天国か地獄


 01

 その日、俺は灘から貰った冷えきった惣菜パンを食べ風呂に入ってそのまま寝た。
 因みに惣菜パンはなかなか美味しかった。

 そして翌日。
 ベッドで眠っていた俺は、枕元に置いていた携帯電話の着信音で目を覚ます。
 誰だよ、こんな時間に。
 微睡む意識の中、けたたましく鳴る着信音に起こされた俺は側に置いてあった携帯電話に手を伸ばす。
 重い瞼を持ち上げ、携帯電話を開いた俺は何も考えずにそのまま電話に出た。

「あい……もしもし……」
『佑樹か?』

 アクビ混じりにそう電話に声をかければ、受話器から懐かしい声が聞こえてくる。

「とっ、父さんっ?」

 発信元を見ずに電話に出た俺は、受話器から聞こえてくるその声に慌てて上半身を起こした。
 慌てる俺に、父親は『なんだ、まだ寝てたのか』と可笑しそうに笑う。

 まだ?……まだってなんだ。
 然り気無い父親の言葉が引っ掛かった俺は、携帯を耳に当てたまま壁にかかった時計に目を向ける。
 時計盤には、いつもならもうとっくに準備を済ませている時間が表示されていた。

「うわっ、ね、寝過ごした……!」
『珍しいな、こんな時間まで寝てるなんて』

 父親と通話が繋がったままということを忘れ取り乱す俺に、父親はそう驚いたように言う。
 確かに、いままで実家で生活していたときは家政婦に起こされる前にはいつも起きるよう心掛けていた。
 間違いなく、この学園に来て生活リズムを乱されたせいだ。
 なんて父親に言えるはずもなく、俺は「いや、その」と口ごもらせる。

『忙しいんだったら、また間合いを見て電話をかけ直すが』
「いえ、大丈夫です。お……僕に、なにか用あったんですよね」

 いつもの癖で俺と言いそうになり、慌てて俺は言い直す。
 多忙な父親がわざわざ連絡を寄越すこと自体俺にとって珍しく、間合いなんて言ってたら次の連絡がいつになるかもわからない。
 ベッドの上に正座になりながら、そう俺は父親に尋ねる。
 俺の言葉に、父親は『ああ、そうだった』と思い出したように続けた。

『……明日の文化祭のことだが、父さんも母さんも用が入ってしまってな』

『悪いけど、文化祭見に行けそうにないんだ』受話器から聞こえる父親の声に、なにかあったのだろうかと必要以上に構えていた俺は拍子抜けする。
 なんだ、そんなことか。

「いいよ、別に。父さんたちが忙しいっていうのはわかってたし」
『本当にごめんな。父さんも楽しみにしてたんだが急用が入って……』
「大丈夫だって、気にしないでよ」

 申し訳なさそうな父親の声に、電話を片手にしょんぼりと項垂れる父親の姿を安易に想像できた。
 寧ろ、来なくてよかった。
 いま自分が置かれている立場が立場だからだろうか。
 父親の言葉に落胆どころか安心してしまう。
 もしうっかり父親と母親に学園に来たりでもしてなにかあればと思うと俺は気が気でない。
 だからこそ、残念がる父親の言葉は本当に有り難かった。

「それで……用っていうのは?」

 このままでは埒があかない。
 必要以上に来れないことを気にしている父親に、そう俺は強引に話題を変えることにした。

『ああ、そうだった。母さんから伝言だ』
「……母さん?」
『たまには連絡を寄越せって言ってたぞ。佑樹、まだ母さんにこの番号教えてなかったのか』

 父親はそう声を潜める。
 父親の言葉に、脳裏に懐かしい母親の顔が過った。
 確かに、母親とはこの学園で寮暮らしをするために実家を出てから一度も連絡を取り合っていない。

「……うん、ちょっと暇がなくて。母さんには今度僕から電話するよ」
『……そうか、ならいいが』

 鈍い俺の反応からしてなにか悟ったのだろう。
 父親はそれ以上無理強いをしてくることはなかった。

『話はそれだけだ。文化祭、楽しむんだぞ』
「うん、ありがとう」

 どこまでも俺のことを心配してくれている父親に自然と頬が緩んだ。
『あと、それから』不意に、父親は思い出したような声を上げる。

『理事長や先生方にも、よろしく言っておいてくれ』

 その言葉を最後に、父親との通話は途切れた。
 久しぶりの父親との電話だからだろうか、なんとなく緊張した。
 携帯電話を閉じ、ベッドの上に置いた俺はそのままベッドから降り洗面所へと向かう。

