天国か地獄


 07

「そういうことなので、あの、よろしくお願いします」
「ああ、わかった。今からちょっと出なきゃいけないから明日になるけど大丈夫か?」
「はい、大丈夫です」
「じゃあ明日の朝な」

 同日、職員室前。
 志摩に背中を押され寮を後にした俺は担任に会うために再び校舎に来ていた。
 そして志摩の提案通りに一人部屋の生徒を調べてもらうよう頼んでみれば、担任は快諾してくれる。
 そう爽やかに笑う担任に「ありがとうございました」と深々と頭を下げれば担任に「気にするな」と肩を叩かれた。やはり痛い。
 そして、すんなりと交渉を成立させることに成功した俺は担任と別れ、扉付近に立っていた志摩の元へ向かう。目が合えば志摩は小さく笑顔を浮かべ、こちらへと歩み寄ってきた。

「明日の朝ねぇ。一晩大丈夫?」
「……わかんない」
「わからないって」

「とにかく、準備しときなよ」そう呆れたように笑う志摩に俺は「わかった」とだけ頷き返す。
 珍しく物分かりがいい志摩になんとなく不安を覚えたが、変に駄々捏ねられるよりかはましだ。
 壱畝遥香の性格を考えれば無事夜を過ごせる気がまるでしなかったが、もしものときは部屋を出ればいい。無駄に設備が整ったこの学生寮だ。探せばどこか一つくらい寝床があるはずだ。
 それでも見つからなかった場合は、志摩に頼み込めばいい。
 機嫌を損ねない限りただちょっと馴れ馴れしい志摩と機嫌も糞もない壱畝遥香、どちらがいいかなんて言われたらすぐ答えは見つかる。

「じゃあ一旦部屋に戻ろうか」

 押し黙り、考え込む俺からなにか察したようだ。そう機転を利かせてくる志摩に頷き返した俺は、そのまま志摩と共に学生寮に戻ることにする。

 ◆ ◆ ◆

 学生寮、自室内。
 エレベーター乗り場までで大丈夫だと言ったのに「遠慮しなくていいから」と粘る志摩に気圧され、結局俺は自室まで帰ってきていた。
 しかし、帰ってきたはいいがやることがない。いや、志摩がいてはやることも出来ないと言った方が適切かもしれない。
 多少強引だが志摩なりに心配してくれているのもわかったし、強引に追い出しても嫌がるのが目に見えていたので俺はあくまでも遠回しに志摩を帰すことにする。

「あとはもう荷物纏めるだけだから、一人で大丈夫だよ。手伝ってくれてありがとう」
「本当に?別に気遣わなくてくれなくてもいいんだよ、どうせ俺暇だし」
「遠慮じゃないけど、ほら、少し一人になりたいんだって」

「……別に志摩を離れたいわけじゃないから、気にしないで」そう慌ててフォローし、俺は自分の言葉に苦笑する。
 オブラートに包むつもりだったが、思ったよりも直球になってしまった。
 向けられる勘繰るような志摩の目に内心冷や汗が滲む。それでも俺はおとなしく志摩の言葉を待つことにした。そして、その場に嫌な沈黙が流れたとき。
 なに言っても仕方ないと悟ったのか、志摩は諦めたように小さくため息を吐いた。

「わかった。齋籐がそこまで言うなら大人しくその辺ブラブラしとくよ」

 そして、ぱっといつもと変わらない柔らかい笑顔を浮かべた志摩は「なにか手伝ってほしいことがあるなら気軽に言ってくれていいからね」と優しい声音で続ける。
 志摩自身、このまま俺と一緒にいても仕方がないとわかったのか、それとも他に用事を思い出したのか、やけにあっさりと引き下がってくれる志摩に内心ほっと安堵した俺は「ありがとう」と笑い返した。
 言ってみるものだな。思いながら、俺はそのまま部屋を出て行く志摩を見送る。そして扉を閉め、志摩がいなくなり再び静まり返った室内に佇んだ。

「……」

 それじゃあ、そろそろ行くか。
 そう、自分に言い聞かせるように呟き、俺は時間を置いて自室を後にする。

 ◆ ◆ ◆

 教師に一人部屋の生徒を洗いざらい調べさせると言う志摩の提案は、正直俺にとっては意味がなかった。既にルームメイトを誰に頼むか決めていた俺にとっては。
 それでも志摩の機嫌を損ねないために言われた通りにしたが、まぁ、聞くだけなら損はない。

