馬鹿ばっか


 16

 風紀を頼っても寒椿経由で岩片に全て筒抜けになっている、と思えばもう宛に出来ないだろう。
 そうなると政岡だってこれ以上頼るのも難しい。

 ――これも全部アンタの思い通りってか。

 ここにはいない元御主人様の顔が頭を過る。
 八方塞がりにさせられる側からしてみりゃ、堪ったもんじゃねえな。

 政岡と別れたあと、少し考えを整理したくて部屋へと戻ろうとしたときだった。
 通路を曲がった瞬間、後方で影が動くのを見た。
 誰かに着けられている。それも、恐らく一人ではない。
 適当に撒けるだろうか、と頭の中で逃走経路を組み込みつつ、俺は適当に通路を曲がった。そしてすぐ、近くの階段の裏側に隠れる。
 幸い尾行していた連中は賢くなかったようで、急に姿を消した俺を探すように散り散りになって行くのを呼吸を殺しながら見送る。
 そして、人の気配が完全に失せたのを確認して階段の影から抜け出したときだった。

「相変わらずツメが甘いな、甘い甘い。このキャンディーの次に甘えよ。……ハジメ」

 階段の上から聞こえてきた声に、冷水ぶっかけられたみたいに息が止まりそうになる。
 顔を上げるのも癪だった。
 棒つきキャンディーを咥えたまま、黒もじゃまりも男は階段に座り込んではこちらを見下ろして笑うのだ。踊り場の窓から射し込む日差しを受け、その分厚い眼鏡のレンズはいつも以上に反射して表情が見えない。しかし、唯一露出した口元には楽しげな笑みが浮かんでいた。

「随分と大掛かりだな、わざわざ俺と会うためだけに」
「因みに、あいつらは俺が連れてきた友達でもねえから。他人の網で追い込み漁してんだから寧ろエコだろ」
「で、なんの用だ」

 今どき漫画でも見ねえようなクソでかいキャンディーに歯を立て、バリボリと噛み砕く岩片。そしてただの棒っきれになったそれを咥えたまま、「んだよ、つれねえな」と立ち上がる。

「パーティーのお誘いだ、ハジメ」
「パーティー?」
「ああ、そうだ。主役はお前だよ」

 これは直感でしかないが、恐らくそれは暗喩なのだろう。嫌な響きにじんわりと汗が滲む。

「へえ、それでお前がわざわざ来たわけか?」
「馬鹿言え、俺がそんな雑用みたいな真似するわけないだろ?」
「じゃあなんだよ。まさか、脅しのつもりか? これ以上酷い目に遭わされたくなけりゃ『俺を選べ』って言うんじゃないだろうな」

「――だとしたら、見損なったぞ。岩片」誰もお前に助けてほしいなどと思っていない。なんなら、岩片に縋りつくくらいならばまだリンチでもされた方がマシだ。
 舌先で棒を弄びながら岩片はこちらを見ていた。ただじっと、俺を。
 分厚いレンズから目は見えないはずなのに、絡みついてくるやつの視線がただ鬱陶しかった。

「で? 用は済んだか? ……なら、俺はこれで――」
「見損なった、か」

 そのまま岩片の視線から逃れようと背を向けたとき、頭の上からぱきり、と何かが落ちるような音とともに折れる音が聞こえた。

「お前のそれは意地か? 俺への反抗のつもりか? それとも、――」
「本心以外あるわけねえだろ」

 まるで俺が我慢してるみたいな言い方がなによりも不快だった。俺はそれだけを吐き捨て、そのまま階段を離れた。
 人を待ち伏せしてたくせに人を引き止めようともせず、ただ見てくるあいつの考えてることが分からない。
 けれど唯一言えることは、岩片が望んでるのは俺が負けを認めることだけだ。泣いて、縋りついて来てほしくて堪らないんだろう。
 あいつらしい考えだと思う。だからこそ、その分強固な反骨精神が俺の中で生まれた。