 正直、母親は少し苦手だった。
 母親は優しい父親とは対照的に、真面目で厳しい人だった。

 中学を卒業して、俺をいじめていた半分以上の人間と別れたにも関わらず高校に上がっても尚、俺がいじめられていたことを両親が知ったのはつい最近のことだ。
 高校生になり毎朝学校へ行くため家を出るも、そのまま教室へは行かず保健室で自習を受けていた俺を心配した保険医が両親に連絡を入れ、たまたまその連絡を受けた母親が俺に問い詰め、いじめのことも全て母親に白状した。
 その経由で父親にまで伝わり、保健室登校だけでは進学することはできないと当時の担任に言われた俺を案じた父親が、地元から離れたこの全寮制学園に転校させたのだ。

 進んで俺の転校の手続きをした父親とは違い、母親は俺を寮に入れることを反対していた。
 自分の息子がいじめられた上、逃げるような真似をするのが悔しかったのだろう。
 小さい頃の母親との記憶といえば、ぐずぐずと弱音を吐く俺を静かに叱りつける母親のことしか思い出せなかった。
 父親同様多忙な母親は少しも母親らしいことをしてくれなかったが、それでも母親が自分のことを心配してくれているのがわかっていた。
 だからこそ、苦手だった。
 転校しても尚変わるどころか悪化してしまった状態で、転校を反対していた母親と連絡を取るのは怖かった。

 洗面所で身嗜みを整え、部屋へ戻ってきた俺は制服に着替えた。
 二人で使っていたときでさえ広く感じていた部屋は一人だと余計広く感じ、便利とか解放感がとかよりもただ寂しく感じる。
 昨日の今日で気持ちを切り換えられるほどできた人間ではない俺は、昨日の阿佐美とのやり取りを思い出せば一人静かに落ち込んだ。
 制服に着替え、学校の準備を済ませるのに時間はかからなかった。
 寝過ごした分のロスタイムは、せいぜいゆっくりテレビを見る時間がなくなったぐらいだろう。

 そろそろ出ないと、朝御飯が食べる時間がなくなってしまう。

 部屋の時計を一瞥した俺は、鞄を肩から下げそのまま玄関口へと向かった。
 靴に履き替え、俺は扉にかかった鍵を外しそのまま扉を開く。
 瞬間。

「あぅっ」

 勢いよく開いた扉がなにかに当たるのと同時に、扉越しに小さな呻き声が聞こえてくる。
 扉にぶつかったのが人だとわかるのに然程時間はかからなかった。

「ごっごめん、大丈夫?」

 慌てて扉から廊下へ出てきた俺は、扉の前で頭部を押さえ踞るその生徒に近付く。
 まっ黒い髪に、周りに比べて小柄なその男子生徒には見覚えがあった。

「……って、江古田君?」

 二年生の階にも関わらず一年である江古田がここにいることに驚いた俺は目を丸くする。
「……おはようございます……」頭部から手を離した江古田は、そうぽつりと呟いた。
「え、ああ、おはよう」相変わらず怒っているのか怒っていないのかわからないような表情の江古田に、俺はつられて挨拶をする。

「……あの、いま頭打ったよね?大丈夫?」
「……大丈夫です……」
「え、あ、そ……そっか。ごめんね」
「……大丈夫です……」

 痛かったのなら痛かったと文句を言ってくれた方がこちらとしても接しやすいのだが、江古田は俺のことを気遣っているようだ。
 頑なになって痛くないと言い張る江古田に申し訳なくなってしまう。

「……それより、ご飯食べにいきませんか……」

 俺から視線を外した江古田は、相変わらず控えめな態度でそう俺を誘ってきた。
 なんで江古田が部屋の前にいるのか気になっていたが、やはり俺の見張りできていたようだ。
 周りから避けられているこの状況だからだろうか。社交辞令だとわかっていても、江古田からの誘いは嬉しかった。

