天国か地獄


 07

 青年もいなくなり、芳川会長によって迅速に沈下した騒ぎ(というか櫻田)に興味がなくなったらしい野次馬はすぐに散らばる。
 駆け付けた教師に事情を説明した芳川会長はそれが終わるとようやく俺に目を向けた。

「大丈夫か?」

 そう一言、歩み寄って来た芳川会長は心配そうに声をかける。
 後輩相手に力負けしてるところを見られなかなか情けない。尋ねられ、俺は慌てて頷いた。

「悪かったな、まさか君に迷惑をかけることになるとは……すまない。俺の不始末のせいだ」
「……いえ、俺は大丈夫なんで気にしないでください」

 全くもって大丈夫ではないのだが、芳川会長に謝らせる気にもなれない。
 頭を下げようとする芳川会長を慌てて止め、「それより」とおもむろに話題を変える。

「……あの、さっき一緒にいた人って」

 出来ることなら掘り返したくないし見て見ぬふりをして蓋をしたかったが、確かめずにはいられなかった。
 俺はあの男を知っている。しかし、他人の空似という可能性もなくはない。違うなら違うでいい。とにかく確信が欲しかった。
 余程変な顔をしていたのかもしれない。
 不安そうに尋ねる俺に芳川会長は少しだけ驚いたような顔をした。

「さっき一緒にいた人……って、ああ、ヒトセ君のことか」

 そして、思い出したように続ける芳川会長。
 久し振りに聞いたその響きに、背筋にぞくりと悪寒が走った。
 ……本当、嫌な予感だけは的中する。
 ヒトセ。俺の記憶が正しければ、漢字は数字の壱に単位の畝で壱畝。
 壱畝遥香。間違いない。中学のとき、いきなりやってきていきなり滅茶苦茶に掻き回していきなりいなくなったあいつだ。

「来週からこっちに来るらしくてな、今日はその下見に来たらしい。色々なところを転々としてきているらしいが、そう言えば君がいた中学にも一時期通っていたと言っていたな」

「なんだ、もしかして知り合いだったか?」そこまで言って、そう思い付いたような顔をして尋ねてくる。
 さらりと何気ない調子で飛び出した言葉に気を取られる俺は一瞬反応に遅れ、「もう一度呼んでこようか」とか言い出す芳川会長に「違います」と顔を青くして首を振った。

「いえ、あの、ちょっと知り合いに似てたんですが……気のせいでしたんで」
「そうか。まあ、彼も君と同じで周りに知人がいないようだからな、出来たら仲良くしてやってくれ」

 冗談じゃない。というか、可笑しいだろ。さっき芳川会長なんかとんでもないこと言わなかったから。
『来週からこっちに来る』
 冷水ぶっかけられたみたいに冷静になる脳内に芳川会長の声がリピート再生される。
 頭が痛くなってきて、全身から変な汗が滲み出す。

「……すみません、あの……来週って……?」
「ん?来週は来週だ。君と同じ転校生だと」

 そう続ける芳川会長のトドメの一言に見事思考停止した。
 意味がわからない。というか理解したくない。なんであいつがよりによってこの学園に来るんだ。
 あまりにも絶望的なその言葉に腹の底から変な笑いが込み上げてくる。

「まあ、俺も話してみたが彼はいい人だったぞ。君ともすぐに仲良くなれるはずだ」

 そして、デジャヴ。そういつもと変わらない笑みを浮かべ続ける目の前の芳川会長に胃が痛み始めた。
 また、懐かしい感覚だ。足元から無数の虫が全身を這い上がってくるような不快感恐怖感焦燥感不安感。
 記憶の奥深く、忘れかけていた吐き気に似た感情が込み上げてくる。