 学生寮三階、とある生徒の部屋の前。その廊下に俺は立っていた。
 ただこの扉をノックするだけなのに、酷く緊張する。会いたいという気持ちよりも後ろめたさが勝り、体を鉛のように鈍くした。
 何日振りだろうか。もう一週間は経っているかもされない。なんで今さらと思われるだろう、間違いなく。それでも今この状況で頼れる相手は一人しかいなかった。

 阿佐美詩織。彼にルームメイトになってくれるよう頼み込むために俺は元ルームメイトの部屋に来ていた。

「……っ」

 ここでモタモタしてたまたま壱畝が通りかかってもしたらどうする。
 そう自分を脅し付け、意を決した俺は恐る恐る扉をノックした。力加減が分からず、ちょっと拳が痛んだ。そして、内心ドキドキしながら扉が開くのを待つが……反応はない。

「……?」

 寝坊助な阿佐美だが既に活動を始めている時間だ。
 部屋を空けてるのだろうか。いや、もしかしたら聴こえていないのかもしれない。
 なんだか肩透かししつつ、もう一度扉を叩く。……出ない。
 まさかまだ寝ているのだろうか。何ヵ月か同室だったときのことを思い出しながら、何気なくドアノブを掴んだ瞬間だった。
 いきなり扉が開いたと思えば視界が暗くなり、そして、その扉の角が額にごっと鈍い音を立て接触してくる。わりと痛い。

「ゔっ」
「あ?」

 ……あ?
 ズキズキと痛む額を擦りながらよたよたと扉を離れたとき、不意に頭上から聞き覚えのある地を這うような低い声が聞こえてくる。全身が緊張した。
 ここは、阿佐美の部屋のはずだ。そうだ、間違いない。
 なのに、なんでこいつがここにいるんだ。

「あ……っ、阿賀松先輩……?」

 やけに映える真っ赤な髪。見上げるような位置にある、ピアスの重さのせいかだらしなく弛んだ口許に浮かぶ品のない笑み。
 切れ長の薄暗い双眼は扉の前の俺を見付け、愉快そうに細められた。

「なんだ、ユウキ君かよ」

 阿賀松伊織。
 久し振りどころかまだ離れて二十四時間も経っていないであろうその青年との予期しなかった再会に俺は全身から血の気が引く音を聞いた。

「なに?お前も詩織ちゃんに用事なわけ?」

 いきなり目の前に現れた青年に呆然とする俺を他所に、青年もとい阿賀松伊織はそうにたりといやらしい笑みを浮かべる。
『も』って。まさか、阿賀松も阿佐美に用があって来ていたというのか。そう、思考を張り巡らせたときだった。

「おーい、詩織ちゃーんユウキ君が遊び来てんぞー」

 なにを思ったのか、やけに通る大声で阿佐美を呼ぶ阿賀松は言いながら部屋に引っ込む。

「ちょ、ちょ、ちょ……ッ!ま、待ってくださいってば、先輩っ」

 このままではやばい。いや、なにがやばいというかただ単に心構えが出来てないだけだが、相手は嫌な別れ方をした阿佐美だ。
 また避けられたりでもしたらと思ったら気が気でなくて、顔を青くした俺は閉まりかける扉を開き慌てて阿賀松の腕を掴み、止める。こちらを振り返る阿賀松。そして次の瞬間、部屋の奥からバタバタと喧しい足音が聞こえてきた。

「あーあ、ユウキ君が来たから詩織ちゃん引っ込んじゃった」

 やはり、阿佐美の足音だったようだ。意地の悪い笑みを浮かべ、足を止めた阿賀松はそう楽しそうに肩を竦めてみせる。
 寧ろ阿賀松が余計なこと言ったせいじゃないのか。なんて口が裂けても言えないが。

「で?詩織ちゃんになんか用あんだろ?伝えといてやるよ」
「え?や、あの……やっぱ、いいです」
「なんでだよ。ユウキ君のくせに遠慮してんじゃねえよ」

 今度はなにを言い出すかと思えば、なんなんだ本当。
「いいから言えって言ってんだろ」とこちらに詰め寄ってくる阿賀松につい反射で後ずさる俺。
 人の好意も押し付けられれば恐怖の対象になるとはまさにこのことだろう。
 なんて思いながら、「大丈夫です」「気にしないで下さい」と慌てて首を横に振る俺。
 せっかく志摩に内緒で阿佐美のところに来たのに、どうしてこうもうまくいかないのだろうか。なんとしても阿賀松にはルームメイトのことを知られたくない俺は必死に隠そうとするが、こうなったときの阿賀松のしぶとさは恐らく学園一かもしれない。