 それに、と岩片の噛み砕いたキャンディーが頭の中に過ぎった。
 もし、あいつの言葉通りに俺があいつの目の前でみっともないくらい恥かいて他の男に縋りついたらあいつはどんな顔をするのか。
 ――考えただけで気色悪いな。

 思考を振り払う。別に、俺はあいつに縋りついてきてほしいわけではない。ただ、もう放っておいてほしいだけだ。

 昇降口横、渡り廊下を使って学生寮へと向かおうとしたときだった。渡り廊下の通路を塞ぐように立っていた柄の悪い生徒たちが俺を見つけ、ニヤニヤと笑う。

 ――ああ、本当に、どうしてどいつもこいつも人の平穏を脅かすのだ。

 頭の奥のどこかで血管がブチ切れるような音を聞こえる。
 ゆっくり思案に耽る時間くらいくれ。そう訴えかける代わりに俺は殴りかかってきた生徒の拳を避け、そのままバランスを崩したその横っ面に思いっきり膝を叩き込んだ。

 穏便、平和、なるべく波風を立てず?平和的解決?
 うるせえ、波風立ててんのはテメェらだろ。だったらお互い様だよな。俺は悪くねえよな。
 ……エトセトラ。

 腹の虫の居所は最悪だったが、体を動かしてぶん殴り多少の気分転換にはなったのかもしれない。そう思えば少しはましに……なんねえか、なんねえわ。

 乱闘騒ぎに駆けつけた風紀委員たちに見つかる前にその場を逃げ出して学生寮へと戻ってきた俺だったが、行く先行く先やたらと目を付けられては適当に往なして学生寮内を駆け回ることになった。この調子では普通に部屋にも待機されてるだろう。
 いつの日かのことを思い出す、あのときは五十嵐の世話になったが――今回はどうだろうか。
 今回が能義だけではなく生徒会絡みとなると、このタイミングであいつのところに逃げ込むのは悪手な気がしてならない。
 最悪、暫く学園内から逃げるという手もある。が、それだけはしたくなかった。
 理由は単純だ、岩片に『逃げた』と思われたくなかったからだ。
「あんな風に偉そうに言った割に、随分コソコソと逃げ回ってるじゃないか」といわれたらどうにかなってしまいそうだ。
 かと言って、このままじゃ一睡もできないのではないか。なんて思いながら学生寮内を逃げ回っていた矢先だった。

 いきなり、向かい側の通路の奥から背の高い影が現れて驚いた。
 ぶつかりそうになり、急ブレーキをかけたが一歩間に合わなかった。身構えたとき、「尾張?」と聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「……馬喰?」

 そこに立っていたのは、銀髪の男だった。どうやら買い物帰りのようだ、布切れやらなんやらを詰め込まれた愛らしいエコバッグを両腕に抱えた馬喰は急に現れた俺を見てぎょっとした。

「お前、こんなところで何してんだ?」
「何って……まあ、散歩かな?」
「言ってる場合かよ、お前今他のやつらに追われてんじゃねえのか」
「なに、そんなに大袈裟なことなってんのか?」

 少なくとも、普段から周りの揉め事に興味なさそうな馬喰が心配するレベルには。
 辺りをキョロキョロと見渡した馬喰は「こっちに来い」とちょいちょいと肩を摘んできた。

「こっちって……」
「ここで見ったら厄介だ。……こっちだ」

 お前だって見つかったら巻き込まれるぞ、と思ったが、正直そろそろ休みたかった俺は素直に馬喰の言葉に甘えることにした。


 そして、馬喰に連れてこられたのは学生寮の物置部屋だった。本来ならば用務員が使ってるのだろうか、掃除道具や梯子などの備品が取り揃えられてる。……が、普段からは使われてないのだろう、大層埃っぽい。
 この学園の現状から、ここは殆ど使われていないということはよくわかった。

