Sweet Ensemble


 02

 宇陀野の部屋の中。
 一先ず凌央に代わりの監視を連れてくるように連絡を入れたらすぐに返事が返ってきた。

『神崎未散はどうした』
「精神的に無理そうだったから帰ってもらった。宇陀野和弥はセックスが上手な子をご要望しているようだけど」

 受話器越し、帯刀は鼻で笑う。

『生憎風紀委員に下半身が達者なやつはいない。神崎未散を呼び戻し、宇陀野和弥にはこんにゃくで我慢させておけ』
「神崎未散はだめだ、見張るどころか俺が来たとたん逃げ出した。他に誰か気丈なやつはいないわけ?」

 なんとか未散君を解放したくて凌央に提案すれば、受話器に沈黙が走った。
 そして受話器の凌央は『いない』と即答する。

『逃げ出さないよう神崎未散を縛っておけばいい』

 隙を与えないような冷ややかな声。
 それは宇陀野の行動を見張るためというより未散君を痛め付けるのが目的だというかのような含んだものを感じた。
 また、この感じだ。じぐりと腹の中からなにかが這い上がってくる。
 無意識に携帯電話を握る指先に力が入った。

「わかった」
『そう、なら切るぞ』
「俺が宇陀野和弥の監視をする」

 受話器に向かって強い口調で告げた。受話器越しで凌央が唖然としている顔が浮かぶ。
 俺は続けた。

「宇陀野和弥を監視する気合いも暇もある俺なら構わないだろ」
『馬鹿か、お前。そんなの下のやつらに任せておけばいい』
「もし逃げ出そうとした宇陀野が暴力を奮ったらどうする?俺には暴走したやつを止める自信も術もある」
『初耳だ。殴り合うつもりか?』

 侮蔑を孕んだ凌央の言葉に小さく笑いながら俺は「止めると言っただろ」と続ける。
 まず宇陀野は逃げないだろうし、俺は宇陀野の顔見知りだ。
 ただ目の敵にしてくる風紀委員の誰よりも宇陀野と話せるはずだろう。
 どれも奴の機嫌によるが、正直まあ、宇陀野には色々話したいことがあった。
 俺が諦めないとわかったのだろう。舌打ちをした凌央は深い溜め息を吐き、そして「勝手にしろ」と怒鳴った。
 よし、勝った。

「じゃあ、このまま宇陀野和弥の監視は任せてくれ」

 そう受話器に向かって声をかけたとき、受話器から聞こえてくるつー音に目を丸くする。
 あの短気め。

「そう言うわけで未散君の代わりに監視兼お世話係になった依知川夏日でーす。よろしくね?」
「失せろ、今すぐだ」

 パソコンのディスプレイに目を向けたまま飛んできたのは相変わらず尖ったな言葉の矢。
 宇陀野はこちらを見ようともせず、カタカタカタとキーボードを叩く。相変わらずクールなやつめ。

「俺、体力あるしフェラも得意だよ。あと手マンも」
「うるせえ、しゃべんな」
「宇陀野ご飯なんも食ってないんだってな。なんか買ってこようか?」
「無視してんじゃ……」

 ねえよ。そう言いたそうに恨めしそうな顔をした宇陀野はようやく俺を見上げ、そして止まる。
 どうやらなにか良からぬことを思い立ったようだ。口汚く罵ろうとしたであろう宇陀野は口を閉じる。
 そして再度ディスプレイに目を向けた。

「プリンだ」
「は?」
「焼きプリンを買ってきてくれ」

「焼きプリン」と復唱すれば宇陀野は「そうだ」と頷いた。意味わからん。

「そんなんじゃ腹膨らまないだろ。どうせならもっとこう」
「なら後は適当にお前が選んでこい」

 俺が好きなものくらいわかるだろ、と言いたげにこちらに目を向ける宇陀野。
 挑発的な視線に俺はぐ、と言葉に詰まる。

「……わかった」

 そして俺は唸るように答えた。
「なんでもいいんだな?」と確認すれば、宇陀野は「ああ」と相変わらずの仏頂面で頷いた。

「なら、すぐ戻ってくるからおとなしくしとけよ」
「してる」
「よしわかった」

 宇陀野の部屋の扉を掴み、机の上でパソコンに夢中になっている宇陀野に「行ってくる」と声をかけるがその返事はやはり返ってこなかった。
 俺の周りにはキャッチボールをいきなり止めるやつが多すぎる。
 と言うわけで宇陀野の部屋を後にした俺は見張りの生徒たちに自分が監視役を買ったということを告げ、その足で購買へ向かった。
 そんで、購買。
 デザートが並ぶ冷蔵庫の前。焼きプリンを探していた矢先のことだった。

