03※
「……ね、これでいいの?」
静かな部屋。
未散君の細い指が先端に触れ、尿道に刺さったその金属のプラグに触れる。
体温に侵されたそれには金属特有の冷たさはなく、それでも、確かな感触に腰が震えた。
「うん……いいよ、抜いて」
震える指。ああは言ったものの、やはり怖いのだろう。しかも、他人の性器に埋め込まれた異物の排除だ。
責任、背徳感、嫌悪感、正義感。様々な感情が混ざり合い、複雑なその表情が堪らなく愛しくて。溢れそうになる唾液を飲み込んだ。
「痛かったら、ごめんな」
こちらを伺うような上目遣い。紅潮した頬を隠すこともせず、恐る恐る未散君は摘んだプラグを引き抜く。
ずぷりと音を立て、肉を引っ張るように抜かれるそれに全身が硬直した。
「は、っぁ」
やばいぞ、これは。鼓動が加速し、全身からドッと汗が吹き出す。
目を見開き、堪らえる俺に未散君は泣きそうな顔をして、そして、ギュッと目をつむった。
瞬間、ずりゅっと濡れた音を立てプラグは一気に引き抜かれる。
「っく、ひぃ、」
食いしばった口から、耐えられず声と涎が溢れる。
せき止めるものを失い、こじ開けたように開いた尿道から勢い良く白と赤が混じった精液が吹き出した。
「っァ、あぁ、っ」
「ごめんね、痛そうだったから早く終わらせようと思って、ほんと、ごめんっ」
びくっと大きく痙攣し、びゅるびゅると溢れる精液に顔を真っ赤にした未散君は引き抜いたプラグを床に捨て、慌てて栓をするように精液で汚れた先端を指で塞いだ。
敏感になったそこはそれだけでも大きな刺激となり、腰が震えた。
「っ、大丈夫、だから」
そう、強張る顔面の筋肉を無理やり動かし笑みを浮かべた。
そんな俺に、ホッと安堵する未散君。本当は全く大丈夫ではなかったが、これ以上は俺がやばい。
尿道に走る激痛に固唾を飲み込み、それをこらえるように俺は床のプラグを握った。
「ありがとう、未散君。お陰で助かったよ」
「いや、夏日がいいんならよかったよ」
そう、答える未散君はどこかバツが悪そうで。顔を赤くしたまま、視線を泳がせる未散君を覗きこんだ俺は、小さく笑い返す。
本当、助かった。風紀室に戻ってきてくれたのが未散君で。
誰でも良かったのだが、どうせなら話が早い人も待っていたのだ。
もし、凌央みたいなのが来たらどんな目に合わされるかわからないし。
それもそれでワクワクするな、という言葉を飲み込んで、制服を着直した俺は手首ににじむ赤い痕を撫でる。
「でも、どうしてここへ?」
「どうしてって、あんな不機嫌な委員長と夏日を二人きりにできるわけ無いじゃん!」
怒ったように声を上げる未散君。
俺から無理やり取り上げられたとはいえ、仕事を渡したことについて責任を感じているのだろう。
ちょっとだけ頼りないが、基本は真っ直ぐで素直な子だ。だからこそ、凌央を悪人だと思い込んでいる。
そして、俺はいじめられている可哀想なやつだと。
「あ、あのさ」
ふと、思い出したように急に大人しくなった未散君は恐る恐るこちらを見上げた。
僅かに赤みをおびた頬。なんとなく、未散君が何を言おうとしているかわかった。
「今回のこと、凌央に言っちゃダメだよ」
未散君が言葉を発するより先に、それを先回りした俺は笑う。
未散君は、なぜというかのように俺を見た。
「いいんだよ、俺のことは気にしなくても。だって、今回悪いのは俺なんだから」
それにしても、よく喋る口だなぁ。我ながら、この薄っぺらい台詞には感心する。
陵央と知り合ったのは、いつだろうか。俺が見た時には既に今の陵央と変わらなかった。
キツイ眼差しにキツイ言葉。周りの人間が全員敵みたいな顔をしていて、あいつと対峙しているといつも自分の首にナイフをつきつけられているような錯覚を覚えた。実際、そうなのだろう。
ナイフという名の鋭く尖った警戒心。剥き出しになった嫌悪。
なんとなく、虐待された動物を連想した。
人が信用できない、味方は自分しかいない。まさに、そんな感じだった。だからかもしれない。
初めて陵央を見た時、動物好きの俺は自分の愛護欲が擽られたのをよく覚えている。
風紀室前にて。
未散君と別れ、暫く陵央が戻ってくるのを待っていたらすっかり日が落ちてしまった。
どうやらあいつは戻ってこないようだ。
俺のイカ臭い部屋は嫌ってことか?とか思いながら、連絡でも来てないだろうかと何気なく携帯を取り出せば案の定携帯には複数の着信がかかってきていた。
しかし、そこには陵央ではなく宇陀野の名前。そして、ようやくそこで俺は宇陀野のこと思い出す。
「……あ、」
宇陀野の飯、忘れてた。これはまずい。
脳裏に浮かぶ腹を空かせ怒り狂う猛獣の顔。