「……馬喰、ここって」
「掃除用具入れ。昔いた用務員のおっちゃんに鍵貰ったんだ。『あとのことは頼む』って」

 なんだか色々あったらしい。けれど、馬喰なら確かにちゃんと掃除しそうだし有効活用はしてくれるだろうが。いやそういう問題なのか。

 乱雑に積み重ねられた大型ツールボックスを椅子代わりに腰を掛ける。馬喰は壁を背にし、もたれかかったまま「で、お前なにかしたのか?」とこちらに視線を投げかけた。

「残念ながらなんもしてねえよ」
「……だとは思ったけどよ。あいつらまじで懲りてねえんだな」

 吐き捨てる馬喰の横顔を盗み見ながら、俺はいつの日か屋上の上から見た光景のことを思い出す。
 確か、あのとき馬喰は寒椿といた。――まさか寒椿や岩片と繋がってるのではないか。
 その疑念はまだ凝りのように残ったままだ。可能性が払拭できない以上、まだ安心するわけにはいかない。

 が、そんな俺の心情など知ってか知らずか、馬喰は「災難だな、お前も」と同情の目を向けてくるのだ。

「なあ、なんで知ってるんだ? ……まさか、お前んところにもなんか来たのか?」
「ああ、『尾張元はどこだ』っつってな」
「……それは、悪かった」
「俺は問題ねえよ。けど、俺にまで来るってことは相当だろ?」
「だよなあ」
「……あいつは何してんだ?」

 馬喰のいう『あいつ』が誰を指し示しているのか、薄々分かったが敢えて俺は「あいつ?」と惚けたフリをした。

「あいつだよ。……会長様様」
「……さあ」
「さあって。随分とお前のこと気に入ってた様子だっただろ。……まさか、あいつの差し金ってわけじゃあ」
「いや、それはない」

 不思議とそれだけは断言できてしまうのだからおかしな話だと思う。少なくとも政岡にそんな器用な真似できないと思うし、もし今までの俺への態度が演技だとしたら今度こそ俺はもうなにも信じられなくなるだろう。

「じゃあ、あいつは今何やってんだ? お前がケツ追い回されてるってときによ」

 ……言われてから、確かに政岡からの連絡が来ていないことに気付いた。
 逃げることで夢中になっていたお陰で連絡に気付かなかったのかもしれない、と携帯端末を取り出す。……しかし、政岡からの連絡は入っていなかった。

「なんかきてたか?」
「いや、なにも」
「今すぐ連絡した方がいいんじゃねえか。もしかしたら気付いてねえかもしれないぞ。あいつ馬鹿だから」
「……そうだな」

 なんだか胸の奥がざわつく。俺はなるべくそれを馬喰に悟られないように気をつけながらも、政岡に連絡した。
 ――が、政岡が電話に出ることはなかった。


「……出ねえ」
「そうか。ま、タイミングが悪かったのかもな」

「また時間おいて後で掛けてみるか」と馬喰に俺は「そうだな」と頷きながらも言葉にし難い違和感を覚えた。
 別に毎回1コール以内に出ろというわけではないが、何があってもどんなときでもすぐに電話に飛びつきそうな男だ。
 ――そんな政岡が手を離せないほどの用事ってなんだ?

「尾張?」
「あ、わり。……なに?」
「……顔色悪いぞ」

 余程顔に出てたのかもしれない。馬喰の優しさは身に染みるが、同時に取り繕うほどの余裕がなくなっているのだと指摘されてるみたいで少しだけ焦る。
 ……落ち着け、考えたところで仕方ない。悪いことばかりを考えるな。

「さっき走ったからかもな。ほら、俺あんま体力ねーから」
「……」
「……」

 小粋な自虐ジョークも滑った挙げ句、ますます心配そうな顔をする馬喰の目が痛い。最悪だ。

「政岡のこと、気になるのか」

 そして単刀直入に尋ねてくる馬喰。
 色々鈍そうに見えてそういう機微は分かるのか。

「……そりゃ、まあな。あいつ、普段即レス野郎だったし」
「そうだったのか?」
「少なくとも俺んときはだけど。まあ、いちいち俺に構ってられない状況になってんのかもな」

