06
あくまでも、俺の知る限りの範囲の話でだが、やはり自分と志摩の関係は異常に感じた。
余計なことを言ってしまったかもしれない。目の前の志摩から表情が消えるのを見て、そこで俺は自分の失言にハッとした。
「志摩」
咄嗟に、名前を呼ぶ。名前を呼んでから次になにを言えばいいのかも考えず、ただ、なんとなく。
目の前の志摩の顔が悲しそうなものになったのを見て、なにか声を掛けずにはいられなかった。
「じゃあ、俺たちはなんなんだろうね」
そう言って、志摩は寂しそうに笑う。自虐めいたその言葉が、酷く重く全身にのし掛かった。
罪悪感、だろうか。誰に対して?志摩にか。
だから、人の目を見るのは好きじゃないんだ。
いつもだ。諦めたような、悲しそうな、そんな目で見られると、酷く自分が嫌になった。
俺は志摩の友達だと受け入れればよかったのだろうか。わからない。なにをやったところで相手を悲しませてしまうのは、最早性なのかもしれない。
そう、自己嫌悪に陥った矢先だった。
「ッ、……っ!」
ぐっと背中に回される腕に上半身を抱き締められる。
密着する体。仮にも服を纏っていない俺の上半身にはそのまま直接志摩の体温が流れ込んできて、包み込むような人肌が酷く心地よく、そして不気味だった。
「ほんと、駄目だなあ。齋籐を見てるとイライラして腸が煮え繰り返そうになるんだ。こんなはずじゃなかったのに、なんでだろう。俺だけが必死になってるみたいでバカバカしくなってくる」
突拍子のない相手の行動に目を丸くする俺に構わず、首元に顔を埋める志摩は言いながら首筋に唇を寄せた。そして、ちゅっと小さな音を立て首筋の皮膚を吸われる。
志摩が動く度に首筋に前髪が掠り、酷くこそばゆい。いきなりの抱擁に戸惑っていると、開脚したその股間に志摩の膝が押し付けられた。やわやわと腿全体で刺激され、布越しのもどかしい感触にゾクゾクと背筋が震える。
「っ、ぁ、は、ッや、志摩……っやめてってば……ッ」
雑で乱暴で、それでも的確に。
志摩の嫌なところを上げるなら、こういうところだろう。真面目な話をしているのにも関わらずこうして邪なちょっかいをかけてくる志摩が小憎たらしくて仕方がなかった。
「齋籐、俺はどうしたらいいの?もっと頼ってくれてもいいんだよ。文句があるならちゃんと言ってよ。聞くか聞かないかはしらないけど、出来るだけ頑張るから。俺はもっと齋籐に頼られたいよ。ねえ、友達ってそういうものじゃないの?齋籐」
「俺バカだからわかんないんだよ、ちゃんと言ってくれなきゃ」抱き締めていた手を離し、膝で押し潰されくすぐったいような快感にピクピクと小さく震える下半身に手を伸ばした志摩は腿を撫でる。
股座に立つ志摩は生えた二本の足を掴み、そのままぐりぐり太股を使って下半身を刺激してきた。衣擦れする感触が酷く気持ちがいい。
「っん、ぅ、ッくぅん……っ」
必死に堪えようとするが、無意識に声が漏れてしまう。
内股になり、なんとかして志摩の膝を退かそうとするが思うように力が入らず、抵抗は虚しく志摩の腰を締め付けるだけで終わった。
そんな人の反応を見るなり、志摩の口許に笑みが浮かぶ。
いやらしい手付きで腿を擦る志摩の手のひらに腿から付け根までをねっとりと撫で上げられれば言い表しがたい感覚にぞくりと全身が泡立った。
「ほら、早く止めなきゃ会長に怒られちゃうよ。齋籐。他の男の前でそんな顔しちゃってさあ、ねえ、写真撮って見せびらかしてもらいたいの?」
本気か冗談か。それがわからない人間は本当に厄介で。
このタイミングで芳川会長の名前を出されるとは思ってもいなくて、どこか夢うつつだったところを一気に現実に引き戻された俺は目を丸くし、志摩を見た。
状況が状況だからかいつもに増して笑えない志摩の言葉に血の気が引く。
「……っやめ」
「いいよ、齋籐が壱畝遥香とのこと教えてくれるなら」
即答だった。今まで悪戯に体をまさぐっていた志摩の手、足の動きがピタリと、こちらを見据えてくる志摩はいつもと変わらない笑みを浮かべる。
「好き?嫌い?」
