにかを引っ張り出す。
 どさり。そんな音とともに床の上に捨てられたそれに俺は目を見開いた。
 破かれた制服に覗いた皮膚に浮かぶ無数の青と赤と黄。明るい茶髪を乱したその生徒の腕には風紀と刺繍が入った腕章。

「未散君」

 そう名前を呼べば、受け身をとれずまともに落ちた未散君は「うぅ」と呻き、慌てて体を隠す。
 そして、バタバタと宇陀野の部屋から逃げ出した。

「あれ、もって帰っとけよ。下手すぎる。どうせなら上手いやつ監視にさせろ。それか、体力があるやつ」

 呆然と立ち去る未散君の後に目を向ける俺に宇陀野はなんでもないように続けた。
 やはり、未散君一人を生け贄を差し出しただけではこの男は満足しないらしい。
 そんなやつがいたら俺が紹介してもらいたいくらいだ。
 思いながら、俺は「わかった」とだけ答え機嫌の悪い宇陀野の部屋をあとにし逃げ去った未散君の行方を探すことにする。

 風紀副委員長として監視が外れた宇陀野和弥から目を離すのは然るべきことなのだろうが宇陀野和弥の友人としてあいつはここから無理矢理飛び出すような真似をしないだろうという確信があった。
 もし飛び出したところで扉を出れば見張りもいるし、まあそんな怠慢が俺を未散君の元へと向かわせる。
 未散君はすぐに見付かった。

「未散君?」

 宇陀野の部屋にある便所の扉。
 そこだけ鍵が掛かっており、声を掛けながら軽くノックしたら勢いよく扉が開く。
 そして、

「なつひぃ……っ」

 涙が混じった弱々しい声。目を真っ赤に腫らした未散君は扉から飛び出すなり俺に飛び付き、そのままえぐえぐと泣き出す。
「ごわがっだよぉ」と胸に顔を埋め抱き着いてくる未散君のふわふわの茶髪を撫でてやる。
 相変わらず柔らかい。

「ごめんごめん、まさか宇陀野に相手させられるとは思ってなくて」

 それは本当だ。だって、あいつの好みのタイプは未散君みたいに明るくて元気なタイプではなく、寧ろこうしっとりした感じの色気ぷんぷんしたやつだと思っていたし。
 いつも宇陀野と一緒にいる男子生徒の顔を思い浮かべる。
 というか、宇陀野が初対面相手にしゃぶらせるようなやつとも思わなかった。
 気分の高揚が人間を変えるということだろうか。おっかねえ。

「それにしても随分アザがひどいな、保健室行く?」
「……いい、だいじょうぶ」
「無理すんなよ」

 よろよろと俺から離れようとする未散君にそう声をかければ、さっそく落ち着いたらしい。
 未散君は小さく微笑んだ。

「ただしゃぶらされただけだし、あと制服破かれただけだから。宇陀野君に殴られてないよ」
「じゃあ、誰に」
「たまに、いるじゃん。注意したら逆ギレするやつ。夏日はわからないかな、新人風紀委員だし」

 喋って自身を落ち着かせているようだった。未散君の体の震えは止まり、声も涙がなくなった。

 確かに俺は新人風紀委員だが、未散君の言葉には心当たりがあった。
 知人にまさにそういうタイプの人間がいるのだ。
 敢えてなにも言わないでじっと未散君の目を見ていると、気恥ずかしそうに未散君は視線を外す。

「あの、取り乱してごめん。もう一回、すぐに宇陀野君の監視に戻るから」
「いいよ、もう」
「え?」
「監視は他の子に任せる。未散君は部屋で休んでなよ」

「副委員長」と未散君が俺を見上げた。
 二つの目がじんわりと潤む。
 かわいい。
 今すぐ抱き締めて慰めたい衝動をぐっと堪え、「宇陀野ももういいっていってたから」と話を続けた。

「宇陀野君が?」
「だから気にしなくていいからね」
「……うん、そっか」

 慰めるつもりで口にしたのだが、未散君の表情は曇るばかりで。
 なにか余計なこと言ったかな。
 なんて思いながら一先ずとんでもない格好になっている未散君に上着を貸した俺は未散君を宇陀野の部屋から見送り出す。

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