「そう……なんですか」

 どうしたら動揺を悟られないか。
 そればかりを考えるせいか、上手く笑えず顔は引きつった。
 中学のときの同級生がこの学園にやってくる。
 壱畝遥香。俺がまだ中学にいたときも、壱畝は転校生として現れた。そして、卒業する前に転校した。俺の記憶が正しければ壱畝は海外に行った。うちの学校に一年もいなかった気がする。なのに、パッと現れ好き放題していった壱畝は最後まで多くの友人に囲まれていた。俺とは全く逆だ。
 そして、その壱畝がまた転校生として現れる。中学のときとはまるで状況が違う。
 それに、確かあのとき壱畝は俺に気付いていなかったはすだ。きっと髪型変えたのがよかったのかもしれない。
 恐らく、このままの調子でやり過ごそうとすればなんとかなるだろう。
 それに、同じ転校生でも俺と壱畝は違う。
 中学のときに比べ、少なからずこの学園には助けてくれる人がいる。そう思いたい。しかしその芳川会長が壱畝に好意的になっていると思ったらまるで生きた心地がしなかった。

「どうした、どこか痛むのか?」

 神妙な顔をして黙り込む俺が気になったようだ。
 芳川会長はそう心配そうな顔をして俺の頭部に手を伸ばす。
 後頭部を優しく撫でられ、じんじんと痺れ熱を孕むそこに芳川会長は眉間を寄せた。

「コブになってる」

 いきなり頭を撫でられ何事かとビックリしたが、どうやら後頭部を調べていただけのようだ。
「痛いだろう」そうそっと手を離した芳川会長に顔を覗き込まれ、僅かに身を引いた俺は「ちょっとだけ」と苦笑を浮かべる。
 そう答えれば、顔を緊張させていた芳川会長は頬を緩ませた。

「取り敢えず、ここを出るぞ」

 そして、すぐに口許を引き締めた芳川会長は「保健室に氷を貰いに行こう」と静かに続けた。
 どうやら芳川会長もついてきてくれるようだ。
 確かに会長がいてくれれば心強いが、先程芳川会長が十勝たちに「すぐ向かう」と答えていたのを思い出した俺はいいのだろうかと心配になってくる。が、保健室に行けるのなら俺としても嬉しい。
 櫻田を押し付けられた十勝に内心謝りつつ、俺は促されるがまま芳川会長とともに便所を後にした。


 校舎内保健室前廊下。
 文化祭会場で賑わう普通教室棟とは違い、どこか寂れた雰囲気漂う廊下の中。
 会長曰く、この人気のなさは今晩行われる前夜祭の準備に回されていることが原因のようだ。
 そんな他愛ない話をしながら辿り着いた保健室。
 その扉の前に立った芳川会長はそのまま躊躇いなく扉を開く。

 校舎内、保健室。
 ここに来るのは初めてではない。相変わらず清潔感溢れるその室内は静かで一瞬誰もいないのだろうかと思ったが、そこには先客が一人いた。

「……あ」

 室内の中央に置かれたソファー。
 そこに腰を下ろし、向かい側に置かれたテーブルの上でなにか作業をしていたその男子生徒は開く扉を見るなり目を丸くさせる。
 仁科奎吾だ。仁科がいるということはもしや阿賀松とその愉快な仲間たちがいるのではないかと慌てて周りを見渡してみるが、見たところ保健室には仁科一人だけしかいない。

「なんだ、お前一人か」

 窓から差し込む夕日に赤く照らされた保健室内。
 仁科を見付けた芳川会長は、そういつもと変わらない調子で声をかける。 まるで知人にかけるようなその軽い言葉に俺は内心驚いた。
 俺の記憶では仁科は阿賀松側の人間だったような気がする。考えすぎなのだろうか。

「怪我?」

 そう聞き返してくる仁科に、芳川会長は「ああ」とだけ答える。

「まあ俺じゃなくて彼だがな」

「氷貰うぞ」そう言い足す芳川会長はそのまま保健室に入る。
 その言葉に、扉から顔を出した俺を見た瞬間納得したような顔をした。
 そして製氷機を開こうとする芳川会長に気付いた仁科は「おいって」と慌てて声をかける。

