天国か地獄


 05

「一人部屋の生徒、誰がいるか知ってる?」

 ふと、志摩はそんなことを尋ねてくる。
 問い掛けられ、俺は知る限りの一人部屋の生徒を思い浮かべた。

「えっと、会長と、阿賀松先輩と……阿佐美」
「それから方人さんもね」
「方人さ……え?」

 そう、何気ない調子で付け足されたどこか聞き覚えのある名前に目を丸くした。
 方人。縁方人。
 その固有名詞に、よく阿賀松とつるんでいる(というか付け回している)満身創痍な青髪の生徒が脳裏を過った。初耳だ。

「……縁先輩も一人部屋なの?」
「あの人の場合は不本意だけどね。ルームメイトが退学してからずっと一人部屋じゃないかな」

 そう、あくまでも淡々とした調子で続ける志摩。
 まさか縁まで一人部屋とは。というか、ルームメイトが退学しても一人部屋になるのか。新たに知った事実に驚く俺。すると、不意に先ほどの志摩の言葉が脳裏が過る。
 そして、それらから浮かび上がったとある一つの可能性に弛みきっていた全身が緊張した。

「……ってことは」
「このままだと、ほぼ確実に方人さんだろうね」
「……………っ」

 い、……嫌だ。壱畝から離れられるなら幾分もましだろうが、嫌だ。
 志摩の言葉に、ぞくりと背筋が震えた。
 いや、壱畝に比べたら幾倍もましでいい人なのだろうがいかんせんこう、俺の貞操が危ない。今さら貞操も糞もないだろうがなんとなくあの人は苦手だった。でもよく考えればそれ以外はいい人だ。ちょっとあれだが。
 逸そのこと開き直ってみれば新しい道を開けるかもしれないと冷静に道を踏み違えている自分にハッとした俺は慌てて首を振り、危うい思考を振り払う。

「でも、会長とか……っ」
「ああ、あの人は無理だろうね」

 即答だった。
「滅多に人を部屋に上げたがらないし、秘密主義っていうの?嫌がるタイプでしょ、プライベートに介入されるのに」そう、まるで会長のなにもかもを把握しているとでも言うかのような知ったかぶった志摩の口調に俺は眉を寄せた。
 本当にそうだろうか。実際、部屋に上げてもらった俺としては大袈裟な志摩の言葉が少しだけ気になる。
 秘密主義。聞き慣れない言葉だ。

「別に、そういうわけじゃないと思うけど」
「まあどちらにせよ個人的に方人さんも会長も齋籐のルームメイトには向いてないと思うよ。阿賀松なんかは論外」

 何でもないようにばっさりと他人を切り捨てる志摩にはつくづく呆れさせられる。
 本人がいたら大変なことになるぞと内心ドキドキしつつ俺は「阿佐美は……」と恐る恐る尋ねた。
 瞬間、無言で睨まれる。
 ……この様子からするとどうやらまだ志摩は阿佐美とのことを根に持っているようだ。
 もしかしたらと賭けてみたが、この調子じゃ阿佐美と仲直りしてくれなんて頼んだらどんな目に遭わされるかわからない。睨まれ、しゅんと萎むように背中を小さくすれば志摩はなにも言わずに俺から視線を逸らした。

「こうなったら、俺が一人部屋になって齋籐を引き取ろうか。十勝の一人や二人くらい、どうにかすれば退学に……」

 そして、ぶつぶつとなにやら危なっかしいことを言い出す志摩に俺は顔を青くした。
「だっ、ダメだって、そんな……気持ちだけもらっておくよ。ありがとう」そう相手を宥めるように続ければ、志摩は無言でこちらを見る。先ほどまでの笑みはない。

「…………」

 ああ、居心地が悪い。なんでそこで黙るんだ。
 冗談か本気かわからないだけに、漠然とした不安だけが膨らむ。

「……なんで齋籐がそこまでして壱畝遥香から逃げたいのかわからないけど、なんとなく想像つくよ」

 そしてこのタイミングで壱畝の名前を出すか。
「なにかされたの?壱畝に」静かな室内に響く志摩の声。
 それに反応するかのように、心臓が煩く跳び跳ねた。
 気付いているのなら、なんでわざわざ聞くのだろうか。言いたくないから取り繕っているのにそれすら無視して俺の口から聞き出そうとしてくる志摩の声に、俺はなんとか聞き流そうとするが、どうやらそういうわけにはいかないようだ。

「例えば、虐められてるとか」
「っ、……」

 一瞬、息が詰まりそうになる。
 なんでもないように、そう志摩はあっさりとその事実を口にする。俺が、ずっと口に出すのに躊躇っていたその言葉を。
 昼間、あんな場面を見られたんだ。そう思うのは仕方がない。
 わかっていたが指摘されれば顔がかっと熱くなって、酷く穴に入りたくなった。しかし、残念ながらここには穴はない。あるのは、容赦なく第三者から突き付けられる事実のみ。