「ユウキ君」
「先輩……ッ」

 後退りし過ぎたあまり、背中が扉にぶつかった。文字通り追い詰められてしまう。
 名前を呼ばれ顔を上げれば、覆い被さってくる阿賀松の陰で視界が暗くなった。
 デジャヴ。徐に目があい、伸ばされた阿賀松の手が指先が顔に触れたときだった。
 顎を掴まれそうになり、顔を逸らしたその目先。阿賀松の手がいきなり止まる。
 否、強制的に停止させられたと言った方が適切かもしれない。

「あ、あっちゃん……っ」

 酷く懐かしい声が、すぐ側から聞こえてきた。
 唸るような困惑したその掠れた声のする方に目を向ければ、そこには目的の人がいた。
 この部屋の主、阿佐美詩織は阿賀松の手首を掴み、あくまでも自然にそれを退ける。
 どうやら、庇ってくれたようだ。見知った人間の仲裁にほっと全身の緊張が解れた。

「しお……」
「んだよ、せっかく良いところだったのに邪魔すんなよ」

 相手の名前を呼び掛けて、綺麗に遮られる。いや台詞を潰されるのは今に始まったことではないので今さら気にしない。別に悲しくなんかないし。
 邪魔をされたことに不満を抱き逆ギレするかと思ったが阿賀松の対応はあくまでも平和で、言葉とは裏腹に仲裁に入ってきた阿佐美に愉快そうに口角を上げる。
 意味ありげな阿賀松の態度が気になったのか、なんだかばつが悪そうな阿佐美は困ったような顔をした。

「邪魔じゃないよ。……頼まれてたの、終わったから」
「へぇ、随分早いな」
「コピー……面倒臭かったからあっちゃんのに送っといたよ」
「ふうん」

 なんの話をしてるのだろうか。俺から手を離し、阿佐美に向き直った阿賀松は「ご苦労さん。詩織ちゃん」と相変わらず軽薄な口調で続ける。そして、その目は僅かながら楽しそうに細められた。
 阿賀松が阿佐美の部屋にいる理由がなんとなく気になって勘繰ってみるが、残念ながら二人の意味深な会話はそこで終ってしまう。
 未だなにがなんだかわからず目の前に並ぶ二人を交互に凝視していると、どうやら阿賀松はそれに気付いたようだ。こちらを見下ろしたと思えば、にっと楽しそうに口許を歪める。そして、

「じゃ、また今度遊ぼうな、ユウキ君」

 目先に阿賀松の指先が伸びてきたと思えば、徐に前髪を掻き上げられる。
 いきなりの阿賀松の奇行に気を取られていたときだった。
 小さく屈んだ阿賀松の顔が近付き、露出させられた額に柔らかいなにかがぷにっと押し付けられる。
 只でさえ狼狽えていた俺は不意打ちをまともに食らってしまい、全身が緊張した。

「わ、わ……」

 慌てて阿賀松の胸を押せば、阿賀松はあっさり身を引いた。それもまた意外で。

「あ……あっちゃん……っ!」

 なにをしてるんだと呆れたような顔をする阿佐美に阿賀松は小さく笑い、そのまま何事もなかったかのように扉から部屋を後にする。
 そして、わけもわからずキスされた俺は改めてことの重大さと自分の危機管理能力がないことに気づき青ざめ、額に残る柔らかい唇の感触を消すように乱暴に拭った。
 そして、そのときだった。閉まりかけていた扉が開き、阿賀松がこちらを振り返る。

「そーだ詩織ちゃん、そいつ詩織ちゃんに用があるんだってよ」

 まるで他人事のように、相変わらずの調子で続ける阿賀松は「よかったな」と笑う。
 その一言に、阿佐美が反応した。なにか言いたそうな阿佐美に気付いたのだろう。悪戯っ子のような笑みを浮かべた阿賀松はそれだけを言い残し、そのまま扉を閉めた。
 阿賀松が離脱し、静まり返った室内。
 なんだったんだと阿佐美に目を向ければ、目があった。というか目元が見えないのでわからないが、きっと合った。そして、慌てて俺から顔を逸らした阿佐美は口許を緩める。

