馬鹿ばっか


 バレンタインの話【岩片×尾張】

馬鹿みたいな話。血迷ったのだ、俺は。
岩片ににバレンタインデーのチョコを渡そうと思うなんて狂気の沙汰だ。
机の上にちんまりと置かれたそのチョコと見つめ合うこと数分。俺は早くも自分の軽率な行動を悔やんでいた。

きっかけは昼間の出来事だった。
バレンタインデー前日ということもあり、いつものように神楽が岩片に「もじゃもじゃ陰毛パーマ眼鏡のお前はどうせチョコもらえないんでしょ?可哀想〜」とか言って喧嘩売ってる神楽に、珍しく岩片がその挑発に乗らなかったのだ。「ハァ」と溜息一つ。それだけが岩片の反応だったのだ。
神楽は無視されたかと思って余計ムキになってたが、俺は、あの反応がただの神楽へのあてつけとは思えなかった。思えば朝から一日中、岩片は魂が抜けたみたいになっていた。元気がない岩片は相当気味が悪い。

だから、岩片にチョコをあげて元気になってくださいってか?馬鹿なのか俺は。

……やめだやめだ、バカバカしい。というか岩片が喜ぶとは思えねーし、寧ろ指さされて笑われそうだ。
律儀に包装までされたものを自分で食うのもあれだ、明日岡部か馬喰にでもやるか。そう決断し、俺はカバンにチョコを突っ込もうとした。
そのときだ。

玄関口の扉が開く音が聞こえてくる。
岩片が帰ってきたのだ。
慌てて俺はカバンにチョコ隠した。けれど、分厚いレンズ越しでも見えるものは見えるらしい。岩片は、コソコソしてる俺を見るなり「何してんだよ」と怪訝そうに近付いてくる。


「……何って、別に明日の準備してたんだよ」

「明日って……」

「授業!……授業の準備だって」

「……へぇ」


なんとなく岩片の目が痛いが、それくらいで折れるわけにはいかない。「悪いかよ、真面目に授業受けてちゃ」と言い返せば、岩片は「別に」とだけ言ってそのまま自分のベッドまで移動する。上着を投げ捨てるなりそのままベッドへとダイブする岩片。……大分疲れてるらしい。いつもならカバンの中まで覗いてきそうなものを、あっさりと身を引くなんて。


「……なんかあったのか?」


なんとなく、心配になって声を掛ける。が、岩片は短い沈黙の末「別に」とだけ口にした。
……これは、大分拗らせてるようだ。
岩片がこうなるのは珍しくない。大抵の場合何かしら問題が起きて岩片の機嫌を損ねてるだけなのだけれど、今回に限っては元凶でありそうな神楽に対してもあの様子だ。まるで見当が付かなかった。

……こういうときはそっとしておくのが一番だな。
俺は、岩片を一人にするため一度部屋を出て、ラウンジで時間を潰すことにした。


岩片は元気ありすぎてもうざいが、いざ元気がないとそれはそれで少し、ほんの少しだが……まあ、寂しいものだと思った。
本人には口が裂けても言えないが、まあ、俺は岩片には恩を感じてる部分はあった。色々迷惑被ったりもしたが、なんだかんだ言って今までであいつに助けられた部分は多かったのだ。
本当は、岩片を元気づけるというのは口実だ。元気があろうがなかろうが、今年こそはちゃんとお礼を言いたかったのだけれど、なんだか逆に渡しにくくなってしまった。

やっぱりやめよう。キャラじゃねーし。うん。別にわざわざバレンタインデーにこんなことしなくたっていいだろ。
そう自分に言い聞かせ、再度納得したあと、時間を置いて俺は自室に戻ることにした。

部屋に戻ると、ソファーに座っていた岩片が出迎えてくれた。


「お前、どこ行ってたんだよ」


第一声。なんだか久しぶりに岩片の声を聞いたような気がしてならないが、それよりもその声に怒気が孕んでるような気がしてならない。


「どこって、自販機でジュース飲んでたんだよ」

「勝手にウロウロしてんじゃねーよ、声くらい掛けたらどうだ」

「声って……別にいいだろ、すぐそこまでなんだから」


別に口答えしたつもりはなかった。俺の中ではまあいつも通りに適当に返したつもりだった。けれどどうやらそれが岩片の怒りに火を着けたらしい。


「……誰に会いに行ってたんだよ」

「…………………………へ?」


それは突拍子もない言葉で。


「俺にも言えないような相手にわざわざ会いに行ってきたのかって、聞いてんだよ」


立ち上がる岩片。その空気に、言葉に、声に、釣られて緊張する。が、待ってほしい、明らかに話が噛み合ってない。俺は誰にも会ってないし、誰にも会いに行ったつもりはない。ただ、一人になろうとしただけだ。


「おい、何かお前勘違いして……」


そう言い掛けたときだ。
岩片は目の前のテーブルの上に何かを叩きつける。見覚えのあるカラフルな包装。それを見た瞬間、ぶわりと嫌な汗が滲んだ。あれは、さっき鞄に隠したはずのチョコだ。
勝手に覗いたのかという怒りと同時に、言いようのない恥ずかしさについ言葉に詰まる。


