02
栫井が去った後のラウンジにて。
「なんで止めたの?」
テーブルに移動した俺は、向かい側に座る志摩に目を向ける。
どうせ聞かれるだろうなとは思っていたので特に驚かなかった。
「せっかくの文化祭なのに、問題起こしたらまずいじゃん」
「へえ、優等生だね」
「……別に、普通だと思うよ」
血の気が多い志摩にはたまに呆れさせられる。
俺の言葉に笑いながら揶揄してくる志摩になんとも言えない気分になった。
「で、ありがとうとかお大事にってなに?」
来た。
笑顔のままそう尋ねてくる志摩に、俺は僅かに全身を強張らせる。
大体志摩がどんなことに食い付いてくるかパターン読めてきたな。
先ほど同様志摩が栫井への言葉について突っ掛かってくるだろうと予想していた俺は、「うん、まあちょっと世話になったからね」となんとも当たり障りのない返事をする。
「世話?」
「……別に、志摩が気にする程大したことじゃないよ」
「それより、これ食べてもいい?」テーブルの上に置いたビニール袋から先ほどコンビニで買ったおにぎりを取り出しながら、そう俺は志摩に尋ねた。
然り気無く話題を逸らそうとする俺の意図に気付いたのか気付いていないのか、少し拍子抜けしたような顔をした志摩は「うん、いいよ」と小さく笑う。
「これ、もう一つ買っておいたんだけど志摩もどう?」
言いながらもう一つ袋からおにぎりを取り出せば、志摩は「俺に?」と目を丸くさせた。
志摩の前におにぎりを置く俺は「うん」と頷いてみせる。
本当は自分の分なのだが、志摩の気を逸らせるためだ。
これくらいの消費は惜しまない。
「あ……いらなかったら無理して食べなくてもいいよ」
「いや、貰うよ」
「せっかく齋籐が用意してくれたんだからね」言いながら、おにぎりを受け取る志摩は嬉しそうに頬を緩ませる。
もしかしたら、志摩は俺が思っているよりも単純なやつなのかもしれない。
おにぎり一つですっかり気をよくした志摩に内心ほっとしながら、「ならよかった」と俺は笑みを浮かべた。
「梅だけど大丈夫?あれだったらこっちと取り換えてもいいけど」
「別にこれでいいよ」
「そっか。お茶もあるから、好きに飲んでいいから」
言いながら、俺は袋からペットボトルを取り出しテーブルの上に置く。
今まで厄介だと思っていた志摩の話の逸らし方を見習ってみたが、案外上手くいくもんだ。
とにかく次から次へと話題を投げ掛け、強引に栫井の話題から遠ざけようとする俺に、志摩は驚いたような顔をする。
「……なんか怖いなあ、齋籐が優しいのって」
「怖い?」
「っていうか、不気味。いつもあんま気が利かないからさ、手際いい齋籐ってなんか変な感じする」
どさくさに紛れて然り気無く酷いこと言ってないか、こいつ。
笑いながら、おにぎりの包装を破く志摩に俺は『そんなに気が利かなかったのだろうか』いたたまれない気分になった。
「……嫌だった?」
「嫌だって言ったらやめるの?」
「……やめない」
質問を質問で返してくる志摩にそうぽつり言い返せば、志摩は「なにそれ」と可笑しそうに笑う。
「じゃあ、そのまんまでいいよ」
笑いながらそう続ける志摩。
俺は「わかった」と小さく頷きながら自分の分のおにぎりを手に取った。
そして、俺たちは前までと変わらないようにしょうもない雑談を交わしながら朝食を済ませる。
なんだか変な感じだった。
自分が変わるだけでここまで上手くいくのだろうかというなんだか拍子抜けしたような気分と、本当は目的も思考も全て志摩に感付かれてその上志摩は俺の相手をしてるんじゃないだろうかという懐疑の念が入り雑じったような複雑な感じだ。
最初から、変な意地張らずに志摩と普通に接していれば、阿佐美にまで迷惑いかなかったのかもしれない。
志摩と面と面を向かって話していれば、そのことばかりが頭の中に浮かんだ。
まあ、今さら後悔しても仕方ないのだけれど。
志摩と話ながら朝食を済ませ、俺はラウンジを後にした。