「氷は俺やるから座ってろよ」
「いいのか?」
「なんのため俺がいると思ってんだよ」
「そうか。悪いな」

 極普通に会話をする二人に俺は目を丸くしたまま固まる。
 結局仁科に止められた芳川会長は大人しく待つことにしたようだ。
「齋籐君も早くこっちに来たらどうだ」いつまで立っても入ってこない俺が気になったのか、会長はそう声をかけてくる。
「は、はい」慌てて頷き返した俺は促されるがまま保健室に足を踏み入れた。
 どういうことだ。確か仁科は保健委員長だったはずだが、役職が役職なだけに会長と関わりがあるのだろうか。
 阿賀松たちと一緒にいるからてっきり嫌っているなりなんなりしてるかと思っていただけに、交わされる極普通のやり取りになんだか拍子抜けすると同時に脳内が疑問符で塗り潰される。
 製氷機から取り出した氷を氷のうの中に入れる仁科を一瞥し、俺は芳川会長に目を向ける。
 ふと芳川会長と目が合い、会長は「どうした?」と不思議そうに尋ねてきた。

「いえ、あの……お知り合いなんですか?」

 聞いちゃいけないような雰囲気ではなかったので思いきって俺は会長に聞いてみることにする。
 そう恐る恐る尋ねてみれば、芳川会長は少しだけ不思議そうな顔をして、そして俺が仁科のことを言っているのだと気付いたようだ。

「ああ、仁科のことか。あいつとは昔クラスが同じだったんだ」
「……そうなんですか」

 そう何でもないように答える芳川会長。
 同級生なのだから同じクラスになる可能性くらいあるとわかっていたが、なんだろうか。
 会長が同級生たちとフレンドリーに会話を交わしている場面が思い浮かばない。
 生徒会長としてではなくプライベートの芳川会長を知らないからだろう。
 違和感が半端ない。
 でも、よく考えてみれば芳川会長だって最初から会長という役職についていたわけではないはずだ。
 普通の生徒みたいに普通に授業を受けて普通に友達つくって普通に遊んだりして学園生活を謳歌していた時期もあったのかもしれない。
 ……あれ、もしかして俺ものすごく失礼なこと考えてないか。

「ほら、氷」

 そんなこと考えていると、氷のうを手にした仁科が戻ってきた。
「どこ冷やす?」と尋ねてくる仁科に「頭です」とだけ答える。
 そう言えば、そのまま後頭部に氷水の入った氷のうを乗せられた。

「頭打ったのか?」
「えっと、ちょっと壁にぶっけちゃって……」
「気分は?」
「あ、あの大丈夫です」

 氷のうを掴み、後頭部に当てながら俺は仁科からの問いに答える。
 殴られた内は目が回って酔っていたが、それも今はすっかり引いていた。
 それでも心配そうな顔をする仁科に、会話を聞いていた芳川会長は「やっぱり病院連れていった方がいいのか」とか言い出す。

「あーまあ、頭だし一応ちゃんとしたところで診てもらった方がいいかもな」
「齋籐君、病院行くか」
「えっ」

 なんだか段々話が大きくなっている。
 真面目な顔をしてそんなこと言ってくる芳川会長に俺は冷や汗を滲ませた。心配性にも程がある。

「あの、ほんと大丈夫なんで」
「無理してないか?」
「はい。あ……あの、仁科先輩これありがとうございます」

 断ってもまだ心配そうな顔をしてくる芳川会長に、俺は強引に話題をすり替えることにした。
「ん?あ、あーどういたしまして」そう氷のうを押さえたままに頭を下げれば、仁科はあからさまに動揺する。
 歯切れが悪い仁科になんか余計なこと言ってしまったのかと後悔したが、そこでようやく俺は先月仁科に色々してもらったことを思い出す。
 なるほど、どうやら仁科もそのことを思い出していたのかもしれない。
 今さら恥ずかしくなってきて、俺は頭を下げたまま俯いた。

「なんだ、お前ら知り合いか?」

 どうやら俺が仁科の名前を呼んだことが気になったようだ。
 そう尋ねてくる芳川会長だったが、どうやらすぐに俺たちの接点について気付いたらしい。
 気まずさからか青い顔をする仁科。苦虫を噛み潰したような顔をする芳川会長はそれ以上なにも言わなかった。
 この二人にとってやはり阿賀松の存在は暗黙の了解のようだ。
 余計なこと言ったかもしれない。気まずい沈黙の中、水を差してしまった自分の言動を悔やむ。