慌てて風紀室前を離れた俺は一先ず購買で宇陀野の飯を買って、学生寮へと向かう。
買ったのはインスタントラーメンと唐揚げ、それとプリン。
俺的に胃もたれしそうなラインナップだが宇陀野はこーいう重いのが好きなのだ。因みにプリンはおまけだ。
学生寮、宇陀野の部屋。
カードキーをつかって扉を開き、恐る恐る俺は玄関に足を踏み入れる。いない。宇陀野の部屋に入ればデスクの前、パソコンと睨み合いをする宇陀野を見付けた。
「かーずーやーくーん、ごめんね〜遅くなっちゃった」
「……」
「ごめんね?」
「……」
「和弥君?」
「……お前なんて知らねぇ」
「ごめんってば!ほんと!ちょっと忘れちゃってたけど、ほんと、ほら、御飯買ってきたし!」
「一緒に食べよ?」と袋を掲げ、上目&小首傾げで甘えて見れば、虫けらかなにかを見るような目でこちらをじとりと睨む。
「一人で食えばいいだろ」
「宇陀野ぉ、怒んなって。俺、宇陀野にそんな顔されたらどうしたらいいのかわかんないよー」
「そんなの自分に聞けよ」
そんな無茶苦茶な。うわーん宇陀野が怒ったーとわざとらしく泣き真似してみせたときだ。
袋を掻っ攫われ、思わず「あっ」と声を上げる。ガサガサと袋の中身を確認する宇陀野は唐揚げを見つけ、それを取り出した。
「これ、飲み物もあるよ!」
ここぞとばかりに途中自販機で買ったお茶を取り出せば、相変わらず険しい顔をした宇陀野は俺を睨んだ。
「いらん。これだけでいい」
「お腹減るだろ」
「別に」
言いながら、唐揚げを口に頬張る宇陀野。
ちゃんと口を利いてくれるだけましかな。なんて思いながら、内心ホッと安堵したとき。
ふと、デスクの上に見覚えのない惣菜パンの空き袋があるのを見付ける。
「どしたの、これ」
「帯刀が来た」
「……陵央が?」
当たり前のように答える宇陀野に、背筋に薄ら寒いものを感じた。
どうやってここに。咄嗟にポケットに閉まっていたカードキーに触れる。ちゃんとそこにある。
落としたカードキーを陵央が拾ったわけでもなさそうだ。或いは、スペアか。
「なにしにきた?」
「知るかよ。それ、届けに来たんだとよ」
「……ふーん」
鼓動が乱れ始める。なんとなく、胸がざわついた。
陵央が宇陀野を尋ね、おまけに差し入れだと?あり得ない。お世辞にも陵央は人間相手に差し入れだとか自分からそのような事をするタイプではない。
なにを企んでいるのか。それとも、ただ本当に宇陀野に差し入れしただけなのか。
なぜ?俺が忘れていたから?
だとしたら、なんで陵央は俺が忘れていることを知っているのか。
グルグルと回る思考回路。黙りこくって思案する俺からなにか不穏なものを察したらしい。
そこでようやく宇陀野は愉快そうに口元を歪めた。
「またあの俺様野郎の気に触るような真似したんじゃねえの?お前」
「は?なんで、俺が」
「お前のこと聞かれた」
「俺?」
「『なんで夏日はあんたに拘るんだ』だとよ」
「……」
背後から頭をぶん殴られたような気分だった。
目を見開き、口をぽかんと開ける俺の顔はさぞかし滑稽なことになっていたのだろう。
笑っていた宇陀野だったが、すぐに不快そうに眉を顰めた。
「……なんだよ、その反応。まじっぽい反応やめろよ、嘘に決まってんだろ」
「嘘?」
「別に大した話はしてない。謹慎期間の確認だけだ」
その言葉に、ほっと全身の緊張が緩まる。
そして、その時自分が緊張していたのだと理解した。
「……宇陀野でも結構お茶目な嘘吐くんだな」
「俺が誠実な人間に見えるなら眼科行った方がいいぞ」
笑う宇陀野はいつもよりもどこか機嫌がよさそうだった。
なんで陵央はわざわざ自らここへ足を運んだだ。本当に宇陀野になにも話さなかったのか。
巡る疑問。自問を繰り返してみるが答えは出てこない。
宇陀野とも、それ以上陵央のことで話すことはなかった。
積み重なる疑問とじわじわと侵食してくる不安のお陰で息苦しくなり、それから宇陀野と一緒にいてもまともにリラックスすることはできなかった。
陵央がいないとわかっていても、背後に張り付いて首に鎌を掛けられているような、そんな薄ら寒い緊張感が離れない。
とうとう耐え切れず、居間のソファーに座っていた俺は立ち上がった。
隣で雑誌を読みながらうとうとしかけていた宇陀野が視線だけをこちらに向ける。
「今日は帰るよ。明日朝来る」
「来なくていいぞ」
「そんな事言って、困るのは誰だよ」
「別に」
「可愛げないな」
「お前に可愛がられても仕方ないだろ」
ばっさりと切り捨てるような即答。
「言うねぇ」と笑い返し、俺は小さく手を上げる。
「じゃ、またくるから」
「二度と来んな」
本当、本心じゃないくせによくもそういう言葉を吐けるな。いや、本心じゃないよな?