「なっつひくーん!」

 やけに通る煩い声。
 何事かと振り返ろうとした瞬間、ドンと体になにかがぶつかる。
 顔を上げれば、色を抜けたような眩しい金髪。

「漆葉侑都」

 よろめく俺の腕に抱き着くそいつの名前を呼べば、金髪頭もとい漆葉はにこりと猫のように目を細める。

「覚えててくれたんだ、嬉しい」
「覚えるもなにも」

 口から出かけた有名人じゃん、という言葉は直前で飲み込んだ。
 突然だが、風紀委員では素行に問題のある生徒は名簿につけるようにしておりその名簿に名前が入っている生徒には各々通常よりも厳しい監視の目が向けられるようになる。
 通称、ブラックリスト。
 現風紀委員長である帯刀がつくった制度であり、よくいや私生活に専属ストーカーがつくような厄介なものだった。
 そして、漆葉侑都の名前はそのブラックリストにしっかり刻まれており、その中でも厳重注意の判子を押されている。
 つまりまあ、事実上風紀副委員長である俺としてはあまり関わりたくない相手だった。

 漆葉侑都。
 素行は最悪でしかも自分の手は汚さないという変な潔癖で、そんで、宇陀野和弥の恋人。と俺が勝手に解釈するほど、こいつは宇陀野の隣にいた。
 しかし、今となればその判断が定かかどうかはわからない。

「酷い顔だね」

 改めて、漆葉の顔に目を向けた俺は気付いたらそう口にしていた。
 それほどひどかったのだ。
 青黒く鬱血した目のフチにはガーゼが貼られていて、唇の端は切れて赤くなってる。
 話で聞いたのは漆葉が殴られたのは一発二発と聞いていたのだが派手にリンチされたようにしか見えない。

「うん、ちょー痛いよ。あいつまじで殴ってきやがったし、ふふ。ねえ夏日君、風紀の方からきっつーいお灸添えてやっといてよ」

 笑おうとして、傷が痛んだのか漆葉の笑顔が歪む。
 今回、宇陀野和弥を怒らせ謹慎処分にさせた被害者は誰でもないこの漆葉侑都だった。
 ただの痴話喧嘩かとも考えたのだが、怪我をしたのには代わりないしあの宇陀野を本気にさせたのも事実だ。
 擦り寄ってくる漆葉に苦笑を浮かべ「そういうのは俺の専門外だから」と相手を引き離せば漆葉はつまらなさそうに唇を尖らせる。

「いいじゃん、ケチ。大体君のせいで俺怪我したんだからね。ほらこの顔見てよ、せっかくの可愛い顔が台無しになってる」

 後半のナルシスト発言は置いといて、意味深なことを口にする漆葉侑都に俺は目を丸くした。

「俺のせい?」
「そうだよ、夏日君のせい。夏日君が風紀副委員長に選ばれちゃうから、宇陀野ってばすげーイライラしてたもん」
「あんた、宇陀野になに言ったの」
「なにそれ、まるで俺が宇陀野になにか吹き込んだみたいな言い方じゃん」

 怪我していない方の口の端を吊り上げ笑う漆葉。
 そう言ってるんだよ、と言わなくても漆葉には伝わったようだ。

「言っとくけど、宇陀野の方から俺に聞いてきたんだからね。『どうして夏日が風紀になったんだ』って。別に俺は宇陀野に聞かれたことを教えただけだよ」

「ほら」と言いながら着崩した制服から一枚の写真を取り出す漆葉はそれを差し出してきた。
 受け取り、何気なく視線を向けた俺は絶句する。

「夏日君は帯刀委員長とSとMなことするのが好きなんだって」

「そう言ってこれ見せたら、あいつマジ切れだもん」とつまらなさそうに、そのくせ弾んだ口調で続ける漆葉に写真を眺めていた俺は唖然とした。
 いつ、撮られたのだろうか。
 写真の中には跪いて凌央の足に唇を寄せる自分がきれいに収められていて、その写真の中にいる恍惚とした自分に全身が粟立つのがわかった。
 黒歴史に関するものが出てきた途端、すぐに肌が反応する。
 体は素直だ、なんてよく言ったものだ。

「これ、宇陀野に見せたんだ」
「そだよ」
「いつ撮ったの?」

 思ったよりも、自分の声は落ち着いていた。
 そりゃ多少なりとも動揺しているが、声は寧ろ冷めていて。
 漆葉侑都がどのような人間なのかよく知っている俺は頭のどっかである程度のことは予測していたのかもしれない。しらないけど。
 そんな俺のポーカーフェイスを上目に見た漆葉はにやりと笑う。

「それは自分がよくわかってんじゃないの?」

 そうだ、わかっている。これは数日前、風紀委員長である帯刀凌央に呼び出され直々副委員長に任命された、あの夜だ。
 やつには『どうやって撮った』と問い掛けるのが適切だったのかもしれない。
 しかし、まともな返事が返ってくるはずがない。
 神出鬼没なトリックスター。それが漆葉侑都だ。
 リアクションを起こせば起こすほど奴を喜ばせることになる。