「うん、そうだね」

 どちらにせよ朝食を食べるつもりだった俺は、江古田の誘いを受けることにした。
 そんな俺になにか言うわけでもなく、小さく頷いた江古田はそのままエレベーター前まで歩き出す。
 俺はそのまま江古田の後を追い、二年生で賑わう廊下を歩いていった。
 一階へ降りるエレベーター機内。数人の生徒に紛れエレベーターに乗り込んだ俺たちは、特になにを話すわけでもなく一階に着くのを待っていた。
 もしかして、櫻田の件が収まるまで毎日江古田が送迎してくれるのだろうか。
 思いながら隣にいる江古田に目を向ければ、不意に江古田と目があった。
 慌てて俯く江古田に内心傷つきながらも、俺はいち早く芳川会長が櫻田をなんとかしてくれることを祈る。
 いや、他力本願は駄目だ。そうだとはわかっていたが、やはり周りを頼らずにはいられない状況まで来ていたのも事実で。
 そう一人考え込んでいると、不意にエレベーターが動きを止め扉が開いた。
 どうやら一階についたようだ。他の生徒が出ていくのを待ち、俺たちはエレベーターを降りる。
 文化祭前日だからだろうか。一階は昨日よりも大分賑わっているような気がした。恐らく、どこのクラスも出し物の準備を終わらせたのだろう。

「江古田君は、なにか食べたいのある?」
「……別にないです」
「あ、そっか……」

 一階、ショッピングモール。
 朝食を取りに来た生徒たちで賑わう店舗前を歩く俺たちは、ぼちぼちと食堂へと向かう。

 自分のために時間を遣ってくれる江古田を退屈させたくなかったので何度か話しかけてはみるが、どれも長続きしない。
 俺の話術が劣っているのか、それとも江古田が口下手なだけなのかわからなかったが、恐らくその両方なのだろう。口下手二人の会話が弾むはずもなく、再び流れる沈黙の中俺たちは食堂まで歩いていった。

 一階、食堂前。

「あっ、おーい!佑樹ー!」

 食堂の扉を開こうとしていると、背後から聞き覚えのある声が聞こえてくる。
 振り返り、声のする方へ目を向ければ、そこには十勝がいた。よく見るとその背後には灘もいる。

「十勝君と、灘君。おはよう」
「はよーって、あれ、江古田も一緒?珍しー組み合わせじゃん」

 昨日の話を聞いてなかったのか、それとも十勝がただ忘れているだけなのかわからなかったが、十勝のことだ。恐らく後者なのだろう。
 十勝の斜め後ろにいた灘は、「見張り」と小さく呟いた。
「あーそういやそうだったな」灘に言われ、思い出しながら十勝は少しだけばつが悪そうな顔をする。
 しかも、それも束の間だ。

「お疲れ、江古田!」

 そう頬を綻ばせた十勝は、いいながら俺の隣にいた江古田の頭をわしわしと撫でる。
 身長差のせいか十勝が江古田の頭を押さえ付けているようにしか見えなかったが、他意はないのだろう。

「あ、そういえば、二人だけなの?会長たちは……」

 十勝によって髪を乱された江古田は少し迷惑そうな顔をしていたので、慌てて俺は話題を変え十勝の気を反らさせようとした。
 俺の問い掛けに、江古田から手を離した十勝の顔から浮かべていた笑みが苦笑いに変わる。

「会長たちとはまだ会ってねーからわかんねえわ」

 少しだけ寂しそうな顔をする十勝は、そう乾いた笑みを浮かべる。
 そういえば、生徒会まだ揉めてるんだったか。
 無神経すぎた自分の言葉に今さら気付いた俺は、慌てて「ごめん」と謝る。
 対する十勝は、自分の失言に落ち込む俺を「なに謝ってんの」と笑い飛ばした。

「こんくらい気にすんなよ、ほら、飯食うんだろ?俺たちもご一緒しちゃっていい?」

 慰めてくれているのか、そうヘラヘラと笑う十勝はバシバシと俺の背中を叩き、返事を待たずにそのまま食堂へと歩いていく。
 俺が断ったとしても、恐らく一緒に食事をするつもりなのだろう。
 なかなか強引な十勝に戸惑いはしたが、十勝なりに俺に気遣ってくれているのだろうと思えば自然と緊張が解れるのがわかった。


 学生寮一階、食堂にて。
 適当な席についた俺たちは同じく適当な朝食を注文し、それが運ばれてくるのを話ながら待っていた。
 とは言っても話しているのは俺と十勝くらいで、灘と江古田に至っては相槌をたまに打つか打たないかくらいだった。