「取り敢えず、えっと……どうぞ」
「お、お邪魔します……」

 緊張しているのか、その笑みはぎこちない。
 あまりにもかちんこちんな阿佐美の態度に、つられて俺まで調子狂わされてしまう。でもまあ、門前払いを食らうよりかはましだ。
 阿佐美に促されるがまま俺は部屋の奥へと足を進めた。そこは魔境だった。

 学生寮、阿佐美の部屋の玄関にて。
 居間へと繋がる扉を開くなり「ちょっと待ってて」と顔を青くした阿佐美に言われ待つこと数分。俺は阿佐美の部屋に招かれる。
 ソファーの上と机の周りだけ掃除された部屋の中。
 俺は見覚えのあるそのソファーに腰を下ろし、阿佐美と向かい合っていた。間に挟まったテーブルの上には阿佐美が用意してくれたジュースの入ったグラスが二人分。

「なんか、久し振りだよね。こうやって二人だけで話すの」

 なんとなく切り出すタイミングがわからず、そんな他愛のない話題を投げ掛けてみれば阿佐美は「うん」とだけ相槌を打つ。

「えぇと……それで、なにか用あったんだよね?」

 そして、早速会話を途切れさせる俺の代わりに本題に入ってくる阿佐美に、心の準備が出来ていなかった俺は狼狽えつつも頷いた。

「あ、うん。……用っていうか、お願いなんだけど」
「お願い?」
「この前詩織に迷惑掛けたのはわかってるけど、その、頼みたいことが……」

 いきなり話題に入っていいのかわからずそうしどろもどろと御託を並べようとすれば、阿佐美は「それで、お願いって?」と先を促してくる。
 暫く会ってない内に少々せっかちさんになっているというか、もしかして忙しいところだったのだろうか。遠回しにこの前の気にしなくてもいいというあれなのかもしれない。なんて阿佐美の反応にいちいち勘繰ろうとする思考を振り払い俺は言われた通りさっさと本題に入ることにした。固唾を飲み、正面の阿佐美を見据える。

「詩織と寄りを戻したいんだ」
「ぶふっ!」

 丁度グラスのジュースを飲もうとしていた阿佐美は噴き出す。ちょ、顔にかかった。

「よ、よよよ寄り……?」
「いや、あの、寄りっていうかその、また、一緒に暮らしたいっていうか……」

 近くに落ちていたティッシュボックスを手に取り、顔にかかったジュースを拭った俺はティッシュボックスを阿佐美に手渡す。
 なにか違うな。上手い言葉が見つからず、狼狽える阿佐美にどう説明すればいいのか悩む俺は面倒臭くなったので直球で挑むことにした。

「俺を住ませてください」
「えっ、え?えぇ?」

 そうソファーから腰を浮かせ阿佐美に迫れば、更に阿佐美は混乱したような顔をする。

「ちょ、待って佑樹くん、話が見えないんだけど……」

「取り敢えず……説明してもらってもいいかな」そして、宥めるようにそう恐る恐る尋ねてくる阿佐美。
 どうやら直球すぎたようだ。自分の説明下手さになんだかいたたまれなくなりつつ、俺は小さく頷き返した。

 ◆ ◆ ◆

「…………」
「…………」

 一頻り事情を説明し終え、室内には言い表し難い沈黙が走った。
 終始なんとも言い難い顔をしていた阿佐美はどうしたものかと頭を抱え、そしてこちらを向く。

「えっと、つまり……新しいルームメイトさんと気が合わないから一人部屋になりたいけど、今空いている部屋がないから現時点の一人部屋の生徒のルームメイトになれないか申請するってこと?」
「うん」
「それで、俺のところに?」

 確認するように尋ねてくる阿佐美に、俺は無言で頷いた。
 大体のことは説明したが、壱畝遥香が前の学校でクラスメートだったこと・いじめられていたことなどもちろん言えるはずがなく、新しいルームメイトと性格が合わないということにしてみたが、もしかしたらそれが悪かったのかもしれない。
 性格の不一致という我が儘みたいな理由で二人部屋を申し込んでくる俺に、相変わらず阿佐美はなにか考えるような顔で。

「一応、一人部屋の生徒を調べさせてもらったけど……やっぱり、知ってる人の方がいいかと思って」

「……ダメ、かな」あまりにも反応が悪い阿佐美を見るのが怖くて、今さら怖じ気付いてしまった俺は俯く。
 すると、そんな俺の反応が予想外だったのか慌てた阿佐美は「いや、いいよ、全然!」と首を横に振った。
 咄嗟に出たその一言にほっと安堵するが、それも束の間。