「それにしても、夏日君がこんな性癖だなんて意外だなあ。委員長はまんまだけどね、女王様。だけど見た感じ君は同じだと思ってたよ」
「俺が委員長と?」
「違う、俺と」

 くすくすと声も出さずに笑う漆葉の言葉にどう返せばいいのかわからず、僅かに静止する。

「酷いな、俺はあんたみたいに性格悪くないって自負してるのに」

 そう呆れながら続ければ楽しそうに顔を歪めた漆葉は「そういうと思った」と声をあげる。

「でも夏日君に足舐めさせるプレイも楽しそうだね。今度委員長とヤるときは俺も呼んでよ」
「ああいうのは一人だけでいいんだよ」

 うんざりしながら答えれば笑顔のまま漆葉は「特別扱い」と唇を動かした。
 もしかしてこいつ、俺と凌央に目をつけたのか?
 あまりにもしつこい漆葉にこれ以上付き合っていたら根掘り葉掘り聞かれ仕舞いにはやつの口車に乗せられなにしゃべってしまうか心配になり、俺は「宇陀野にお使い頼まれてるから」とその場を切り上げることにする。

「お使い?」
「誰かさんのせいで謹慎になっちゃったから、出歩けないんだよ、あいつ。だから俺が買い出し」

 そう皮肉を口にすればふと真面目な顔になった漆葉はなにか考えているのだろうか、どこか上の空に「ふうん」と呟いた。
 あれ?余計なこと言ったかな?と心配になってくる。


「じゃ、俺もそろそろ帰るかな。腹減ったし。夏日君、宇陀野によろしくね」

 そんな俺の思案を外にさっそく調子を切り替えた漆葉はにこにこ笑いながらその場を立ち去った。ようやく肩の重荷がとれた感じだ。

 漆葉と別れ、宇陀野に頼まれていたプリンと適当な惣菜を買っていく。
 片手に餌が入った袋をぶら下げ、宇陀野の部屋まで向かった俺は見張りの生徒に軽く声をかけ、そして再度鍵を開けてもらった。
 なかなか面倒な作業だ。
 思いながら開いた扉から玄関に足を踏み入れる。


「宇陀野、買ってきたよ。餌」

 廊下を渡り、先ほど宇陀野がいた部屋まで移動する。
 言いながら扉を開くが、返事は返って来ない。
 疑問に思い辺りを見渡せば、そこには人影すらなかった。
 宇陀野がいなくなった。
 全身が硬直し、思考が停止する。
 そして、はっと気付いた俺は慌てて廊下へ戻り宇陀野を探した。

「宇陀野、宇陀野」

 声を上げ、名前を呼ぶ。
 反響する自分の声を聞きながら片っ端から扉を開き、中を覗くが宇陀野の影はない。

 まさか、俺が買い物行っている間に部屋から出ていったんじゃ。
 でも、見張りたちは普通だったし、それじゃあ、まさか窓から。
 青ざめ、宇陀野が便所に隠れていないのを確認した俺はそのまま勢いよくバスルームがあるであろう扉を開いた。

「宇陀野!」
「……なんだよ、うるせぇな」

 脱衣室。
 着替えていた途中なのか、上半身裸の宇陀野が鬱陶しそうな鋭い視線で俺のアホ面を射抜く。

「宇陀野、なんで、お前、裸」
「勝手に脱衣室に入ってきておいてなに言ってんだよ、バカが」

 片言の俺の顔面に脱ぎ立てのシャツを投げ付けてくる宇陀野。
 仄かに人肌のぬくもりを孕んだシャツを顔から剥がせば、再度冷めた宇陀野を見る。

「シャワー浴びる。出ていけ」
「お前まさか窓から飛び出すつもりじゃ……」
「頭しかはいんねえよ」

 そう言えばうちの寮のバスルームは小窓しか取り付けられてなかった。
 納得する俺に痺れを切らしたのか苛立たしげに舌打ちした宇陀野に「いいから出ていけ」と脱衣室から押し出されそうになる。

「わかった、わかったから押すなって」

 言いながら、目の前に迫る宇陀野の上半身にちらちらと目を取られていた俺は宇陀野の腹部で視線を止めた。

「宇陀野、ねえ、そのアザ」
「あ?」

 宇陀野の脇腹に滲む青いその鬱血を指差せば、自らの腹部に目を向けた宇陀野は「ああ」と思い出したように呟く。
 滅多にアザを作らない宇陀野の腹部に痕を残すなんて。
 どこの猛者の仕業だ。そう脳みそを働かせた俺の脳裏に宇陀野にボコられ悲惨なことになっていた漆葉侑都のニヒルな笑みが浮かぶ。
 まさか。

「漆葉?」
「……お前に関係ないだろ」
「漆葉にやられたの?」

 気付いたら、宇陀野の体に滲むアザに手が伸びていた。
 肌色に染みた青いそれを指の腹で優しくなぞれば、触れていた腹筋がぴくりと震える。
 宇陀野に手首を掴まれた。

「あいつから手ぇ出してきたんだよ」

 そのまま手首を振り払われ、乱暴に引き離された。
 汚れを拭うようにアザを浮かべた皮膚を撫でた宇陀野はそっぽ向く。
 不満そうな声。
 漆葉のことを思い出しているのかもしれない。
 俺には、目の前の宇陀野と全身にアザを滲ませた未散君がダブって見えた。理由はわからない。

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