21
能義がいなくなった後、体育館倉庫に一瞬嫌な沈黙が流れた。
俺の足元、こちらを覗き込む岩片とレンズ越しに目が合い、ひくりと喉が鳴る。
「いいもん貰ったな、ハジメ。こんなもん咥え込めるようになったのか、あんなに処女丸出しのケツしてたくせに」
笑いながら岩片は俺のケツに刺さったバイブのスイッチを切る。どういうつもりだ、とやつを睨めば、やつは何も言わずに笑う。あの人を小馬鹿にしたような笑顔で。
「なんだ? 随分と喋りにくそうだと思ったんだが、余計なお世話だったか」
「……っ、……」
「無視か。まあそれでもいいだろ、好きにしろ。ケツ丸出しでバイブ根本までぶっ刺されて、そらで好きにできるってんならな」
「……かよ」
「あ?」
「嫌味、言いに来ただけかよ……って言ったんだよ」
ようやく、まともに空気が吸える。それでも、体内の圧迫感と存在感はそのままだ。内臓、前立腺、膀胱を押し上げられるような感覚を堪えつつ声を絞りだせば、笑みを浮かべたまま岩片は座り込む。
先程まで能義がいたそこに、膝をついて。
「まあな」
「……っ、そりゃどうも」
「流石に、能天気でおバカなお前でも今ので自分の立場わかったんじゃねえか?」
うるせえ、さっさと消えろ。見せもんじゃねえんだよ、と喉元まで出かかって、堪えた。
その代わり、口元に引き釣った笑みが浮かぶ。なんも面白いことなどないというのに。
「自分の思い通りにいかなかったからって、結果これかよ……変わってねえな、お前も」
「勘違いしてんのはお前だ、ハジメ。これは結果じゃなくて通過点だ」
「彩乃から聞いてただろ、このゲームは引き延ばせられれば伸びるほど泥沼化すんだって」ぐわんぐわんと揺れる脳味噌に岩片の声が響く。ああ、そうだ。こいつはいつだってこんなやつだった。
ほんの少しこいつと離れていて忘れていたようだ。――こいつは、どんな状況でも楽しむねやつだって。
「ああ、そうかよ。……っ、上等だよ、クソ野郎……っ!」
思い出した途端、胸の奥に塞ぎ込んでいた感情が熱ともに溢れ出す。堪らず声をあげれば、無言で岩片が俺を見た。
じっと観察するような目、それすらも俺の神経を逆撫でしていく。
「俺のこと惚れさせるとか言って、あんだけ大口叩いておきながら……それでやることこれか? ほんと、卑怯なやつだな」
「……」
「……っ、だまってんじゃねえよ……っ、嘘吐き――」
嘘吐き野郎、と言いかけた矢先、更に覗き込んでくるように顔を寄せてくる岩片。一気に距離を詰め、迫ってくる鼻先に心臓が停まりそうになった。唇と唇が触れるその直前、俺は岩片から顔を逸した。
「さ、わるな……っ!」
「お前、俺に助けてほしかったのか?」
顎先を掴まれ、強引に正面を向かされる。
分厚い瓶底眼鏡の下、細められた岩片の目はただまっすぐじっとこちらを見ていた。
「こいつは俺のだからって、有人を止めて欲しかったのかよ」
「んなわけ……っ、ないだろ」
「いーや。だからムカついてんだろ、ハジメ。……傷ついたのか? このくらいで」
「は……」
「それともなんだ? この短期間で俺の性格も忘れたのか」
薄情なやつだな、と薄い唇を歪め、岩片は静かに笑った。
ああ、と納得した。思い出してきた、この感覚を。好んで他人の神経を逆撫でし、敢えて人を煽り玩び冷静さを失わせ、そこをコントロールするこの男のやり口を。
元々この男は抱かれて来いっていうやつだった。そんなこと俺は嫌というほど知ってたはずなのだ。
岩片の言葉に納得も理解もしたくない。それなのに、それなのに今さらこいつに失望してるのは。
「……ハジメ」
「ち、がう、黙れ、お……お前なんか……っ、ふ、う……っ!」
「本当、可愛いやつだな」
冷静にならなくてはならないのに。ペットか何かのように顎の下を撫でられ、顔を持ち上げられる。唇を柔らかく重ねるように軽くキスをされ、ぞわりと全身の毛穴が開くのだ。
「……っ、ふ、……」
「認めろよ。ハジメ。お前、俺に期待してたんだよ。『俺のこと好きって言ってくれた岩片なら助けてくれる!』ってな……いじらしくて堪んねえよなぁ、本当」
「……っ、は、黙れ、うるさい……っ」
「お前のその態度は余計『その通りです』って言ってるようなもんだ。俺を萎えさせたいんなら、……わかるだろ?」
「……っ、……」
俺を捨てたくせに、俺に命令するな。
俺が今までみたいに喜んで尻尾振ると思ってるのか。
頭に来たし腹立った。何よりも、そう岩片にキスをされて萎えない己の体がなによりもムカつく。全部、薬のせいだ。繰り返しながら、俺は岩片を睨みつけた。
「良い目じゃねえか。……ああ、やっとお前らしくなってきたな」
そして、岩片は笑う。俺の髪を前髪を掻き上げ、真正面からこちらを覗き込んで……。
「なあ、ハジメ。――体育館のステージの上で他のやつらに抱かれるのと、俺にだけ抱かれるの。どっちがいい?」
――最悪の二択を投げかけてくるのだ。
「っ、そんなの――」
「お前だったら『他のやつらに抱かれる』を選ぶよな。そん中には無論俺も含まれてる。それなのに、俺に抱かれることを選ばないのはなんでか。その理由、当ててやろうか」
吐息が熱い。それよりも、自分の顔が熱くなっていく。首から上に熱が堪り、バイブがないのに下半身が重く苦しくなるのだ。焦りだけが増していく、焦燥感に心が乾いていく。
「――とっくに俺のことが好きだから」
岩片の声はとろとろと脳に染み渡っていくように優しく、柔らかかった。そしてなによりも、どんな毒物よりも急激に俺の心身を蝕んでいく。
本当に、この男は最悪だ。だから嫌だった、ずっと敵に回したくなかった。
けれど今、俺を見下ろして笑うこの男の標的は俺なのだ。改めて向けられる牙に気付いたときには、首筋を食い千切られる寸前だった。
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