天国か地獄


 08

 阿佐美と別れて暫く。
 小腹が空いてきた俺は売店へ向かうことにした。
 そういや壱畝も誰かと夕食を食べに行くとか言っていたが、まだ一階を彷徨いているのだろうか。出来るだけなら会いたくない。思いながら、俺は壱畝がいる可能性が高い食堂を避けコンビニへと軽食を買いに行く。

 学生寮一階、ショッピングモール。
 コンビニに入った俺はちらほらいる生徒を避けるように惣菜パンコーナーへ向かい、並べられた惣菜パンを物色する。
 通常のコンビニに比べて劣らずの品揃えの中、適当に無難なものを選ぼうとジャムパンを手に伸ばしたときだった。不意に、横から伸びてきた手と重なった。気配もなく伸びてきた人の手にぎょっとした俺はなんかこの前も似たようなことがあった気がと思いながらも顔を上げ、そして、そこに立っていた人物に目を丸くする。

「……灘君」

 相変わらずのポーカーフェイスで佇む生徒会会計の灘和真はパンから手を引き、こちらを向き直れば「どうも」と小さく頭を下げる。
 その手には買い物カゴが握られており、どうやら灘も晩飯を調達しに来たようだ。

「あ、これ……ごめんね」

 手のやり場に困り、そのままジャムパンを手にした俺は「欲しかったんだよね」とそれを手渡した。

「別に構いません。たまたま手に取っただけなんで」

 そして返される。灘なりに気を遣ってくれているのだろうか。
 相変わらずこう素直というか素っ気ない灘に喜んでいいのか迷いつつ、パンを受け取った俺は「ありがとう」と笑い返す。
 ……それにしてもすごい荷物だな。
 灘からパンを受け取り、なんとなく気まずい沈黙が流れる中、俺は灘の手にした買い物カゴに目を向けた。
 二リットルサイズの様々なジュースが入ったペットボトルに大小様々な菓子袋。そして菓子パン。
 とてもじゃないが一人分とは思えない。まるで大人数でホームパーティーでもするような量だ。
 ……パーティー?

「あーいたいた、おい、灘!お前どこまで行って……」

 不意に、遠くから聞き覚えのある太い声が聞こえ、俺と灘は声のする方へ振り返る。そして、そこにはたった今入店したらしい生徒会副会長の五味がいた。
 惣菜パンコーナー前。
 灘を見付けた五味はほっと安心したような顔をして、その隣に立っていた俺に目を丸くさせる。

「……って、齋籐」
「あ、こ、こんばんは」

 意外そうな顔をする五味に慌てて頭を下げれば五味は「おう」とだけ唸るように返し、先程までの勢いはどこに行ったのかばつが悪そうに顎を掻く。
 偶然なのかそれとも予定調和なのか。会計と副会長、生徒会面子が集うコンビニ内。
 もしかしたら芳川も来ているのだろうか、なんて思いながら辺りを見渡してみるがそれらしき人影はない。

「っていうかおい灘、お前買いすぎだって。料理別に頼んでんだからちょっとでいいっつっただろ、ちょっとで」

 なんとなく目のやり場に困っていた五味だったが、灘の買い物カゴに気付いたようだ。
 呆れたように指摘する五味に灘は相変わらずの無表情で「そうですか」と小さく頷き、そして躊躇うことなくいくつかの商品を商品棚に戻し始めた。
 二人のやり取りがなんとなく気になった俺は「なにかあるんですか?」と恐る恐る五味に声をかけてみる。すると、「ええっ?」と素っ頓狂な声を上げた。なんだこの反応は。

「あー、まあな。ほら、文化祭あったろ。あれの打ち上げ、いまからあんだよ」
「打ち上げ……」

 そういえば志摩がそんなこと言ってたな。
 数時間前押し掛けてきた志摩とのやり取りを思い出す俺は余計なことまで思い出してしまい慌てて思考をふり払った。

「それって、確か生徒会のですよね」
「あ?なんだ、お前も知ってんのか?」
「いえ、あの、志摩が言っていたんで……」
「志摩?……ああ、十勝の部屋のやつか」

「あいつ、本当口軽いな」どうやら深く首突っ込まない方がよかったようだ。
 そう眉間を寄せ、溜め息を吐く五味につい反射でびくっと肩が跳ね上がる。
 なんというか、やはり五味には慣れない。優しい人だとはわかっているが動作ひとつひとつが怖いのだ。あと顔も。