もっともシンプルで、もっとも複雑な選択肢だと思った。決めるのは簡単だ。しかしそれを第三者に口に出すとなると感情が絡み付き、物事は一気に複雑化してしまう。
まるで「パンがいい?それともご飯?」とでも言うような軽薄な口調で最も残酷な言葉を投げ掛けてくる志摩に、俺は視線を泳がした。
「っ、……壱畝君は……、俺は」
狼狽えて、戸惑って、困惑する。別に壱畝のことを気遣っているつもりはなかったし、気遣うつもりもなかった。
しかし、ここで安易に口にしてしまえばなにかが大きく変わってしまうような気がしてならなくて。それでも志摩は「齋籐」と返答を促してくる。
どう答えたところでもう、とっくに志摩にはバレているのだろう。
隠す必要性もないし、隠したところで志摩の機嫌が悪くなるだけだ。
志摩の言葉を信じるなら、志摩はなにがあっても俺の味方をしてくれるという。俺が志摩の友達をしている限り。
それが今も有効なのかはわからなかったが、今のところの最善の方法は盾となり枷になっているこの余計な見栄を取っ払うことだろう。だから俺は、自分の中での最善を選ぶことにした。
「……あまり、好きじゃない」
室内に響く自分の声が酷く冷たく響いた。
急激に冷めていく熱。冷静か、沈着か、それとも後悔か。今の俺には判断つかなかったが、「了解」と小さく呟く志摩の声がなにかを孕んでいたのだけはわかった。
数十分後。
「じゃあ、これから喜多山のところ行くの?」
「……うん、まあ……そうなるかな」
「じゃあ俺も一緒に行こうか」
「いいよ、別に。悪いし」
「齋籐一人だとまたややこしくなるだろうし、俺がいた方がいいんじゃない?」
一頻りやり取りを終え、当初のように椅子に座る俺とその向かい側のソファーで寛ぐ志摩。
決めつけたような口調はあまり気分がいいものではなかったが、志摩なりに心配してくれているようだ。
「どうせ先生に同室者頼むだけだからそんな難しくないって」と俺は苦笑を浮かべる。
そんな俺の言葉に僅かに眉を潜め、「今から?」と更に尋ねてくる志摩に俺はなんとなく緊張しながらも「うん」と頷いた。
「まだ止めといた方がいいんじゃない?一応、喜多山には一人部屋のやつ探すのを頼むだけにしといてそれからの方がいいと思うけど」
「このままじゃどうせ結果は見えてるしね」そして、志摩は相変わらずの饒舌で遠慮ない言葉を紡ぐ。
まあ、間違ってはいない。これから自分が探すのはプライベートを共にするルームメイトだ。
今後の学園生活が掛かっていると言っても過言ではない。
そんなことよくわかっていた。わかっていたが。
「でも、なるべく早く済ませたいんだよ」
「壱畝遥香と一緒にいたくないから?」
「……」
間髪入れずに突っ込んでくる志摩に図星を指され、ぐっと押し黙る俺だったがやがて諦めたように小さく頷けば、志摩は強張らせていた表情を和らげ薄く微笑んだ。
「なら、一人部屋決まるまで荷物持って俺の部屋に来なよ」
一瞬、志摩の言葉が理解出来なかった。
微笑んだままそう突拍子のない提案をしてくる志摩に思わず俺は「え?」と聞き返す。
「だから、俺の部屋に泊まるんだよ。齋籐のルームメイトが決まるまでの間」
そして、「ちゃんと聞いててよ」と拗ねたように唇を尖らせる志摩は「俺としてもずっと齋籐と一緒にいれるからやりやすいし、どうかな。十勝は、まあ、どうにかするし」と笑いながら続けた。どうにかってなんだ。
正直、志摩の方からそう言ってくれたのは有り難かった。そう安堵する反面、同時に言い表しがたい不安が込み上げてくる。
「でも、いいのかな。そんな」
「いいっていいって、バレたときは勉強するためにとか適当に言っとけばいいし」
心配する俺を宥めるようにそう優しい声音で宥めてくる志摩は「ね?」と笑いかけてくる。
「なんなら、このまま俺が引き取りたいんだけどね」
そして、迷う俺に追い討ちをかけるように続ける志摩。
ふと目が合って、なんとなく目のやり場に困った俺は咄嗟に視線を泳がせた。
「でも、壱畝君には……」
そうだ、そこが問題だ。俺の言うこと為すこと全て不快に感じるという特殊性癖を持ち合わせた壱畝のことだ。