あまりにも冗談に聞こえない宇陀野の言葉に段々不安になりながらも宇陀野の部屋を後にした俺は、特製のカードキーを取り出しその扉に見えない鍵をかけた。
結局、その日陵央と会うことはなかった。
呼び出されればいつでも飛び出すつもりだったが、どうやら俺は陵央に避けられているようだ。
これもお仕置きというやつだろうか。
陵央に呼び出されたら呼び出されたで自分の時間をかなり制限されるので、陵央から呼び出されない今の内にやりたいことをやっとくことにする。といっても、大してないのだけど。
友衛さん、生徒会室にいるかなぁ。あの人、俺に負けず劣らずフラフラしてるもんなぁ。
マイペースで我が道を行く一つ上の恋人の顔を思い出し、頬を緩めた時だった。
学生寮内、ロビー。
「うん、うん、じゃあまた夜ね。……うん、楽しみにしてる」
聞こえてきたのは、いつもからは想像できないような甘えたような鼻にかかった声。
ロビーの隅、携帯電話を耳に宛て、微笑む漆葉佑都を見つけた。
どうやら、丁度通話を終えたところだったらしい。
この場にはいないであろう通話相手に向かってデレデレになってる漆葉に目を丸くしていると、携帯電話を仕舞う漆葉はゆっくりとこちらを見た。
顔の傷は治りかけらしいがやはりところどころの傷は漆葉の白い肌ではよく目立つ。
「……立ち聞き?趣味悪いなぁ」
「いや、そんなに楽しそうなお宅見るの初めてだったからさ、つい。ごめん」
「いいよ、別に。聞かれて困るようなこともないし」
「彼女?」
「そう聞こえた?」
俺の言葉に、ははっと笑う漆葉はどこか自嘲気味で。
一頻り笑い終え、漆葉は俺を見上げる。猫みたいな、大きな目。
「残念、兄弟だよ」
「へえ、君って兄弟いるんだ」
「意外?」
「いや、納得。君、末っ子っぽそうから」
「そういうの、偏見だって言うんだよ」
「そういう君は一人っ子だね」そう、あくまで軽い口調で尋ねてくる漆葉に笑い返し「正解」と頷き返す。
本当は、弟が一人いるけど言うつもりはなかった。いう必要もないし。
「そうそう、和弥は元気?君、和弥の世話係になったんだっけ」
「短期だけどね。元気だよ、俺の腹どつくぐらいには」
「そりゃ結構結構」
漆葉佑都は読みにくい。何を考えているのかわからないのだ。
目を細め口端釣り上げて、形だけは微笑んでるものの本当に笑っているように見えない。その点、友衛さんと通ずるものがある。
だけど、友衛さんはよくて漆葉佑都を好きになれないのはやはり同族嫌悪か。
俺は漆葉を見据え、目を細めた。笑みは浮かべない。
あまり長々と話したくない相手だが、漆葉佑都には聞きたいことがあった。
「君って結構力あるんだね。宇陀野の腹、クッキリ残ってたよ」
「ん?……あぁ、見たんだ。えっち」
「見たくてみたわけじゃ無いんだけどね。でも、もし君が先に宇陀野に手を出したっていうんならそれなりの処分は受けてもらわないと不公平じゃないかな」
脳裏に過る、先日見た宇陀野の痣。宇陀野と漆葉の証言の食い違い。友人である宇陀野を贔屓していないとは言わない。宇陀野が漆葉佑都を殴ったのも事実だろうし。
だけど、やはり、自分の気に入っているものを他人に傷付けられるのは面白くない。
無意識のうちに顔が強張った。そんな表情の変化を読み取ったのかニィっと笑った漆葉だったが、すぐに肩を竦める。
「あーやだやだ、すっかり風紀委員だね。あんた。せっかくの気分が台無しになっちゃう」
「漆葉」
「じゃあね、俺、忙しいから」
何が忙しいんだ、と言い返す暇もなくさっさとロビーを後にしようと踵を翻す漆葉だったが、ふとこちらを振り返る。
「お仕事、頑張って」
「……」
そう微笑むなり、楽しそうに踵を踏み鳴らしながら漆葉佑都は俺の前から去った。
追い掛けたところであしらわれるのがわかったので敢えて俺は黙ってその後ろ姿を見送る。
胸のもやもやはなくなるどころか増えるばかりだ。
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