「あーとうとう明日だな、文化祭!いやーまじで楽しみ!だってさー女子とかも来んだろ?まじテンションあがるって!」

 やけに鼻息が荒い十勝に若干距離を置きつつ、俺は「そうだね」と笑いながら相槌を打つ。
 十勝の言う通り、いつもは関係者以外入れない様になっている学園内は文化祭当日のみ一般人も入れるよう開放されるそうだ。
 うちのクラスでも他校に通う友人や恋人を連れてくるだとかで盛り上がっている人間は少なくなく、恐らく十勝もその部類なのだろう。
 他校に通う友人も恋人もいない俺にとって、文化祭の一般公開についてはあまり縁のない話だった。
 ついさっき両親が来れないという報せを聞いただけに、尚更だ。

「だよな!いやーまじテンションあがってきた!そうだ、パフェ頼も」

 脈絡がない十勝の思い付きに反応しそびれた俺は、楽しそうな十勝から目をそらした。
 朝からよく甘いもん食べれるな。
 お腹壊さないのだろうか、と十勝の胃袋を心配する。
 そういえば、阿佐美もよく変なもの食ってたな。
 注文しに席を外す十勝を一瞥した俺は、ぼんやりとそんなことを思う。

「文化祭、楽しみじゃないんですか?」

 十勝がいなくなり、テーブルが静かになったときだった。
 正面に腰を下ろした灘は、言いながら俺に目を向ける。
 先ほどまで大人しかった灘がいきなり口を開くから何事かと思ったが、まさかそんなことを聞かれると思っていなかった俺は少しだけ戸惑った。

「……いや、楽しみだけど」
「そうですか」

 自分から聞いておきながらこのリアクションの薄さはどうにかならないのだろうか。
 相変わらずの灘に反応に困りながらも、思いきって俺は「灘君は、楽しみじゃないの?」と聞き返す。

「当日になってみなければなんとも」

 言いながら、俺から視線を外した灘は手元に置かれたグラスを手に取った。
 灘らしい回答だと思った。
 思いはしたが、かなりリアクションに困る。
 グラスの中の水を一口飲む灘に、俺は「うん、まあ、そうだね」となんとも味気ない返事をせざるを得なかった。
 それから、暫くもしないうちに相変わらずテンションが高い十勝が戻ってき、最初注文していた料理が運ばれてくる。因みに、俺が頼んだのは和食定食だ。
 文化祭の話題で(主に十勝が)盛り上がりながらも、俺たちは朝食を食べ終える。
 黙々と平らげた灘と江古田は無言で席を立ち、そのまま自分の分の空の食器を手にカウンター横の返却口へと向かった。

「あー、やっぱパフェいらなかったなー。……なんか腹痛くなってきた」

 テーブルの上に突っ伏した十勝は、小さく唸りながらそんなことを言い出す。
 言わんこっちゃない。
 思いながら、俺は「大丈夫?」と声をかければ十勝は「ギリギリ」と顔を青くさせる。
 なにがギリギリなのかわからなかったが、ここは敢えて触れない方がいいだろうと察した俺は「お大事に」とだけ呟いた。

「つーか、あの二人片付けんのはえーよな。もっとゆっくりすりゃあいいのに」

 言いながら体を起こし顔を上げた十勝は、「こう、食事に時間かけたくないです!みたいなオーラが……」と不満そうな顔をする。
 まあわからないでもないが、時間が時間なので灘たちが時間を無駄にしたくないのもわかった。
 というか、ただ十勝が時間にルーズなだけな気がしたが、俺もゆっくりしているわけにはいかない。

「朝だから仕方ないよ」
「やっぱそんなもん?」
「うん」

 なんて会話を交えながら、席から立ち上がった俺は自分の分の食器を持ち上げる。

「あっ待って待って、俺も行く」

 そのまま返却口へと向かおうとする俺に、十勝はそう言いながら椅子を引き腰を上げる。
 十勝とともに返却口へと向かえば、そこにはもう灘と江古田の姿はなかった。
 どうやら一足先に食堂の外へ移動したようだ。
 食器を戻しながら、俺は隣の十勝に目を向ける。そういえば、十勝は五味と仲がよかったはずだ。どちらにせよ栫井と話さなければいけないと思っていたが、五味のクラスと部屋だけでも先に十勝から聞き出しておくか。
 なかなか雑な手つきで食器を返却口へと戻す十勝を横目に、俺はそう思案を巡らせる。

「……そういえば、十勝君って五味先輩のクラスか部屋、知ってる?」
「んえ?五味さんの?」
「うん」

 そう尋ねれば、十勝は目を丸くして俺の方に目を向けた。
 なんでそんなことを聞くんだと言いたそうな顔をしていたが、十勝は深く追求するような真似はせず「そりゃ、知ってるよ」とだけ言って笑う。