「でも……志摩は大丈夫なの?」

 そう心配そうに尋ねてくる阿佐美に、やっぱり来たかと俺は緊張する。
 先日、志摩のせいで強引に仲違いされそうになったときのことを思い出す。
 俺と阿佐美が接するのが気に入らなくて嫌がらせをしてくる志摩に、阿佐美は一人部屋にし俺と関わらないという約束で志摩自身にも俺に関わらないよう釘を刺した。
 確かに阿佐美は言う通り一人部屋になり、自分から俺に会いにくるような真似もしなかったが、志摩はというと益々悪化したように思える。
 つまり、阿佐美がこうして気を遣ってくれても無意味だった。
 しかし、志摩が守ってないから阿佐美も守らなくていいと言っても阿佐美を説得はできないだろう。どうにかしてでも阿佐美には約束を解消してもらう必要があった。だから俺は、嘘を吐くことにする。

「大丈夫。志摩にはもう話はつけてるから」

 そう、阿佐美から目を逸らした俺は口を開く。
 良心が痛まないと言えば嘘になるが、こうするしかない。

「詩織には絶対迷惑掛けないから、お願い。俺を部屋に置いて下さい」

 なにか言いたそうな阿佐美に構わず、膝に手を置いた俺は深く頭を下げる。
 本来ならば土下座するつもりだったが、生憎床は埋め尽くされそんなスペースはなかった。

「わ、ゆ、佑樹くん……!」

 いきなり頭を下げる俺に何事かと目を丸くした阿佐美は慌ててソファーから立ち上がり、頭を下げる俺の肩を掴み優しく起こしてくれる。
 そして「別にダメって言ってないよ」と困ったように笑う阿佐美は「佑樹くんが嫌じゃないなら、俺は構わないよ」と続けた。
 阿佐美の気遣いが手に取るようにわかり、胸が痛くなる。それと同時にじんわりと暖かくなった。

「……詩織」

 顔をあげ、目の前の相手を見上げ全身の緊張を解す俺に対し、ほっと安堵するように微笑んだ阿佐美は俺から手を離し、再びソファーに掛けた。

「とにかくそのルームメイト申請はどうしたらいいの?先生に言えばいいのかな」
「多分。先生今いないから後でまた会いに行く予定だけど……そのときに伝えればいいと思う」

 ルームメイトの申請を阿佐美が承諾してくれるとわかった今、わざわざ全員に申し立てる必要はない。
 一応一人部屋の生徒の一覧を頼んでいたが恐らくこれも必要ないだろう。考え込む俺に、阿佐美は「わかった」と頷いた。

「じゃあそのとき俺に教えてね。一緒に行こう。……時間はまだハッキリしてないんだよね」
「一応明日、先生に会いに行くつもりだけど……」
「じゃあ、朝学校に行けば会えるってこと?」
「うん」
「なら明日朝迎えに行くよ」

 そう、壁にかかった時計を見上げ現在時刻を確認する阿佐美に俺は目を丸くした。

「詩織が?起きれるの?」
「よ……用事があるときくらいちゃんと起きるよう」

 まるで心外だとでも言うかのような阿佐美に、自分の失言に慌てて「ごめん」と謝る。
 阿佐美に寝坊助なイメージを抱いていたが、よく考えてみれば先月辺り、毎朝一緒に登校していたときのことを考えれば起きようと思えば起きれるのだろう。
 夜行性の阿佐美が自分のために生活リズムをわざわざ狂わせてくれていると考えれば申し訳なくなり、それ以上にいち早くでも壱畝から離れたかった俺にとっては嬉しくて堪らなかった。

 一通り明日の予定について話し合った俺は、一先ず阿佐美と別れることにする。
 どこかソワソワとした阿佐美の態度からするとなにか用事がありそうだったし、あまり長居し過ぎて阿佐美に迷惑かけるような真似だけはしたくなかった。

「それじゃあ、また明日」
「うん。本当にありがとね、詩織」
「いいよ別に気にしなくて」

 玄関前。帰ると言う俺のために玄関口まで見送ってくれる阿佐美に笑いかけ、俺は阿佐美の部屋を後にした。
 そろそろ晩飯の時間だ。

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