馬鹿ばっか


 04

「抱き締めるって……お前な……」

 調子に乗るなよ、と言いかけてやめる。
 確かにこいつの気持ち知ってて利用したのは俺だし……いやでも。なんて考えてる沈黙が嫌で、俺は渋々頷いた。そして。

「……ちょっとだけなら、いいぞ」

 そう、そっと腕を広げる。別に変な意味なんてない。ただの友好的なハグだ、そう言い聞かせ、俺は政岡を抱き締めた。
 尾張、と耳元で名前を呼ばれ背筋が震えた。

「っ、これでいいか?」

 咄嗟に俺は体を離した。名残惜しそうに伸ばされた指先が背中に触れ、そしてすぐに離れた。

「悪かった、無茶言って」

「……ぜってーお前を危険な目に遭わせねえから」絆されてはならない。距離感を見誤るな。惑わされそうになる自分に言い聞かせる。
 頼んだぞ、と続けた自分の声がやけに軽く聞こえた。

 そして翌日。
 あれからどうやら政岡は早速生徒会と接触することができたようだ。朝一確認した携帯には政岡から連絡が入っていた。
 掛け直せばすぐに政岡は出た。

「それで、どうだった?いけそうか?」
『……ああ、最初はかなり疑われたけどな。特に能義のやつ、この間のことあるから余計ネチネチしつこくってよ……』
「揉めたのか?」
『いや、お前が心配するようなことはねえよ、首尾は上々だ』
「ならいいけど、何かあったらすぐ言えよ。……あ、俺とはあんま接触しない方がいいのか?」
『……ん、あぁ、風紀の連中は暫くは連絡も控えろって言ってたな』

『けど、そこまで制御される筋合いねえよな』そう端末越しに聞こえてくる政岡の声。なんとなく喋りにくそうだが、それでも今は待つことしかできない。
 しかしまあ、政岡らしい。下手したら能義にこの前の報復されるのではないかと心配したが無用だったか。

『……っと、わり、切るわ。またな』

 どうやら邪魔が入ったようだ。「おお」と返事したときには既に通話は切れたあとだった。
 ……正直、心配じゃないわけではない。
 寧ろ不安要素のが強いのだ。能義や岩片相手に隠し抜けるのか。
 頼むぞ政岡、そう念じることしか今はできないのがただ歯痒い。
 政岡が掴むまではなるべく大人しくしておけと野辺には言われたが、正直大人しくしろと言われてもだ。扉を壊され天井ぶち抜かれるくらいだ、どこにいても同じなような気がするので取り敢えず一人でいるよりはましだろうと今日も一日元気に登校することにしたわけだが……。

「尾張君、おはようございます」
「おはよう、岡部。……一人か?」
「はい、最近岩片君なんだか忙しそうで……」
「あー……なるほどな」

 あいつ、どうせ裏でごちゃごちゃやってんだろうな。しゅんとする岡部だがあいつがいないのは寧ろ好都合だ。

「それにしてもなんだか変な感じがしますね」
「ん?なにがだ?」
「尾張君の方から僕に岩片君のこと聞くなんて。僕よりも尾張君の方が詳しいと思うんですけど……もしかして何かあったんですか?」

 内心ぎくりとした。いや確かにないと言えば嘘になるが、岡部と岩片は繋がってるから余計なこと言いたくないんだよな。

「まあ、ちょっとな」
「も、もしかして喧嘩とか……」
「喧嘩っつーか、プロレスっつーか……」

 説明しようがない。つかプロレスは直喩が過ぎるだろ。

「まあ、気にするなよ。いつものことだから」
「そうですか……岩片君もよく尾張君のこと心配してたみたいなので早く仲直りできるといいですね」
「……はは、そうだな」

 寧ろあいつのせいで余計物事が悪化して言ってる気がしてならないが。
 そんな他愛無い会話を交わしながら俺達は流れでそのまま食堂へと向かった。
 ガランとした食堂内部、ちらちらとこちらを見てくる他生徒の視線は全部シャットダウン。
 用意された飯をテーブルに置いて、向かい合って飯を囲む。岩片がいないだけでもこんなにリラックスできるものなのか。まあ相手が人畜無害な岡部だからというのもあるのだろうが。