「なに、知りたいの?」
「うん。……ちょっと相談があって」
「相談?へえ、まあいっか。ちょっと待っとけよ、いま思い出すから」

 しっかり忘れているじゃないか。食器を片付け終え、難しい顔をする十勝はうんうんと唸る。おまけに、苦戦してるし。

「あーっ、クラス思い出せねえわ。部屋だけでいーい?」
「全然いいよ」
「確か、五味さんの部屋は445号室……だった気がする」

 肝心の部屋の方も見事にあやふやなことになっているが、部屋番号がわかればこっちのものだ。当たっているのかすら怪しいが。
 445号室か。445号室、445号室と口の中で呟きながら俺は十勝からの情報を記憶に刷り込んだ。

「うん、ありがとう。助かったよ」

 五味の部屋番号を暗記した俺は、そう十勝にお礼を言う。
「へへ、そりゃーなによりで」十勝は嬉しそうに笑い返してきた。
 案外すんなりと十勝から聞き出すことに成功し、内心ほっとしながらも俺たちは返却口の前から移動する。
 それにしても、445号室か。つい最近どこかで似たような数字を聞いた覚えがあったが、まあいい。放課後にでも五味の部屋を尋ねてみよう。
 クラスが聞き出せれば休み時間の合間を見て会いに行こうかと思ったが、こうなったら仕方ない。
 今日のスケジュールを頭の中で組み立てつつ、俺たちは灘たちが待つ食堂の外へと向かって歩いていく。
 食堂の外で待っていた灘たちと合流し、俺たちはそのまま校舎へと向かって歩いていく。

 校舎内、昇降口前。
 上履きに履き替えた俺たちは、上の階へと続く階段の前に集まっていた。
 というより、足を止めていたと言った方が適切なのかもしれない。

「んじゃ、俺と江古田はこっちだから。また後でな!」

 一年と二年の教室はあまり近くはなく、どうしても道を分かれないといけない。
 そう言って笑う十勝は、俺の隣にいた江古田に「行こーぜ」と声をかけた。

「……僕は、先輩を送らなきゃいけないので」

 どうせなら一緒に教室へいこうと誘ってくる十勝に対し、言いながら江古田はちらりと俺に目を向ける。
 どうやら江古田は芳川会長から言われたことを気にしているようだ。

「江古田君は教室に向かってください」

「齋籐君は、責任持って自分が送らせていただきます」十勝の申し出を断る江古田に、灘はそう淡々とした口調で告げる。
 遠回しに一人で充分だと言う灘に、江古田は目だけを動かし灘を見た。
 確かに、同じ学年であり同じ命令をされている灘がいればわざわざ江古田に校内を何往復させる必要もない。

「……そうですね、僕より先輩の方が頼りになりますし……お願いします」


 灘の言葉で変なスイッチが入ってしまったのか、どんよりと陰鬱な雰囲気を全身から醸し出す江古田に、俺と十勝はフォローしようとしてもどう声をかければいいのかわからず思わず黙り込んだ。
 対する灘は、そんな江古田に「お任せください」と相変わらずの無表情で続ける。
 気まずい。非常に気まずい。

「ってことだから、ほら江古田行こうぜ」

 場の雰囲気を変えようとそう気を取り直した十勝は、言いながら江古田の背中を強引に押し歩かせた。
「それじゃーな」とこちらを振り返り手を振る十勝は頬を緩め笑みを浮かべる。
 もしかしたら、俺が思っているより十勝は気が利くやつなのかもしれない。
 とぼとぼと歩く江古田を励ますように話題を変える十勝の後ろ姿を眺めながら、俺はそんなことを思った。

「江古田君」

 あまりにも凹む江古田にいたたまれなくなった俺は、咄嗟に江古田を呼び止める。
「その、今日は送ってくれてありがとね」足は止めるものの、しょんぼりとしたままこちらを向こうとしない江古田の背中にそう俺は声をかけた。

「……ありがとうございます……」

 それはギリギリ俺の耳に届くくらいの声量だった。
 江古田はそうポツリと呟けば、再び足を進め始める。
 ありがとうをありがとうで返されるとは思わなかった俺は少しだけ反応に遅れた。
 さっさと歩いていく江古田に、十勝は「ちょっ早い早い」と言いながら慌てて後を追っていく。
 なんとなく、先程よりも幾分江古田の歩調が大きくなっているような気がした。

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