結局、最後まで志摩に栫井のことを深く突っ込まれることはなかったのが唯一の救いだろう。
ゴミを捨て、すっかり文化祭ムードに包まれた校舎へ向かう。
まだ一般公開までは時間があるが、準備する生徒側にはそれより早く教室へ行く必要があった。
本来ならばいつも通り適当に時間潰して教室入りするつもりだったが、今日は志摩がいる。
なにもしなくていいと言われた俺はともかく一応委員長という立場の志摩がいる手前、暢気にサボるわけにもいかない。本格的な装飾が施された昇降口を通り、俺は志摩と教室に向かう。
校舎内、教室前廊下。
ちらほらと各教室に向かう生徒に混じって、『喫茶店』と手作り感溢れる看板が掲げられた自教室に入る。
教室には既に人がいて、客寄せと従業員の生徒は制服からウェイター服に着替えていた。
やはり、いつもと違う教室にいつもと違う雰囲気にとうとうやってきたかという気分になるが俺としてはなにもやってないのであまり思い入れがないのも事実だ。
数人の視線が向けられる中、俺と志摩は教室に入る。
そこへ、やってきた一人のクラスメートが「志摩君」と隣の志摩に声をかけてきた。
「ん?ああ、わかった。今からね」
クラスメートに耳打ちをされ、志摩はそう頷いた。
なにかを伝えるなりそそくさと奥に引っ込むクラスメートを尻目に、俺は「どうしたの?」と志摩に尋ねる。
「そろそろ準備しろだって」
「準備?」
「俺、午前客引きなんだよね」
「齋籐いなかったから知らないのかな」含んだようにそう続ける志摩に、俺は初めて聞いた事実に目を丸くした。
志摩が客引き。確かに愛想はいいし誰彼構わず喧嘩を売るような狂暴な性格をしているわけではないが、これは大丈夫なんだろうかと心配になってくる。
「今失礼なこと考えてるでしょ」
そしてバレた。
「いや、まあ、その……頑張ってね」
紛らすように慌てて笑みを浮かべながら言えば、志摩は「うん。ありがとう」と微笑んだ。
「齋籐も頑張ってね、一日自由行動」やはり少し怒ったらしい。俺はなにも言えなくなる。
「午後、俺自由行動だから一緒に回ろうよ。どうせやることないんでしょ?」
「……午後?」
「うん」
突然の志摩からの誘いにちょっと驚いた俺。
反応が悪いのが気になったのか、志摩は心配そうに「嫌?」と小首を傾げた。
「いや、嫌じゃないけど……」
芳川会長の時間がいつ空くかわからない今、下手に約束ごとはしたくない。
「まだわからない」そう志摩に告げれば、志摩は「わかった」と頷いた。
「暇なときでいいよ。齋籐も、デートで忙しいみたいだからね」
笑う志摩は、それだけを言えばそのまま教室を後にする。
恐らく、客引きの準備をしにいったのだろう。
含んだような志摩の言葉に言い返す暇もなく一人になった俺は、『まあ間違いではないな』なんて思いながらなんだかやるせない気持ちでいっぱいになった。
志摩がいなくなり、一人の時間が続く。
別に一人でいること自体は苦痛ではなかったが、やはりこの祭りの雰囲気に馴染めないのはキツかった。
そんな俺の心情なんて関係なしに時間は進む。
担任から文化祭の大まかな流れや注意事項などの説明があり、時間になると校舎の一般解放が始まった。
その前に教室を抜け出した俺は、予め用意していた文化祭のパンフレットを片手に校舎内を見て回ることにする。
幸い、校舎内には俺以外にも制服で店を回っている生徒がいたので然程人の目は気にならなかった。
恐らく、その殆どは出し物不参加の一年だろう。
楽しそうに話しながら歩いていく複数の男子生徒を見ていると、なんだか段々テンションが下がってきた。
なにが悲しくて一人で文化祭楽しまなきゃならないんだ。
なんて思いながら、俺は一人小さく溜め息をつく。
校舎内、休憩所。
いくつかの屋台とテーブルが並ぶそこへやってきた俺は、置いてあったベンチに腰をかけ文字通り休憩をすることにした。
そのときだった。