「そう言えば尾張君は聞きましたか?」
「何がだ?」
「抱かれたい男、抱きたい男選手権の話です」

 いつの間に選手権になったのか。思わず口の中の米を吹き出しそうになって寸でのところで堪えたが流石に平静のままではいられなかった。

「ど……ッ!ぉ、お前も知ってるのか……!」

 汗が滲む。まさか岡部の口からそんな言葉が飛び出してくるとは予想してなかったからだ。
 なるべく平静を装うとするがしまった、米が変なところにひっかかって声が上擦ってしまう。が、岡部は変わらない、どこか不安げな表情のまま続けるのだ。

「ええ、さっき他の人たちが話してるのを聞いて……その様子だと、尾張君も聞いたんですね」
「ま、まあ……そうだな」

 クソ、人の口には戸を建てられないとわかっていたがこれほどか。岡部まで知ってるということは学園全体に広まるのも時間な問題だろう。
 頼むぞ政岡、とここにはいない政岡に願ったときだ。ちらりと何か言いたげな視線を向けてくる岡部に気づく。

「……ん?どうした」
「その、こういっちゃ気を悪くするかもしれませんが……少し尾張君のことが気になって」
「俺のことが?」
「ええ、その……大丈夫かなって。変な意味ではないんですが、尾張君は目立つし……その、生徒会のこともあるので……」
「お……岡部……」

 ゲームのことを気にしてるのだろう。
 下心のない優しさというものはささくれだった心によく染み渡る。

「すみません、俺なんかに心配されてもって感じですよね……っ」
「そんなことない、寧ろ……」
「ほんと、地味男君に心配されてもねえって感じだのねーー?」

 寧ろありがたい、と素直な気持ちを告げようとしたときだった。聞き覚えのある間延びした声が頭上から落ちてきたと思った矢先、いきなり隣の椅子が引かれる。
 ぎょっと顔を上げたとき、どかりとそいつ――神楽は椅子に腰を掛けてくるのだ。

「一緒にいーぃ?」
「神楽っ、お前……」
「か、神楽君……っ」
「んんーこれこれ、やっぱり朝はスペシャルベジタブル抜き肉増し増しバーガーだよねえ?」

 なんでこいつが、と思わず立ち上がりそうになる俺を他所に明らかに特注してもらったであろうハンバーガーにかぶりつく神楽は満足そうにもっしゃもっしゃと咀嚼していた。

「なにしに来たんだよ、お前」
「んー?そりゃ、愛しの元君の様子を見に来たんだよぉ。大丈夫かなぁーって思って?」
「様子って……」
「しらばっくれなくてもいいよぉ、わざわざかいちょーを使ってまで探り入れてんでしょ?多分俺よりも詳しいんじゃないのぉ?元君」

 唇の端についたケチャップソースをぺろりと舐めとり笑う神楽に背筋が冷たく凍る。
 こいつ、どこまで知ってるんだ。

「ほんと、大変だよねえ」
「何を言ってるのかよくわからないが、あいつらはなんて言ってるんだ?俺と政岡がグルだって?……馬鹿じゃないのか」

 今ここでバレるわけにはいかない。
 内心舌打ちしながらも俺は敢えて不機嫌な態度を取ってみせる。そう神楽を無視しようとすれば、「ふーん?」と垂れがちなやつの眉が僅かに持ち上がる。

「なになにぃ?元君はかいちょーとまた破局したのぉ?」
「生憎元々付き合ってねえよ」

 どこまで誤魔化せるかわからないが今は政岡との繋がりを悟られないようにしなければ。
 俺との不仲が原因で政岡のやつが強硬手段に出たと思わせる方が信憑性が高くなる……かもしれない。そう思ったのだが。