「図星だ」
「違……」
「嘘。齋籐って分かりやすいんだもん、あんな態度誰でも気付かれるよ」

 まだ意地を張るかと呆れるような、哀れむような声だった。志摩の顔を見ることが出来ず俯く俺は、そのままぎゅっと自分の膝を握り締める。

「ちゃんと話して。じゃないと、俺も助けられない」
「別に、助けなんて」
「じゃあ言い方を変えようか、俺は齋籐を助けるつもりはない。だからさっさと話せよ。知らないやつに馴れ馴れしくさせてる齋籐見てると気分悪いんだよ」

 そして、先ほどまで打って変わってそう低く続ける志摩は「吐きそうだ」と冷たく吐き捨てた。
 フリなのか、本音なのか、それすらわからなかったが、確かに殺傷力を帯びた辛辣な志摩の言葉は見事俺の胸に深く突き刺さる。
 確かに言い方は変わったが、そういう問題なのだろうか。酷な言い方をする志摩に内心傷付きつつ、それでも俺は「だから、ただの知り合いだってば」と言い張った。
 ここで認めれば楽なのだろうが、やはり、素直になれないのは志摩の性格を知っているからだろうか。
 志摩にはあまり弱いところを知られたくなかったし、見られたくなかった。
 これ以上情けないところを見られたくないというなけなしのプライドがそうさせてるのだろう。それでも、やはり変なところで聡い志摩をかわすことは出来なかったようだ。

「齋籐って大分嘘つくの上手くなったけど、甘いよ」

 勘繰るような嫌な視線。「目が泳いでる」そう指摘する志摩の言葉にギクリと硬直し、俺は目を逸らした。

「嘘つくんならもういいよ。直接確かめさせてもらうから」

 そして、そのまま気を紛らすように緑茶入りのペットボトルに手を伸ばしたときだった。
 ソファーが小さく軋み、不意に志摩が立ち上がる。
 志摩の動きにつられるようピタリと動きを止めた俺は志摩を目で追った。立ち上がった志摩が歩いてやってきたのは自分の真横だった。
 ああ、嫌な予感がする。それに気付き、椅子から腰を浮かそうとしたときにはもう遅かった。伸びてきた手に肩を掴まれ、そのまま乱暴に背凭れへと押し付けられる。

「っ、ちょ、志摩……っやめッ」

 凭れのクッションのお陰であまり痛みはなかったが、食い込む志摩の指先に肩が痛んだ。
 乱暴な手付きで裾を掴まれ、そのまま強引に脱がされそうになる。腹には壱畝から殴られた痕がある。それに気付いての行動かどうかはわからなかったが、このまま脱がすつもりなのだろう。
 なんとかして、志摩を追い払おうとするが椅子に座ったままじゃ思うように動けない。
 そう悟った俺は服を掴んでくる志摩の手を乱暴に振り払い、そのまま椅子を蹴るように降りたときだった。

「ああ、そういえばこうやって触るのも久し振りだよね。いや、そうでもないか。いつも逃げられるからかな」

 ガタンと椅子が倒れる音が聞こえ、床に手をつくようによたよたと逃げる俺のその背後。
 ぐっと、伸びてきた志摩の手に再度服を掴まれそのままぺろんと剥かれる。

「っ、嫌だ、志摩……っ」

 慌てて服を引っ張ろうとするが、床に這うような体勢になってしまった今背後の様子がわからず、もたもたしてる間に乱暴に服をもぎ取られ、かなり寒い。悪寒というのだろうか。
 上半身裸になったところを無理矢理仰向けに倒されされ、その床の上。俺が起き上がれないよう腹の上に座ってくる志摩はこちらを見下ろし、顔をしかめた。

「……へぇ」
「ぅう……ッ」
「随分とまあ、増えたね」

 心なしか険しくなるその笑みに、なんだか生きた心地がしなかった。
 伸びてきた手が肩口に触れ、そこにくっきりと残った歯形に触れる。
 ああ、だから嫌だったんだ。昨日、阿賀松に散々付き合わされたとき、最中また気に入らないことがあったらしい阿賀松に思いっきり噛まれ、痕が残ってしまった。
 痛みが引いたのでまあ服で隠せばなんとかなるだろうと思っていたが、まさか脱がされるとは思わなかった。