「す……すみません」
「あ、いや、別にお前に言ってねえから」

「……でもやっぱ場所変えるべきだったな。会長もなんでよりによって十勝の部屋にしたんだよ」あそこ狭いからやなんだよな、と不満そうに唇を尖らせる五味に、いつの間にか間に立っていた灘は「会長は狭くて騒ぎやすい方がいいと言ってました」と静かに続ける。
 どうやら買い物カゴの商品を少なくし終えたようだ。普通に焦った。
 そんな灘に驚くわけでもなく、相変わらずどこか浮かない様子の五味は「いい予感全くしねぇな」と深く溜め息を吐く。どう答えればいいのかわからず、俺は小さく苦笑を溢した。
 そして、それに反応したように五味はこちらを睨む。否、目を向けただけのようだ。五味と目があった。

「そうだ、お前も来るか?」

 いきなりだった。なにか閃いたのか、唐突にそんな誘いをしてくる五味に俺はきょとんと目を丸くする。
 なにに行くのだろうか。って、やっぱり、話の流れからして打ち上げのことだよな。

「……俺ですか?」
「ああ、ほら、お前がいた方が会長も少しぐらいはゆっくり出来るだろうし」

 人良さそうに笑いながらそう続ける五味に灘は「五味先輩」と小さく名前を呼ぶ。
 どうやら咎めているようだ。そんな灘に対し、五味は「いいだろ?どうせ無関係ってわけじゃないんだから」と声を潜める。
 ……なんだろうか。なんとなく、胸騒ぎがする。
 二人のやり取りからなんとなく不穏なものを感じとった俺は内心冷や汗を滲ませた。

「まあ、せっかくだしほら暇だったら来いって。無理強いはしないけどな」
「……でも、せっかくの仲直りしたところに俺なんかが入っていいんですか?」
「仲直り?」
「え?」

 そう恐る恐る尋ねてみれば、なんのことかと驚いたような目をする五味にこちらまで狼狽えてしまう俺は「ち、違うんですか?」と慌てて聞き返す。
 それに対し、五味は「んー、まあ、はは、そうだな。仲直りかー……」だとかなんとなく煮えきらないような言葉を口にした。なんだこの反応は、もの凄く不安なんだが。

「そうそう、仲直り仲直り。仲直りしたんだよ、俺ら」
「正確には会長に呼集をかけられた、ですが」

 そう誤魔化すように笑う五味に対し、相変わらず眉一つ動かさず灘は訂正を入れる。
 打ち上げとかいうからもっと楽しげなものかと思っていたが、なんだこの流れは。この不穏な空気は。

「……良いんですか?」
「構わねえって、別に。打ち上げには変わりねーんだから」

 そして、そう最終確認をすれば五味は面倒臭くなったのかやけに投げ遣りな口調で続け「なあ、灘」と灘に同意を求める。それに対して灘は無言で頷いた。
 喋らなければなに考えているかわからない灘だが、言動に嘘偽りはない。
 恐らく、打ち上げには変わりないのだろう。
 打ち上げというものがよくわからなかったが、その内容は文化祭の総括的なものになるに違いない。
 せっかく誘われてるのに断るのも申し訳ないが、だからといってノコノコついていって良いものなのだろうか。わからない。志摩の話によると他の委員会の人たちも来る可能性があるわけだし、知らない人もいるかもしれない。そんな中、全くの部外者が紛れ込んでいて大丈夫なのだろうか。

「で、どうする?来てくれるんならこのまま付き合ってもらうけど」

 最後にそう、確認するように問い掛けてくる五味。ここで断ったらもう後に退けない状況になるに違いない。
 五味たちと一緒にいれば、壱畝と一緒の部屋にいなくても済む。その後、帰ってからなに言われるかわかったもんじゃないが一分一秒でも壱畝から離れられるならそれが一番好ましい。