 少なくとも俺と政岡の関係には前提として生徒会のゲームがある。そのゲームが破綻し掛けている今なら、いつ政岡との関係が今まで通りではなくなってもおかしくはない。
 そんな俺の言葉からなにか察したのだろう、馬喰はなんとなく言葉を探るようにキョロキョロと目を泳がせた。
 そして、

「……お前、生徒会のやつらのゲームのこと知ってんのか」

 馬喰の方からぶっ込んでくるとは思わなかっただけに、少しだけ驚いた。
 まだ馬喰の立ち位置がどこか分からないが、どうせ生徒会の奴らにも気付かれているようなもんだ。「まあ、風の噂で」と適当に応えれば、「そうか」と深く馬喰は溜息を吐いた。

「っていうか、馬喰も知ってたんだな。……こーいうの、興味ねえのかと思ってた」
「興味はねえよ。つうか、どうでもよかったけど……この学園にいりゃそれなりに耳に入ってくるからな」
「恒例行事らしいもんな」
「娯楽がねえ田舎だとこれくらいしか楽しみがないんだってよ。馬鹿だろ、もっと他の趣味作れっての」
「はは、馬喰が言うと説得力があるな」

 不器用ではあるが多趣味な馬喰が羨ましくなるが、他の連中が突然家庭的な趣味に目覚めたところで恐怖しか覚えないのでこのままでも良い気はするが。
 ただ、他人を巻き込むなとは思うが。

「……知ってた上で、あいつとつるんでたのか?」

 恐らくこの場合のあいつ――というのは。

「政岡のことか?」
「ああ」
「……んー、まあ。そうなんのかな」

 少しだけ言葉に詰まって締まった自分に一番驚いた。
 確かに最初から政岡の思惑は知っていたし、あいつからの好意も利用するつもりだった。なんなら今でもそのつもりだったのに、何故だろうか。その言葉を口にすると、しっくりこなかったのだ。

「尾張、お前って……」

 そう、馬喰が何かを言いかけた時だった。手にしたままになっていた携帯端末が震え始めた。画面を確認すれば、五条から電話が掛かってきているではないか。
 あいつ、こんなときになんだ。と思ったが、もしかすればこんな時だからかもしれない。
 少し考えたあとおれは五条からの電話に出る。

「どうした?」
『おー出た出た、ってことは尾張はまだ大丈夫そうだな』

 外にいるのだろうか、ガサガサとノイズ混じりに聞こえてきた五条の声は酷く聞き取りにくい。「なんだって?」と聞き返せば、「ああ、悪い悪い」と悪びれもなく五条は笑う。

『なあ、尾張。お前今ちょーっとやばい状況になってんの、気付いてる?』
「気付いてるも何も、わりとずっとこんな感じではあるけどな」
『はは! 確かにそれ言えてんな!』

 なにが面白いのか、ケラケラと笑う五条に笑っている場合かとつい突っ込みそうになった。言い出したのは俺からだけど。しかもそんな面白いことも言ってねーし。

「おい……」

 結局なんの用なのだ。冷やかしのつもりか?と聞き返そうとした時だった、手にしたスピーカー部分から『出てこい五条祭ィ!』という怒声が聞こえてきた。そして、ついでになにかガラスが割られる様な音も一緒に。
 それは静観していた馬喰の耳にもしっかりと聞こえていたらしい。ただでさえ強面な馬喰の顔面は更に険しくなっていた。

「おい五条、お前今どこだ」
『体育館のキャットウォーク――』

 そう五条の音声が遠くなったと思った次の瞬間、耳を塞ぎたくなるほどの大きな音が響く。思わず端末から耳を離した。

「五条? おい、大丈夫か?」
『……っを、降りたところ』
「……は?」
『あー俺は大丈夫。逃げ足には自信ありだから。けど、尾張。お前は絶対コッチくんなよ』
「なんだよ、こっちって」
『体育館』

 そう五条が口にしたと同時に通話は一方的に切られた。


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