「あの転校生、爽やかな顔してやるなあ」
「それは、違……っ」

 すりすりと指の腹で歯形をなぞられ、くすぐったい。
 なにか良からぬ誤解をしているらしい皮肉げな笑みを浮かべる志摩にそう訂正すれば、「なに?じゃあ誰がつけたの?」と引きつったような笑顔のまま尋ねてくる。ここは、ちゃんと答えた方が良いのだろうか。

「あ……阿賀松、先輩……っ」

 至近距離。上から見下ろしてくる志摩から顔を逸らしてそう恐る恐る答えたとき、ぐりっと歯形に爪が食い込み「いっ」と顔をしかめる。
 どうやら素直に答えたのが不味かったようだ。志摩の手離れ、ズキンズキンと痛むそこを擦りながら俺はちょっと泣きそうになった。その矢先、今度は腹部に痛みが走る。

「じゃあこれも?」

 何事かと目を見開き、自分の腹部に目を向ければ上に乗った志摩はそういいながら腹部に出来た痣にぐっと親指を押し込んでいた。通りで痛いわけだ。
 慌てて志摩の手を振り払おうとするがぎちぎちぎちと肌を突き破る勢いで内出血を起こしたそこを指を捩じ込まれれば痛みでそれどころではなくなり、腹部から全身へと鈍い痛みが走った。

「濃いなあ、つい最近できたばっかだよねこのアザ」
「っ、ぁ、ぐ……ッ」
「これも阿賀松?」
「ちが……ぁ……っ」
「じゃあ、壱畝遥香だ」
「……ッ!ぁっ、痛い……っ痛いよ……ッ」
「……可哀想に、こんなに痛め付けらるなんて。普通、ここまでハッキリできないよ」
「や、だ……っ志摩、指……っやめて……ッ」
「非力でドジで弱虫で愚図で間抜けな齋籐にアザを作るなんて、俺だって、殴ったことないのに」

 その真偽についてはまた後で考えるとして、今はこいつだ。

「痛い、痛いってば、志摩、やめて……ッ志摩……っ!」

 なにが気に入らないことを言ってしまったのか、薄ら笑いを浮かべたまま指をめり込ませてくる志摩にそう懇願すれば、どうやらようやくこちらに気付いたようだ。

「ああ、ごめんね齋籐」

 言いながら、どこか申し訳なさそうな顔する志摩だったがすぐにいつもと変わらない笑みを浮かべた。

「でもこれくらい大丈夫だよね。だってこんだけ濃い痣作らせても虐めじゃないって言うんでしょ?」

「じゃあ、今から俺がするのも虐めじゃないよね」そして、コキリと首を鳴らした志摩はそう目を細め、俺の体に手を伸ばした。
 伸びてきた志摩の指先に首を掴まれ、床に押し付けられる。
 手のひら全体で器官を潰されあまりの息苦しさに喘いでいると、覆い被さるように肩口に顔を埋めた志摩に肩に残った歯形を舐められた。
 先程爪で引っ掻かれたせいで赤くなったそこに濡れた熱い肉質が触れる度にピリッとした微かな痛みと嫌な感触が背筋を走り、舐められた箇所がじぐりと疼き始める。

「ッ……ぅ」

 息苦しさに顔をしかめ、咄嗟に志摩の顔を押し退けようとしたが、しぶとい。
 歯形を癒してくれている、と言うわけではなく上塗りするようなその舌の動きが酷く生々しい。
 膝を立て、志摩の腹部を押し返そうとするが股座に割り込んでくる志摩に腿で下半身をぐりっと押され、全身が緊張した。
 志摩の下。首を絞めていた手がするりと胸元に移動する。左寄りの中央。心臓の位置を探るように胸板を滑るその骨張った指先に身動ぎをした。

「志摩……っや、め……ッ」

 覆い隠す衣服がない今、直接皮膚に触れられればこのまま胸を突き破られてしまいそうなそんな不安感が込み上げてくる。
 そう、宥めるように志摩の手を取るがどうやら俺の言葉が気に入らなかったようだ。
「なんで?」と、まるで理解出来ないとでもいうような純粋に疑問を投げ掛けられる。

「俺は痣が出来るほど殴っても蹴ってもないのに。ねえ、どうして?壱畝遥香に蹴られるのも阿賀松に噛まれるのもいいのに俺にこうして触られるのは嫌なの?ねえ、齋籐。なんで?」
「っ、そういう意味じゃ、んんッ」

 ああ、また触れてはいけないところに触れてしまったようだ。
 誤解したのか、あからさまに不機嫌になる志摩にそう慌てて否定しようとしたが胸を撫でていた指先に乳首をつねられ、それは言葉にならなかった。