「へえ、じゃあかいちょーのこと弄んでんだ」
「だったらなんだ?」
「かいちょーはあんなに元君のこと好きだって言ってんのに可哀想だなあって」

 可哀想?そんな言葉が神楽の口から出るとは思わなかった。というか、なんだこの空気。神楽の目に、なんとなく自分が選択を誤ったのではないかと背筋が震えた。
「あ、あの……二人とも……」

 落ち着いてください、と言いたげに縮み込まる岡部。
 ……岡部には悪いが、正直今生徒会のやつと関わりたくない。気分を害したフリをしてこの場はさっさとずらかすか。
 食べ終え、俺は立ち上がって食器を片付けようとする。案の定岡部が「尾張君」と声を上げてきた。

「悪い岡部、用事思い出したから先に行くわ」
「え?……あっ!」
「どこ行くのぉ?」
「どこでもいいだろ」

 逃げるが勝ち。俺は神楽から逃げるようにさっさと一足先に食堂を出た。そしてやつがついてきていないのを確認し、取り敢えず先に教室に移動することにした。
 岡部怒ってるだろうな。後で謝っておかないとな。そんなこと考えながら渡り廊下を通って校舎へと向かう。


 ――校舎内、教室前廊下。

「おお、尾張おはよう。今日は早いな」

 宮藤に声を掛けられる。
 もりもりにゴミが入ったゴミ袋を両腕にぶら下げた宮藤にぎょっとしながらも、「おはよーございます」と挨拶する。

「……てか、すごいなそれ。大掃除でもしてんのか?」
「ああ、これな……まあちょっとな」

 そう歯切れが悪くなる宮藤に直感を覚える。まさか、とよく目を拵えて内容のゴミを注視すればそこには例のあの悍ましいイベントのポスターが大量に捨てられていた。

「そ、それってまさか……」
「あ?……まさかお前も見たのか?これ」
「……ああ、朝ちょっとな。例の、抱かれるだとか抱かれないだとかのやつだろ?」
「ああ、そうなんだよ。……朝っぱらから生活指導の先生に叩き起こされて付き合わされるし本当ついてねえ」
「まさかこれ全部……」
「そのまさかだな。校門の外までベタベタ貼られてんだからな。おまけにご丁寧に監視カメラ壊しての犯行だ。……けど、犯人は大体想像つくしな」

「つーか書いてあったし」と深い溜息を吐く宮藤。確かにいつもに増して顔が死んでる。

「顧問つったって俺だって押し付けられただけなのにあの狸爺ども……」
「た、大変だな……。というか、犯人分かってんなら本人にやらせたらいいんじゃないか?」
「言うことおとなしく聞くようなやつらならそうしてる。……すると思うか?」

 生徒会のメンツを思い浮かべ、「あー」と納得せざる得ない。

「無理だな」
「そういうことだ。そんで本人らに言えない先生たちのヘイトが俺に向けられるし……」
「お、お疲れだな……」

 ここまで弱ってる宮藤も珍しい。
 が、確かに宮藤の心労を考えると同情してしまう。

「……悪いな、本当は生徒に愚痴るなんてしちゃ駄目なんだけどな。……お前にはつい愚痴りたくなってしまうんだよな」

 なんでだろうな?と小首傾げる宮藤。それは多分周りに振り回される苦労を知ってて共感できるからだろうが、敢えて黙っておく。

「……っと、そうか教室に向かう途中だったな。引き留めて悪かった」
「……半分持とうか?それ」
「いや、大丈夫だ。ありがとな」

 わざわざ校舎外のごみ捨て場まで持っていくのは大変だろうが、生徒にやらせると角が立つのだろうか。これくらいいいのに、と思いながらも深追いしないことにした。
 それじゃ、と宮藤と別れる。疲れ切った宮藤の後ろ姿を見送り、俺は教室へと向かった。