「信じらんない、あたしだけって言ったじゃん!最低!馬鹿!浮気野郎!馬鹿!七股とか有り得ないんだけど!」
「まあ、ほら、取り敢えずさ、落ち着いて……」
休憩所の奥から聞こえてくる女の子の金切り声。
それに反応するかのように沸く野次馬の笑い声に紛れて聞き覚えのある軽薄な声が聞こえてきた。
喧嘩かなにかだろうか。
屋台で買ったたこ焼きを食べながら小さな人だかりが出来た方に目を向ければ、その中心には見覚えのある青年がいた。
十勝だ。
「落ち着けるわけねーだろ!下半身まで馬鹿かテメェ!!」
「一発殴らせろよ!」
余程頭に来ているのか形振り構わず罵詈雑言を投げ掛ける女子数名に詰め寄られ、冷や汗を滲ませる十勝。
十勝君も大変だなあなんて思いながら、俺はたこ焼きを食べることに集中することにする。
因みに、十勝の修羅場はやってきた見回りの風紀委員に関係者全員連れていかれることで収束した。
たこ焼きを食べ終わり、集まっていた野次馬がいなくなった頃。次はどこに行こうかなんて考えながら席を立ったときだった。
「なぁーんでぇー助けてくれなかったんだよぉー」
肩を掴まれ、すぐ耳元で恨めしそうな声で囁かれる。
いきなり声を掛けられビックリしながら振り返れば、俺の肩に顎を乗せる十勝と目が合った。どうりで肩が重いと思ったら。
「……なんのこと?」
「なんのことじゃねーよぉ、さっきの見てただろ。ずっと助けてって合図してたのにさー」
そんなことしてたのか。関わらないようすぐに目を背けたから気付かなかった。
「お陰で反省文書かされちゃっじゃん、もう。筆まめ出来ちゃったら佑樹のせいだからな」俺が悪いのか、これは。
「ごめん、気付かなかったから……」
「まじで?勿体ねえ、せっかく何人か紹介してやろうと思ったのに」
まさか俺にあの子たちを押し付けるつもりだったのか。
しなくて正解だったな、それは。ただでさえ今にも殴りかかりそうだった女子のことを思い出し、俺は背筋を凍らせた。
「ところでさ、佑樹暇?」
「俺?まあ、うん……結構」
「まじで?丁度よかった。一緒に店見に行かね?回る予定の子駄目になっちゃってさ」
恐らく回る予定の子と言うのは先ほどの女子たちのことなのだろう。そうヘラヘラと笑いながら誘ってくる十勝。
思わぬ誘いに驚いて、ついそのまま言葉に詰まってしまった。
「無理?」
「いや、いいよ」
反応が悪い俺に、十勝はそう不安そうに尋ねてくる。
慌てて首を横に振る俺は、「どうせ暇だったし」と付け足した。自分で言ってて悲しい。
「まじで?やりい!佑樹いればナンパ即イケるじゃん!」
俺を当てにするなとか、さっきのでまだ懲りてないのかとか、そしてまだ股かけるつもりかとか、言いたいことが色々ありすぎてなんかもうどうでもよくなってくる。
というわけで、十勝とともに出し物を見て回ることになったわけだが。
「ね、うちの学校の出し物すごいっしょ。だろ?あ、そういや講堂見に行った?今の時間だと色々やってるよ。時間あったら見に行ってみてよ、まじ楽しいから。ん?場所わかんない?なんなら俺たちが案内しようか?大丈夫大丈夫、こっちはどーせやることなくて暇だったし。どう?」
目を離した隙に暇そうな他校生や一般の女性に話し掛けては案内する十勝に振り回され、正直出し物どころではなかった。
結局講堂まで案内した俺たちは、案内した女子となにかあるわけでもなくその場で別れることになる。
ナンパと言うより、寧ろこれではただのボランティアだ。
いや、普通にそれでいいはずだが、なんでだろうか。
正直ちょっとばかし期待しちゃったりしていたせいか肩透かしが酷い。いいことなのだが。
「佑樹ー、なんか食べてく?」
「いや、いい。さっきのがまだ腹に溜まってるし……」
「まじで?半分こしようと思ったのにー。まあいいや、んじゃ俺クレープ食お」
学園敷地内、講堂前。
講堂から出てすぐ、そこにずらりと並ぶ屋台へ向かう十勝。
そんな十勝を見送り、俺は近くにあったベンチに腰をかけ十勝が戻ってくるのを待つことにした。