「えっと、じゃあ、あの……ご一緒させていただきます」

 どちらにしろ志摩の部屋にお邪魔させてもらうつもりだったし、たまにはいいよね。そう、自分に言い聞かせるように口の中で呟き、俺は目の前の五味と灘に告げた。
 五味たちについていくと宣言してから数十分後。それから色々店を回って買い物をした俺たちは各々大小様々な買い物袋を抱え、打ち上げが行われるという303号室へと向かった。


 学生寮三階、303号室前。

「お邪魔しまーす」
「お……お邪魔します」
「失礼します」

 扉を開き、ぞろぞろと玄関へと足を踏み入れる俺たちをまず出迎えたのは芳川会長だった。
 いつの日か見た部屋を真っ二つに仕切るカーテンをとっぱらった室内、やけに広いそこに置いてある椅子に腰を掛けていた芳川会長は「なんだ、遅いじゃないか」と不満そうな顔をして、入ってくる俺たちに目を向ける。そして、五味の陰に隠れていた俺の姿を見るなり「……齋籐君?」と目を丸くした。

「なんで君がここに」

 そう呆れたような、戸惑いの色を浮かべる芳川会長に内心どきどきしながら俺は「こんにちは」とぎこちなく笑った。しかし、芳川会長の顔は強張ったままで。

「丁度そこで会ったんで連れてきたんですよ」

 やばいと思ったのだろう。そう慌ててフォローする五味は言いながら俺の肩を軽く叩き、笑う。しかし、緊張のせいでその笑みは引きつり逆に怖い。そして目の前にも怖い人がもう一人。
「なんだって?」と眉間を寄せ、こちらを睨み付ける芳川会長はそのままゆらりと立ち上がる。
 低い声に空気がピリつく。その気迫に気圧された五味は一歩後退り、「おい、そんなこええ顔すんなって」と買い物袋をぶら下げた手を軽く上げ降参のポーズをした。

「お前がなんか用あるみたいだったし丁度いいと思ったんだよ」

 ……会長が俺に用?
 五味の言葉が気にかかったが、相変わらず芳川会長は無言でなにか考え込むように五味を見据える。
 このままだと不味い。一発触発な張り詰めた空気に内心冷や汗を滲ませた俺はどうしたものかと助けを求めるよう後ろからついてきていた灘に目配せをするが、灘はただ無表情で二人のやり取りを傍観するばかりで。
 どうにか会長を宥めるため、俺はなけなしの勇気を振り絞ることにした。

「す、すみません……あの、お邪魔なら、俺……」
「……いや、君が帰る必要はない」

 が、普通に遮られた。俺の言いたいことを察したらしい芳川会長はそう静かに続け、そして再び目の前の五味に目を向ける。

「五味。いつも言っているだろう、勝手な行動はするなと。あとに響いてくるんだよ」

 もしかしたら落ち着いてくれたのだろうか。そうほっと安堵するのも束の間、先程よりも幾分雰囲気は和らいだもののやはりピリピリとした芳川会長に五味は相手にしないことにしたようだ。

「わかったわかった、説教は後ででいいだろ?」

「ほら、灘に頼んでいたやつだ」そう持っていた買い物袋を芳川会長に見せ、咄嗟に話題を変えようとする五味。どうやらその効果は覿面だったようだ。

「……ああ、すまないな」

 一応、お使いをしてくれた五味たちに対しては感謝をしているようだ。
 なんだか出鼻を挫かれたような顔をしながらも俺たちの抱える荷物に目を向けた芳川会長は小さく溜め息を吐き、そして「ご苦労だった」と小さく微笑む。

「取り敢えず、中に入ったらどうだ。飲み物がぬるくなるだろう」

 芳川会長も感情に身を任せる馬鹿ではない。そう早速切り換える芳川会長にようやく安心したように厳つい顔を綻ばせた五味は「んじゃ、お構い無く」と笑う。そして、なにかに気が付いたようだ。辺りを見回す五味は「十勝と栫井は?」と芳川会長に尋ねる。