「要するにそういうことだよね」

 ぎちぎちぎちと、爪先で突起を潰される。
 胸元から鋭い痛みが走り、全身がビクリと跳ねた。
 慌てて振り払おうとするが、抵抗しようとすればするほど指に力が加わり、玩具かなにかで遊ぶような手付きでギュッと引っ張られれば言い表しがたい刺激に身の毛がよだつ。

「それともなに?齋籐はマゾなの?こうやって優しくされるのは嫌い?ねえ齋籐、齋籐はマゾなの?俺は齋籐に優しくしない方がいいの?」

 脱線に脱線を重ね、やってくるものはいつもここだ。志摩の顔が歪み、笑みを浮かべた目は細められる。
 引っ張られ過ぎてジンジンと痺れる両胸の突起からようやく志摩の手が離れたと思った矢先、脇の下に入り込んで来た志摩の手に強制的に上半身を抱え起こされた。
 真っ正面。顔が近付き、額が当たる。頭にきて興奮しているのだろうか。
 荒い息が口許にかかり距離を空けようと志摩を押し返そうとするが、近すぎる。
 志摩の胸元を押した手のひらから鼓動が伝わってきた。

「友達とか、そういうのわかんないからさあ俺。だから、教えてよ。齋籐。どうやったら齋籐は喜んでくれるの?教えてよ、ねえ。齋籐」

 服越しに感じる緊張した筋肉。両腕を掴み、すがるように腕を引っ張ってくる志摩はどこか焦燥感を滲ませ、俺の名前を呼ぶ。たまに、こういう反応をされるからわからなくなる。
 本気で、心配してくれているのだろうか。なんで志摩がここまで必死になるのかムキになるのか、俺に拘るのか、なにを求めているのか。それらが理解出来ない今、俺は目の前の男にどういう反応をすれば良いのかがわからなかった。

「っし、ま……」

 胸の痛みのせいかじんじんと熱を帯びる体の芯。
 おずおずと真っ正面の志摩の目を見据えたとき、目が合って、当たり前のような動作で唇を重ねられる。
 濡れた舌がぬるりと唇を舐め、全身の筋肉が緊張した。湿った空気が酷く居心地が悪い。

「っ、ふ、んぅ……ッ」

 短い口付け。ちゅ、と小さな音を立て離れる唇にぼんやりしていると、再び唇を舐められる。
 そのまま口許から頬、目元まで顔中犬のように舌を這わされ、慌てて逃げようとしたが両腕をがっしりと固定する志摩のお陰でそれはただの身動ぎとなって終わった。

「ぁ、くッ、……んんっ」

 顔中に這わされる濡れた肉の感触が気持ち悪い。
 唇が離れ、舌が這わされた後の濡れた唾液を拭おうとしたとき、俺の手首を取った志摩はそのまま軽く唇を落とした。柔らかい唇で撫でられる感触がこそばゆく、相手の顔が近くにあるという緊張感に自然と体が強張る。マーキング、なんて言葉が脳裏を過った。

「ねえ齋籐、俺は齋籐の味方だよ。ずっと。齋籐が、俺のことを友達って思ってる限り」

 志摩が喋る度に顔に生暖かい吐息が掛かり、逆上せそうだった。
 下腹部に当たる志摩の膝がぐっと近付き、衣類越しにやんわりと性器を刺激される。
 偶然当たったのだろうか、なんて思ったが状況が状況だ。雰囲気に酔いかけていた俺はこちらを見据えてくる志摩を見詰め返す。
 こうやって、人の目を見るのはあまり得意ではなかった。だってほら、目を見れば相手がなにを考えてるかわかってしまうから、出来るだけ見たくなかった。だけど、逸らせない。

「齋籐言ってくれたよね、俺のこと友達だって。友達って助け合うものなんでしょ?友達が困ってたら命を懸けて全力で助けるんでしょ?友達に秘密はしないんでしょ?」

 焦燥感、不信感、不安感、憤り、困惑。懐疑。
 腕から肩へ移動した手が背後へと回り、肩甲骨を押さえるように肩を掴まれた。
 見方が変われば抱き締められているように見えるかもしれない。
 友達。どうやら志摩はやけにその言葉に執心しているように感じた。志摩の言うそれが本当の友達同士がするものなのか、俺にはわからない。友達付き合いというものを理解していないから尚更、言葉に詰まってしまう。

「ねえ、齋籐は俺の友達なの?」

 押し黙る俺に構わず、志摩はそう尋ねてくる。
 わざわざ口に出すような問い掛けではないとは思っていたが、どこか切羽詰まった志摩を目の前にしてしまうとやはり、狼狽えずにはいられなかった。
 先程の志摩の言葉が友達の定義だというなら、俺は志摩の友達ではない。しかし、そうハッキリと断ることが出来るほど俺は出来ていない。それでも、わかることは一つある。

「……友達は、こんなことしない」

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