 朝から色々あったせいか、教室に辿り着いたときには既にげっそりしていた。
 ……とはいえ、現状自室にいるよりは遥かに安全なんだよな。ここ。
 それがいいことなのかなんとも言えないところだが。
 教室の扉を開き、自分の席へと着く。
 もう直ぐ授業が始まるというのに未だ埋まったことない教室の席だが、この疎ら感すら癒やしと感じるほど疲弊していた。
 そういえば岡部はまだ教室に来ていないようだ。まさかあれから神楽に絡まれてるとかないだろうな。だとしたら申し訳ないな。そんなことを考えていたときだった。
 教室の扉が勢いよく開く。まず直感で岡部は扉をこんな風に開けない、というのが頭をよぎった。そして次、こんな時間ギリギリに登校するやつなど早々いない。
 だとしたら、と顔を上げたとき。足音が近付いてくる。そしてその足音は俺の後ろを通り過ぎていくのだ。
 そして足音の主が向かった先は、空いていた岩片の席だ。続いて椅子を引く音が聞こえ、俺はつい目を向けてしまった。

「…………」

 岩片の席に座っていたのは岩片自身だった。
 別に、なんらおかしなことではない。それなのにあいつがこんな時間から当たり前のように登校してるのを見て一瞬にして思考が乱れたのだ。
 あいつ、どういうつもりだ。
 驚いているのは俺だけではない。ヒソヒソとクラスメートたちが岩片の方を見て何かを言い合ってる。そしてこちらを向いては、すぐに目が逸らされる。
『なあ、あいつらってまた揉めてんの?』『ほら、この間の……』『ああ、あのゲームな(笑)』……概ねこんな感じだろう。
 当てつけのように登校しやがって。あんなことを言っておきながらあいつはまるで俺のことなど有象無象の一部かのような、それどころかこちらに視線一つ向けやしないのが余計怨めしくすらあった。
 挨拶が欲しかったわけではない、それでもなんだその態度はと思わずにはいられなかった。

 それから間もなくして授業が始まる。
 授業中も岩片のやつの一挙手一投足に注目してしまい、なんだか授業中だというのにまともに先生の話も聞くことができなかった。そして授業終了のチャイムが響く。

 次の授業は移動教室だ。
 岩片が机から離れる前に俺は声を掛けようか迷い、やめた。
 何を企んでいるのか、聞きたいことは色々あったが政岡や風紀と組んでいることをやつに悟られるのはまずいからだ。
 一人そのままぐるぐると考えていると、岩片が動く。立ち上がった岩片に驚いてしまったとき、やつがこちらへと歩いてきた。
 俺は全神経をやつを無視することに集中させるが、かつりかつりと近付いてくる靴音に息を飲んだ。無視しろ、動じるな。そう、気付かないふりをして椅子に座ったままやり過ごそうとしたときだった。
 岩片の足音が背後で止まる。そして。

「お前、肩に力入れすぎだから」

「下手くそだな、無視すんの」左肩に手を置かれたと思った次の瞬間、左耳に息を吹き掛けられる。顔を上げたすぐ鼻先にはあいつがいて、分厚いレンズ越し、こちらを見下ろしていたあいつは確かに笑っていた。

「っ、別に……」

 そんなんじゃねえよ、と言い終わるよりも先に肩の手は離れ岩片はさっさと教室から出ていこうとする。
 言い逃げである。

「……っ」

 言いたいことだけ言い、やりたいことだけやってそのままいなくなる。あいつの常套句だと分かっていてもそれでも釣られて立ち上がりそうになり、俺は再び椅子に腰を落とした。

 ……なんなんだ、あいつは。
 幸い人に見られていなかったが、それでもだ。
 ゴシゴシとまだ生温い熱の残った左耳を何度も手の甲で拭った。
 こんなことでしてやったつもりか。
 やり場のない憤りを必死に押さえつけながら、俺はあいつと時間を空けて教室を出て移動することにした。
 そのくせ、そんな手間を掛けさせた張本人は次の移動教室はサボりである。本当に許せない。

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