「栫井なら後で来るそうだ。十勝は昼頃から連絡つかない」
「は?部屋勝手に使っていいのかよ」
「一応今朝確認したからな。同室者に入れてもらったんだが……」
「あいつ、肝心なときにいなくなりますからね」

 そう芳川会長が言いかけたときだった。
 リビングの出入り口側。丁度リビングに足を踏み入れようとしていた俺はすぐ傍から聞こえてきたその声に足を止める。
 聞き覚えのある柔らかいその声に心臓はバクバクと弾み、嫌な汗が滲んだ。ゆっくりと声のする方に目を向ければ、そこには会長同様椅子に腰を掛けた志摩がいた。不意に、目が合う。

「本当、なにやってんだか」

 そして、俺を見て志摩は笑った。正確には口角を持ち上げただけなのだろう。その目は笑ってはおらず、冷めた目にじっと見据えられた俺は全身を緊張させた。
 志摩の部屋なんだから志摩がここにいることは最初からわかっていた。わかっていたはずだし、志摩にはいつでも部屋に来ていいと言われていた。
 なのに、なんでだろうか。相手の冷ややかな笑顔を見ると自分の選択肢を謝ったような気がしてならない。

「いや、全くだな。志摩君、手伝ってくれてありがとう」

 そして、凍り付く俺を知ってか知らずか芳川会長はそう志摩に続けた。
 なんのことかと思ったが、どうやら部屋の片付けのことを言っているようだ。
「気にしないで下さい、これくらい。せっかくの打ち上げですからね、好きなだけ使って下さいよ」そうにこりと笑む志摩は社交辞令を口にする。
 芳川会長と志摩。俺たちが来るまでこの二人が二人きりだったということを考えれば志摩が芳川会長になにか言ってないか心配で心配で生きた心地がしなかったが、芳川会長の様子からすると特になにもなかったようだ。しかし、俺にとってあれほど芳川会長を邪険にしていた志摩が芳川会長になにも仕掛けないというその事実が不気味で堪らない。
 どうすることも出来ずその場から動けずにいると、不思議そうな顔をした志摩がこちらに歩み寄ってきた。

「どうしたの?齋籐。そんな顔して。ああ、その荷物重そうだね。持つよ」
「え、や……」

 思わず後退る俺に構わず俺の手首を掴み、そのまま買い物袋を取り上げようとする志摩につられて俺は買い物袋を取り返そうと手を伸ばし、掴んだ。
 志摩の笑みが凍り付き、嫌な空気がその場に流れる。

「手、離して」

 ほんの、一瞬だった。先にリビングに入った芳川会長たちに背中を向けた志摩は目を僅かに開き、そう呟く。
 吐き捨てるような冷たい声。今までに聞いたことのない底冷えするような感情のない声音に身がすくみ、思わず俺は買い物袋から手を離してしまう。

「あ……ありがとう」

 会長たちに怪しまれないよう、そう志摩から視線を離した俺はお礼を口にするがなんとなくぎこちないものになってしまう。それに対し、志摩はいつもと変わらない笑みを浮かべた。

「お安いご用だよ、このくらい」

 先程の無表情が嘘のように柔らかい笑みを浮かべる志摩に内心ほっとする反面、全身の緊張は解れないままで。
 誰かに頼るほど品物が入っているわけではない買い物袋を手にしたまま冷蔵庫の前で買ったものを入れている五味に近付いた志摩は「副会長さんも、入れときましょうか?」と空いた方の手を差し出すがなにか嫌なものでも感じたのだろう。五味は「……いや、俺は自分で入れる」と志摩の申し出を断った。

「灘、それこっちに渡せ」

 そして、そう言って灘から受け取った買い物袋から商品を取り出しテキパキと整理する五味を一瞥した志摩はゆっくりとこちらを向いた。目が合い、笑む。

「なにぼーっとしてんの。入るんでしょ?」

「入りなよ、齋籐」そう、微笑みながら続ける志摩になんだか俺は早まった気がしてならなかった。

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