丁度そのときだった。
「齋籐君?」
不意に名前を呼ばれる。やることもなく屋台の幕を眺めていた俺は、聞き慣れたその声に反応して慌てて声の主に視線を向けた。
そこには、パンフレットを手にしたでかいウサギが立っていた。
「……?」
確かに名前を呼ばれたはずだが、近くに見知った人物はいない。
疑問に思ってキョロキョロと辺りを見回していると、目の前のウサギから「こっちだ、こっち」と聞き慣れた声が聞こえてくる。
「え?……あの、会長ですか?」
「ああ、この格好じゃ流石にわからなかったか?」
「す、すみません……」
「別に気にしてない。そんなことより、こんなところでなにしてるんだ」
仁王立ちのウサギもとい芳川会長に尋ねられ、俺は思わず口ごもる。
ハブられてやることないから出店回ってるとか行ったら怒られるだろう、確実に。
俺は慌てて笑みを浮かべながら、「ちょっと休憩です」と適当なことを口にする。
「そうか」そう答える芳川会長の表情は見えなかったが、恐らく笑っているのだろう。
「サボるならバレないようにしろよ」
そう続ける芳川会長に、ギクリと俺は全身を強張らせた。
「え、あ、その」図星を指され、顔を真っ青にした俺は恐る恐る目の前のウサギを見上げる。
「……なんだ、冗談のつもりだったんだが……まさか齋籐君」
「いや、あの、なんでもないです。サボってないです!」
どうやら墓穴を掘ってしまったようだ。勘繰るような視線を感じ、慌てて俺は首を横に振り否定する。
もしかしなくても確実に感付かれただろう。暫く疑うような視線を向けてくる芳川会長だったが、「程ほどにしろよ」と小さく笑うだけだった。
「佑樹ー、お茶買ってきたよー」
不意に、クレープとペットボトル二本を抱えた十勝がそう満面の笑みを浮かべ戻ってくる。
と同時に、俺の目の前にいた芳川会長もといウサギの着ぐるみを見付けた十勝は「うおお!ウサギだ!すげー!」と目を輝かせた。
瞬間、手に持っていたパンフレットを筒型に丸めた芳川会長はそれで十勝の頭部を叩く。いきなりの芳川会長の行動に目を丸くする俺と十勝。
「え、あれ、なになにウサちゃんどーしたの」
「か、会長……」
なにが起こったのか未だ理解してないらしい十勝を他所に、俺は冷や汗を滲ませた。
なんか知らないけど芳川会長が怒っているのは一目瞭然で。
「か、会長?!」
俺の言葉に更にビックリした十勝は、そう顔を蒼くしそのまま後退る。
が、伸びた芳川会長のアニマルな手が十勝を捕まえる方が早かった。
「生徒会の仕事無視して暢気に出店回りか。随分と楽しそうだな、十勝」
「わーっ!すみませんすみません、まさか会長が代わりにやらされるなんて知らなくて」
「代わり云々を理由に自分の持ち場を放棄することが許されると思っているのか君は」
「いや、本当忘れちゃってました。まじで。悪意ないです。あ、ほら子供見てますよ会長!泣き出しましたよ!」
ウサギに絡まれる男子校生というなんとも奇妙な図に、通りかかった数人の子供が二人を凝視している。
誰一人泣いてなかったが、流石に人前ということで自重したようだ。芳川会長は渋々十勝を解放した。
「あれでしたら今から代わりましょうか。あ、これあげますし」
慌ててそう愛想笑いを浮かべる十勝は、言いながら買ってきたクレープをさっと芳川会長に差し出す。
思いっきり媚出す十勝になにか言いたそうな芳川会長だったが、「いい」とキッパリ言い切った。
「このままパンフレット配りは俺がやる」
「その代わり俺の分の仕事、お前に任せたからな」少しでもサボったら覚えておけよ。
そう念を押すように続ける芳川会長は、それだけを言えばそのまま近くに集まっていた子供の元へ歩いていく。
残された十勝は、顔を蒼くしたまま暫くそこから動かなかった。
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