 丁度そのときだ。
 静まり返る保健室内に無機質な着信音が響き渡る。なんというタイミングだ。その音にビクッと肩を跳ねさせた俺は慌てて制服から携帯を取り出した。
 そして、開いた携帯電話の画面には見慣れた名前が表示される。
『志摩亮太』
 すっかり忘れていた。

「誰からだ」

 鳴り響く着信音。携帯電話を片手に固まる俺が気になったのか、芳川会長はそう僅かに目を細める。

「……ええと、クラスの人からです」
「出ないのか?」
「……出ます、出ます」

 尋ねられ、そう俺は場所を変えるため慌てて椅子から腰を上げようとする。
 そして、向かい側に腰を下ろした芳川会長に「ここでいい」と止められた。一瞬芳川会長の言葉の意味がわからなかった。

「わざわざ移動しなくてもここで話せばいいだろう」

 そうなんでもないように続ける芳川会長に全身が緊張するのがわかった。
 遠回しに芳川会長はわざわざ自分たちに気を遣わなくていいと言っているのだろう。
 その言葉は嬉しかったが、掛かってきた電話の相手が相手なだけに芳川会長の思い遣りは俺にとって厄介だった。

「早く出てやれ」

 そう躊躇っていると、鳴り止まない着信音に芳川会長はそう促してくる。
 通話中余計なことを口走ってしまわないか心配だったが、会長がこう言っているのに渋っては逆に怪しまれそうだ。
 躊躇する俺からなにか察した仁科が芳川会長になにか言いたそうにしていたが、俺は仁科が会長を止める前に「わかりました」と携帯電話を握り直す。

「……それでは、お言葉に甘えて……失礼します」

 通話ボタンを押し、携帯電話を耳に当てた俺は「……もしもし」と受話器に声をかける。
 すると、受話器からは『齋籐?』と聞き覚えのある声が返ってきた。

『今どこにいるの?全部見たけどいないじゃん』

 焦ったような、どこか怒気を孕んだその声に僅かに冷や汗が滲む。
 やっぱり心配してくれていたようだ。
 櫻田がいなくなった時点で優先的に連絡入れておくべきだったなと後悔しながら、俺は「……ごめん、多分入れ違いになってる」と続ける。

『今どこにいるの?』
「保健室だけど、もう大丈夫だから」
『保健室?どっか怪我したの?』
「や、大丈夫。……念のためって連れてこられただけだから」
『連れてこられた?』

 どうやら余計なことを言ってしまったようだ。
 聞こえてくる声が僅かに大きくなり、受話器越しの志摩の不機嫌そうな顔は目に浮かぶ。

『他に誰か一緒にいるの?』

 勘繰るような鋭い声。またややこしくしてしまった。
 扱いづらい志摩の性格は把握しているつもりだったが、自分の余計な一言が問題だったようだ。
「え?あー、えーっと……」この場合は素直に答えた方が良いのだろうか。
 向かい側に腰を下ろし、大人しくしている芳川会長に目を向ける。
 目が合った。気恥ずかしくなって俺は慌てて視線を逸らす。

「……会長、だけど」

 そう声を潜め、俺は小さく呟いた。同時に、受話器から沈黙が走る。
 そして、

『…………今保健室だっけ』

 暫く間をあけ、受話器から志摩の相変わらず面白くなさそうな声が聞こえてくる。
 なんだこの間は。思いながら、俺は「ん、まあ」となんとも曖昧な返事をした。

『俺も行くから、ちゃんと待っててよ』

 そんな俺に対し、志摩はそう念を押すように続ける。
 冗談だろ。志摩が芳川会長のことを嫌っているのを知っている俺としては是非来てほしくないところだが、わざわざ心配と迷惑をかけてしまったかともあって強く言いにくい。

「え?いいって別に……」

 そうなるべくオブラートに包んだ感じで断ろうとしたとき、受話器からブツリと音が聞こえいきなり通話が途切れた。

「って……もしもし?もしもし?」

 まさか言い終わる前に切られるとは思わなかった俺は目を丸くして受話器に呼び掛ける。
 が、受話器からはツーツーと無機質な音が返ってくるだけだった。
 普通この流れで切るかよ。
 内心呆れながら携帯を閉じれば、「話は終わったか?」と向かい側の芳川会長は尋ねてきた。