一晩だけでも俺が部屋を空かしたときのことを考えれば、外出前に殴られた腹部が疼き出す。
「ほっとけばいいよ。どうせバラバラになるんだしさ」
「……」
あくまでも他人事のような志摩に対し押し黙る俺の反応の悪さが気になったようだ。
「そんなに気になる?」となんとなく不思議そうな顔をさせる志摩だったが、どうやらなにか思い付いたらしい。閃いたように笑みを浮かべた志摩は「じゃあ、こうしようか」と人差し指をピンと立てる。
「俺が壱畝遥香を部屋に呼んでこっちの部屋に齋籐が一人になるように……」
「だっ、駄目……ッ」
何を言い出すんだこいつは。志摩の口から出たおぞましい提案に顔を青くした俺は、咄嗟に目の前のテーブルに手を付き志摩を止める。
バクバクと加速する鼓動。いきなり声を上げる俺に驚いたようだ。
言葉を遮られ、目を丸くした志摩は驚いたような顔をしてこちらを見据え、やがてなにか悟ったようだ。その表情は嬉しそうに綻ぶ。
「なに?そんなに俺が壱畝遥香と仲良くするのが嫌なの?」
そして、爬虫類のように目を細め、含んだような笑みを浮かべる志摩は言いながらテーブルの上に乗せた俺の手に自らの手を重ね、撫でられる。
皮膚を滑るように這う他人の指の感触に背筋に嫌なものが走った。
「……壱畝君には、関わらない方がいいよ。ほんと」
そして、逃げるように志摩の手を退けようとするが、手首を掴まれてしまう。
ぐっと引っ張られ、手首全体を指で締められた。
「嫉妬?」
恐る恐る志摩の顔に目を向ければ、目が合った。なにを考えているかわからない瞳がじっとこちらを見据える。
勘繰るようなその眼差しに耐えられず、目を伏せ、視線を外した俺は小さく唇を動かした。
「わからない」
別に志摩に恋心を抱いているわけではないが、もし志摩が壱畝遥香の味方になったらと思えば気が気でなかった。これを嫉妬と言うのならそうかもしれない。
我ながら煮え切らない反応だと思ったが、どうやら志摩はそれで充分だったようだ。
「齋籐は焼きもち屋さんなんだね」
人の話を聞いていたのか聞いていなかったのか、嬉しそうにニコニコと微笑む志摩は言いながら重ねていた手を離した。
……まあ、満足してくれたのならそれでいいけど。
「それで、どうする?俺の部屋来るんだったら掃除しとくけど」
すっかり機嫌がよくなった志摩は相変わらずの調子で尋ねてくる。
まあ、今すぐ行きたいのが本音だ。だが、やはり志摩の部屋だと思うと躊躇わずにはいられなかった。
自意識過剰と言われてしまえばそれまでなのだが、やはりこう、貞操が心配だ。
しかし、ルームメイトの十勝も一緒にいるはずだから二人きりにはならないと思うが、先程志摩の話を聞く限り生徒会の打ち上げが行われるようだし迷惑にならないだろうかというのが悩みだった。
考えれば考え込むほど余計な心配までぽんぽこ沸き上がってきて、結果、優柔不断な俺は即決することが出来なかった。
「ごめん、ちょっと考えてもいいかな」
「……いいよ、別に。気が向いたらいつでも言ってくれていいから。迎えに行くよ」
もしかしたらまた機嫌を損ねてしまうかもしれない。
そう心配していたが、僅かに志摩のテンションが下がるものの、俺の言葉を快く受け入れてくれた。
そんな志摩にほっと胸を撫で下ろしながら「ありがとう」と頬を弛ませれば、つられるように志摩はニコリと微笑む。そして、
「じゃあ、行こうか」
言いながら立ち上がる志摩に俺は「え?」と目を丸くし、相手を見上げた。目が合い、志摩は笑う。
「喜多山んところ、行くんでしょ?」
「う……うん」
「じゃあ早く行こうか」
まさか、ついてくるつもりか。さっきいらないと断ったばかりにも関わらずついてくる気満々の志摩に冷や汗を滲ませた俺は「いや、別に一人でも……」と口ごもる。
が、志摩には効かなかった。
「ほら、行くよ」
言いながら椅子に座るこちらへと詰め寄ってきた志摩は逃げようとする俺の腕を掴むなり強引に歩き出し、力任せにずるずると引き摺られながら俺は自室を後にする。
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