「っ、これ、は……」

「忘れもんでも取りに帰ってきたのか?……ここ最近やたら一人になりたがってずっと様子がおかしいと思えばなんだこりゃ。コソコソ俺に隠すなんて……随分とご執心じゃねえのか、ハジメ」


その言葉に、全てを理解する。
まさか、岩片は気付いていたのか、俺が一人の時間作って岩片へのプレゼントを探していたのを。というか、そこまで知っていてなぜ根本的な部分で致命的なミスをするのか。変な汗が滲む。バクバクと心臓がうるさい。


「……何か言うことねえのか」


冷たい目。
詰め寄ってくる岩片の顔をまともに見ることなどできなかった。

言えるわけない。こんな空気の中、実はお前宛でしたなんて。言えるか。笑えねえコントにも程がある。
だから俺は、何も答えなかった。答えれなかった。押し黙る俺に、岩方は不快を顔に出す。
そして、「そうかよ」とだけ言い残し、包装を破った。瞬間、血の気が引く。


「っ、駄目だ、岩片!」


まだそれは、ちゃんと『作り直せていない』のだ。
咄嗟に岩片の腕を掴むが、間に合わなかった。
大きな音を立てて亀裂が走る包装の下。
そこに、適当に入れていたメッセージカードが顔を出す。

俺は、顔をあげることができなかった。


「……これは……」


岩片の動きが止まる。動きだけではない。声も、視線も。
その意識が向かう先には、メッセージカード。


「……いつも、ありがとう……」


岩片の口から出たその言葉に、ぶわりと全身から汗がにじむ。額から一筋の汗が流れ落ちた。


「……岩片へ。尾張より……」

「よ、読むなぁ……ッ!!」


最悪だ。最悪だ。本当に最悪だ。
岩片の疑り深い性格を考慮して、でも恥ずかしすぎて手渡しができないので念の為やけくそのメッセージカードを用意していたのだがそれが裏目に出てしまった。
正直、死んだ方がましだ。顔が熱くなる。嫌な沈黙に、冷や汗はだらだらと流れるばかりだった。


「……わ、笑えよ……」


ひたすら沈黙が怖かった。半ばやけくそになり、「笑いたきゃ笑えよ!」と顔をあげると、チョコを手にしたまま固まる岩片が目に入った。
その顔は、見たことがないほど赤くなっていて。


「……なんで、言わねえんだよ」


低い、けれど微かに上擦った声。
え、と狼狽えたときだ。


「……すげー俺、恥ずかしいやつじゃん……」


見たことがない顔、聞いたことのない声、それは逆にこっちの調子が狂いそうになるくらいで。動揺からか、顔を隠す岩片の手は微かに震えてるようにも見える。
けれど待って欲しい、これだけは言わせてくれ。


「言ったから……勘違いだって……!最初に!」

「あんなボソボソ言われたくらいでわかるわけねーだろ、声張れよ声!」

「な……っお前、自分が早とちったくせに俺のせいかよ……!」

「元はと言えばハジメがそわそわしてっから悪いんだろ、ちゃんと俺だけを見てればそりゃ……」


「…………を……?」


なんだかさらりととんでもないことを口走ろうとしていた岩片を見詰めてみるが、すぐにしかめっ面になった岩片に「うるせ」と顔を捕まえられ無理矢理余所を向かされた。

さっきまでとは打って変わって、恥ずかしさで調子狂わされてる岩片を見てるとなんだかこっちまで笑えてくる。
死ぬほど恥ずかしいが、だからこそ、余計、笑えてくるのだ。
お互いがお互い勝手に勘違いしてムキになるなんて、可笑しくて。


「……何笑ってんだよ」

「……すげーなんか俺だせーなって思って」

「知ってる」

「岩片もすげー面白かった」

「お前マジで犯すぞ」

「……いやわりと洒落になんねーから、お前の場合」


笑うしかなかった。けれど、わりと笑顔が自然と出るのだからおかしなものだ。

岩片は相変わらず面白くなさそうな顔してたが、暫く見つめ合ってると糸が切れたみたいにため息をつき、そして「俺、馬鹿みたいだ」と吐き出し、笑う。


「ハジメが移ったのかもしれねーな」

「お互い様だろ、それは」

「お前は可愛くねえな本当に」

「なあ。それ、14日に食えよ」

「……言われなくても。つか、心配するとこそこかよ」


早とちりほど怖いものはないと学んだ日ではあったが、それよりも俺は真っ赤になった岩片が忘れられず、5日くらい夢に出てきたがそれを言うと岩片がまた機嫌を損ねるのでやめた。
そして、まさか魂が抜けていたのは俺が隠し事してたせいではないだろうな。なんて自惚れてみたりもしたが、本人に言ったらどんな目に遭わされるかわかったものではないのでそれもやめた。
ともかく、岩片は今朝からの抜け殻状態が嘘だったみたいに元気になった。
やっぱり抜け殻のままの方がいい気がしたが、いつも以上にハイになってる岩片を見るとバカバカしくなってあいつが元気ならなんでもいいやと思った。

それと、チョコはビターにしていて正解だったようだ。
バレンタインデー当日もひと悶着あったものの、「うまい」と言ってくれただけで俺にとっては十分だった。


おしまい。

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