「ええ、まあ。……多分」

 我ながら煮えきらないやつとは思うがこうとしか言えない。
「なんだって?」そんな俺に対し、芳川会長はなんでもないようにそう尋ねてくる。
 まさか内容を聞かれるとは思ってはいなかったが、芳川会長としては軽い世間話のような感じなのかもしれない。
 ここで渋って感じ悪いやつだと思われるのは避けたい。

「なんていうか、その、途中ではぐれたからまた落ち合おう……みたいな」

 そうかなりはしょってしどろもどろと説明をすれば、芳川会長は「そうか」と小さく頷く。

「ならせっかくだ、残りの時間ゆっくり楽しんできたらいい」

 そして、小さく笑う芳川会長はそう言ってくれた。
 もしかしたらまた行動制限されるかもしれない、そう身構えていた俺は芳川会長の反応に少しだけ驚く。
 そして、ようやくいつもの芳川会長の笑顔が見れてほっと全身の緊張が解けるのがわかった。

「どうせ、俺もそろそろ行かなきゃいけないしな」

 安堵する俺を横目に、言いながら芳川会長は携帯電話を取り出す。
 その芳川会長の言葉が気になったようだ。

「……またなんかあったのか?」

 後片付けを終え、芳川会長の隣に腰を下ろす仁科はそう僅かに心配そうな顔をして聞き返す。
 仁科の問い掛けに対し、こちらを一瞥した芳川会長は「まあな」とだけ頷いた。
 どうやら当事者である俺のことを配慮してくれているようだ。

「仁科、お前もまだここにいるんだろう」
「……ん、まあ先生が来るまで相手しろって言われてたしそのつもりだけど」

 そう徐に話題を変える芳川会長に対し、特に疑問を抱かずに答える仁科。
 その言葉にふっと笑う芳川会長は「そうか、それなら安心だな」と続けた。
 そして、仁科との会話を切り上げた芳川会長は「そうだ、齋籐君」と今度はこちらに目を向けてくる。

「連絡先教えてもらってもいいか」
「連絡先ですか?」
「ああ、ないと不便だからな。また今日みたいに入れ違いになっても困るだろう」

 携帯電話を片手にそう続ける芳川会長。
 なんだか叱られているような気がして俺は「す……すみません」と恐縮する。
 慌てて謝り出す俺に目を丸くした芳川会長はすぐに頬を緩め、「別に謝らなくてもいい」と宥めるような口調で続けた。

「話は聞いた。十勝のことを気遣ってくれたんだろ?」

「あいつは血の気が多いからな、正しい判断だ」そう続ける芳川会長に褒められてると気付いた俺は顔が熱くなるのがわかった。
「そ……そうですか」会長に迷惑かけてしまったから最悪見放されるかもしれないと内心心配していただけに、その言葉に酷く安堵する。
 顔の筋肉が緩み、自然と笑みが溢れた。
「だが」そして、そんな俺の気を知ってか知らずかそう芳川会長は言葉を続ける。

「あまり無茶な真似はしないようにしてくれ。……心臓に悪い」
「……気をつけます、ごめんなさい」

 わざとらしく空咳をする芳川にそうやんわりと叱りつけられ、慌てて頭を下げた俺は更に恐縮する。
 それでも、やっぱり自分の判断を褒められたのは嬉しかった。
 きっと、ここ最近怒られるか謝れるかばっかりだったからだろう。

「あの、ところで赤外線ってどうやって……」


 会長に言われて携帯電話を弄っていた俺はそう恐る恐る芳川会長に尋ねた。
 すると、芳川会長は意外そうな顔をしてこちらを見てくる。

「ん?……なんだ、齋籐君もわからないのか?」
「……も?」

 結局、見ていられないと呆れたような顔をした仁科に携帯を取られ、アドレス帳に芳川会長の連絡先を登録してもらった。
 ついでに赤外線の使い方も教えてもらった。
 ほぼ空欄だったアドレス帳にまた一人知り合いの名前が増えた。
 既に二人の人間と連絡先を交換したのだが初めての合意なだけあって嬉しかった。
 俺は芳川会長の連絡先を手に入れた。

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